麻酔を使うようになって、手術がどれほど飛躍的に進歩したのかについては、今さら言うまでもないでしょう。今なら、手術すれば簡単に治る病気でも、昔は麻酔がないために手術できず、命を落とした例はかなり多かったはずです。では、世界で初めて麻酔による外科手術が行われたのは、どの国かと言いますと実は日本なんです。それは乳がんの手術だったのですが、なんと江戸時代に行われたと言いますから驚いてしまいます。
華岡青洲が開発した麻酔薬
独自に麻酔薬を開発し、世界初の全身麻酔手術を行ったのは、華岡青洲(はなおかせいしゅう)という医師です。華岡青洲は、村医者をしていた父親のもとに生まれました。そのため、彼は幼い頃から、父親が行う麻酔なしの手術を、目の当たりにしていました。麻酔しないで手術するのですから、患者の苦しみは相当なものです。
何とか苦しまずに手術できないものかと考えた華岡青洲は、京都で漢方とオランダ式の医療を学びます。しかし、当時のオランダ式の手術は、麻酔なしで行われていたので、これでは父親の手術と変わりません。当時の手術のあり方に疑問を感じていた華岡青洲は、華陀(かだ)を用いた麻酔薬、「麻沸散(まぶつさん)」の存在を知ります。これが、華岡青洲が麻酔薬を開発するきっかけとなりました。
しかし、麻酔薬は簡単にできるものではありません。華岡青洲は約20年の歳月をかけ、ようやく完成した麻酔薬を「通仙散」と名付けました。通仙散は、チョウセンアサガオとも呼ばれる、曼荼羅華(まんだらげ)を主成分として、十種類以上の薬草を使って作られたものです。幾度かの動物実験を経て、通仙散の安全性が確かめられました。
しかし、本当に人間に用いても安全かどうか確かめるには、人体実験を行う必要がありました。危険な人体実験を、華岡青洲は母親の於継(おつぎ)と、妻の加恵(かえ)を使って行います。この2人は、自ら実験台になることを申し出ていましたが、実験の結果母親は死亡し、妻は失明してしまいます。
このことから、麻酔の取り扱いを間違えると、非常に危険なことを、華岡青洲は身をもって知りました。不用意に麻酔を用いて、死者が続出することを懸念した華岡青洲は、通仙散の作り方を封印してしまいます。
現在の麻酔は、麻酔薬を注射したり、ガスを吸わせる方法で行うのですぐに効きますが、通仙散は飲み薬だったため、麻酔が効くまでに4時間もかかり、しかも麻酔の効果も、それほど強いものではありませんでした。その後、幕末から明治にかけて、エーテルを使った吸入式の麻酔が輸入されると、通仙散が用いられることはなくなりました。
華岡青洲が行った手術
華岡青洲は、明治維新の64年も前に、世界初の全身麻酔手術を行いました。これは非常に驚くべきことです。なにしろ、当時の日本は軍艦や大砲、鉄砲技術も、欧米列強に大きく後れを取っていたので、当然ながら医療の分野も、欧米には遠く及ばなかったはずなのです。ちなみに、世界初の麻酔手術を受けたのは、藍屋勘(あいやかん)という60歳の女性です。当時、欧米ではすでに麻酔なしで手術が行われていましたが、あまりの激痛に、手術中に命を落とすケースが多かったため、日本では行われませんでした。
乳がんを全摘出するには、乳房を大きく切除しなければならず、到底麻酔なしにできることではなかったのです。このとき華岡青洲は、独自に開発した通仙散(つうせんさん)を使って全身麻酔をかけ、藍屋勘の乳がん摘出を行い、無事成功しました。しかし、手術から4か月後に藍屋勘は亡くなります。とはいえ、手術から4カ月生きながらえたのですから、手術そのものは成功したと言っていいでしょう。
その後、1846年10月に、アメリカの歯科医ウィリアム・モートンが、吸入麻酔の公開実験を行い、成功しました。これが近代麻酔の始まりと言われていますが、華岡青洲はそれより42年も前に、全身麻酔に成功しているのです。
華岡青洲が手術した患者数
世界初の麻酔手術に成功した華岡青洲は、その後多くの乳がん患者に同様の手術を行っています。彼の行った乳がん手術をまとめた、「乳巌姓名録(にゅうがんせいめいろく)」によると、手術した患者数は実に152人にものぼり、そのうち33名の術後の経過が記されています。それによると、手術後の生存期間は2年~3年が多く、最短で8日、最長で41年も生存したことが書かれています。2年~3年後に死亡したのは、おそらく乳がんの再発か転移によるものでしょう。
