妊娠や出産時に苦労する内容は、人によってさまざま。よくあるパターンの苦労もあれば、思わず耳を疑ってしまうような経験をしたママもいるようです。
そこで今回は、妊娠や出産を経験したママたちから、実際に味わった苦労話を伺いました! みなさん、一体どんなハードルを乗り越えてきたのでしょうか。
出産中のあるある話
あまりの陣痛の痛みに、自分でも信じられないような言動をしてしまったママも少なくないようです。痛みのせいで思ってもいないことを口走ってしまったのか、それとも普段から押し殺していた本音なのか…。そんな我を忘れた体験談を聞いてみましょう。
・「まさに陣痛と戦っているとき、側にいた夫がマッサージをしてくれました。しかし…肝心の場所がずれていて、全然役に立たなかったんです。思わず『違うだろ!』『もういい! この役立たず!』と叫んでしまいました…」
・「覚悟はしていたものの、陣痛の痛さは想像を絶するものでした。限界を超えた痛みに慌てふためき、わけが分からない状態に…。そんなとき、つい夫に『あなたとの子どもが欲しいと思った自分が不思議』『あなたを深く愛していたわけでもないのに』と言ってしまいました…。さすがに、ちょっと言い過ぎたと反省しています」
・「お産中、急に便意を感じてしまった私。『目の前に夫もいるのに、ここで便を出すわけにはいかない…』と思い、なぜか夫に『トイレに行きたい! 早く行ってきて!』と意味の分からない発言をしてしまいました。夫に席を外してほしい、という意味だったのですが…これでは夫もちんぷんかんぷんですよね。案の定、『いや、俺は大丈夫だよ…?』と戸惑っていましたよ」
特殊な体験談
なかには、ちょっと変わった苦労を味わったママもいるようです。その苦労の正体は、なんと「痒み」。その辛い状況を語っていただきました。
・「妊娠と出産を振り返って、一番辛かった症状は断トツで『痒み』です。最初に症状が現れたのは、妊娠6カ月に入った頃。お腹に痒みを感じたのですが、まだ『ちょっとくすぐったいな』という程度でした。
それがだんだんと悪化し、痒みの強さも範囲もどんどんレベルアップ。痒みはお腹全体に広がり、病院で処方された塗り薬でなんとか対処していました。
しかし、その後状況はさらに深刻に。頭・手首・指の付け根・ふくらはぎなど全身のあらゆる部分に痒みが発生したのです。24時間ずっと痒くて、夜も眠れませんでした。医師から言われていた通り、出産すればピタリと収まったのですが…今度は母乳による痒みに悩まされました。
陣痛の激痛はその瞬間だけ。それに比べ、痒みは長期的で陣痛以上に苦しめられました。まさかこんなことで苦労するなんて…思いもしませんでした」
職場での苦労も
妊娠や出産をする際、職場からの風当たりが強い状況に苦労したママもいるようです。
・「男性からの理解がないのは想定内だったのですが、意外にも同性である女性からも理解が得られませんでした。私がつわりで休みがちになると『あの人だけ特別扱いするなんて』『不公平だ』と文句を言われたこともありましたよ」
・「妊娠中、お腹の中で子どもが亡くなってしまいました。その子を取り出す処置をするため、上司に休みを希望したのですが…『突然休むことはできない。次の休日に処置して』と告げられたのです。あの時期は、言葉にならないほど辛かったですね…」
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190516-00011138-toushin-life&p=1
ネットの声
男女平等とレディファーストを都合によって使い分けられると腹が立ちますが、出産など体調に関しては、確実に女性の方が苦労されてるので、善人ぶるつもりはありませんが、我々男は別のところで頑張って初めて男女平等であると感じました。
元々便秘症で予定日頃にもお腹が痛くなってトイレに行くが出ず、気張るとお腹の子供が出てしまうんじゃないかと気が気じゃなかった。
自然分娩だったから裂けた所を縫われるのも抜糸も痛かった。勿論麻酔なし。
母乳あげないといけないのに胸が熱をもって硬くなり、乳腺炎なりかけたり…看護師さんが乳マッサージしてほぐそうとしてくれるけど、それが痛いのなんのって…産んでからも大変な事続きだと痛感しました。
よく聞くのは「うちの孫を産んでくれてありがとう」と言われると。
「いや、あなたたちのために産んだわけではない」
「実母はお疲れ様と言ってくれるのに」とかかな。
ただでさえ辛い思いをしてるのに、お腹に動かない胎児を抱えて仕事しろって?
