福岡県の山間部「犬鳴峠」には、もう使われなくなった旧道と廃トンネルがある。
かつて、その「旧犬鳴トンネル」のそばに、こんな看板がたてられているとの噂が流れた。
「この先、日本国憲法つうじません」
日本最恐の心霊スポット
その不穏な文言を無視して奥に踏み入れば、ボロボロの小屋が点在する集落を発見するだろう。しかしそれには、命の危険を覚悟しなければならない。
いまだ山中に人目を避けて暮らす「犬鳴村」の住人たちに襲われるからだ。
「犬鳴村」とは、江戸時代より厳しい差別を受けたために閉鎖された謎の集落で、行政記録からも地図からも抹消されている。
村人は今も自給自足で暮らしているが、非常に排他的であり、侵入者を発見したとたん、斧などで攻撃してくるという…。
都市伝説「犬鳴村」
もちろん、この「犬鳴村伝説」は、無責任なデマである。
もともと心霊スポットだった旧犬鳴トンネルに、おそらく1990年代、架空の「犬鳴村」にまつわる伝説が付け加えられただけだ。
それだけなら、全国各地に点在するローカル怪談の一つに過ぎないはずなのだが……。
そう単純な話で終わらないのが、犬鳴村伝説の厄介なところだ。
この場所にまつわる噂や心霊話は、日本の怪談カルチャーにおいて、どこか別格扱いされている。
旧犬鳴トンネルはいまだに「日本最恐の心霊スポット」と呼ばれ、今年2月にはホラー映画『犬鳴村』も公開される。
2020年代の今もなお、犬鳴村伝説が人々の注目と恐怖を集めるのはなぜだろうか。
犬鳴村伝説の発祥
ここからは、犬鳴村伝説の成り立ちを簡単に解説していこう。
架空の「犬鳴村」のモデルとなったのは、かつて犬鳴川上流にあった集落だろう。
しかしこの村は犬鳴ダム建設にあたり(1970年着工~1994年竣工)、ダム底に沈んでいる。
住民は1985年に完成した移転先用の宅地、またはその他エリアへと次々に引っ越していった(参照『若宮町史』下巻)。
トンネルの方については、1975年に新道・新トンネルが開通したため、旧道および旧隧道の通行者はほぼ途絶えた。
そして日本中で必ず起こる現象として、使われなくなった廃トンネルはあっというまに心霊スポット扱いされていく。
立て続けに起きた殺人事件と交通事故
1979年、10kmほど離れた力丸ダムにて、女性の強姦殺人事件や、保険金殺人事件がたて続けに発生したことも影響しているだろう。
とはいえこの時点では、ただの全国によくある心霊トンネルの一つというだけだったが……。
1988年末、決定的な事件が発生する。
このトンネルを現場に、不良少年グループが「車を貸さなかった」というささいな理由で、地元青年をリンチの末に焼き殺したのだ。
この残忍な殺人事件はむしろ現実的な恐怖だが、「若者が殺された白いセダンがトンネルに出没する」などの怪談にフィードバックされ、心霊としての恐怖を煽っていく原因にもなった(ちなみに事件に関係した車は軽自動車で、セダンではない)。
その後も、肝だめしに来た若者たちが自動車事故にあい、死亡や重軽傷を負うケースが2件発生(1992年および2001年)。
これもまた「犬鳴の祟りにあった」という解釈を呼び、交通事故や不良に襲われるという現実的な恐怖と、心霊的な恐怖がドッキングされる。
こうして旧犬鳴トンネルは「日本最恐の心霊スポット」と呼ばれるようになったのだ。
地図に載ってない村「犬鳴村」の噂
それと並行する形で、「犬鳴村」についての噂もまた1990年代~2000年代初めにかけて醸成されていく。
現在、この伝説について簡単に確認できる最古のネットログは、2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)にて1999年10月30日にたてられたスレッド「犬鳴峠」だろう。
そこにはまず、当時のテレビ番組『特命リサーチ200X』(日本テレビ)のサイト上、調査依頼ページからコピーされた文章が貼られている。
