【禁忌】日本の地方や集落で実際に行われていたタブーな風習

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日本の地方や集落で実際に行われていたタブーな風習を知っているだろうか? 残酷で恐怖を感じるものから、少し悲しい奥深い風習までさまざまだ。

今回は、実際に行われてたタブーな風習を4つ解説する。本記事を最後まで読めば、日本の真実をより詳しく知ることができるだろう。

■おじろく・おばさ

日本の20世紀まで存在していた「おじろく・おばさ」という風習。この風習は、長男以外の人間は死ぬまで奴隷のごとく働かされるというものだ。一体なぜこのような風習があったのだろうか?

日本には山林が非常に多く、隔絶された村や集落がいくつも存在する。それら村や集落は隔絶されていることから、独自の文化が発生することが多い。

今回紹介する地域は耕地面積が少なく、村では家長となる長男以外の人間を養う余裕がなかった。そのため、長男以外の子どもは男を「おじろく」女を「おばさ」と呼び、長男のために無償で働かされ続けた。

長男以外の子どもは現代では考えられないほど差別を受けており、甥っ子や姪っ子からも下男として酷く扱われた。また、ほとんどのおじろく・おばさは他者と交流することなく一生を終える。そんな大昔のような奴隷的風習がつい最近まで残っていたのは驚きだ。

■火起請(ひぎしょう)

「火起請(ひぎしょう)」は戦国時代から江戸時代にかけて行われていた風習で、村同士の争いが起きた時に裁判方式の1種として実施されていた。

村の代表者を1人選んだ後、赤くなるまで焼いた鉄の棒を素手で握って神棚まで運ぶ。そして、その達成度合いによって裁判の勝敗を判断するというものだ。

その裁判で負けた村人は最悪殺されてしまい、勝った村人も農具を握れなくなるため、生活が大幅に制限されてしまう。村と村が直接争わないため犠牲者が少ないものの、合理性に欠ける非常に恐ろしい風習である。大昔とはいえ日本で行われていたことが恐怖でしかない。



■人形婚

「人形婚」というフレーズをどこかで聞いたことがある人もいるだろう。この風習はこれまでに紹介した風習とは違い、とても意味のある悲しい風習である。

「人形婚」は別名「死後婚」ともいわれ、未婚で亡くなった若者や幼児に死後の結婚をさせるというものだ。「代わりとなる人形を用意して結婚させる」という方法が行われる。

「人形婚」の背景には「せめてあの世で結婚してほしい」という親の思いが込められている。「人形婚」という言葉が誕生したのはつい最近のことであり、この宗教観・死生観は形を変えながら受け継がれている。

■久部良割(クブラバリ)

「久部良割(クブラバリ)」は琉球王朝時代にあった悲しい風習だ。1609年、薩摩藩は琉球王国を侵略して実質支配下に収めた。その後、税を納めることになった琉球王国は「人頭税」という悪名高い税が課せられた。

この「人頭税」は担税能力の差に関係なく一律に同額を納める税であり、多くの島民の生活を困難にさせた。食糧が不足したこともあり、満足に食事を取れない島民が次々と続出。そして、人口抑制を行うため年に1度、村中の妊婦を集めて巨大な岩の裂け目「クブラバリ」を飛び越えさせる儀式を実施した。

「クブラバリ」の裂け目の幅は約3~5メートル、深さは7メートルほどあるため、ほとんどの妊婦が飛び越えられずに転落死した。または、うまく飛び越えたとしても流産は免れなかったという。なお、今では「クブラバリ」の近くに地蔵菩薩が祀られている。

参照元:https://otokonokakurega.com/meet/secret-base/52580/

みなさんの声

名無しさん
人の移動が少なかった時代は、旅行者が通りかかると女性を「提供する」みたいなこともやっていたらしい。首尾よく妊娠すると共同体の共有財産として大切に育てると。同様の風習は世界各地に存在して、近親交配による遺伝障害が経験的に知られていたから、そうした風習が生まれたのだろうね。現代からみるととんでもない風習に見えるが、今の価値観で判断しては駄目だと思うわ。
名無しさん
うちの県の県南では男性が離婚した後、再婚する時、前の嫁が再婚する嫁の家に殴り込みを掛け、再婚する嫁が勝たないと再婚できないって風習があったそうな。
前世紀の初頭まであったらしいけど、聞くと、全国に似たような風習のあった地域は珍しくないらしい。
末期は形骸化して儀式的なものだったと聞くが、想像するとおもしろい状況だ。
名無しさん
日本の田舎→他所者を排除したがる
という考えが広まっていますが、逆に「客人(マレビト)・旅人は福をもたらす」という考え方も、かなり広い地域であったそうです。
「新しい血」、新しい知識、文化、交易品(山村だと「塩」とか)。
ただ、穏やかに「客人」を迎い入れ、それらを「得る」場合と、そうでは無い場合があったみたいです。
以前、読んだ本に書いてありました。


