高齢社会がここまで進んだ今、人々の「人生の最期」への関心は、静かに、しかし確実に高まっている。高齢の親と同居する働き盛り世代も多くなり、「臨終」への不安や疑問は、当事者のみならず、その家族にとっても深い関心事になっているからだ。
だが、人の最期の前後には、病気の進行などとは別に、すぐには理解できないような不可思議な現象――「中治り現象」や「お迎え現象」など――もよく起こり、人の死に直面する現実はいつか必ずやってくることを考えれば、そのあたりの疑問はできるだけはっきりさせておいたほうがいい。
この記事では、死期が近づいた人によく見られる奇妙な現象をはじめ、彼らの心身に生じている実際の変化について、新刊『イラストでわかる ご臨終の不思議な世界』を著した医学博士・志賀貢医師に、その長年にわたる医師人生における経験を基に解説してもらった。
「中治り現象」という不思議
人の命が、あと7日、いや5日かもしれないという危篤状態に陥ると、見舞いに来た親族や知人も半ば諦め顔になり、ため息をつくことが多くなるものです。
しかし、こうした状況で、家族たちをびっくりさせる現象が病棟ではよく起こります。死を間近にした人の「中治(なかなお)り現象」と呼ばれる不思議な回復です。
意識がもうろうとし、口にいっさい食べ物を入れない状態の患者さんが突然、目をパッチリと開け、「水を飲みたい」「アイスが食べたい」などと訴える。その様子に、世話にあたる病棟スタッフは、これは「中治り現象」かもと気づきます。
家族も、急に元気になった患者さんの様子に驚きます。ひょっとしたらこのまま回復して元気に暮らせるのではないか、病気が治って自宅に戻れるのではないか、などと期待する家族も少なくありません。
実は、このように患者さんの容態が一時的に回復する現象は日本だけのことではなく、欧米ではこれを「last rally(ラスト ラリー)」と呼んでいます。日本語に訳すと「最後の回復」とでもいえるでしょうか。
「ラリー」とは、砂漠を走る車のレースを思い浮かべていただければと思いますが、砂漠の過酷なレースで、困難を乗り越え、奮い立ちながら突っ走る様子を、人の命が燃え尽きる前の奮い立った状態に重ね合わせているのかもしれません。
ろうそくの炎は、ろうが溶けてなくなってくると勢いが失せますが、ほとんど芯だけの状態になり、いよいよ消えるのではと思った瞬間、急に明るい光を放ち、その直後に燃えつきる様子は誰でも目にしたことがあるでしょう。こうした「中治り現象」は、日本では古くから、ろうそくが燃えつきるときの様子によく似ているといわれてきました。
ろうそくのエネルギーであるろうの原料は、石油から作られたワックスですが、中治り現象では、副腎皮質や自律神経などから分泌されるアドレナリンやノルアドレナリンというホルモンがエネルギー源になっているようです。
「脳内麻薬」と「幸せホルモン」
さて、人が死に近づくと、寿命が尽きようとしている細胞を守ろうと、体のあらゆる器官が懸命に努力を始めますが、中でも脳の働きは重要です。「脳内麻薬」と呼ばれる微量物質を分泌し、少しでも命が長らえるよう頑張るのです。
脳細胞から分泌される代表的な物質には、ドーパミンやセロトニン、オキシトシン、アドレナリンなどがあります。ドーパミンは、近頃高齢者に増えているパーキンソン病とも深く関係し、このホルモンが減少することで発症するとわかって以来、この病気の治療も一気に進みました。
ドーパミンは、脳の中脳と呼ばれる部分から分泌されます。喜怒哀楽と深い関係があり、意欲を高め、幸福感をもたらす作用があるので「脳内麻薬」とも呼ばれています。
このほか、「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンは、感情や行動などをコントロールし、精神を安定させる働きがあります。それによってドーパミンと同じく幸福感をもたらすことから、そう呼ばれているのです。
また、脳下垂体から分泌されるオキシトシンも幸福感をもたらしますが、これらの物質にアドレナリンなどの作用が加わり、「中治り現象」を引き起こしているのではないかと考えられています。
人がターミナルステージ(末期)の状態に近づくと、中治り現象のほかにもう1つ不思議なことが起こります。それが「お迎え現象」です。
急に患者さんの口から「娘が来た」「孫を見た」などという言葉が聞かれるようになったりする。そのたびに病棟スタッフは、顔をのぞき込んで「夢でも見てたの?」と声をかけますが、いきなり体を起こし、「今、そこの入り口で娘と孫が手を振っていた」などと言うことがあるのです。
そんな光景を見てスタッフは、「そろそろ親族に患者さんの死期が近づいていることを知らせなければ」と顔を曇らせます。
こうした現象は、不思議で非現実な出来事なのですが、「娘が見舞いに来た」「孫が手を握ってくれた」などとうれしそうな表情を見ていると、これは天国への旅立ちを控えた患者さんへの神様の粋な計らいなのかもしれない、と思うことさえあります。