「匿名希望」の投稿者からで、リクエストのお題は『日本に在って日本でない村』。
投稿者によれば、犬鳴峠のあぜ道の先には地図にない村があり、「この先、日本国憲法つうじません」といった立て札が掲げられている。
知り合いが車で訪れた際「キレた(イった)目」をした4、5人の男に斧を持って追いかけられた。
「プレハブ小屋」や「ボロボロの木で戸を打ち付けられた家」を見た知り合いもいる。
そこは「江戸時代以前とても酷い差別を受けていていつからか外界との接触を一切断」った村で、現在もなお「警察や国家権力の介入ができない『特別なんとか保護(? )地域』なんだそうです」などなど…。
ホームレスの小屋、山中のテント…
まだ福岡近郊のローカルな噂ではあるが、この時点で、犬鳴村にまつわる伝説の基本形態はつくられていた。
例えば2000年9月18日付で、読売新聞が犬鳴峠の心霊スポット化をとりあげた記事が参考になるだろう。
記事内では、旧犬鳴トンネルの心霊の噂は、やはり廃道となってから始まったと推察しつつ、「そのころ、旧道付近に“夜の住人”たちが出没していて、これが幽霊話に転化した」という地元産業建設課職員の談話を続ける。
「旧道沿いの山中にホームレス数人が小屋を建てて住み、漢方薬店から依頼された業者が、夏の夜間、付近にテントを張り、夜行性のマムシを求めてさまよっていた――というのが、幽霊の正体だと指摘する」(2000年9月18日 読売新聞 西部夕刊「遠望細見」)
ホームレスたちの小屋に、山中にたてられたテント……。
先ほどの投稿文にあった「プレハブ小屋」や「ボロボロの木で戸を打ち付けられた家」、そして犬鳴村の謎の集落とは、これらを見間違えていた可能性が高いのではないだろうか。
実際に「この先、日本国憲法つうじません」看板がたっていた?
そして犬鳴村伝説のシンボル、「この先、日本国憲法つうじません」の看板について。
心霊スポットサイト「朱い塚」管理人の塚本守氏は、福岡出身でもあり、まだ噂がローカルだった当時の状況をよく知っている。
塚本氏によれば、その頃の犬鳴峠付近の住人は、若者たちの「心霊スポット突撃」により発生するトラブルに頭を悩ませていた。
廃車の不法投棄の他、肝だめし中のポイ捨て、面白半分にマネキン人形などを置くケース(次に来たものの恐怖を煽るためだろう)もあり、一帯にゴミが散乱していく。
また暴走族の集会や、畑を荒らす行為も頻発していたという。
業を煮やした住人らは、「監視カメラ作動中」「警察に通報します」など、違法行為を警告する看板を設置。
中にはかなり強い文言を手書きしたものもあったようだ。
皮肉なことに、それが伝説の要である「この先、日本国憲法つうじません」という看板のイメージにつながったとも推察できる。
また「実際に、日本国憲法通じませんの看板がたっていたという証言も、複数名から聞いています」(塚本氏)ともいう。
「肝だめしの若者がイタズラで」もしくは「地元住民がイタズラに耐えかねて」例の看板が設置されたとの話は、90年代前半から出回っていた。
ただし少なくとも、塚本氏が現地を訪れた1996年には看板は撤去されていたらしいので、正確な真偽のほどは不明だ。
ネットが噂を全国区にした
これらの光景を、肝だめしにきた若者たちが目撃していた。
そしてまた彼らが街に帰った後、大げさにその情報を語りまわっていく。
そうした伝言ゲームにより、犬鳴村の歪んだ噂が形成されていったのだと考えられる。
1990年代後半には、地元福岡の若者の口コミで、あるいは2ちゃんねる誕生前のネット空間において、犬鳴村にまつわる噂はささやかれていた。
そしてこの噂が全国区に広まったのは、90年代末から2000年代初頭。
言わずもがな、日本におけるインターネットの普及・発展と足並みを揃えて、ということだ。
中でもやはり、1999年5月の2ちゃんねる創設と、同年10月にたてられた「犬鳴峠」スレッドの影響は強かった。
