【虫の知らせ】死の予感・予兆・前兆について…ネット上の体験談と見解まとめ

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一説によると、盂蘭盆会(お盆)の語源はペルシャ語で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」だという。この夏、家族でお墓参りに行く前に、「死とはなにか」について考えてみませんか?

死の予感、死の予兆はこんな感じで来る

【大切な人が現れる】

アメリカの脳神経外科医、エベン・アレグザンダー氏は、’08年に髄膜炎が悪化し昏睡状態に陥った際に「あの世を垣間見た」と証言している。

氏によると、死後の世界には「美しい女性がいて、その人に見守られている感じがした。一面に素晴らしい景色が広がり、周りには蝶が舞っていた」とのことだ。

この経験をまとめた『脳神経外科医が見た死後の世界』は、発売と同時に話題を呼び、全米で200万部を超えるベストセラーとなった。

死後の世界があるのか、人は死ぬ瞬間どんな感覚を抱くのか、そして死の前兆はあるのか。信じるか信じないかは別として、多くの人が本音では知りたいと思っていることだろう。

まず、死の予兆はあるのか。

湘南ホスピタルの医師で、緩和ケアの専門家である奥野滋子氏は、これまで3000人以上の最期を看取るなかで、死を目前にした人に訪れる不可思議な現象を数多く目撃してきた。自身の父が亡くなる際は、本人もこんな体験をしたと言う。

「父は若い頃からサッカーが大好きで、高校時代のサッカー部の仲間と晩年まで試合をやっていました。そんな父が病気になり、あるとき、病室のベッドで寝ながら足元のほうを指して『彼らの食事も用意してあげて』と言う。もちろん、そこには誰もいません。
彼らって、誰? と聞き直すと、『サッカー部の仲間がそこにいるじゃないか』と返すんです。ああ、これが『お迎え現象』か。私の父にも、いよいよ最期の時が来たのだな、と。
父は、その6日後に亡くなりました。
死の間際、大体1週間ぐらい前には、亡くなった家族や友人など、大切な人が現実味を帯びて立ち現れる、ということがあるのです。『お迎え現象』と呼ばれ、死の前兆の一つとして、専門家の間では広く認識されています」

「お迎え現象」がなぜ起こるのかは、科学的には解明されていない。しかし、仙台市で緩和ケアを行っていた岡部健医師(故人)らのグループが、家族を自宅で看取った人に調査を実施したところ、回答した366人のうち42.3%が「お迎え体験があった」と答えたのだ。

奥野氏が見聞きしたお迎え体験を紹介しよう。

〈母が亡くなる前、部屋の天井を見ながらひとり言を言っていた。どうしたのと尋ねると、死別した夫が迎えに来たという。その数日後『白い』『お父さん』『一緒』という言葉を切れ切れに口にしていた。父が愛車で迎えに来てくれたのだと思う〉

〈卵巣がんの患者さんが、ある日『昨日、亡くなった母が会いに来てくれた。ベッドの横のソファーに座って、窓のほうを見ていたんです。これで私もお母さんのところに行けるのね』と話した。女性はその直後に亡くなった〉

高齢で亡くなった方の事例が多いというが、後者は60代のケースだ。お迎え現象は「死の直前、誰にでも起こりうる」のだ。



【外界に興味がなくなる】

医学的に認められている「死の前兆」もある。看護師でかつ僧侶という肩書を持つ玉置妙憂氏が、死の直前に体と心に起こる変化について簡潔に説明する。

「個人差はありますが、まず、死ぬ3ヵ月ほど前から、外界に興味がなくなり、内向きになります。健康な肉体を維持する必要がなくなるため、食が細くなり、昼も夜もなく眠るようになります。
死の1ヵ月前には、血圧や心拍数、呼吸数、体温などが不安定になる。そして、死の間際。その瞬間がくると、目が半開きになり、涙が出ることもある。その後、息をふっと吸って呼吸が止まるのです。
私が見たなかでは、息を吸って亡くなるケースが多かったように思います。
生まれたときは、『オギャー』と息を吐いてこの世に出てきて、死ぬときには息を吸って亡くなるのです」