名無しさん
夜這いは選択権は女性側にあったと何かで読んだ記憶があるけど。
忍んできた男が気に入らなければ、追い返す事が出来たって。
断られた男は大人しく引き下がるものだろうか?
建前上、そう言ってるだけかな?
名無しさん
自分の孫を内孫外孫って差別するジジババも未だいるくらいだからね。地方だと長男次男差別は親の世代は色濃く残ってる気がする。
名無しさん
司馬遼太郎が書いていたが、昭和初期まで高知の奥部では県の役人が来ると、娘を提供して子供ができると大切に育てたそうです。
戦後期の多摩地方の写真で、嫁が働いているそばで姑が寛いでいて、解説では嫁が舅や姑の為に働くのは慣習だと書いてあった。
知り合いに富良野の農家の嫁に行った女性がいるが、家族十数人の家事に追われ、農業も担わされたが、夫が亡くなると家を追い出された。
北の国からのイメージで富良野など農村を見る方もいるが、生活は大変で因習が色濃く今も残っている。
名無しさん
タブーな日本の風習は…村自体で欲しがる外の血筋である。これは古事記に書かれている大国主命のいろんな所の郷の女の子を嫁にした逸話である。出雲と云う日本最大でかつ世界初と云える商社が交易の為に日本各地に巡る際、訪れた交易先で接待という名の種ねだり。村では世間が狭すぎて近親婚による子供の血が濃くなってしまう問題を外からの血で中和、改めていく。この風習が平安の時代でも続き、名家は男性の通い婚。家は子供が継ぐので娘が家長となる。男性の通い婚に関しては源氏物語が語っている。
この手の話はいろいろな展開があったりする。
名無しさん
横溝正史の八つ墓村の題材にもなったは、岡山県の津山事件。夜這いによる痴情のもつれからだしね。また食い扶持減らしは山間部に多かったようで、こけし(子消し)はその供養だったらしい。


名無しさん
人形婚というべきかどうか、少なくとも靖国神社に、妻を得ることなく戦死した特攻隊員に供えられた「花嫁人形」なるものが残っています。
名無しさん
映画「楢山節考」を観るとまさに「おじろく・おばさ」が描かれてますね
何処まで真実かは分かりませんが、生産性の低い地域ではそういう習慣があったと推測できます(火の無いところに煙は立ちませんから)
長男以外は家を存続するための予備であって下男的な扱いを受けるのは当時の価値観なら十分あり得ると思います
流石に姥捨て山は伝説の領域かもしれませんが・・・
衝撃的な映画で今でも脳裏に焼き付いてます
かなりの名作だと思います
あとこの記事には書かれてませんが東北地方等、寒冷で生産性が少ない地方ではたぶん明治・大正期まで人減らしのために間引きみたいなことは行われていたはずです
凶作になると小作農は娘を女衒に売るなんてことは普通に行われてたわけで現代の価値観を取っ払ってしまわないと信じられないことだらけだと思います
名無しさん
大学で文化人類学を勉強していました。
私の知る限り衝撃的な話は年頃の男の子を集めて数年に一度村の男と交わらせていたというのですね。
どうやら大人の男の精を子供に注いで大人の仲間入りをさせるという通過儀礼だと聞いて納得したのと、現代の価値観で物事を判断するのは良くないなと感じましたね。
因みに琉球の話は幾つかの史実や伝説が合わさってる様に感じるのですが気のせいでしょうか?
名無しさん
ちょっと違うかもしれないが、おじろくは昔本で読んだ洞窟おじさんもそうだったのかなと思った。足尾銅山近くで住んでいた末っ子の洞窟おじさんが親の奴隷のような虐待に耐えかねて飼犬と一緒に銅山の試し掘りした洞窟で暮らしてた話。後に山梨で自販機あらしで公になり保護され有名になり自伝本が発売した。
それも戦後の話だから地方出身の高齢者で実体験している当事者は多いと思う。当時に社会体制や生活スタイル、医療技術などがそういう風習を産んだのかなと思う。
名無しさん
映画「楢山節考」も、こうした貧しい山村に生きる者たちの因習を題材した作品で、映画に出てくる描写すべてが実際に昔の日本で起きたことかどうかはわからないが、俺が見て一番衝撃だったのは、よその家の食べ物を盗んでいた一家を「楢山さまに謝らせる」といって家族全員幼児に至るまで村人全員で攫い、村外れに掘った穴に生き埋めにして一家もろとも抹殺する場面だった。
農作物が満足に取れないこの村では、他人の家の食べ物を盗むことをひとつ許せば村人同士が盗み合うことにもなりかねないため重罪とされ、くだんの家族も穴に落としたらすぐさま石や土を泣き叫ぼうが命乞いをしようが容赦なくかぶせ、埋め終わったあとには何事もなかったかのように辺りがシーンとしてるのがかえって怖かった。