辛すぎる。
横向きで寝るのが一番楽だけど、だからって一晩中寝返りうたないではいられないし、でも仰向けになると腰がバラバラになるんじゃないかと思うほどの激痛。眠れなくてしんどい。
破水してしまい、自宅で自分が赤ちゃんを取り上げました。
辺り一面血の臭い、何とか死なずに生まれてくれました。
貴重な経験をしました。
夫の運転で急いで病院に向かったけど、朝の通勤の時間帯だったうえにタイミング悪く台風が接近中。20分位で着くはずなのに1時間以上かかりました。
車の中でいきむのを我慢して、病院に着いてすぐに内診してもらったらすでに子宮口全開。それからすぐに産まれました。病院に着くのが間に合ってよかったです。
妊娠中のぎっくり腰のような腰痛やら、産後すぐの後産の苦しみ。
乳首のかゆみに痛み、生後半年で歯の生えた赤ちゃんに乳首を噛まれて出血、その上から吸われたり同じところを噛まれたりするあの激痛。
そういうことの方がよっぽど辛い思い出。
でも今となっては勲章ですが。
術後の傷口の痛み&後陣痛に加え、2時間おきの授乳で腹筋が使えない状態で痛みに耐え這いつくばって起き上がる辛さ、小ぶりな新生児だったため乳首が上手く吸えずに切れて血が滲み、、、とにかく産後が辛かった。
もう少し痛みのコントロールが出来ればいいのに、助産師さんは「さっき薬飲んだばかりなんで、あと5時間は飲めませんよー」と冷たく言い放って退室。
助産師さんにとっては日常だけど、産婦にとっては初めてのこと。この温度差がまた辛かった。
それとも産後毎日ずっとべったり義母が来たから、遠慮して欲しいと言って欲しい、休めないと言ったら、母親の気持ちを汲んで立ててくれと言われたことかなぁ?
産院の夕食時、旦那がいていいな、いいな、うまそうと言い続けて授乳もあるのにろくにご飯食べれなかったことかなぁ?山ほどありすぎてわかんないわぁ…
男性は妊娠・出産・産後を1度目の当たりにすれば、普通の神経していたら奥さんに出来る限りのことをしようと思うし、世のお母さん方にも優しくなれるはずなんだがな。
他のエピソードと一緒に載せるのひどくない?
おかげで産後鬱になりました。
70手前だった義両親、その世代なら当たり前の考えだから、仕方ないと諦めて、反論はしませんでしたが、旦那と私の子供を産んだだけなのにと、当時、すごく腹が立ちました。
旦那の実家は、普通の家で、特別なものはありません。私の実家も同じです。
なのに、後継とか墓守とか、内心は、産まれたばかり子供に何を背負わせるのだろうと。
もし、私にも孫という存在に縁があれば、だだ、おめでとう言うと思います。
でも、旦那は花を買ってきてくれて、お疲れ様、ありがとうと言ってくれたので、純粋に嬉しかったこと覚えてます。
陣痛は丸一日かかりましたが、数分おきに痛みは引きます。何よりどれだけ痛かろうが、その先の幸せで痛みも忘れます。
一方で流産は陣痛のようなお休みはなく激痛が延々続きました。何より赤ちゃんを失う精神的苦痛も伴ってか、今でも一生で一番痛かった記憶として残っています。
もちろん流産の痛みも人それぞれ、
妊娠出産も人によっては命に関わることもあるので、あくまで個人的な感想ですが‥‥
つわりで3ヶ月間トマトしか食べられず
その後も動悸、息切れ、目眩、吐き気を毎日感じながらの仕事…
産むまで続きました…
2人目も全く同じ状況…
出産は安産。
子供が元気な事が1番の喜び。
自分の時はこうだった、このくらい我慢した、そんなの大したことない、私の方がもっと…とかね。
人それぞれだと思うし、年齢もあるし、追い詰めないでくれと思った。
陣痛間隔が短くなって来ても分娩台に上がれず、痛くて吐いてしまうので水すらも飲めず、指輪がくい込む位全身がパンパンに浮腫み、眠る事も出来ず意識が朦朧としてました。『赤ちゃんも頑張っているから!』と言う言葉で、何とか無事に出産出来ました。
二人目の時は陣痛から立ったの3時間。