こうした現象は本人の意思でどうにかできるものではない。ただ、事故や急病のケースを除けば、すべての人がそういう経過を辿って亡くなっていくということだけは確かだ。

一方、お迎え現象のように「解明されていない現象」はまだある。都内の大学病院に勤める医師が、こんな体験を明かす。

「50代の心臓病を患っていた患者さんで、月に1回診察に来ていたんですが、ある日の診察で、右の手のひらをじっと見つめているんです。『どうしたんですか? 』と尋ねると、『なんだか、自分の死んだあとの姿が映っている気がして』と語りだした。
そのときは気に留めていなかったんですが、その患者さんは1週間後に亡くなりました。『手鏡現象』といって、死を感じた人が取る行動の一つと言われているようです」

葬儀関係の仕事をする女性の話。

「心臓発作で亡くなった55歳の男性の死に立ち会ったのですが、ご家族から話を聞くと、『亡くなる直前まで元気だったが、1ヵ月ほど前から、これまでまったくやらなかったギャンブルにのめり込んだり、暴飲暴食をするようになった。まるで別人だった』そうです。
死の直前、性格が激変するというのは、しばしば耳にします」

ある人が死ぬ直前に、本人やその家族など親しい人がイヤな予感を覚える、いわゆる「虫の知らせ」も、死の予兆の一つだ。45歳の男性会社経営者が回想する。

「2年前のことですが、老親の様子を見に実家に戻ると、兄も帰ってきていた。母と兄は極端に仲が悪くて、十何年ぶりに帰ってきたので驚いたんですが、二人で楽しそうに話している。こんなことは初めてでした。
翌日、兄は『じゃあ、お袋、達者でな』と出ていったんですが、その1ヵ月後に、心肺停止で亡くなりました。兄はなにも言いませんでしたが、死の予感がしたから会いに来たんだろうね、と母と話しています」

「虫の知らせ」は医療関係者らもしばしば体験するという。前出の岡部医師の後を継ぎ、現在岡部医院の院長を務める佐藤隆裕医師が語る。

「普段の様子と変わりない、急変の予兆がない患者さんを診ていたら、突然私に握手を求めてきて、『先生、いままで本当にありがとう。先生はこれからも自分の道を進めばいいよ』と達観した顔で語りかけてこられるのです。
どうしてまたそんなことを言うのかと思っていたら、翌日にその患者さんは亡くなったんです。本人は死が間近に迫っていることを自覚していたのかもしれません」




【もしかしてその感じは…】

在宅医療に詳しい長尾クリニック・長尾和宏院長も、こう続ける。

「あの患者さん、苦しんでいないかな? まだ大丈夫かな? と気になって考えていると、そのご家族から携帯に電話がかかってきて『いま、息を引き取りました』と伝えられることはよくあります。
科学的な説明はできませんが、人の生き死にに関しては、われわれには絶対に分からない領域があると思っています」

佐藤医師は、「死に関する不可解な現象」があることを社会が認識し、受け入れていくことが必要だと言う。

「『お迎え』を目の当たりにしたとき、家族はなにが起こっているかを理解できなくて、『痴呆が始まったのではないか』と病院に相談に行くことが少なくありません。
病院側に理解があればいいですが、そうでない場合、『幻覚を抑える薬を出しましょう』と強い薬が処方されることもあるのです。
亡くなった岡部先生は、こうした現象を『死を迎えるための一つのプロセスだろう』と話し、社会がそれを受け入れることの大切さを説いていました」