がん細胞はわずかでも残っていると、そこから増殖して再発してしまいます。しかし、当時の医療レベルでは、再発や転移までわからなかったのは、致し方ないことでしょう。何の検査技術もなかった当時、乳がんを発見するのは、見たり触ったりする以外に方法がありませんでした。つまり、乳がんはかなり進行しないと、発見できなかったのです。進行したがんの手術は現代でも困難ですから、江戸時代にこれだけの成果を挙げたのは、驚異的と言わざるを得ません。
稀代の天才外科医
華岡青洲は麻酔だけでなく、手術法も独自に編み出しています。彼は自身で考案したメスやハサミを使って、乳房からがんだけを切除していました。つまり、華岡青洲は現代医療でも広く行われている、「部分切除」をすでに実施していたのです。
華岡青洲ははまさに、稀代の天才外科医と呼ぶに、ふさわしい医師と言えるでしょう。しかし、華岡青洲の名前はあまり知られていません。エーテルを使った麻酔によって、外科手術は飛躍的な進歩を遂げましたが、まだ近代麻酔術の確率していない江戸時代に、すでに全身麻酔が行われていたことは、もっと高く評価されてもいいのではないでしょうか。
参照元:https://gentosha-go.com/articles/-/36572
みなさんの声
虫歯すら満足に治療できないぞ。
ご家族も含めて、偉大なる成果の話をもっと広めたいです。
女性は痛みに強いって言うけど、、
恐ろしすぎる。
子の役に立ちたい母親が実験台になるような感じの。
学会での手術法の確立もない、凄いこと
だからこそ本人も封印してるわけで。
チャレンジ精神は凄いと思うけどね。
死刑囚を利用すべきだったのでは?
主に妻・加恵の視点から描かれていて、当時の風俗や空気感まで圧倒的なリアリティがあります。フィクションでありながら、「作者は当時の現場をずっとその目で見ていたの?」と思うほどの説得力で、一気に世界観に引き込まれること請け合いです。史実を扱った小説としては、私の中ではTOP3に入る傑作です。
麻酔なしの時代の手術の描写が痛々しくて…現代の感覚では考えられないし、現代の医療は本当にすごいですね…。
寿司などの衛生観念、ライト兄弟より100年以上前に空を飛んだ浮田幸吉、精巧なからくり技術、リサイクル・リユースシステム。
世界の混乱に巻き込まれても、明治の人達があれだけ賢く立ち回ったのが納得できるほど、江戸~明治の人達は賢い。
昭和からなんでこんな落ちちゃったのかな~。残念。
戦時中の人体実験も、今となっては非常に非人道的で酷いものではありますが、連合軍がそのデータを接収し、それが現代医学・医療にも役立っています。
動物実験もそうですが、感謝して生きていかなければと思います。
ていうか、母親が麻酔実験に参加したかどうかの資料はないはず。妻はともかく。
有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』には母と妻が実験台になって、母には弱い調合の薬、妻には本来実験したい調合で使って、妻だけ失明の後遺症が残った、母は自分が手加減されたことや嫁が失明して献身妻の座を確固たるものにしたことにショックを受け、高齢であったこともあり、その後はガクリと弱って亡くなった、とありましたが、麻酔で死亡したとは書いてない。しかも、あくまでこれは小説で事実は不明のはず。
それに代替できる安全安心な方法があれば別だけど。
ただ、少しでも苦しまないように、例え動物であっても、提供される命に対して尊敬と感謝の念を忘れるようなことはあってはならない。
何をもって成功とするかは、当時と今の感覚でそれぞれだと思います。
日本における外科の歴史は浅く、整形外科の歴史は古くから存在するようです(現在の接骨院、整体院)。
転じて目を海外に向けてみると、外科の歴史は18世紀初頭のルイ14世に対する痔の手術などが、最初期の外科手術だったとされています。
奥義の名のもとに技術を秘匿・死蔵する悪癖ってのはいつの時代でも存在するわけだ
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