「幻覚」と「幻聴」
ベッドで静かな療養生活を送っていた患者さんが、ある日を境に急に大声を出したり、奇声を発したりするケースもあります。これも「お迎え現象」の1つと思われます。
なぜ、そのようになるのか。私たち医師は、おそらく「幻覚」や「幻聴」が患者さんを襲っているのだと想像しています。体が弱り、多臓器不全の状態になると、脳にも大きなダメージが加わります。脳が正常に働けなくなると、幻覚や幻聴といった症状が現れることがあり、それが患者さん本人を驚かせ、その恐怖から声をあげているに違いないのです。
以上、臨終間際の人によく見られる不思議な現象から、彼らの心身にいったい何が起こっているのかについて、医療の見地に立ってお伝えしましたが、「死にゆく人の心に何が起きているのか」をざっと把握していれば、その人に対するいたわりの気持ちもより一層高まるのではと思います。
「死」というものは、誰でも決して避けては通れません。でも、単に恐れを抱くべきものではありませんし、自分の家族、ひいては自分自身の「死」に向き合うときの知恵として、今回お伝えしたことを覚えておいていただければと思います。
参照元:headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191008-00306410-toyo-soci&p=1
ネットの声
でも、その日の晩に意識がなくなって数日後に旅立ちました。
中治現象で調子が良かったのかもしれないな。
シャワーで体力を奪ったのかもしれないが綺麗になって親父も喜んでたから後悔はしてません。
言葉の端々に覚悟が思い出される。
元気なものは 鈍感になっているが 死期が近い人は頭が冴えて 色々わかるのかもしれない。そんなエネルギーが虫の知らせかも。
意識障害がある方でも、それまで乱れていた心拍数が安定したり、多くの人が経験してますよね。
それを中治り現象と言うのは初めて知りました。
勉強になりました。
もう一度声が聞きたいな。
最後に名前呼んで欲しいな。
死が苦しくないといいな。
最後に父の素敵な姿をどうしても見たかったのだろうと思った。と同時に、母は自身の命の最期を分かっていたのかもしれないと思った。
いよいよ回復の見込みがないとなったとき、急にプリンが食べたいと言い出し、点滴の管を付けたまま寝たきりだった体を自ら起こした
私は驚いて、主治医の先生に、食べさせても大丈夫かと聞いたら「好きなものを食べさせていいですよ」と言われ、慌てて院内のコンビニに買いに走った
生まれてはじめて、母は父にプリンを食べさせてた
父も、美味しくて嬉しいのか、大好きな母に食べさせてもらうのが嬉しいのか、キレイに完食今までで初めて見る笑顔だった
それから2日後、父は夜中に息を引き取った
残念ながら看取りに間に合わなかったけど、今思えば、あれが「中治り現象」なのかな…
見守る側からすれば、ぬか喜びに終わる悲しい現象でもあるけど、母は未だにプリンを食べる度にあの時の父の様子を思い出して嬉しくらしいので、救われる部分もあるように思う
と思わなくていいように頑張ろう
一度きりの人生。
意義のあるものに。
医者してる友達は「そんなん根拠がないわ」と理論的な話にもっていきますが、目に見えない何かは絶対あるんだと思います。
私はド素人だけど、子どもが元気でも熱を出す前の匂いはわかります。
妹はその数時間後に亡くなりましたが、母は今でも「最期にゼリーを美味しく食べて貰えて良かった。」と言っています。
この中治り現象、残された家族の心を穏やかにして、遺族を悲しみと悔いの海から救ってくれる素晴らしい現象だと思います。
危篤と持ち直しを繰り返した後、その日は見舞客があった。前日から考えられないほど元気で明日にでも退院できるかのようだった。お客さんが来て興奮してるのかと思ったし、なぜかその後も全く関りがない「ドイツの社会情勢」の話を始めたりした。中治りのことは知っていたので若干の不安がよぎった。
その日を境に一気に容体は悪化した。やっぱりあれが「中治り」だったのだと思った。
>中治り現象では、副腎皮質や自律神経などから分泌されるアドレナリンやノルアドレナリンというホルモンがエネルギー源になっているようです
本能であっても「中の人」は頑張ってたんだなぁ。夜勤の当直の若い女の先生は「眠ろうと思わないから寝れないの~」「もっと頑張って~~」って言ったけど、十分頑張ってたよね。
そこに居合わせてた医者も母も驚いて、どうしたの?の声を掛けたら、言葉にならない声でありがとうって言ってたと母が言ってた。
その数分後に父は亡くなりました。
不思議な事ってあるものですね。
予め知っていれば自分の死期を意識できるということですね。
必ずではないのかも知れませんが。
自分にそのようなことが起きた際には、周りにしっかり感謝の意を表したいと思います。
その日関東から関西まで見舞いに行き、孫の顔を見せて帰宅。
その日の夜中に息をひきとりました。
この記事を見て何となく納得できました。
ありがとうございます。