最後に、昨年夏に62歳の夫を亡くしたという女性の不思議な体験を紹介しよう。

「夫は天体観測が趣味でした。ある夜、いつものように星空を眺めながら、『僕の人生はそう長くないかもしれない』とつぶやいたんです。
どうしたの? と聞くと、『いつもはパッと明るく見える星が、ぼんやりとして見えるんだ。いままで当たり前に感じられたものがちょっと変化すると、それは命の終わりの兆候なんだよ』とつぶやいて……。
それから1週間かけて、息子たちに遺すものを整理したり、お世話になった恩人らに手紙を書き始めました。
二人の息子には夫がそんなことを言っているとは伝えずに、『久しぶりに家族で集まりましょう』と言って、みんなで集まって食事をしました。そして、その1ヵ月後に夫は心臓発作で亡くなったんです。
あのとき夫の予感を受け流していれば、家族最後の幸せな時間は味わえなかった。超常現象を信じるとかいうことではなく、本人にしか分からない変化があるんだろうな、と思っています」

いつ訪れるか。どんなふうに感じるか。死の予感、前兆は人によってそれぞれ違う。「もしかしてこれが……」と感じたなら、後悔をしないように最期のときを迎える準備を始めるべきだ。

参照元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66679

みなさんの声

名無しさん
自分の身内も亡くなる1週間前に「子供の頃亡くなったお父さんが夢に出てきてくれた」ってとても喜んでいた。
また、生まれたばかりの孫が自分が寝ている横にいるのが時々見えるようで「あら、〇〇ちゃん、来てくれていたのね」とすごく嬉しそうにお布団に入れてあげていた。きっと、とても会いたかったんだと思う。
本当はいないけど、会いたいと思う人に会えているならいいなぁとその時は思ったので話を合わせていました。
今はコロナ禍でお見舞い客も病室に入れず亡くなる時に1人って方が多いけど、夢でも幻でも会いたい人とひとときを過ごしてから旅立てたらいいなぁと思います。
名無しさん
母親が生前私の家に泊まりがけで毎月来ていましたが、死んだらあの世があることを立証するために玄関のインターホンを鳴らすと言っていました。
死後49日の間に壊れたようなインターホンの音が5回以上しました。即玄関に出ても遥か彼方にも誰もいません。壊れたような音はその時だけで、それ以降25年異常なしです。
他にも死後の世界は否定できない経験をしています。
名無しさん
祖父は先に亡くなった祖母のお迎えがあった日の深夜に亡くなったよ。老衰で、食事や水分も取れなくなり、くるしむこともなく、とても自然な形で眠るように旅立っていった。
ほんとにそこに何かがいたかが重要なんじゃなくて、死に対する不安を取り除いたりする脳の機能なんじゃないかな。少なくとも祖父はお迎えがあったから、安らかな最期になったように思う。