先述した匿名希望者の投稿依頼文がインターネットに拡散することで、犬鳴村伝説は福岡のみならず日本中へと広まっていったのだ。
ネット住民たちが議論・検証した物語
犬鳴村という物語が持つ「隠されているが本当にあるかもしれない、リアルな恐怖」は、インターネット普及期のコンテンツとしてピッタリだったのだろう。
「ずっと隠されていた謎が、インターネットという情報革命により暴かれていくのではないか」という無邪気な期待。
90年代末からゼロ年代初頭にかけては、そうした時代の空気が確かにあった。
当時のネット住民たちが熱く議論・検証し、あるいは自分たちで情報を肉づけしていった物語こそが、犬鳴村伝説だったのだ。
こうした良くも悪くも膨大なエネルギーがこめられた噂は、もはや成熟してしまった現代ネット社会では起こりえないだろう。
短期間で消費され忘れられていく、ここ最近のオカルトネタと比べれば、ある意味でうらやましくもある。
だからいまだに語り継がれている
禁足地巡礼【電子特別版】
駆け足の記述となったが、以上に挙げた諸要素によって、犬鳴村伝説はつくられ広まっていったのだろう。
現場付近における多くの事件・事故の発生。ホームレスやマムシ採り業者、不法投棄の注意看板など、誤解を生じさせる目撃情報。
そしてなにより、インターネット普及期における独特の熱気。
最恐心霊スポットとしての旧犬鳴トンネル、そして架空の犬鳴村は、これら多くの偶然が重なって生まれた。
そして、ここまで数奇な偶然が重なる場所は、日本全国を探しても他に見当たらない。
だからこそ、犬鳴村伝説はいまだに人々に語り継がれているのではないだろうか。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200206-00070106-gendaibiz-life&p=1
みなさんの声
その予算も新道作る時に計上するべき
入れるようにしてあるから事件がおきたり予期しない自殺者が出たりで禍々しい感じになるんだよ
新トンネルの工事をした経験から言うと…
それは無理
やっても意味がない
閉鎖しようがしまいが元々「恐ろしい場所」になる確固たる理由がここにはある…
だね。
非科学的な迷信、オカルト話が生まれるプロセスを丁寧に書いてある良い記事だと思った。
目に見えないもの、はっきり分からないものは、みな心霊のしわざにして思考停止する。
詳しく分析すれば、正体が明らかになることがほとんどだ。
つまらない流言飛語に尾ひれが付いて、正体が分からなくなることは、つい最近も起こっている。
人間の認識なんて、あまり当てにならないものだね。
気温変化が少ないのが良いらしいです。
でも、コンクリート覆工の劣化を考えたら行政は二つ返事で使用許可はくれないでしょうけど。
今は知らんが、当時は車で中まで通れて、真っ暗の中ずーっと細い山道を進んで行ったら畑が出てきて集落があった。さすがにヤバイ雰囲気を皆感じて、慌てて畑でUターンして引き返したわ。
その後数日間、怪奇現象が次々と起こって肝試しで行ったことを本気で後悔した。
嘘みたいな話やけど本当やで。今でも思い出しただけで恐ろしいわ。
私の話は全て事実です。犬鳴峠とはそういうところです。
試しに本来の帝国憲法に基づき歩み寄ってみませんか?
「慰霊の森」みたいなガチの奴に比べたら…
どんだけ迷惑なカマってちゃんやねん!と思った
人が亡くなったその場所で肝試し?
そこで亡くなった方の気持ちを思うと肝試しなんてできませんよ。
どんな思いでそこで亡くなったのでしょうか。
その方の亡くなった状況を自分に置き換えて考えてみてほしい。
広島も長崎も、日本の数ある都市も、戦争で本当にたくさんの人が亡くなっているが、その場所に面白がって、肝試しに行くのはやはり最低だ。
生きてる人の方がよっぽど怖いっていうのは同意しますが。、
その場所へ行く行かないではなく面白おかしく茶化してる事が良くないのでは?
