今から83年前の1938年5月21日、日本の犯罪史に残る大事件が起こった。
一晩で30人を手にかけた「大量殺人」
1938年、岡山と鳥取の県境にある山間の村で、深夜のわずか1時間あまりの間にたった一人の若者の手で、30人の老若男女が惨殺された。世にいう“津山三十人殺し(津山事件)”である。
横溝正史の金田一耕助シリーズ『八つ墓村』のモデルになった事件といえばピンとくるだろうか。
徐州陥落に沸く日中戦争のさなかであるにもかかわらず、事件の報は日本中の人々を震撼させ、当時の新聞は一面で事件の詳細を伝え続けた。
しかし犯人は警察に逮捕されることなく、事件直後に近くの山中で自ら命を絶った。このため、事件の詳細は明かされないまま、警察の捜査は中止された。
その後も事件の詳細が不明のままだった最大の理由は、警察の捜査資料をまとめた「津山事件報告書」が、戦後しばらく閲覧できなくなっていたからだ。そのため1970年代から80年代にかけて、松本清張や筑波昭らの著作が事件を伝える主な資料として取り上げられ、事実関係が曖昧なまま事件の原因や経緯をめぐって様々な俗説が飛び交った。中には犯人の若者をダークヒーローとして崇拝する者まで現れた。
ただ最近の市民の調査によって、筑波昭の著作には創作の箇所が少なからず含まれていることが判明。バイブルだと思われた資料の信頼性が失われ、事件の解明はますます混迷を極めた。
最初に襲ったのは、実の祖母
事件は、1938(昭和13)年5月21日、中国山地にある西加茂村(現在は津山市)の貝尾集落で発生した。当時の貝尾の人口はわずか111人。全22戸のうち10戸(他に隣接の村で1戸)が襲撃を受け、一晩で村人の3分の1近くが命を失った。
犯人は貝尾在住の青年、都井睦雄(とい むつお・22)。事件が起きたのは午前1時半頃、朧月夜だったという。
5月20日の夕方、まず睦雄は犯行前に村へ通じる電線を切断し、村を暗闇につつんだ。
夜半過ぎ、睦雄は黒セルの詰襟服(学生服のようなもの)を着込み、茶褐色の巻きゲートル(脛に巻く布。怪我やうっ血を防ぐ)を装着した。足には地下足袋を履き、二つの懐中電灯を取り付けた鉢巻を頭に巻いた。首からは自転車用ライトを紐で吊り下げ、薬莢や弾薬を入れた雑嚢(リュックのようなもの)を左肩から右脇にかけた。
凶器の日本刀一振、匕首(小型ナイフ)二口は左腰に差し、上から革の帯で締めて、刀が揺れすぎないように整えた。また自ら改造した9連発の猟銃と銃弾約100個を携帯すると、あらかじめ磨いておいた大きな斧を両手で握り締めた。
殺戮の準備は整った。
睦雄はまず、同居する祖母のいね(80)の寝所へ向かった。そして、その首めがけて巨大な斧を振り下ろした。とっさにいねは、枕カバー代わりの手拭いの端をぐいっと噛み締めた。睦雄は老女の首を一刀両断…できなかった。睦雄は祖母の頸部めがけて数回にわたって斧を振り下ろした。何度目かでようやくいねの首は胴体を離れた。頸部の肉は損傷がひどく、出血も激しかったため、いねの寝床は血みどろになった。
彼が最初に選んだ犠牲者は、自分を長らく育ててくれた祖母だった。首がちぎれるまで幾度も斧を振ったということは、祖母に対する睦雄の恐怖や敵意が尋常ではなかったことを意味する。どうやら睦雄はこの祖母をとても憎んでいたようで、絶対に生き返らないように、首が胴体から離れるまで安心できなかった。
なぜ睦雄は育ててくれた祖母をここまで恨んだのだろうか。後述するが、睦雄の祖母に対する一連の行為は、犯行動機と密接に結びついていたと考えられる。
戦前の日本には、いまだに「夜這い」の文化が残っていた。特に貝尾のような山間部の集落は娯楽が少ないため、村内で男女関係が複雑に結ばれていたとされる。睦雄も何人もの村の女性に夜這いをかけていた。被害者の多くは、彼と性的関係があって、肺病(肋膜炎)を患った睦雄を馬鹿にしたり、笑いものにした女性とその家族だったという。
その後、睦雄は頭と胸のライトを点けて、闇夜の中、貝尾集落中の家を次々と襲撃した。恨みの少ない相手は急所を1発で撃ち抜き仕留めたが、強い恨みを抱いた相手には、子供であっても容赦せず、急所へ多数の直撃弾や刀傷を負わせた。その惨劇の模様をご紹介しよう。