夜中に破水して直ぐに分娩台に上がったのは良かったのだけど、頭がもう見えてるのに肝心の先生が来ず。産院の隣に先生の自宅があったのだが、愛人の家に居たため到着に時間がかかったという…。助産師さんに『まだ、いきんじゃ駄目!赤ちゃんも頑張っているから!』と。激痛の中、いきみたくても、いきめないのがどんなに辛かったか…。先生が分娩室に入って直ぐ出産しました。
どちらも地獄の様な辛い思いをしましたが、今となっては、良い思い出です…。
とうてい男にはわかることはできないことですが、妊娠、出産まで女の身体は劇的に変化が起こっていて、命がけで子どもを産んでることを忘れないでほしいです。
元々便秘だったのですが、産後はトイレに落ち着いて入れなかったし、母乳で水分取られてしまうし
それにちょうどお腹の中身が減ったところに大腸が代わって入ったようで、あっと気づいた時には多分病院に行くレベルの便秘だったと思います
それで、やっと便意が来たのですが、それが太すぎて出てこないありさまでした
まるで陣痛のようでした
出たい便意のままに出したら、本当に切れてしまいそうで、いきみのがしのヒッヒッフーを本当にまじめにやりました
出産時は痛みがひどすぎでのがすどころでなかったのですが、こんなところで役に立つとは思いませんでした
時間をかけて少しずつ出していきなんとかなりました
だから私は、妊婦さんの同僚がいたら自分と同じ思いをして欲しくないのでしっかりサポートしようと心に決めています。
ちょっと言いすぎって・・・すさまじい暴言だが
思わず本音が出てしまったのかもな
旦那さん達は、焦ってるんですよね。
私は陣痛の間、ひとりぼっちで不安でしたが、出産後、夫から辛い時にいなくてゴメンね。と言われました。その一言で救われました。
妊娠高血圧症になり、足はパンパンに浮腫み、
身動きの取れない体になり、妊娠9ヶ月の時に大きな病院へ転院に。
転院先は当初より遠くなり、夫に毎回運転してもらい通院。血圧がだいぶ高くなり、命の危険性もあるので入院。
誘発分娩を試みるもうまく陣痛は来ず、緊急帝王切開に。
予定日より少し早くなってしまったけど、無事に生まれて良かった。
ずっと付き添ってくれた夫には感謝しています。
理解を求めても、人それぞれ価値観があると思うので難しい問題だと思いますが。
産前の私は仕事休みづらいなとか思ってましたが産後はとっても図々しくなってしまいそんな罪悪感も感じなくなりました。子供を守る、育てるために女性はたくましくなるのでしょうか…汗
夫に直してほしいところはありません。時間をさかのぼって、神様に男運を直してほしいです。
張って痛い、吸われて痛い、傷ができて痛い…
赤ちゃんに栄養を与えるのってこんなにもしんどいんだと思いました。
ちなみに今は、断乳のタイミングを逃して悩んでいる…
もちろん子供は可愛い。でも夜は寝てくれずにひたすら抱っこ、3時間寝れたらいい方で朝には仕事に行く。精神的に追い詰められていたけど仕事に私情は持ち込めないし、ギリギリの中で何とか耐えていました。
本当に心から妊娠したことを喜んでくれる人もいなかったし、私の場合は全て一人でやらなきゃいけないプレッシャーと、精神的な負担がとにかくつらかったです。
逆子治そうぜ体操などを続けてきて、それでも最後まで治ったり治らなかったり。
最後の最後で医師が自然分娩にするか帝王切開にするか迷うところ、と。
・医師の提案:自然分娩でチャレンジし、緊急で帝王切開も視野に
・妻の希望:医師に従う
・俺の希望:計画的に帝王切開
同じ帝王切開でも、緊急で行うものと計画的に行うものでは危険度が違い、切り方や切る部位も変わる、と。
それなら俺は計画的に安全に、そして、日程も自由に決めてよい方法が最善だと主張したら、妻も医師も折れちゃった。
で、終わってから医師が「これはどう見ても帝王切開のパターンでした(笑)」って。この見極めってそんなに微妙な難しさなのか・・・。
無理に自然分娩を選ぶ人もきっと多いんだろうな、このパターンだと。妻に残る傷が最小でよかった。
子供三人予定日二週間超過だから、言われるのも仕方ないけかもしれないけどら一番辛かった。人に会いたくなかった。
義母は一番ムカついたけど、実母でもかなりムカついた!