若い時は肝試し行く気持ちは分かるけど。
行った先で不法投棄とか汚したりするのは論外だけど。
ロケ後に同行した霊能力者に「さすがM-1チャンピオンですねー。霊達にバカウケでしたよー」と言われて変な自信を持ったらしい。
どんな事件でも、被害者を攻撃したり、加害者擁護する人間もいるからね
福岡だったらあり得る。
生きている人間の方が恐いねぇ…
一方で死んだら物でもない。
なぜなら生きていても物にはなる。
戦争もいじめも相手を物扱いするだろ?
それは扱う人間の心次第。
だから弔うし肝試しも成立する。
しかしどちらも行き過ぎれば…という話。
自分だって居間でくつろいでる時にアホな若者がズカズカ家に勝手に入ったら黙ってないでしょう?
人体も物体なわけだがそんな知識でよくバイトで解剖助手なんてできたな!
物体についてもっとお勉強してきなさい(^ω^)
それ以上に、友達が俺を残して車で逃げようとしたことに更に怖くなった。
宜保愛子の時代ですね!
「おっ俺の残した跡が話題になってる!」って
生きてる人間が一番怖いよ
だから恐怖の感染は平常運転ww
とりあえず映画観たいと思います。
ここは先輩たちに連れて回られたスポットで一番嫌だった。同行していた女性がおかしなこと言い始めた恐怖は未だ忘れられない。
廃ホテルの方は、心霊スポットを見に来た人が首吊り死体を見つけて有名になりましたが・・・。
電車の線路沿いにも良く落書きする人がいるけど、どうやって侵入してどうやって書いてるのかいつも不思議に思う
当時はYouTubeなどなく掲示板で実況するのが文化でした
懐かしい
肝試しに行こう!となっても断固として反対
結局皿倉山とか、緩い感じの場所に行ってたわ
そもそも筑豊地区がヤバイけどね、福岡は
そもそも筑豊地区がヤバイけどね、福岡はん? この話九州とちがうでよ
泉州の話やで。
地元民の間では昔から「あそこは冗談でも絶対肝試しなんかに行ってはいけない場所」と言われてました。
まさか映画化されるくらい全国区で知られていたとは知らなかった。
特に土曜日とか
座布団一枚やって!
同情の余地なしだわ
ブレーキも甘くなるし、酒でも入ってた日にゃ地縛霊ならぬ
自爆例は当たり前だろwww
馬鹿だとしか思わないね。
“何かありそう”だと強く思えば、その人にとってそれは真実になったりする。
集団ヒステリーなんてのもあるくらいだから。
こういう事例を見るのは非常に面白い。いかにして怪談や都市伝説が成り立ったのか?
各地に残る伝承なんかもそうだ。昔の人々の暮らしなんかが密接に絡み合っている。
時代を経て解き明かされる真実や物語に想いを馳せるのもいいね。
目で見る事は実際は脳みそで絵を構成してるわけですから。
では、多くの人が見えないのに見える人は何が違うのか
頭の中で違うことが起きてるんでしょうが、その原因はたくさんあると思います。
今、人間が頭の中で思い浮かべた像をコンピューターで画像化する、はたまた逆にコンピューターで作った像を人間の脳で画像として認識させる研究がリアルに行われてて、それはオカルトでもなくあり得る未来の研究です。
そうなると、こういう人工的手法でできるのであれば、なんらかの自然現象かなにかで人間の脳に影響を及ぼし、それが像を作るというのはあり得るんじゃないかと。
つまるところ見える人を馬鹿にするのはやめたほうが良いかとw
事件の前から昔犬を処分していたとかで心霊スポットとなっていて、イキったヤンキーの度胸だめしや溜まり場になってましたから。
ちなみに犬鳴村と呼ばれていた集落もあったようですが、ダムの下に沈んでしまいました。
そんな噂のような所ではなく普通の集落だったと聞きました。
自分は心霊スポット行った時は女の霊ならエロい事し放題じゃん!って思ってるから見た事はない。
(そんな奴の前には出て来たくないのかもしれない)
古代からしかも、世界中で起きてる現象を自分が見えないからという単純な理由だけで否定する精神を疑う
そりゃ、UFO、幽霊ともにインチキはたくさんあるでしょう
でも、インチキじゃないのもわりと真面目に混じってる
むしろ信じる方がおかしいという風潮こそ皆自覚してないだろうけど「洗脳」だわ