独特な方法で「確実に」射殺する
最初に襲撃した家は、都井家と敷地が隣接する岸田勝之家(戸主の勝之は不在)だった。当時の貝尾には、夜間にカギをかけている家はなかった。
睦雄は半狂乱となって岸田家の納戸に躍り込むと、そこで寝ていた勝之の母つきよ(50)、弟の吉男(14)、守(11)を日本刀で斬りつけて、殺害した。
かつて睦雄はつきよに夜這いをかけたものの、断られたうえ、近所の人たちに面白おかしく暴露されたため、相当恨んでいた。また勝之と睦雄は同年代で仲が良かったものの、勝之は徴兵検査を優秀な成績で合格していたので、周りから病弱と馬鹿にされていた睦雄は強い引け目を感じていた。
襲撃2軒目は、西川秀司家だった。睦雄は表座敷から堂々と侵入し手前の四畳間に寝ていた西川トメ(43)の上腹目がけて猟銃を発射。トメは一撃で絶命した。このトメは貝尾でも好色で知られ、睦雄からお金を巻き上げて性的な関係を持ったこともあった。
しかし徴兵検査で睦雄に肺尖カタル(伝染性の肺病)が見つかってからは、彼の夜這いの様子を村の女たちに暴露して「マヌケ」と笑い者にしていた。このような女たちの嘲笑が睦雄の誇りを傷つけ、犯行の大きな原因となった。
睦雄は続いてトメの夫の秀司(50)、長女の良子(23)、妹の千鶴子(24)を銃弾の餌食にした。いずれも1発から2発で絶命させている。
睦雄は犯行前に入念に撃ち方を練習していたようだ。闇夜にもかかわらず、睦雄が被害者を1、2発で絶命させることができたのは、右腹の肋骨の下の部分から上方の急所である心臓へ向けて、確実に銃弾を命中させたからである。
胸の上から心臓を狙っても、銃弾は肋骨に阻まれる。そこで、右下腹部から上方へ向けて銃弾を撃ち込むことで、肋骨の下を通って心臓を直撃できる。この右脇腹下のことを右季肋下方というため、私は睦雄のこの撃ち方を「右季肋下方撃ち」と呼ぶことにしている。
3軒目のターゲットは、勝之家の下隣に位置する岸田高司家だった。睦雄は土間から侵入すると、岸田高司(22)と内妻の智恵(20)を右季肋下方撃ちで殺害。智恵は妊娠6ヵ月で、この胎児を被害者に含めると、実に「三十一人殺し」となる。この2人は西川トメの縁者だった。
隣の部屋には高司の母(70)と甥(18)が寝ていたが、やはり睦雄の猟銃の被害者となった。
(文中、「都井睦雄」以外は仮名を用いています)
参照元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82995
みなさんの声
彼を追い込んだ村社会の雰囲気もあったのかなと思う。
失う物が無い人程怖い物はない。
皆にとって悲劇だった事件でした。
複数の年増女性と関わった後に若い同年代の女と仲良くなり
それが年増組の不興を買ったとかあった
丙判定が出たことは除け者にする格好の口実になっただろう
ここまでの凶行に及ぶものはほとんどいないのだから、異常者には変わりないと思う。
と想像できる事件
戦争に行く気満々で検査受けたらまさかの不可
それまでガンガン夜這いかけて答えてくれていた女達からも馬鹿にされ戦争にも行けないただのニート
幼馴染の寺井さんとの関係もすれ違い
寺井さんに夜這いかけるも失敗
他の都道府県に嫁に行かれ彼女が里帰りした夜に殺戮決行
寺井さんは殺されませんでした(殺戮中に対峙しますが本当に愛していた故に見逃された)(当て付けとも言われている)
故に彼女は大量殺戮のトリガーとして後々も迫害差別され地獄の様な人生を
いまだに生き証人として存命されています。
自業自得という言葉の重みを教えられるような事件ですね。
「失うものがない人を生みだす」のは、ある意味優しさのない社会にも原因があるのかもしれません。
当時だから避妊なんかしなかったと思うが。
子供の頃の境遇は同情できる部分もあるが、夜這いかけまくりの青年期は異常でしょう。今風に言えば、やばいやつ。
村八分や陰口たたいてイジメてたんだから仕方ないんじゃない?