名無しさん
刑務所で勤めていた際、老衰でなくなるおばあちゃんが、何かに怯え、とても穏やかとは言えない死を迎えた人を何人か見ました。
その他、お迎え現象とは違いますが、殺した人が枕元にでてくるなどといっている人もいました。
毎晩、大勢の足音に苦しめられる人などもいて、死後の世界があるような気がしました。
悪いことをすれば、死後も苦しむ。
それは、確かです
名無しさん
私は昨年、母を亡くしました。両親とは別居していて、母の体が弱くなった5年くらい前から週に一回、実家に行って面倒を見ていました。ある時、実家から帰宅する時に、母と別れる際、マンションの廊下で、無性に母のことがいとおしくなり、別れ際に抱きしめてあげました。両親とは大の仲良しでしたが、ハグするなんて恥ずかしくて一度もしたことありません。人生ではじめての母とのハグでした。自分でもびっくり。それから1ヶ月後に母は亡くなりました。今考えると私自身の虫の知らせだったのかもしれません。もう一つ、やはり母が亡くなる1ヶ月ほど前から、母は父に「安らかに死ねるかしら、死ぬ時には苦しいのかな」と何度も尋ねたそうです。父は、今まで母がそんなこと言ったことはなかったので、不思議に思ったそうです。これらのことも今にして思えば、私も母も無意識のうちに、死を予感していたのかもしれません。あの時ハグしてあげて本当に良かった。
名無しさん
母は亡くなる2週間ほど前に親戚まわりと、腰痛の為何年も行けなかった自分の両親の墓参りに行きました。父は墓じまいと座敷のリホームをしてまるで自分の葬儀の準備のようでした。長い間お世話になったお習字の先生は亡くなる一週間ぐらい前から病室の窓から見えるビルの上に知り合いが居ると言っていたそうですが、周りの人達には何も見えなかったようです。主人は交通事故にあって2週間ほど意識不明になった時、綺麗な見たことのない花畑の中に渡れるぐらいの浅い川があり、亡くなったお母さんがこっちに来るなとさえぎったところで意識が戻ったと度々言ってました。不思議な話はけっこうあります。
名無しさん
偶然といえばそれまでだけど、虫の報せはいくつか経験したことがある。
祖父の亡くなる日の朝、いつもは気にならないカラスの騒がしい鳴き声が妙に気になると思ったら夜中に容体が急変して亡くなった。
親友が亡くなった日の夜、かなりうなされてたけど大丈夫?と夫に心配されたり。
嫌な予感は当たるのかなぁと思ったことはある。
自分の近しい、会いたい人があちらの世界にいると思ったらそんなに死ぬのは怖くないかも。
殺されるのは嫌だけど。


名無しさん
超常現象的に目に見えないものを信じるか否かは人それぞれ。
この世界は波長で構成されていて、その波は見えない。
だから見えない=非科学的だと信じない人も多くいる、テレビのリモコンから発する赤外線は信じているのに。
見えないけど説明出来ないけど、不可思議なことはあると個人的には信じている。
名無しさん
うちは子供に、幽霊は電波と同じなんじゃないかな?テレビも携帯も電波見えないでしょ。と伝えてます。去年叔父が亡くなりましたが、半年ほど、よく電気が消えたりありました。初七日では玄関に誰かいる!と2歳の娘が騒ぎ出したけど全く誰もいませんでした。挨拶に来たんだなと、初めて実感しました。生きるってこんなに不思議だらけだったんですね。
名無しさん
ここに出ている皆さんのコメントを見るとほっとしました。不思議な体験をしたのは私だけじゃなかったんだと、、両親それぞれの最後に間に合わなかった親不孝な娘ですが(ヨーロッパに住んでいるため)唯一父方の祖母が亡くなる直前に夢の中ににっこり笑って出てきてくれたことがあります。翌日電話したら亡くなっていました。兄の話では父に関しては先に亡くなった母の名前を呼んで突然ベッドから上半身を起こしてその後亡くなったとのことです。皆さんのいろんな話とやはり一致していますね。
幸いかな永遠の命ではないので、もうすぐ還暦ですが毎日を一生懸命悔いのないように生きなければと改めて心に誓ったものです。
名無しさん
私の父は亡くなる1ヶ月前、会いに来た4歳の孫の手を握り、何も言わずにじっと目を見つめていました。それが父と私の息子との最後の面会でした。あの光景は今思い出しても涙が溢れます。もうすでに声が出なかった父、孫に何を伝えたかったんだろう…。
名無しさん
3年ほど前、死を意識した病気をした時、緊急手術だったんですが、術後
麻酔から覚めた後、目を閉じると真っ黒なヒョロヒョロした人達がゾロゾロ歩いていくイメージが浮かぶんです。その中の誰かがこちらに振り向きそうになると怖くて目を開ける。この繰り返しが3〜4日続きました。ま、麻酔やらなんやらでボーっとしてたせいだろうけど。
あのあと、一度死を意識したせいか、あらゆる出来事に少し寛容になったきがします。