と、慌てて病院に駆け込みました。
虫垂炎などを疑われたので様々な検査を受け
3歳になる長男も預ける事も出来ず病院に一緒に連れて行きましたが痛くて痛くて唸っていました。
担当の先生がエコーの検査をして、便秘だよ!
大丈夫です。と言われて薬もらって飲んで
スッキリ〜痛みが消えました。妊娠後期は、赤ちゃんが大きくなって腸を圧迫してくるそうで
それから便秘との戦いでした。次男はスルリと産まれてくれて親孝行でした。
今となっては笑い話だけど、妊娠中は気を使いますね。
二人目は、経産婦にしては時間もかかったし、出血も1.5リットル近かったけど、どちらも上の子の時の半分以下で済んだから、産後が全然楽に感じて、退院初日から出生届出しに役所に行ったり、上の子を公園に連れてったり(下の子は入院長引いてた)、かなり身軽に過ごしてしまった結果、産後3ヶ月くらいでガタが来て入院寸前、メンタルも再び崩壊…こちらも辛かった。
妊娠出産をなめてはいかんですね。三人目の予定は今のところありませんが、本当に無理は禁物だなと思います。
産後、病院に毎日のように義母が来る。赤ちゃん見に義理の親族大勢で病院に押しかけてくる。
おっぱいが出ない。気持ちも身体もクタクタ。
本当にストレスで毎日泣いてた。
義母の手作り赤ちゃん用品にもうんざり。
そこまでとは想定していなかったのでNGにしとけば良かった。
学生の勉強のためとはいえ、嫌だったな。
食べてないとイライラするレベルの食欲を
抑えるのが大変でした。
おしゃぶり昆布食べたり…すっごく堅いスルメなめたり
今思うと…あれが食べつわり
というのだったのかも
「〇〇家(旦那の方の姓)の顔じゃない!!」と叫ばれました。
怒りと悲しみでおかしくなりそうでした。
そしてそれを実母にも聞かせてしまったのが辛かったです。とても悲しんでいました。
この事は娘には話してませんけど。
とにかく内臓が下から出ようとしてるというか、とにかくそれがきつかった。あと陣痛で死んだ人はいないから大丈夫だって言う言葉を信じで挑んだけど、実際血圧が跳ね上がり緊急で帝王切開になったので、いやいや普通に死ぬじゃんとか思った。安心させるためにそういう適当なことは言わないでくれと思った私的には。グリグリ内診だとか痛みはお腹だけじゃないだとか色々知ってれば覚悟もしたんだけど全てが一変に起きてほんとにショックだったのを昨日のことのように覚えてる。
無事に生まれるのが当然と思ってはいけない。命を産み出すって奇跡で、大変なこと。
陣痛中におかしなことばかり言うかもしれないけど、非常事態だから許してね!と、先に夫に謝っておきましたが、
実際は4時間半で産まれ、おかしなことは言わずにすみましたが、夫いわく、出血が多かったから血の気が引いたそうで、それを私に悟られないように必死だったそうです。出血が止まらなくて亡くなった産婦さんが身近にいるそうで…
いつの時代もお産は命がけですね。
私は貧血で立てないくらいで済みましたが、輸血する場合もあるそうですね。
相手を労って辛いよなって共感していくべき。だからまぁ意味不明な言動があったって問題ないと思うし、役立たず!って感情的になってもいいと思う。そんだけしんどいんやから…
ただ、パートナーも辛いからありがとうとかごめんとか労ってあげるべきよね
ギリギリまで旦那と息子がいてくれて陣痛中は腰をさすってくれてた。
始めのうちは「さすってくれてありがと〜」なんて息子に言えてたけど、痛みが強くなってからは「もういいから!パパだけやって!」と…
息子が引いてたと後に夫が言っておりました。ゴメン息子。