別に霊ってのが居てもいなくても、どっちでもかまへんねんけど、肝試しの帰り道に事故したとか、その後大怪我したことを不注意を疑わず反省もせず霊のせいにしてる時点で、肝試し無しでもまた事故るし、大怪我してまうと思うで(笑)
普通の少女の姿とかいますが(気温一桁の深夜の街灯ない山道)、目の無い人や顔半分無い人などもいて、見えない方が幸せです。
廃屋、トンネル、地下道、ラブホ、カラオケボックス、湖、ダム、川。。。
お気をつけください。
1987年頃だったと記憶していますが、その頃から肝試しの格好の場所として地位を確立していたように思いますが、旧トンネルでの恐怖話ばかりで犬鳴村の話などは一切ありませんでした。
あとで付け加えられていったのかな?という感じです。
野生のウサギと野生のシカを初めて見ました。怖いって言うより和みました。
実際30年くらい前に旧道通ったことあるけどトンネルは岩肌にちょくにコンクリを吹き付けてあるだけなんで普通に危ないとおもった。
昔なにかあった場所には理解出来ない事が起きても不思議でない。科学的に証明出来ないから・・・なんて、人間のおごりだと思います。
幽霊も今の科学で説明できないだけで、そのうち科学的に説明できるようになると思う
月食になったら人類が滅ぶとか言ってた時代には、仕組み解明できるほどの科学力がなかったのと同じ
そのうち宇宙人もUFOも、遥か昔から来てたと公開されるだろう
昔は『この近くにゴミを捨てると霊が家に付いてきます。』って看板もありました。
今思えば、心霊スポットを利用した付近住民の不法投棄防止策だったのでしょう。
まだ10代だった私は友人達と肝試しに行き、その看板を見てふざけて車の助手席の窓から飲み終わったペットボトルを捨てようとしました(反省)。
その時、1番幽霊に対して怖がりの友人の1人が
『捨てんなちゃキサン!!』
と怒鳴り鬼の形相で胸ぐらを掴んできて、幽霊よりそのマジギレ具合のほうにビビったのを覚えています。
悪かったよと言って捨てませんでした。
ちゃんと供養しなかったからなのか、その直後に3台とも事故を起こしました。
心霊スポットは遊び半分で行かない方が良いんだなって思いました。
面白半分に煽るような内容でなければ良いのですが。
ちなみに日本国憲法~というのの元ネタは防衛庁施設立入禁止~の看板からきてます
それから、少なくとも40年前には幽霊がでるという噂話はありました
名前の由来も犬が鳴くほど怖いところだからとかね
それもまあ出元不明の噂話なんですがね
久山町から直方市、北九州市近郊まで行ける道だから交通量多いんだよね。
実際に行ってみたが、確かに雰囲気はあるがトンネルの真ん中辺りに窪みがあり、そこに恐らくホームレスが住んでいたと思われる跡があった。
元々鉄道が通っていた場所を車道に変えた道だから鉄道時代の退避所なんでしょうね。
夜中にひょっこりとホームレスが顔を出したり出てきたら幽霊と勘違いするかもね、なんて思いました。
噂なんてそんなもんなんだろうな。
理由がなんであれ、遊び半分はよくないって思います…
自分は1度も怖い思いをしたことがありません。ただ霊感の強い友達は怖いから行きたくないと。もう1人霊感の強い友達は何もないから怖くないと旧トンネルを1人で歩いてました。
どっちが本当なんだろーな?と皆で話してました。
それが怖いところです。
ちなみに自分は神奈川の横浜出身。
お洒落だなんだと言われて越してきた人達には想像も付かないでしょうが、ちょっと昔に遡れば、そんな林や裏山、人気の無い古い神社や廃トンネル、防空壕跡から自然の小さい洞穴や池とも沼とも言えないような大きな大きな水溜りまで、色々あったもんです。
残念ながら他所から来た人達に、ぜーんぶ綺麗に壊されちゃったけど。
今や安全第一というかなんというか、子供の想像力や冒険心を膨らます、そういう身近なミステリーって無くなっちゃったよねぇ。
でも、本当に安全になってってるの?ってくらい逆に、普通の街中で危ない人と遭遇する率が上がってる気もするけどw
昔は遊びも少なくて、金は無いけど車は有る若者は心霊スポットを目指した。
勿論、女性含むグループで。
今も若者は、深夜の心霊スポットドライブしてるのだろうか?