名無しさん
不意の死で亡くなった人は、自分の死が分からず、家に帰って来くることもあるようです。父は70歳の時風邪で体調を崩し、薬を貰う軽い気持ちで町の医者に行った。ところが注射したら急に体調が激変し、しばらく医院で横になっているうちに、亡くなってしまった。直ぐに医院に駆けつけて、様々な手続きをして帰宅すると、心配した妹と甥っ子が来ていた。すると10歳の甥が「おじいちゃん、さっきテレビの部屋に居たよ。」と突然言い出した。甥は幼少の頃から霊感があるのか?たまに奇妙なことを言い出すことがあった。ふざけて言っているようには見えない。
母が亡くなる時にも、母の枕元に白い服を着た人が居ると言っていたのを思い出した。父はたびたび医者に行くことがあって、今回もいつもの気持ちで医者に行って、まさかそこで亡くなるとはまるで考えてなかったと思う。人間の死には、不思議なことがあるのかもしれない・・・・・
名無しさん
2年前に父をすい臓がんで亡くしました。発見した時はすでに余命1ヶ月‥。家族も父自身も信じられないまま悔しさと悲しみの中本当に1ヶ月で亡くなりました。突然の別れは2年
名無しさん
私も現世界では家族がいますが、あの世でも必ず誰か来るだろなと確信していて、なぜか、死が怖くなくなりました。
名無しさん
あるレーサーが事故る予知夢なら見たことある
自分がその横たわっているレーサーに必死で声をかけ続ける夢
明らかに相手には伝わっていないのもわかるリアルな夢
あまりの衝撃に翌朝親に話をしたら「??」状態
数日後に親と一緒にテレビを見るとそのレーサーのテストシーンがテレビで流れ嫌な予感が消えない
さらに1週間か10日くらいしたある朝親に起こされテレビを見るとそのレーサーの事故が報道されている
新聞には夢の中で見た横たわる画像
後にも先にも予知夢はこの時だけ
ちなみのそのレーサーは今でもご健在です
名無しさん
叔父が息を引き取る直前、すごく大きく息を吸った。それまでは細かく小さく息をしてたのに、、
突然だけど最後の力を絞り出すように大きく吸って、ガッっと音を立てて息が止まった。そのあと開いた口からオレンジ色の火の玉のような物が出ていくのを家族がみた。
魂が抜けたんだろうねってみんなで話した。
3年前、義母が亡くなった時も同じように大きく息を吸ってた。
ドラマとかでは、息を吐くように亡くなるけど実際は大きく息を吸うんだなと思った。


名無しさん
介護職員だった頃、全介助、寝たきりから復活した女性の方で、誰も居ない部屋に向かって、お父さん、お父さんって呼びながらしっかり前を向き早足で歩き出した。亡くなった旦那さんがいたのかわかりませんが、その女性は現在100歳に。
友人の祖父が亡くなる2日前〜前日、家族皆んな、カンカン、パチパチ、ドンドン、不思議な音を聞き、祖父を見送った日、壊れていた腕時計が動き始め。その日以降不思議な音は聞いてないって言っていた。亡くなった祖母が迎えに来たのかな?って思ったって。
亡くなった人は心の中で生き続けると言うけど、肉体がなくなっても繋がってて、一緒にいるんじゃあないかな?
最期の時がきたら、先立った人が姿を見せるのでしょうか、わからない。
名無しさん
母が亡くなってもう40年以上経ちます。何度も死の渕から黄泉返った人でしたが、その度に先に亡くなった身内が現われて、「まだ来るな!」と言われたようです。ある時は、母の母がまっ黒い日傘を差して、一本道の向こうから母の方に歩いて来たが、直前にくるっと踵を返していなくなったと。
私が死ぬ時には母が迎えに来ると信じています。そして私は母に再会できた喜びで笑顔で死んで行く予定です。笑
名無しさん
超弦理論によって謎が解き明かされる日は来るのでしょうか。
人間が認識できるのは4次元(時間)まで。
操れるのは3次元(空間)まで。
11次元あるとされる宇宙なら何でもありか。
死は不思議でもましてや消失でも何でもなく理論的にわかるもので、空間に物を置いたり避けたりするぐらいのことかも。
まあ、死んだときわかるよね。
名無しさん
ちょっと違うかもしれないけど、もう10年以上前に祖母が亡くなった時、葬式で住職の読経中、急に祭壇の灯りが一個点滅し出して、更にロウソクが一本だけ激しく燃え出し炎が不自然に大きくなったことがありました。 気づいた参列者が気味悪がってざわざわし出したんだけど、その時僕は「あぁ、おばあちゃん来てるんだ」と思い、寂しかったけどなんだか嬉しい気持ちになりました。
名無しさん
上の息子が1歳の時、在宅時(夜)に急にカーテンを開けて外を見るのが3日ほど続いた。また急に見なくなったと思ったら母方の祖母が亡くなった。
可愛がってくれたから挨拶に来たんかな?と今でも思ってます。
この3月に義理の父が亡くなった。亡くなる2週間ぐらい前に急に元気になる中治り現象を経て性格変化、幻聴幻覚、その後亡くなりました。
ちょうど緩和ケア病院へ転院する日の朝に急変。翌日死去。
本人はまだ元気だった時に転院楽しみにしてたけど、内心は行きたくなかったんだな~と心の中ではおもってます。