名無しさん
つい最近ソロウェディングという記事があった。婚期を逃した未婚の女性がウェディングドレスを着て、好きな芸能人や二次元キャラのパネルと一緒に撮影するという企画だ。このソロウェディングなる企画は記事中にある『人形婚(死後婚)』の現代版といったところだな。
名無しさん
貧困には勝てなかったと言うか、誰かでも生き延びていく知恵の産物だったという事だろう。
間引きや姥捨もこれと同じ文脈で語られるべき現象だろう。
そうではあっても、これは残酷な風習である。こういう醜怪な風習が復活しないよう、貧困に打ち勝つ経済運営をしなといけない。
名無しさん
家督制度廃止から74年、今の80代以上は家制度で育ちその子世代も長男は家を継ぐものと幼少から教えられ、都会の大学でても地方Uターン親コネ就職でずっと親との経済共有圏にあり、50になっても本家だ分家だ、子はここに就職させたとか普通に言ってるのには驚いた
名無しさん
時代が違えばいろいろ違うのは当たり前
当時は当たり前で普通の事であったと思う
例)昭和の時代なら、学生時代は男子は坊主で女子は長髪禁止とか
部活中とか水分摂取NGとか
不満はあったにせよ、ほとんどの人はそれが当たり前だったはず
でも、令和の時代の学生からしたら、あり得ない話だよね
時代と共に考え方や価値観は変わるので、今の考え方や価値観で昔を語るのはナンセンス
名無しさん
おじろく おばさ
相続が長男に限られていた時代は次男坊以下は厄介者。
武家であれば然るべきところに養子に行くか嫁に行けば生活は安泰だが、農民では食糧生産高=生存可能な人間の数なので田畑を相続で分割してしまえば本家の生活が成り立たず、これをバカ者の代名詞=戯け=田分けと呼んだ。
家督を相続する者にしか安泰な生活を保障できなかった貧しい時代の負の遺産だよ。従って貧しい地方であれば形を変えてどこにでも存在していた制度。たとえ徳川家の一族であっても次男坊は冷や飯食いの時代の話。