くれぐれも事故には気を付けて下さい。
新トンネル手前から旧道へと続く道があるのですが、2000年くらいまでは旧トンネル入口まで行けたけど、2003年くらいには分岐点(左トンネル、右犬鳴村)にフェンスが張られて、5年ほど前に通った時は旧道にバリケードが設置され、全然行けなくなってます。
分岐を右に行った先にあるという犬鳴村も当時行きましたが廃屋が5~6軒あるだけで、道は狭く奥まで行かないとUターンできないんですね。
で、Uターンして戻る途中、廃屋と思ってた家の軒先に人が立ってて思いっきり睨まれました…
自分達みたいなのがよく来てて迷惑してたんだと思います。
正直、犬鳴村は自分が行った廃集落だの、ダムに沈んでるだの諸説有りすぎて、どれが本当なのか分かりません。
人の敷地内なんだから、そういう人たちが大勢くるから脅して追い返そうとしたんだよ
知ってて入ってくる方が悪いのに
または自前にリサーチするんだから得体の知れない土地なんだし住んでるひといたら行かないでしょ
被害者面ですか?
私ならぜったい行きませんし、自分の身に置き換えてみたら?
狭い道を進んでると、右手に廃屋、左手の少し下ったところに納屋か小屋があって、日本国旗が張り付けてありましたね!
奥のギリギリUターンできるところにボロボロの車が捨てられていたのも覚えてます。
自分が行ったのも20年前であり、YouTubeに集落へ行った動画がありますが、さらに廃れてる印象を受けました。
身の危険を感じるわ。
通報すればよかったのに。
向かってる途中に、人懐っこい野良ワンコが付いてきて、しっぽをフリフリしてるから安心してたんだけど
外人墓地に着いたとたんに、狂ったように吠え掛かってきて、パニックになった。ケータイの明かりを怖がったからそれを見せながら、後ずさりして逃げ帰ってきたんだけど、ワンコは何かにとりつかれたような豹変ぶりだった。それ以降、心霊スポットは絶対行きません。
幽霊の類は信じなくてもいいけど、霊場?的な場所には何かしらがあるのは間違いない。そう思う経験を何度かしました。
だから面白半分で行くのはやめてください。住人の方々にも迷惑です。
この記事でも指摘されているとおり、ネットコミュニティの発達で「今まで隠されていたものが露わになる」という期待感から無責任なデタラメ話が沢山生まれてしまい、今では止められなくなってしまったものも多いです。
それによって迷惑を被ったり傷ついた人がいることを、今でも噂を信じ流布している人たちはキチンと考えて欲しいです。
その後も女の子供の霊を連れて帰ったり色々あったみたいてすが・・
嘘か本当かは、わかりませんが、あそこは面白がって行くべきではない場所と思います。
ナチスの研究者「幽霊とやらは時間にルーズなようだな。」
幽霊「約束の時間は今のはずだが・・・」
ナチスの研究者「おぉーミスター幽霊来てくれたのか」
幽霊「俺は人に利腕をあずけるほど自信家ではない・・・」
ナチスの研究者「そうだった。失礼した。」
幽霊「用件を聞こうか?」
ナチスの研究者「我が軍でスパイとして行動してほしい。もちろん報酬は出す」
幽霊「報酬とはなんだ?」
ナチスの研究者「もちろん金だ。」
幽霊「この話はなかったことにしてもらおう・・・」