名無しさん
この広い宇宙のなかで銀河系 太陽系 第三惑星 地球に生まれてくるのも奇跡
地球の数多の種のなかで人間に生まれてきたのも奇跡
そう貴方は奇跡中の奇跡の尊い存在
長生きして地球を楽しんでや~
名無しさん
誰かの死を肯定的に捉えることが出来た人は必ず自身に起こった何らかの事象を後付けで結び付けるのだそうですよ。何気ない会話であったり夢を見たりしたことを自己完結していくのだそうです。死という非日常な出来事を受け入れたときにその人の日常の中での体験や出来事を結び付けるのだそうです。
名無しさん
もし本当に予兆があるなら自分は知りたいタイプです。
名無しさん
自分も知りたいです。
出来れば1ヶ月前くらいには。
生前整理はゆっくりと進めてはいますが、死ぬ前にキチンと身の回りを整頓しておきたいし、挨拶も済ませられると良いなと思いますので。
名無しさん
私は生きるか死ぬかの大病をした時にビー玉を並べたようなお花畑の川みたいな綺麗な所の向こう側に亡くなった祖母が立っていて笑顔だったんで渡ろうとしたら誰の声かわかりませんが『お前はまだそこに行く人間ではない。』って声が聞こえて目が覚めたら病院のベッドの上でした。あれは今でも不思議な体験ですね…自分でもよくわかりませんが何かやっぱりあるのでしょうね…よく分からない内容ですが事実をありのままに書きました。


名無しさん
明日は我が身、自分の時はそんな体験をするのかな~?なんて不意に思う時があるけど
自分の場合褒められた生き方をしてこなかったから無理なんだろうなとつくづく思う。
名無しさん
こう言った話は後から見ればいくらでも結びつけられる話ですが、見聞きした人にとっては記憶に残る話ですからね。
名無しさん
私の母は事故死だったのでそういうのは何もありませんでした
思い出として残る不思議な時間を共有できた皆さんがうらやましいです
名無しさん
知り合いの看護師さんから聞いた話ですが、最後を看取った患者さんがお亡くなりになった後、よく彼女のもとにお礼に来てくれる見たいです。
名無しさん
枕元に友人が立ち話しかけてきた。後日、その友人が危篤だったと知った。そして友人はピンピン生きている。危篤、眠る、死後、そこは似たような場所なのだろうか?