あまりにも元気なときの口調で、話にも整合性があるので看護師さんに昼食内容を聞くとお粥に蒸し魚だと言う。
葬儀の時に義妹に話すと魚好きな人だったから食べたかったんだねぇ、としみじみ。
その10ヶ月後に義母を見舞いに行くと「お父さんが座る椅子をそこに置いていって。夕べはお父さん立ちっぱなしで話してたんだから」とこれまた当たり前のように言うので、椅子は置いておいたよと嘘をついたが「よかった、ありがとう」と笑顔で別れた。そして一週間もしないうちに逝った。
中治り…良い言葉ですね。二人とも恨み辛みを言うことなく中治りを迎え旅立ったことは遺族への慰めでもあります。
いっぽう「お迎え現象」に関しては、どうなのだろう?と思います。
臨死体験がいっとき話題になりました。
しかし、本当に死んで戻ってきた人はいないでしょう。
「親父が迎えに来た」のも「死後の世界があるのか」も、死んでみないとわからない。
うちの親父は、元気だったのに急に「迷惑をかけるから」と入院しました。2週間後、脳幹出血で亡くなりました。突然のことだったようで、医師も看護師も驚いたようです。
人の死はまだまだ不思議です。
「缶詰めのみかんが食べたい」と…
医者に食べさせて良いか、確認した後に最後になるかもしれないからスーパーで一番高い缶詰めのみかんを購入し食べさせました。
そこから二年位生き延びました。
入院中に、急に意識が戻り、家族に話し始めて、小康状態になったと安心して、家族が家に帰り、入浴して寝たら、真夜中に急変して、死に目に会えなかったとか。
何人もの人に聞いた。
私自身も、親友の夫で、元職場の同僚で親しく、ガンで入院され、小康状態になり、元同僚で見舞いに行った。
水も飲み、楽しそうに話も出来て、トイレにも家族に支えられて行き、元気そうに見えた。
また、見舞いに行くと言ったら、待っていると喜んでいたのに。
その翌日に急変して亡くなられた。
でも、お迎え現象ではないけれど、実家の祖父の遺影が急に落ちて、額が壊れて買い換えた。
その2ヶ月後の同じ日に、元気だった祖母が、朝方1㎞先の喫茶店に行き、ついでにクリーニング屋にも寄って、戻ったその夕方に家で急にポックリ死。
これは、遺影が突然落ちて不吉だとは思わなかったけど、違う意味でのお迎え現象かな?
満足だっただろうと思う。
美化するつもりもないけど、死ぬのも悪くないね。死は怖くないけど、病気で家族に迷惑かけたり、お金の事で心配かけたりが嫌だね。安心して産まれ、安心して成長し、働き、そして安心して死んでいく。これが理想だね。政治が目指すところ。今の現状と逆。
福岡翼さんみたいに本を閉じるように死にたい。
私もこうありたいと思っている。死ぬ時はお迎えにきて欲しいな。
何処に行っちゃったんだろう。
今まで目の前に居た人が、次の日には居ない。
現実を受け止めるのには、時間が掛かります。。。
みんな意識なかったから。
もしあったら会話出来たのかな。
けど、愛猫はあったな。
病気で余命少なく意識も混濁していたのに、亡くなる前日は立ち上がり私の声に反応して鳴いてくれた。ちょうど私の誕生日だったからずっとプレゼントだと言ってた。翌日亡くなり悲しみは増したけど…声が聞けて嬉しかった。
何とか彼をたしなめて病室を出た私は、物陰で一人で泣いたのを今も覚えています
札幌在住ですが、65歳の妻のガンがリンパに転移して手が付けられなくなっていて輸血だけでなんとか持たせようとしていました。
予約日の前々日に「危険な状態」と私が判断し、翌日病院に連れて行ったところ、即(最後の)入院が決まり、その夜担当医から「一両日。もしかすると今夜にも。」と告げられました。
ところが、家内の弟が東京から見舞いに来ると伝えると、急に元気を取り戻し、弟に葬儀の際の指示までし始める始末。
「元気でよかった。心配して飛んできたのに…。」と弟も言ってた。
しかし、弟が東京に帰った後「元の会社の同僚が訪ねてくるから怖い」とか言い出して、麻酔系の医師からは「それは譫妄だよ。」と教えられた。
そして、2日後の深夜、眠りながら呼吸と脈拍数が徐々に下がっていき、心肺停止した。
入院してから10日目だった。
そういうの、後付けと言われたらそれまでだけど、やっぱあるよね。
性行為が快感なのは、あれが苦痛だと種が絶えるから。
怪我が苦痛なのは、あれが快感だと個体が終わってしまうから。
みたいの。
「なら、自ら死を選べばいいじゃん」ってなるけど、生き抜こうとするからこそ最後に快の感覚があるのかも
その時娘が風邪をひいていたので、祖母にうつすといけないからと私と娘は近くの公園で待って、母だけお見舞いに行きました。
二週間後、今度は私も一緒にお見舞いに行くと、「こないだ来てたでしょ、その服装で。」と言われゾッとしました。
確かに服装は同じでしたが、病院には近付いていないし、公園も病院から離れていた場所にありました。
でも祖母は娘を抱っこしている私が病院の玄関にいたと言い張ります。話しかけようとすると、ニコニコしていなくなったとか。。私行ってないんですけど!