名無しさん
全国には昭和20年代まで、夏祭りの夜など相手が結婚していようが付き合ってる相手いようが関係無く乱交しても許されるそれで生まれた子供は村人達が育てるという風習が点在し、当時の村の寄合で年寄り達が決定した時、若者達が年寄り達に対して、あなた達の若い頃は良い思いして自分たちの代はダメなんてズルイじゃねえかと抗議したらしい。
なんの本だったかなぁ?
忘れられた日本人(著者忘れた)
だったかな?
名無しさん
昔に酒の席で定年して今でいう再雇用として在籍だけしてるじいちゃんに聞いたけど、本で見た田舎の話でこんなのあるんですよ~エロい話なんですけどね。と話してたら、
昔の田舎で土地がある地主とか村で一番でかい家は血筋を重視にするから例えば跡継ぎが一番下の長男に中々生まれないとかになると分家の娘を家に入れて長男に試させて、できないなら跡継ぎの親父と子供作らせて長男の子供として継がせるとかあったんやで、いきなり家に女が増えるから外に出さなかったり分家の家計が苦しいから引き取ったとか周りに言うんやけどな。で子供産んだら適当な男と見合いさせて終わりや。
まあ、今と違い離婚とか子供産んでたとか気にしない時代やしな。
金あるから村の他に女作っとるとかあったし、その相手が14.15とかアレが来てたら関係持ってるとかもあったでと。
その人の子供の頃だから二次大戦前とかの話だけど、100年近く前の話しなのか。
名無しさん
子孫を有利な状況で確実に残すという意味では、家制度は理にかなった部分もあり完全に否定したくない。
一人に相続させ、無駄に財産を分散させることなく後世に引き継ぐ。
但し、あとの家族の面倒は家長の責任として見なければならない。
勿論受継いだ物を存続させる責任も追う。
地主制度もそうだが、地主は小作人並びに所有地の管理責任を持つ。
つまりノウハウのあるものが取りまとめ、計画的な農業経営を行っていた。
治水治山をし里を整え、永続的な運営ができるよう努めていたことは否定出来ない。
小作人への待遇という面で現代との剥離はあるが、うまく移行し大規模農業という形で残せていたらと思う部分もある。
分与により土地がどんどん目減りし、農地を売り無意味な宅地になり、山川は荒れ、人が居なくなり、全てが無に帰るだけの今のやり方を大手を振って賛成はしがたい。
名無しさん
先進国で人が飢餓を恐れなくなったのはここ100年程度のことで、それまでは常に飢餓との闘いだったので、食料増産できなければ、人口を抑制するしかない。どれも全く合理的な制度。腹いっぱい食えるブルジョワジーの戯言が人権であって、食えなきゃ強い者が生き残ると言うのが動物社会の合理的な生存方法。
歴史を今の価値観で見てはいけない典型例。
名無しさん
会社の同僚から聞いた話ですが
九州のどこかの村では双子の女の子が産まれた時、片方の子は"化け物"として扱われる風習があったと言ってました。
その同僚女性が片方の子(本人)だったので両親からも祖母・親戚からも邪気にされていたらしく寮がある高校に進学し卒業後就職で他府県へ移住したって
その後両親とは縁を切っていて身寄りがないと言ってました。
風習とか言い伝えって本当にあるんだなぁーと初めて知った


名無しさん
演歌「石狩挽歌」にも出てくる、鰊番屋で飯炊きをする女性。だいたい想像はつくと思いますが、ヤン衆たちの食事の世話だけが仕事ではありませんでした。もちろん昭和初期くらいまでの古い話ですが。
実際に番屋で働いていたお年寄りに聞いた話です。
名無しさん
自分の母方は飫肥藩士だったので子供のころに親戚の集まりで、薩摩藩とは戦国時代100年戦い続けて最終的に勝利を得たので幕末まで800年間飫肥藩を守る事か出来たが薩摩藩に侵略された琉球国は悲惨でしかなかったと言う話しを聞いた事を思いだした。
名無しさん
まあ、国も優生保護法をつい最近までやってたくらいですからね。
臭い物に蓋をするんじゃなくて、問題を直視しないとね。
先には進めませんよ。
名無しさん
鹿児島の一部では
誘拐婚の一種で女性を無理やり強姦して結婚するという風習もありましたね
数十年前になくなったようですが
今でも地域限定の風習とかあるようで興味深い
名無しさん
「残酷の悲劇」という副題のついた日本の民話に「朝見ずの里」という話があった。現代のどこの地域かは忘れたが、その寒村では旅人に気軽に宿を貸すが、晩のうちに殺してしまう。その殺し方も様々。旅人を泊めた家では旅人の衣服や持ち物を自分の物にする。
旅人が泊まると朝を見ることができないから「朝見ずの里」という。極めて貧しい里だから、生きていくためには仕方がないと書いてあった。


名無しさん
「火起請(ひぎしょう)」については、クガダチという日本古代史に出てくる裁判と一緒だね。
一説によると、本当の目的は悪人は神の加護がないから大火傷をするという心理状態を利用して、その人が真犯人かどうかを判断することにあったとも言われている。
名無しさん
昔は人を減らす事を頑張っていたみたいだけど今じゃ納税者がいない、田舎は過疎化だと言ったり子育て支援で人口数を増やそうとしたり、人間は勝手だね。
名無しさん
「おじろく、おばさ」の風習は文献に拠れば昭和50年代まで続いていた地域があるとか…。
「最後のおじろく」の写真を見たことがありますが眼が空洞というか、自分の意志をもっていない
ある種ハイチのゾンビ、のような印象を受けました…。
名無しさん
おじろくおばさは富山県のある山村でもあったと聞いている。当時の該当者は辛かったろうに。
名無しさん
江戸時代までは普通に老人などを捨てていた。
今のような人権感覚などなかった。
ただし、これは世界中どこでも同じ。
トイレの歴史を紐解けばベルサイユ宮殿をはじめとして大変。