名無しさん
小さい頃だったが、ひいおばあちゃんが家族みんなに囲まれて死んだ時、魂の様な白いものがフワーっと胸のあたりから上がっていくのを家族みんなが見た。あれは本当に不思議だった。
名無しさん
不可思議な出来事を受け入れるだけの寛容さは必要。論破する必要はない。
名無しさん
去年親父が心臓突然死で死んだ。
北海道と本州離れて暮らし、電話すらオレからしなかった。
亡くなる
名無しさん
故人の親しい人、残された人が納得するために考えたものだと思う。そう思わないと、あの時、ああしてやれば良かったと後悔しそうだから。
名無しさん
こんな事を言うと野暮だが誕生時は肺水が肺胞に吸収にされて狭い産道を抜けて空気を取り込むから息を吸って産まれてくるんではないかな。
中絶を希望している友人カップルを説得するために身につけた浅知識だから間違ってるかもしれないが。


名無しさん
死ぬ直前に急に元気になるってこともあるみたい
名無しさん
まぁ実際戻ってきた人はいないので、どうとでも言えるかな。
多分、その方の気持ちや思い出や記憶やら心残りなどなどが入り混じって、その中で強いものが幻想として出てきてるのが多いと思っています。
名無しさん
死んだら終わりじゃないよ。丹波哲郎が驚いていたよ。
名無しさん
人間の想像力は宇宙をも超えるから死後の世界も簡単に作れちゃう
名無しさん
天国と地獄って、もしかして天国と地国と書くのでは?ふと思った。
天は無限(人それぞれの想像の中)にあり、地は地上つまりココ。


名無しさん
欲は年々減っている様だ。
要らない使わないと思ったものは捨てる様にしています。
必要最低限。
こまめに掃除。
どうでもいい事になるんでしょうけど、死んだ後の片付けが楽なようにと。
名無しさん
私も最近父が亡くなってから同じように感じるようになりました。あんなに元気だった父が急に逝ってしまい、オシャレが大好きだった父の大量の服だけが残って、それを処分する時物凄く虚しさを感じました。生きているのが当たり前だと思っていた時は、沢山物を買ったり、沢山食べたりしたいと思っていたのに、人はある日突然あっけなく死ぬんだと思うと、沢山持っている必要があるのか?と感じたりするようになりました。
名無しさん
最期は愛する人に迎えに来てほしい。愛する人と旅立ちたい。
名無しさん
生まれた時は「オギャー」と息をはいて、亡くなる時は息を吸って亡くなる??
生まれるときは、オギャアの前に、息を吸ってますよ。
息を吸って肺に酸素が入ったから、大きなオギャアが聞かれるのです。
生まれるときも、亡くなるときも息を吸うということですね。
名無しさん
しぬ前に周りのことに興味がなくなるんじゃなくて
生きることに興味がなくなったから体が生きるのやめるんじゃないのかね
ギリギリまで生に執着してジタバタするほうがかっこいい


名無しさん‎
本当の死を体験した人から体験談を聞いた人はいませんから死後の世界は分からないが私は「死=無」だと思う。
生物は遅かれ早かれ産まれたら必ず死にます。
名無しさん
ワタシの場合、両親も夫もお迎えはご無用に願いたい
名無しさん
人殺しは地獄に
名無しさん
他殺や自死以外は、夢枕に立つことはあると思われます。
名無しさん
”あ”で生まれ ”うん”で死ぬ
『阿吽(あうん)である』


名無しさん
いつも思いますが、自分が亡くなる時にたいした人生じゃなかったけどまぁ仕方ないか‥くらいの後悔しないような人生を歩みたいですね
この世に怨み辛み後悔をのこさんように‥
名無しさん
ほぼ一緒です。
「わたしの人生まぁ、こんなもの」ぐらいの気持ちでいいかな。
それを知人に話したら
「そんなセリフ絶対いや!あー楽しかったって言いたい!」と全否定されました。
ま、人それぞれです。
名無しさん
そうですね
しかし人生楽しい事ばかりじゃないので、せめて後悔しないくらいの範囲内で‥




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