イジメはそれほど人の心に傷をつけるんだから
叔父が財産を奪わなければ、この村に移り住む事もなかったし、この事件は起きなかったかもしれません。
狭いムラ社会で悪口を言い触らされて傷ついてしまった自尊心はもう元には戻らないということでは。
頭を使って、行動や言葉に気をつけないとなんだよね…
人を悪く言わないのって大事だなとしみじみ思う
秋葉原の「目が合った人は見逃した」
相模原の「自分の名前を言えたら生かす」
それが正義なわけではないけど、それぞれ犯人の基準があったり
(もちろん、殺しはいけない)
叔父のことは初めて知った
せめて叔父を脅してお金を取り戻せば、まだ平和だったのではと思う
ちゃんと標的に対して動機があったんです
父親が「ここが八つ墓村の舞台や」と言い名前も似てるし村はシーンと静まりかえってるしでついこないだまで信じていた。
オヤジ、全然違うじゃねーか!
八つ墓村の語呂はここから取った、と言われているのは確かに聞いた事があります。
事件があった現場は今も集落を残していて、生活している人もいる。
事件のあった加茂は今は津山市と合併し、津山事件となりましたが、実は津山市と加茂はとても遠く、津山から加茂に行くのはキャンプぐらいなので、
県外の人に津山事件を聞かれても津山じゃないし、よく分からないと言うのが本音です。
ですが、短時間で大量殺人を行ったこの事件はその精神性からも稀な事件で世界的にも有名で、研究の対象とされているそうです。
自殺する前の遺書に祖母を最初に殺害したのは、大事に育ててくれた祖母が自分の事件を目の当たりにするのは可哀想という理由で1番に殺害したと書かれていたそうです。
「殺さでよいものも殺してしまった」という部分を覚えている。
この「丑三つの村」は、古尾谷雅人さん主演で映画化もした。
レンタル店にまだあるかな。
おさらばでございますよ。
…分かんないけど。
やはり深層に何らかの怨念があったのかと。
世界の歴史的にも有名になるのはわかる気がする
やまゆり園はナイフだけで19人殺傷+α
疲れなかったのかしら。。
と同じで殺される側からすれば大迷惑なだけ
アキバの事件や、アニメ会社放火とかも形は違うけど追い込まれた人間という根本の部分は同じ。追い込まれた人は何をするかわからない。この津山の加害者はバカにされたことがきっかけみたいだが、自尊心は目に見えないし相手のダメージもわからない。学校や会社、人と繋がる環境はいろいろありますが、いじめや、会社で必要以上の重圧で人を追い込むことには何が起きるかわからない可能性があることを考えた方がいい。
今も昔もあまり変わりない感じがする
って言うか、田舎の人間が固い、堅実な生き方してるとは限らないんだね。
ムラの陰湿さがよくわかる。
この男がしでかしたことは大罪でしかないが、彼を責めるだけでは見えてこないよな。
ムラの体質が陰湿なイジメそのもの。人を傷つけ追い込むんだよ。
ただ悲しんで耐える人、自殺する人、彼のように復讐する人…
やりすぎとは他人が感じることであって、本人からしたらとにかく許し難い恨みだったんだろうと思う。
今みたいにそこからすぐに出ていける時代でもなかったんだろうし。
自分の病気もあり、人生をあきらめ、それなら憎んでる人を道連れにしたのかも。
ゾッとする事件。
そこは本人にしかわからないかな。
あそこの家の末っ子は父親が違うと。
貧しい村だと季節に出稼ぎに行く人も多かったとか。
戦前は5人も6人も中には8人も9人も子供がいるのが普通だが、似ても似つかない兄弟が居るのも珍しくなかったとか。
貧しい時代の寒村では暗黙の何かがあったのだろうと思う。
現代の感覚ではとてもじゃないけど受け入れられない、時代違うから当たり前だけど。
当人はいたって真面目な青年だったそうです。
犯行の夕方には 普通に挨拶もしていたらしいです。 かなり辛かったんだと思いますよ。
散弾銃なら至近距離であれば2㎝ぐらいの円形に対象物を突き抜けるので、肋骨に当たってもほとんどの散弾は突き抜けると思う。
また猟銃がもしライフル銃であるならば肋骨ぐらいは簡単に吹き飛ばしてしまうだろう。いずれにしろ一発で効果が有り余るものと言える。(ピストルなら跳ね返されてしまうだろうが。)
八つ墓村などのお陰でこのビジュアルが具体的にわかる。