お見舞いに来てくれた姑に、破水から出産まで陣痛らしい痛みもなく、術後の傷の痛みも痛み止の薬が効いててそんなに辛くないです・・・と言ったら「楽に産めて良かったね」と返されました。精神的には全然楽じゃなかったんだけどなぁ。悪い人ではないので、きっと言葉のあやだったんだろうと思いたいです。
お腹にいた時から脚力が強いみたいで、2000g未満で生まれた子たちは、成長がゆっくりかと思ってたのに、1歳未満でつかまり立ち。歩くのはゆっくりで良いのに。。。
その時は無我夢中で何も言えなかったけど楽しいイベントじゃないんだから
陣痛が遠のいて、助産師さんが夫と実母以外皆帰るように言ってくれて陣痛が再開し出産できました
2人目は産まれてから連絡しました。
縫ってもらいましたが、痛くてドーナツ座布団を借りたり、2日以上、尿が出なくなってカテーテルで排尿してもらいました。
退院前日にトイレに行ったら、尿に白い物が幾つか雑ざっていて
「素麺?食事に出た?」
と。助産婦さんに聞いたら
「縫い糸だね。抜糸しなくても良いように自然に溶けたりするやつだから」
と。
陣痛開始から8時間足らず。
痛くて喚いたりしんどかったけど、安産なんですよね~。最初に言われた時は、納得いかなかったです
陣痛も辛かったけど、リウマチの痛みの方が激痛に感じました。
何食べても気持ち悪くなり、においだけで何度も吐いたのが辛かった。
お腹の中で子供が蹴ったり伸びたりして予想以上に体動も激しくて何度か突き破って出て来るんじゃないかと心配しました。
あの痛さは、出産でしかないし
二人目の陣痛の時、来た️この痛み️って、
体が覚えてたのを感じたのを今でも覚えてます。
出た直後、今までの痛みがなかったようにスッとなくなるんですよね。
痛みだけじゃない
便秘気味は浣腸もしなきゃいけないから
恥ずかしさもあるよね
子供はいるけど嫁の連れ子なので出産に立ち会う経験をしてないし、それだけの痛みに耐えてきたカーチャン達に本当に頭が下がります。男は女性のそういう苦労を知らないから、中学高校の保健の授業なんかで出産始め数々の痛み、苦労を語ってもらった方がいいかも。
子供が寝てる隙に自分も寝たいし、熱も高くてフラフラだったけれど、全く気にもせず朝から晩まで居座り寝てる子供を起こし泣かせては可愛い〜可愛い〜寝ちゃダメ〜起きてて〜と。
先生からは熱が下がらなければ退院の許可はできないと言われてしまい、義母からは、チャイルドシート乗せたいから退院させたい、と言い義母が測った体温計を先生に提出。(授乳してる間に勝手に出されていた)
退院したものの家で意識が無くなり、実母が病院に連絡をし再入院。産後3ヶ月くらいまで体調の悪い日が続き子宮の戻りも悪いなか初めての子育てでただただ辛かったです。。それでもいい思い出、と言える日がくるのだろうか…。
結果、促進剤を使い出産することになりました。陣痛がハンパなく痛かったなー。
もうすぐ3人目出産ですが、3人目もそうします。
始めは3本位だったのですが
段々と全部になり、常にピリピリしていました。出産したらピタリと収まりました。
妊娠中にかなり太ってしまったから、それが原因らしいですが…
お腹で亡くなったときは、早めに取り出しましょうって先生に言われた事がありました。
ので、次の休みまで待ってって…
おまけに太りすぎで、カロリーが少ないものを食べなさいって言われてたけど、
一番真夏は辛かったな。
熱中症になるから塩分少し取ったら血圧が高すぎて……
毎回怒られてましたね。
冬は毎日鍋にしなさいって…
足は浮腫むし…
最後のほうは貧血に少しなって薬飲んだかな。
陣痛は思ってたより痛くはなかったのよ。生理痛がきつい方は少しは我慢出来るかも
産んでから痔になるし…痛くてトイレも歩くのもきつくて…
それより破水はしなくて(>_<)
先生が破ってからは、あっという間に産まれましたね。
陣痛中、お腹空いたな、ごはん何かな?って考えてたわ。