その後も時々入退院を繰り返すものの、施設の方で元気に過ごしています。
施設ではたまに亡くなった祖父が夜中にやって来て、祖母の足を叩いたり、手をはじいたりしていたそうですが、「あっち行って!」と大声で応戦するともう来なくなったそうです笑
長生きしてね☆
ありがとうございました。
以前飼い犬が亡くなる時に体験しました。
もう立ち上がる事も出来ず、エサも自力で食べられなくてチューブで流し込んでいた状態だった愛犬。
お散歩が大好きだったので、抱っこして外の空気を吸わせてあげるのが日課になってしました。
ある日突然奮い立ったかのように、腕の中から出ようと動き出し、そのままよろけながらも道路に立ち上がりました。
そして私の足もとにじゃれるようにまとわりつき、ワンワンと吠えて、ベロを出して笑っているような表情を見せてくれました。
それは、かつて元気だった頃の愛犬の姿そのものでした。
私はこれで元気になるんだ!と期待しましたが、そのわずか数日後に亡くなりました。
期待しただけにとてもショックでしたが、おかげでその時の姿が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
多分我々に最期に元気な姿を見せてくれたんだね、と
家族と話しています…。
心臓バイパス手術の緊急医療行為だったのですが、とっさに「俺は死ぬのかも」と思った時、遺言は「死にたくない、助けてくれ」ではなく「両親にごめんなさいと伝えてください」でした。
結果、助かりはしたのですが、本当に死の覚悟を隣に据え置かれた時、案外人は自分よりも他者の事を思うのかもしれない…と思った体験でした。
体調悪いのを分かっていても自分の親はまだ死なないと思ってたので。
母も亡くなる三か月前から亡くなる一週間の間に三回お迎え現象がありました。
一番迎えに来てほしい身内でなく、迎えに来たの苦労かけられた父でしたので最初は手でふり払ったと冗談で言ってましたが、現実的な母がそんな冗談を初めて言ったので本当に本人には見えていたんですね。
亡くなる前日は一緒に買い物に言ったのですが、とても体調悪いのに小走りに移動したり、好きなものを買って元気だったので、まさか翌日亡くなるとは夢にも思っていなくて、これが中戻り現象なのですね。
一体、何が見えてたんでしょうね。
普段しない仏壇の掃除を急に始めたらと思ったら、数日後に心筋梗塞で亡くなったということが昔、近所であり、「虫の知らせ」だったのかもしれないという話でした。
突然死の場合も、数日前に当人が不思議な事を言ったりするのは見聞きした事がある。
まだまだ科学では解明できないような事もいっぱいあるのだなぁと…。
幻覚を見てると思い「誰も来てないよ」と言ってますが、これがお迎え現象なのでしょうか。
しっかりと話してるのですが…
そんな時は否定せずに同調してあげた方がいいのでしょうか?
今考えると亡くなる数日前の出来事でした。
あれがきっとそうなんだろうな。
寝たきりであまり話さないのに「さっき○○(故人)が来てた。久しぶりに会えてうれしい」など本当に会えたように楽しそうに言っていた。
きっとそういう時に現れる故人も、死を怖がらないように来てくれるんだろう、やはりいい人だったな、と毎回思う。
モルヒネの影響で眠っていたので意識が戻ることはなかったけれど、もしかしたら中治りだったのかもしれませんね。
僕だけ遠方に住んでいるので間に合うように頑張ってくれたのかなぁと思います。ただ2回も持ち直したので3回目には母は誰も呼ばなかった。
なんだか取り留めなくてすみません。
本当のところは本人しかわからないけど。
飼っていたインコがそのう炎になりました。
病院に連れていき、薬をもらって飲ませていましたが回復せず止まり木から落ちてしまうので外して綿でクッションを作っていました。
もうダメかと思っていたある朝、元気に歌い、エサを美味しそうに食べていました。
回復したのかと安堵していた翌日、様態が急変
また止まり木から落ち、水を飲もうにも溺れかけてしまう。
暖めて寝かせていると、歩ける状態でもないのに這いずりながら自分の下へ
季節は冬、寒かったのでカゴへ戻すが再度這いずり・・
翌日、天に召されました。
この記事を読んであの回復は中治り現象だったのかと思いました。
元気すぎて文句を言われて軽い口喧嘩したらしいけど、翌朝急に亡くなりました。
最後まで父にわがままを言っていたようだけど、元気だった頃は小さな喧嘩は日常茶飯事だったから、最後の小さな夫婦喧嘩してあれはあれで幸せだったのかもしれない。
もう少しわかりやすく書くと、半分死にかけて意識が離れ始めたことで、現世とあの世の両方が見えている状態だと思う。
だから突然、見えないはずのものや、過去の亡くなった人たちが迎えに来たなどといい出すのだろう。
何度ぬかよろこびしたことやら…
心底喜んだ後にふっと降ってきた絶望感の深さたるや。
何匹も送ってやっと仲治りが過ぎたあとの期間を、ああ〜もうじき本当のお別れになるんだなぁ〜と冷静に接してあげられるようになりました。
そっと話しかける「大丈夫大丈夫」は、お互いへの合言葉になってます。
翌日は苦しいのか話はほとんど出来なくなり私が手を握っている時に亡くなった。
実際に見えていたのかは分からないけどね。
そういえば、と思い当たることがあります
そういう職業の人は、患者さんと接していて感じることがたくさんあるんでしょうね
わたしにはわからないことばかりでしたけれど
やはりその時が近づいてくると、看護師さんからこれからどんな風になっていきますという話をされました
話を聞いているときは現実味がなかったのですが、何かあればすぐ連絡をくださいと言ってくださり、とても心強かったです
“えっ? 誰が…?”