以前から気になってたのだが「二つの懐中電灯を取り付けた鉢巻」というのがよくわからない。上を照らすだけだから意味がないように思えるし、何よりも装着しにくいだろう。
最後まで頭に懐中電灯があったとすれば、どんな工夫で鉢巻で巻きつけたのか。
彼の執着心の現れの一つではないだろうか。
見てると、それなりに凄さも有りました。
八つ墓村見たく脚色も無く、この映画を見た感想は、記事の内容に有る様な事を、そのまま映画した様な感じもします。
話してる本人は楽しいのだろうが、その分、怨みを買うことがある。
それにしても、コロナ禍にまつわる噂話(どこの、誰が感染等)は聞いていて嫌な気分にしかならない。
やり返さずに生きていても悔しいからから自分の気を済ませるためにやり返す、単純な思考だけどこれだろーなと思う、怖い怖い。
わざわざ当時の米国が調べる内容ではないと思いますが、戦後のゴタゴタで持って行かれたのでしょうか。
実際にあった事と知って受けた衝撃は相当なものでした。
今でもトラウマに近いものがあります。
ちょっと切なさもあって、子供心にとても印象に残った作品です。
古尾谷雅人の映画もYouTubeで流れてたの観たが大場久美子とか出てたし、こっちも史実に基づいていて面白かったな。
まあ、だから報復をやっていいと言う訳ではないが。
でも、もし他人に悪行を為すのであればその悪行の数億倍の遺恨を自身が買ったと思うべきだろう。
なんで遠くの加茂町で起きた事件なのに津山事件って言われるんだろうって昔から思っていました。千葉にあるけど東京ディズニーランドって言われるような感じだったのかな?
まあ平成の合併で旧加茂町は津山市と合併したんだけどね。
遺書にはこう書いてあるよ。
ああ祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ、二歳のときからの育ての祖母、祖母は殺してはいけないのだけれど、後に残る不憫を考えてついああしたことを行った、楽に死ねるようと思ったらあまりみじめなことをした、まことにすみません、涙、涙、ただすまぬ涙が出るばかり
憎んでいたのなら遺書にこんなことを書くだろうか?
無人機攻撃や原爆投下に比べれば罪の深さはまだ軽いと感じる。
自分の愛する人達が、ある日突然顔の見えない悪魔に命を奪われる・・・。
憎悪を生まない筈がない。
でも、まれに親切にしたつもりなのに恨まれることもある。
難しいね。人間関係。
社会ってこういう人を一定数必ず生み出すんだからあとは効率のいい凶器をどうやったら入手させないかしかないよ。
正当化は絶対に出来ないけどね
ズレてるけど、懐中電灯2本を頭に縛り付けってなんか間抜けだなぁとか、重装備で荷物重そうとか思ってしまった…
昔すぎてあまりピンと来ないせいかなぁ
八つ墓村も確か岡山が舞台でしたもんね
フィクションかノンフィクションに近いのか分からないけれど、あれを読むと殺した側の人間の気持ちも分かるから、なんとも切ない。
それと事件後、その村はどうなったのか、後日談とかはないのかな?
主観を入れてこれこそが真実だと語るのは愚の骨頂。
田中美佐子さんが可愛いんだ。
人間って改めて恐ろしい
犯人を振った事のある生き残った女性が、
事件の原因を作ったと噂され、村落から離れた山奥に1人で暮らしていた。親族が食料を定期的に運んでいるという。
村人は「あんな事件の原因を作っといてよくおめおめと生きていられるもんだ。村八分にあっても仕方ない」というような事を話した。
その女性は、申し訳ない思いやとにかくそっとしておいて欲しいと語り平身低頭。
犯人がどれほど迫害されていただろうかと、その土地の村社会を垣間見た気がしてゾッとした。
映画を観た個人的な感想として、最初の標的を祖母としたのは憎しみからではなく深い情愛があったからではないでしょうか。
これから始める自分の悪行のため祖母に迷惑が掛かったり非難されたりするのは忍びない。
彼は最初から自ら命を絶つ覚悟だったのではないかと感じました。
自決した後、残された祖母が犯人の身内として世間から非難されるのならいっその事・・・
映画にする以上、多少脚色部分があるとは思いますが、なんだか哀しく後味の悪い映画でした。
「皆様方、今に見ておれでございますよ」
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