1回流産してるけど、トイレでずーと泣いていた。半年は立ち直れなくて辛かったな
手術か自然に出すかって、手術が怖くて自然に任せたけど、一日中激痛、トイレで叫び
辛すぎました。
妊婦さんや子供さんの急な病気とかで休みがちなママさんには散々泣かされましたから。
ある程度はサポートした側の給料を多めにすれば(企業さんお願いします!)不満は解消されますが余りに頻繁だとね…
ついで、2人目の出産直後。出血止まらず、その止血の処置でガンガンに子宮にガーゼ詰められたのが痛すぎて、大勢の看護師さんらに押さえつけられながら泣きわめきました。出産より痛かったです。
あとは、1人目の妊娠中や出産時に、友人や助産師さんに辛辣な言葉言われたこと。その友人とは個人的な付き合いは止め、2人目のときは病院も変えました。
陣痛も辛いけど、終わりの見えない坐骨神経痛の方がきつかったかも…
でもつわりも陣痛も出産時の痛みも、人から聞いたりしてたので覚悟のうちだったのですが、出産後2時間ほど休んで、病室に戻る際、貧血で耐え難いほどの気持ち悪さを味わったのが何より辛かったです……
そういう女性が同僚だと産前より産後職場復帰してからが大変。
子供の行事、急な発熱などで休みがちになると、何であの人だけ…という文句で済めばまだいいけど、あからさまに敵視してきたりと大変。
帰りに「ちゃんと見てあげてね。」っていって帰っていった。あんたに言われんでも可愛い我が子ちゃんと面倒みるわ!って感じでした。
すると旦那は、分娩台の角度をあげる↑
先生「これじゃ裂けるから少し下げて」
旦那、分娩を下げる↓
この繰り返しで分娩台が上がったり下がったりする中・娘が生まれました
実習で見に来ていた学生さんも笑いをこらえるのに辛かったと思います
出産当日、陣痛っぽいのが来たから病院に電話してるときに母の被害妄想が爆発して
「どうせ母さんがいても役にたたないから出ていきます」とか言い始め徘徊しそうになってしまった。仕方ないからお腹痛いの我慢して必死で止めた(^_^;)
偶然仕事が休みだった姉に電話して助けに来てもらったけど、そうでなければ路上で産むところでした。
もし陣痛来たら誰が車を運転していくのだ!!と。
そしたらお腹の子もボコボコと怒りが伝わったのか蹴りまくり。
寝ようとしたら突然の破水。
実母に病院に連れて行ってもらいました。
どうやらお腹の子は足で羊膜を突き破ったらしい。
小さい穴が空いてたみたいで、出産は問題なく終わりましたが、分娩室に入って頑張っている間夜中寝ていなかった為と言う理由で旦那は病室のベッドで寝ており、産まれましたよって呼び出しアラームに気が付かず、1番最初に抱っこしたのは駆け付けた義理母でした。
忘れることはないでしょう。
けど皆無事に産まれてすくすく成長してるのを見てるとそんな事忘れちゃう!
出産後姑がある「あーやっと産まれた。うちの内孫が…」「出産中、痛いって言ったんだって〜みんな我慢して産んでるのに」姑からの暴言でした。あれから14年…今では姑の携帯番号は着信拒否にしています。
吐き気と目眩が酷くて臨月でも吐いてた。産んだら終わるって思って絶えた。
出産の痛みはラッキーなことに思った程ではなく、スピード出産だった。なにせ悪阻が酷くて、あの気持ち悪さがまた、と思うと2人目を躊躇してしまう。
切れないためかな?でも、その時は陣痛も長くて丸1日耐えた後だったので挟んでる時間が永遠に感じました。
立ち会ってくれた主人に『私、頑張ってます!!』って宣言したのをハッキリ覚えてます。
退院するときに18万円の請求がきたのも驚きました。
あと、やはり授乳時は痛かったです。ほんと咥えさせたくなかった…血はでなかったし、切れてる感じではなかったのになぜ!?