もう恐怖感で困りました。その後に必ず訃報が届くんです。仕方が無くて知らせに来てくれたのだと抗うのを止めました。
自身が寿命を迎えた時の希望は只管穏やかであれば良いと思います。叶うと良いな。
この現象は末期がんで入院していた知人の見舞いに行ったときに、「うわっ!」とか「あっ」とかの奇声を発して驚いた事を覚えている。見舞った3時間後に息を引き取った。なるほどと思った。
分かってはいても、恐れや悲しさを感じずにはいられない。
が最後の言葉にならない様に生きたいと思います。
産まれてきた以上、死は普通のことだとおもうけれど
死は、その先が見えないし、戻ってきた者もいない
もしかしたら、この世が地獄で死ぬことによって、何も考えなくていい何も感じなくていい世界へ行けるのならこれほど、楽なことはないと思う。
現在、胃瘻をして延命している義理の母を楽にしてあげたいけれど、死んだあと行き先がわからないので何もできない。
『夫と二人だけだから、食べないから大丈夫よ。』と返事。
翌朝、心筋梗塞で亡くなった…との連絡。
急遽、帰ってみると、段ボール箱にお米、野菜が。
とても、悲しくて、切ない想いでです。
急に行ったけど、オバサンは元気そうだった、兄は結婚しないのか?と相手はいないのか?私の結婚生活は順調か?夫婦仲良しそうで良かった。って話した。また、来ますと別れた。
でも、その日の夜に救急車で運ばれた。
病院で会ったオバサンは「大丈夫、大丈夫いつものことよ、透析する血管、注射うつとこがなかなかなくてね、次は足首にうつから、すぐよくなる。腕も今は不自由だけど、リハビリしたら、治るのよ、心配しないでね、大丈夫だから」って私に言って笑ってたから元気そうかなって思ってたのに、暫くしたら、亡くなった。大丈夫っていってたのに、大丈夫じゃなかった。
そのオバサンがなくなって、1周忌があり、急に兄の結婚がきまった。ずっと知り合いだった女性みたい。私はどことなく、兄の嫁さんがオバサンに似てる気がする。
知ってても受け入れたくなかった。
でも周りに話しても、元気になったんじゃない?と気にしなくていいんじゃない?と。親戚に至っては、早く死ねばいいと思ってるのか!と言わんばかりの対応。
もっと周知されて、身内みんなで心の準備ができる空気が広まるといいなぁ。
そこから粘った方で5日間朦朧として逝きました。死んだ時より中治りの夜を思い出す方が胸が苦しくなります。
亡くなる直前、それまで歩けもしなかったのに、突然走って。
ずっと走れなかったから、最後に走りたかったんだろうね、走れて良かったね、よく頑張ったね・・・と、夜、家族で話しあいました。
昔、ひいおばあちゃんが亡くなった時も、前日に少し調子が良くなって、あれは確か、絶食からの回復で、酸っぱいみかんを美味しそうに食べていました。
もしかしたら、あちらの世界に旅立つ前に「悔い」のお掃除というか・・・一生の「やりのこし」をしているのかもしれないな、と思えてしまいます。
お父さんに会いたい…
1人はとある温泉地の大浴場に2時間沈んでいました。
当然医師から死亡宣告を受けましたが、その後突然意識を回復しました。
当人曰く、お母さんが病室に入って来て、本にの顔を暫く眺めていた後、病室を出て行ったので慌てて追いかけようとしたところで、目が覚めたそうです。
尚お母さんが病室に来た時間には田舎のお母さんが亡くなっていたそうです。
本人は現在至って健康でフルマラソンもこなします。
2人目の方は帰宅途中、バイキ腕単独事故を起こし、本人は頭から田んぼに突き刺さり一昼夜発見されませんでした。
この方も翌日病院に収容されたのですが当然死亡しました。
しかし、数時間後に突然生き返りました。
本人曰く、自分の体を上から見ている自分がいたそうです。
惨たらしい自分の姿を見て、これは死んだと思い家族に最後の挨拶をしようと自宅に戻った所、飼い犬が激しく吠
既になくなっている親父の両親が病室に来てると何度か言ってた
でも、客観的に理解してたのか、霊の類いとして捉えずに幻覚だと解ってると言ってたなw
幻覚だけど、見えるのだからしょうがないじゃないか的なポジションだった
肝臓がん末期で全身に転移しており、モルヒネで意識低下の状態でしたが好きな甘いものが食べたいということですごい速さでおいしい、おいしいを繰り返している姿は昏睡状態だったのが嘘のような感じで妹と超びっくりしました。翌日激しい痙攣で末81歳で息を引き取りました。