70年代に夏休みの昼間のテレビでやっていて家族で見ていたが、亡くなった祖母が「そんな話聞いたことないよ、でたらめだよ」と言っていた。
明治生まれの祖母でさえ信じていないような家庭で育った私は霊などというものを一切信じていない。
正確には昔、犬鳴谷村という集落があり、若宮町と合併してからもダムが出来るまでは普通の人たちが普通に暮らしてて、旧トンネルも通ってました。
しかしダムが出来る前からあの谷は自殺が多い所であり、今でもダムの近くの橋から飛び降りる人が結構居たりするのでやはりあの場所には何かあるんじゃないかと私は思ってます。
そんな場所を面白がって映画にしたりして、監督や作者に何も起こらなければ良いですけどね。
ちなみに地元のお年寄りはあの映画に対して怒っていて、市役所に抗議の電話をしたり手紙を送ったりしてます。
その後吉川村と合併し、後に若宮町になりました。
それに実際、今から三十年くらい前まではたまに旧道を地元の車が通ってましたよ。
若宮町はいくつかの小さな村が合併して出来た町で、歴史は古いです。
免許を取れば、犬鳴と志賀島に行くのがセオリーでしたから。
確かに旧犬鳴トンネルは、オドロオドロしく落書きもさることながらゴミの不法投棄も多くて、夜になるとそれが何か分からないのが恐怖でした。
それでも肝試しをしに行く等を繰り返してました。ただ昼間に行った事も有るが、上に登る道を進んだが、ただの林道だったので戻ってきましたよ。
焼身事件の後も行った際に、アスファルトが焦げていて臭いが残っていたのが酷かった。
賛否両論だろうが、これも歴史のひとつとして記憶に留めています。
私が行ってた頃は、普通に通れていた頃なので時代が違いますね(笑)
まぁ、何が起きてもおかしくない場所だと、想い出に残してますので、感じ方もそれぞれでいいと思いますよ。
全てを説くことが正義では無いでしょうし、私は感じ取れなかっただけでしょうしね。
そういうものか?今はそういう時代なんだなぁ。
私はそれが共感できない、むしろアナログ人間だから脚を使って行きたいし、だからこそ時間が出来ればアジアの街を見て回っているからなぁ。
肌で感じて「最高」や「最悪」と吟味する楽しさは面倒でも経験して生きたい。
赤信号みんなで渡れば怖くないって言葉あるよね。
心霊スポット巡りなんてデメリットしかねーし
PAO~N僕らラジオ異星人という当時の地元のラジオ番組も、犬鳴村ネタを広げるのに貢献したといえます。ドッペルゲンガー、ポルターガイスト、こっくりさん、犬鳴峠あたりが鉄板ネタでしたが、やっぱり犬鳴峠ネタが群を抜いて怖かったですね。
犬鳴峠が一気に有名になったのは、記事中にある殺人事件ですね。ガソリンをかけ、生きたまま焼き殺すという残忍な殺害方法で県内全域に衝撃が走ったのを覚えています。
トンネルがコンクリートで封鎖されたのは、1990年代後半くらいでしょうか。それまでは、通行止めの標識があっても封鎖されておらず、入れました。封鎖前、友人と行きましたが、不気味なオーラを感じたのを覚えています。
事件などのことは知らず、若気の至りで肝試ししてました。
近くのコンビニでトンネルの場所を尋ねると男性店員さんは親切に店舗より出て詳しく道案内してくれた記憶があります。
「ですが、本当に気を付けてくださいね?