出も悪かったから、ミルクにばかり頼ったり、電動搾乳器で搾乳してました(・・;)
実際産んでみなければわからないことは多かったです
4人とも産院に着いた頃にはほぼ子宮口全開で4時間以内のバタバタスピード安産でしたがそれでも死ぬほどの痛さでした。
腰をさするのも場所が違う、「頑張って!」と私の手を握るけど痛すぎて触られるのもイライラ、「痛いね、痛いね」と知ったような言い方にもイライラ、母親と助産師さんの戦場で「旦那さんそこ邪魔!」と言われ居場所がなくてオロオロウロウロするのにもイライラ。
でも、そんな旦那が立ち会ってくれたおかげで冷静に出産に挑めたと思っています。笑
ただ一つ。
義父は4人目の出産に駆け付けてくれて、産声を聞いたら邪魔になるからとすぐ帰ったのですが、義母は一度も来ず。
義母だけは昔から大っっっっっっ嫌いです。
次は旦那さんの方も聞いて欲しいね。
出産直後に辛かったのは、産褥用のナプキン?が肌に合わなくてヒリヒリしてやっぱり歩けなくなりました…
結局予定日過ぎて出産したのが予定日から11日後。元気な3100グラムの元気な女の子を出産。
そんな娘も来年二十歳となり、再来年成人式を迎えます。子供の成長って早いですね(*´∀`)
十月十日間色んな身体の変化やマイナートラブルに悩みながら、お腹の赤ちゃんが無事に呼吸してるか不安を抱えながら命がけで出産することは
経験してみないと分からないことだらけ、だけど並大抵ではない。
特に柔軟剤やシャンプー。身の回り全てを無香料に変えたほど。
あと、味覚が一週間ごとにコロコロ変わって、大変だった。ラーメンと麦茶は産むまで一切受け付けなかったなあ。とにかく気持ち悪かった。
産後の生活もきつかったけど、妊娠中にはもう戻りたくない。
そうしてどんどん義実家に行く頻度は下がっていく…。
考えられん程の痛みと出血、そんな中生まれてくる子どもをみて、一生嫁さんに頭上がらない、ただただありがとうと思いました
気絶するそうですよ。
友人は、切迫流産で食事も喉を通らなかった状況だったらしく、それが何よりも苦痛だったとか。
痛くて1ヶ月まともに立つことすら出来なかった…
麻酔なしで縫うものを麻酔かけて1時間…どれだけの裂傷だったのか。
そんな傷を負いながらの義母の相手も辛かった。
一歩踏み出すだけで恥骨に激痛が走るほど、家の中で歩くのも苦痛だった。
陣痛中とにかくトイレに行きたくて、便意だと思ってしまい何度もトイレにこもったけどこの度に看護師さんがドアを叩かれ「絶対に踏ん張らないでください!」って…
子供が出てきたとき、あまりのスッキリさに初めの一言が「ああースッキリしたー」って言ってしまい、分娩室にいた人たちがみんなが笑ってました。
こういうこと教えてくれる人がいないので、誰かのお役に立てば…
「やっとうつ伏せで寝れる~!」
だった(笑)
結局うつ伏せで寝れたのは
産後1年後でしたが。
一度さすって貰うと、それなしではいられなくなり一晩中~出産で仰向けになるまでさすってて貰った。
私も辛かったが、旦那も辛かった。自分だったら人の腰を一晩中さするなんてできない。
本当に尊敬と感謝しかない。
という訳で二人目は申し訳ないのでさすってもらわなかった。
それはそれで問題なかったわ・・・
痛い痛い!!と言ったら更に強くさすってきて、背中に広範囲のかさぶたが出来ました…
里帰り出産で、実家近くの病院に初めて行ったとき、来週少しでも増えてたらダイエットのための入院って脅されてから、入院が嫌だったから、産むまでの3ヶ月間、必死に体重と栄養に気をつけながら生活してた。
食事全然楽しくないし、むしろ苦痛でもう本当に苦労というか辛かった
元々太っていたから、先生に「そんなに食べなくても赤ちゃんには栄養もいくし、育つから、これ以上太らないでね。」と言われた。
検診の時の測定はビクビクしてた。
幸い、寒い時期から暑い時期にかけてだったので、服を少しずつ減らし、軽いものにして誤魔化し、なんとか+10キロ以内におさえたけど、その反動で産後食べ過ぎ、+20キロに、、、、。
ベッドの角度もフラット、ひたすら天井を見て張り止めの点滴の日々。出産の痛みに比べれば比較にならないが点滴の針の位置が痛く2人の医師が連続失敗「まともに点滴打てるドクター連れて来いや」と言ったらびびったたのか、翌日まで放置された(笑)大学病院だからドクターも沢山いたはず(^^;