臨終間際にはそういった現象があるのか。(個人差はあるだろうが)よく覚えておこう。
その日の夜に旅立ちました。子供の頃の記憶にあります。
中治りというのですね。
記事で紹介された以外にも、亡くなる過程の現象があります。
在宅だったので、看護師さんから看取りの心得的な小冊子をいただいたのですが、知っておいたおかげで落ちついて最期を看取ることができました。
もっと広く知られると良いのに、と思います。
「じいちゃん今日は元気そうだね!明後日から仕事の人も居るから明日帰るね!またすぐに会いに来るからね!」と伝えて孫たちは先に滞在先の祖父宅に戻り、祖母と母や叔父叔母はもう少し病院に残った。
その夜、なんとなく胸騒ぎはしていたのだけど昼間の元気な姿もあるからと自分に言い聞かせていた。トイレに立つ際、一応と携帯を持ち入ると母からじいちゃん危篤!の電話が入りそのまま祖父は逝った。
今思うと中治りだったのかもしれない。
私の実体験でもあります。
数日後同じ事を言ったら、お父さん迎えに来たからそろそろ行く。と言った数日後に亡くなりました。
お迎えって家族が来るもんなんだと思いました
そんな中、入院していた祖母がいきなり○○は来ないの?と私の名前を言って待っていたそうです。
私はパニック障害が酷く電車に乗るのが厳しかったのもあり、お見舞い当日まで行けるか分からなかったのですが、やはり吐き気には勝てずフラフラ倒れ込んでしまったためお見舞いに行けませんでした。
その後、お見舞いに行く日が無いまま亡くなりました。
今でも本当に後悔しています。
行けば良かったのに、何でこんな時に身体が思うように動いてくれなかったんだと。
母のところには夢に出てくるそうですが、私のところには一切出てこないので、更に罪悪感と後悔で気付いたら泣いてる事もあります。
次、家族に何かあった時は後悔しないようにしていきたいと改めて強く思いました。
夢で会いたな…
看護師だった私の妻は、亡くなる3日くらい前にお迎え現象があった患者さんを何人も見ているそうです。
お迎えがあったケースの方が、安らかな最期を迎える傾向が高いのだそうです。
私個人の体験ですが、親族が老衰で亡くなる際に、「昨日おばあちゃんが来たそうや」といった会話を何度も聞きました。
中には見ている前で、「柱の横に○○が立っとるやろ」と説明してくれたおばちゃんもいました。
病院でなく、自宅で臨終を迎えていた時代の話です。
この世に生まれ、本当に良かったと思います。
最後まで精一杯生きることが、生まれた人の義務です。
末期胃がんで亡くなる前、一度意識がしっかりした。
そのあと昏睡状態続き黒い宿便が出て数日後に亡くなった。
心臓は丈夫だったので内臓がダメでも持ってしまった。
実は実家の飼い犬も同じ。
ガンの老犬だったが黒い宿便が出てもうダメかと思ったら一度しっかり起きて水を口にしその翌朝冷たくなってた。
動物ってみんな同じなのかも。
伯父が入院中、意識が朦朧とする中「もう家に帰りたい」としきりに言うので、母たちが「今タクシー呼んでるから」「もうタクシー来たよ」(全部ウソ)と言うと、安心した伯父はしばらくして、「おい、このタクシー(家と)違う方に走っとるぞ」と言って、息を引き取ったそうです。その場にいた母たちは皆驚いたそうです。伯父は体調不良で入院し、癌とわかって1週間かそこらで亡くなったそうです。
内臓の病気で手術と入院になり、退院は出来ないかもしれないので覚悟しておくよう言われていた。
でも、先生が驚くほどに元気になったので帰宅。一週間、家で穏やかに過ごし、息を引き取った。
中治りだったのか、帰ってきたい一心だったのか。お気に入りのベットで暖かい日差しの中、最期を迎えた姿が今でも忘れられない。
本人ははっきり見えたと言うし…それってどうなんだろう。
病気などした事のない父が珍しく末弟を連れて釣りに行った。
その次の日、亡くなっている父を学校から帰った末弟が見つけた。
急性心不全。50歳だった。
私の学校の成績とか、多少の悪行にも何も口出ししなかった父。
一緒に酒呑みたかったな。
答え:レビー小体型認知症も併発しているから。
大好きな祖母がいよいよ危ないかもしれないとなり、名古屋から横浜へ駆けつけました。
本当は子供の面会は談話室のみだけだったけれど、個室だったのとベッドから動ける状態ではなかったため、特別に孫たちも面会ができました。