名無しさん
日本の火起請と西洋の神明裁判のやり方が似ているが西洋から伝播してきたのか生物の収斂進化のように偶然なのか気になるところだ。
名無しさん
人形婚も本人の意思を無視し、死者を利用して家同士を結ぼうというなかなか浅ましい風習だと思う。それに他の風習に意味がないと断じるのもどうなんだ?
「現代の価値観とは違う」程度の感想でよかったと思うんだが。
名無しさん
お種ちょうだい祭りと言うのもあったよ。農閑期の一週間ほど、他所の男たちのお種を貰うというもので血が濃くならないようにするため。うちの死んだ爺様は四国の山を越えて山中の村で一週間やりっぱなしでやったらしい。今から100年ぐらい前の話しです。
名無しさん
若い女性ごと死んでしまうと、集落は途絶えるんじゃないかな。老人と男性と既に生まれた子供の集落。 今をやり過ごして、既に生まれている子供に未来を託したのだろうか。 理にかなっていない腑に落ちない風習だと思う。ちょっとモヤモヤ。
名無しさん
クブラバリは、レディコミの題材になっていて読んだことがある。誇張されているのだろうけれど、それでも実際に行われていたのだと考えると言葉に表せられない悍ましい風習であるが。沖縄の歴史を顧みた時、大和と琉球文化の隔たりというべきか…本当に独立した文化を築き上げていたんだなぁ。と感慨深くも感じる。


名無しさん
村八分なんてのは今も残っているしな。土地の決まりは外の人がとやかく言うものでもないし。
名無しさん
日本人の男性の生涯独身率は25パーセントを越えて、男にとり結婚は贅沢品になった。
日本男の4人に1人は、死後にしか結婚出来ない大悲劇がある。
名無しさん
人形婚については藤子・F・不二雄の「山寺グラフィティ」が言い伝えをうまくフィクションに採り入れている。
名無しさん
こういう話を聞くと今の時代の日本に生まれたこと自体が、ガチャで当たりだということが良く分かる
名無しさん
八墓村のモデルになった村で夜這いの話が出てくるけど昔の日本ではどこでも行われていたのかな?


名無しさん
地方っていうけど、江戸時代前までは東京も地方やで
名無しさん
現代も酷いが昔はもっと酷かったんだな。
名無しさん
欧米でも、19世紀には魔女狩りが行われていましたからね。
名無しさん
どれも怖っ!
今やっていたら大問題な話だな。
名無しさん
日本では、未だに長男次男の差別が酷い。


名無しさん
村八分は現代でも行われているよな。
名無しさん
今なお続く子供から大人までのタブーな風習、
いじめ。
名無しさん
人形婚か
俺の時は俺の好きなキャラのフィギュア使ってくれ
名無しさん
人形婚、現代ならフィギュアが俺の嫁。という方かな。


名無しさん
怖すぎる
名無しさん
人頭税が悪法ならば、消費税も生類憐れみの令並みの悪法だと思う。
景気に関係なく、消費税の税収が安定するのは取ってはいけない食料品などに課税しているからだ。
これ以上、消費税の税率が上がると、餓死者が出るぞ。
名無しさん
成年の儀といって成人を迎える男性が大晦日の夜に夜這いするのも50年位前まであったらしい。
意中の男性じゃない場合女性は断れるんだけど
その男性が来るまで他の男性の相手をしないといけなかった。
名無しさん
田舎へ行くと あまりにも同じ苗字の人が多くて驚く。
閉鎖的な地域で生きているわけだから 近親相姦を避けるために 一晩だけ 娘をさしだす、というのはある意味 利にかなっているのかも。
名無しさん
今当たり前に思ってる習慣がおぞましいものだと100年後に考えられる可能性もある。


名無しさん
いじめのルーツがここにあったのか。恐ろしい風習だ。
名無しさん
おじろく・おばさは地域の風習ではなく特定のひとつの家の慣習では?
名無しさん
村絡みでの夜這いもでしょう。
名無しさん
未亡人に夜這いとかあったしな~
名無しさん
これが田舎の実態ですよ。だから田舎はイヤなんです。
名無しさん
有名なのは『おやしろさま』の祟りだな




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