長期入院で良かった事は看護師さんの名前と顔が完全一致。分娩室に日勤終わった看護師さんも夜勤の看護師さんも○○さんの出産を見届けたい、と沢山来てくれた事(^^)
ほっこり分娩だったけど、その後の悪夢の育児が始まる。。。
あの時は先生はじめ看護師さんに大変お世話になりました。
お産の日は大量の汗が出たね。あんなに汗をかくことって、恐らく一生ないと思う。
妊娠は病気じゃないって言われて
具合悪そうにしたら、切れられるから
周りが理解ないのが、辛いよね
男性も女性も優しくないから、少子化なんだろうね
結局、回り回って返ってくる
そうなった時に自分が辛くなる
でも、その時に余裕がないから、そうなるんだよね
日本は、余裕がない社会なんだろうな
いつ終わるかわからない苦しみ。薬も飲めない。食事も食べれない、水すら飲めなくなる。
ガリガリになりました。
つわりが終わってからも『よだれづわり』というものに悩まされずっとティッシュを口に加えてました。
出掛けるときはティッシュ咥えた状態でマスクしてティッシュがびちょびちょになったらこっそりごみ袋に捨てて‥。
原因もわからない、治しようのない苦しみ。
いつ終わるのか不安になる。
それが一番辛かった。
並んでる新生児を見てきて
「うちの子が一番かわいいね」って
実母がコソっと言ってたのが妙にうれしかった
管理人の率直な感想
僕は男なので自身が妊娠出産することは絶対的に無いわけですが、こういったエピソードを知っておくと、いざというときに生かせるかもしれない。
妻が妊娠出産する際、夫である僕ら男性はただ傍にいてあげることしかできない。
男というのは基本的にアホで鈍感な生き物なので、妊娠出産という非常にデリケートで重大なことに対し無力だったり、時に邪魔な存在でしかない場合もあります。
「ウザい!」と思われることもあるでしょう。
悪気はないんです。
男は男で、我が妻ですし、我が子が今にも産まれてくるという大イベントなので必死です。
ただただ鈍いだけなのです。
女性のみなさん、分かってくださいとは言いませんが、少しでも頭に入れておいていただけると幸いです。
さて、『出産中のあるある話』に出てきた陣痛による夫への暴言。
仕方ありません。
出産回数は人によりますが、人生の中で一体何回出産しますか。
「こちとら毎日のように産んでるわよ」というなら話は別ですが、そうそう何度もあるものじゃありません。
非日常なのです。
何を言われようが受け止めます。
男からすれば、痛い思いをして我が子を産んでいただくんです。
悪態の一つや二つ、十や百、なんてことありません。
気にせずどんどんぶつけてください。大丈夫です。
次の『特殊な体験談』に出てくる痒み。
これは医師に相談していただくしかありません。
「こちとら毎日痒いわよ」というならば、それは妊娠とは関係ありませんので皮膚科へ行ってください。
最後の『職場での苦労』は重大な問題です。
前時代的な環境ですね。
今の時代こんなことがあるんでしょうか。
男性の同僚や上司は味方のはずですよ。
理解してくれるはずです。
妊娠出産に対する理解もなく、休みも取れない・・・とんだブラック企業ですね。
周囲の女性の嫉妬は、人間関係の在り方によってはあると思います。
誰だって結婚はしたいし、幸せな環境で子供を産みたい。
しかしそれを叶えられない人もいる。
年齢的に、もう取り返しのつかない人もいる。
それをあなたが叶えてるんです。
妬み僻みが生じてもおかしくない。
旦那さんとよく話し合ってください。
そして心から信頼できる人に相談してください。
親御さんでもいいでしょう。
そして、あなたがもし今まさに妊娠していて、同じような思いをしていて辛い環境にいるならば、僕にぶつけてもらっても構いません。
こんな僕の文章をここまで読んでいただいたのです。
冒頭にも書いたように、僕は男ですし、御多分に漏れずドジでのろまな亀です。
しかし聞くだけならできます。
的確な返答は出来ませんが、ぶつけて少しでも楽になるならば。
お問い合わせフォームを利用してください。
ただし、くれぐれも悪戯は無しです!
妊娠出産は人生の中で他の何事にも比べられない大きな出来事です。
産まれてくる子供にとってもそうです。
みなさんの幸せな生活をお祈りします。
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