自力で座ることも出来なくなっていたはずの祖母が、引き出しからお財布を出して、お小遣いをあげるからと自分で起き上がった。
涙が止まりませんでした。
それから数日で亡くなりました。
私の5才になる娘は祖母そっくりな栗色の髪です。
私が父の兄弟を連れて行った時少し疲れたと言い、その夜に他界
祖父も転勤で関西の父、公務員の次男、叔母達が仕事休んで集まって見舞いに行った時に臨終
虫の知らせじゃないが本人以外にも説明出来ない事はある
思い残す事が無くなったとも解釈出来るけど
良い言葉ですね。
ちなみに妻は、亡くなる3〜
次へつながる、つなげる為に現世に生きる人達に何を残すのかが大切だわな。
コレは、普段から意識して居ないと中々出来ない。
その1つ。父親が末期ガンで入院中、ある日、出勤前にふと「病院に寄って行こう」と思いたって父の病室に立ち寄った。普段は、夕方の帰宅途中に立ち寄っていたのにである。
「仕事前の忙しい朝に、わざわざ立ち寄らんでもええのに」と言っていた父だったが、その日の夕方から急変して意識を失い、明朝明け方にそのまま逝ってしまったので、臨終には立ち会えたものの、朝のそれが最後の会話だった。
まあ、あの会話も「中治り」の奇跡だったのかも知れない。
急に2日だけ帰宅したいと医者に伝えた。
家に帰るとあらゆる場所の整理をして2日後再入院した。
翌日危篤となり、亡くなった。
これも中治りでしょうか?
まさに亡くなったあとは「どこでもドア」なのだ。
生きている間と同じように大切な人に会いに行き、愛する人たちを守ってくれているのだ。
死んだらおしまいではない。
素敵な話
分かってたのかな。
死の半日前に、沢山食べたり歩いたり、ということが突然できたのは、中治り、だったんですね。ワンコは20歳でした。
「仲直り」とかけているのかな?
この場面で、長い間仲違いしていた家族、兄弟が一つになれたというエピソードもありそうですね。
しばらくそうしてて、「そろそろ寝ようか」って声掛けたらうなずいて寝たけど。
それも「幻覚」やったんかな。
びっくりしましたが私も一緒にがんばろう!と手を握り頷き合いました
でもその後まもなく入院先で息を引き取りました
もういちどあの元気な力強さを見せてほしかったです
盗んだり
そういう罰当たりは必ず地獄に堕ちる
もちろん自分の欲の為に人を傷つけ殺めた奴は当然の如く
そしてそれから4日後に亡くなった。
本当に何かあるんだと思う。
父親が3年前に末期癌で、24時間体制の緩和ケア病棟の個室に移り亡くなる2日くらい前から、甘いスイカや、刺身が食べたい、夜になるのが怖いと言っていたのを思い出しました。
本能的に死を迎える準備しているのかな?、不思議です
チベットの死の教え、つまりは死に向かうとき、死を受け入れてさまざまな幻覚幻聴を平然と耐え、つぎの世界へ行くのだろうと思っています。
全員が、全員 記事のような事は、起きませんが当てはまる人も居ます。
今夜が山田!
父とは3年以上誰も会ってなくて、たまたま老人ホームと連絡とった私が、ガリガリで誤嚥性肺炎で明日死ぬかもしれないし、このまま数年生きるかもしれないと言われた。
みんなに連絡して、死ぬ
ちなみに病院へいけば最後の金稼ぎが行われる、スパゲティ治療と呼ばれる最後の金稼ぎ。
本人も苦痛以外の何者でもなく死ぬ。
実は死ぬ瞬間はモルヒネの1000倍ほどの気持ちよさで死ぬなんて言われてるけどな。
病院で死ぬなら自宅で。
あれば話としては盛り上がりそうだけど。
人間だけに起きる現象では無いのかも。
その夜に眠ったまま起きることは無かったと。
同居の家族は調子に乗って食べさせたことを後悔もしていたけど、食べるのが大好きだったから最期ににおなか一杯食べてうれしかったのかも。
過日、80歳になる母が、転倒した。連絡を受けて病院に行くと「えっ~と、何番目だったかな。」とうつろな顔で・・・ああ、我が身にも母との別れの時が近づいてきたかと覚悟した。身内の最期は一番辛いよ。自分の死については、今更、怖いとかどうこう思わないけどなあ。不思議だ。ただただ、母の手をさすった。幼い時のことを思い出しつつ、
お盆帰れてなかったから正月はちゃんと帰らないとな
身近な死で体験したことがある。
歩ける筈など無いのに、歩いてた~!
そのお陰で気持ちが救われた気がしたよ。
私の時にはお迎えに来いやっ!
そのすぐ後に亡くなった事を考えると中治り現象だったのかな。今思うと。
ただそれを気が付かないのか、気が付けないのか、本人も周りの人間も知る術が無い。
命が止まる瞬間までプログラミングされているとは。
善悪どちらで生きたかは特に関係なく、脳の最後の状態によって夢妄想の中に地獄か天国かを見ながら消えていくんですねぇ。
孤独死がどんどん増えていくから
だから、いろうや点滴などせずその時を待つしかない。
今年91歳の父は年々弱ってきてはいるものの、まだトイレは自分でできるし、お粥や柔らかいものを介助なしで自分で食べられる。
まだ大丈夫。
でも、自分のほうが先にポックリいくんじゃないかと、時々ふとおもうことがある。
でも、死に立ち会った人が一様に言う事は、安らかに眠るように死んでいったのが救いだったという言葉でした。
死を迎えた最後は幸せホルモンがどんな生き物にも出て、安らかに命を終えるものと思っていました。だから自分の死を怖がったりしたことがありません。
命の不思議を感じます。よくできてるなあ~。
だからこの記事は信憑性があると思う
私は近しい誰かの葬儀が近づくと、頭の中で喪服という呼びかけみたいなやつがずーっと止まらない
誰かこっちを分析してくれ
最後は、昇圧のドーパミン点滴でぷっつりと心停止。
池○犬作は痴呆になって最後を…
お婆ちゃんが経験しました。
危篤というので 親族一同集まりましたが、危篤だったお婆ちゃんが目を覚まして意識もハッキリして「みんな集まってどうした?」と発言。
安心してそれぞれ引き上げましたが、数日後に息を引き取りました。
人間だけでなく、生き物に備わっているものなんだろうな。
管理人の率直な感想
人生の最期に見られる不思議な現象の数々。
オカルトのカテゴリーに分類しちゃいましたが・・・。
分泌される脳内物質の影響という医学的根拠を出されると何だか不思議でもなくなっちゃいますね。
同時に「自分の家族、ひいては自分自身の死に向き合うときの知恵として」と言われると頷くしかありません。
走馬灯ってあるじゃないですか。
走馬灯は、自分の死を本能的に悟ったときに、自分の意思とは関係なく自分が今まで生きてきた経験の中から今ある「死」を回避するための情報を一瞬で探し出すために、生まれてから現在までの記憶が駆け巡ると聞いたことがあります。
あくまでも、今の危機的状態から脱する情報を人生経験の中から探そうとする現象だと。
信じるか信じないかは、あなた次第です。
中治り現象。
これは目の当たりにしたことがある人も多いのではないでしょうか。
僕の経験で言うと、前に書いたことがあるような気もするのですが、高校生の時に自宅の前で瀕死になっている子猫を見つけたときが最初でした。
どこからどうやって来たのか分かりませんが、母猫はいませんでした。
その子を拾って自宅に戻り、母親に「今日は学校を休む!この子を動物病院に連れて行く!金くれ!放っておいたら死んじまう!」と言ったのですが、僕自身の単位が瀕死状態でもあったので母親が反対。
面倒を見ておくからとりあえず学校に行きなさいと。
帰って来てから一緒に行こうと。
「約束だぞ!」と言って家を飛び出したのはいいものの気になって気になって仕方がない。
午前中は我慢し、昼休みに電話をしたら「元気になったよ。ご飯も食べてるし歩いてる」って言うんです。
「嘘だっぺ?」です。
とてもじゃないけど、そんな状態じゃなかったんですよ?
とりあえずよかったな~と思い、その子猫との新生活を考えながらワクワクして帰ったんです。
死んでました。
「さっきまで元気だったんだけど、急に横になってそのまま・・・」母親の言葉をさえぎって「バカ野郎!だから言ったじゃねーか!」と漫画の一ページのような怒り方をしちゃいました。
母親のせいではないんですけどね。
朝の時点でコールタールのような真っ黒な便をしていましたし。
今思えば、ずっと外の冷たい外気に触れて孤独で苦しかったのに、屋内の温かい環境に移ったのも一因としてあったのでしょう。
僕は何の因果か、今まで何匹も瀕死の猫を見つけては動物病院に連れて行きました。
助からない小さい命を何度も目の当たりにしてきました。
そのときに先生が言うのは「自分を責めないでくださいね。こうやって連れてきてくれなければ、この子はもっと命が短かったし愛情も知らないまま亡くなることになったんです。亡くなったのはあなたのせいじゃないんです。感謝しているはずですよ」です。
そのときはどうしても自分を責めてしまうものです。
「もっと早く見つけていれば」と。
けど、先生はそういった人たちや動物たちを数えきれないくらい見てきたのでしょう。
おっと、また話が逸れてしまいました。
悪い癖です。
中治り現象のお話でしたね。
容態が一時的に回復する現象は、亡くなる方が最期に言いたいことやしたいことを看取る人へ伝えるために与えられた貴重な時間。
そのままずっと元気でいてくれよと、エネルギー源であるアドレナリンやノルアドレナリンを分泌しっぱなしにしてほしいところですが、それで病気が治るわけじゃないですからね。
あなたが大事な人を看取るとき、または自身が看取られるときに、この中治り現象を思い出し、その貴重な時間を最期のかけがえのない貴重な時間だと認識し向き合えることを願います。
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