後ろから白い車が追いかけてきても決して止まらずふもとまで下りてきてください。」と。
今思えば、そういったサービスで観光客を楽しませるような感覚だったのでしょうね(笑)
もう二度と行くことはないと思いますが
別に幽霊くらいなら怖くもないがそれ以上の存在があった場合が厄介だよ。
何かしら因縁めいた土地ってのは磁場がおかしい場合もあって人によっては耐性がない場合、錯乱、体調不良、幻視、幻聴、色々出てくると心理的不安にも陥る。
心霊スポット巡りってのは そういうリスクも含んでる場合もあるから お勧めはしないよ。
日本国憲法云々の看板は木版に赤い文字で書いてあったように記憶してます。
私らが学生の頃は、トンネル内より途中の岩壁に浮き出る女性が子供を抱っこしたように見える黒い影が幽霊に見えると言われていて、その影を見に行ったものです。
新道(福岡側)から旧道に入り旧犬鳴隧道の分岐箇所を曲がらずに、そのまま真っ直ぐ暫く進むと数軒の民家があり、何でこんな所に人が?と思いましたが、あれが旧犬鳴村かと思ってました。
トンネル中央あたりでヘッドライトとエンジンを切って、真っ暗なトンネルを歩いたりして肝試しをしてました。
恐ろしく雰囲気のあるトンネルでしたわ。
確か、旧トンネルまでカーブだらけですが落ち葉が凄く真ん中車線しかなくカーブミラーも霊が写るからとミラーが無かったような。夏なのにトンネル付近は気温が低く風邪ひきそうでした。入口、出口で記念撮影しトンネルも車で通ったし歩いても通りトンネルの中でも記念撮影しました。出口では車を止めて花火をし車で行ける所まで行き、行き止まりで車を置き山の中を歩ける所まで歩いて探索したりしてました。
その時は車2台で行ったのですが1週間以内に2台とも事故で廃車になりました。。祟りかどうかわかりませんが。
でもこの場所は実在する人間が登場するので怖いかも心霊じゃないし。
その後先輩の車で行った時、トンネルの中で降りて写真撮ったりしたが、特に変わったものも無く、、、今もその写真はある。因みに今、小さい会社を起業し、家庭を持ち、まあまあ幸せ。
それよりもっとヤバい場所が近くにある。
『犬鳴ダム。』
当時、ダムの周りを車でタイムアタックしてたら、キツいコーナーに吸い込まれそうになり、ガードレールぎりぎりで停車、、、。<ガードレールの先は高低差のあるダムなので落ちたら死ぬ。>
落ち着かせる為に車から降りてみたら、、、きれいに補修されたガードレール付近には沢山のスリップ跡と、数か所に花束が、、、。一人や二人ではないと思われ、、、。
それからは、ここを攻めるのをヤメた。
ここ十年くらい前は住民の方が住んでたとありましたが、それ以前にも住んでる住民がいたんだろうに
住民がそこの村の噂流すから馬鹿が集まってくるって言ってるがそんな噂流すわけないと思うけど?自分が生まれ育ったとこを本心で悪くいうひとなんていないよね?誰かが勝手に匿名投稿で送ってきたのがことの発端なのか、それ以前に誰かが変な噂流したんでしょ、
勝手に人の敷地内に不法侵入してきたら人によっては怒鳴り散らす
閉鎖された村ってきいて、得体の知れないところだし、ましてや人がいるとなると行かないのが普通の感覚
ナタ持って襲いかかってきた人がいたとしても銃刀法違反とかおかしな話だったら入るな!いくな!だよ
映画化なんてホラーよりもっと魅力を発信できるような作りにすれば喜ばれると思うし、それができなければ作る必要性がない
地元住民の気持ち考えなきゃいけないと思う
これといって何もなかったし、事故もなかったですけど。
ただ犬がいましたね。鎖の首輪をした犬。
あと、この近くに一家で心中?かなにかのスポットもあったと思いますが。
当時の犬鳴峠から一番近いコンビニFの店員に聞いてみると場所を教えてくれたのですが、結局辿り着けず。
ボロボロの家屋で布団が干してあるとか何とか。
もう20年ぐらい前ですけど。
どなたかご存知じゃないですか
とか思ってたな。
今ならドローンで見てくるんだろうけども。
人喰いというくらいだから、獲物が来なければ困る。ということは…
そしたら、メンバーのうち1人が様子が明らかにおかしくなってた。
新道の手前を右に曲がって、クネクネした道を登ると、急に現れます。で、曲がった時、すぐに何か看板がありまして。もう忘れたんですけど、めっちゃ怖いこと書いてあったんですよ。
憲法、通じしず、ではない(笑)
で、トンネルの手前が2手に分かれてて、左はトンネル、右は集落、でした。
でも、電線は通ってるし、電柱はあるし、普通でした。
ただ、奥の突き当たりまで行かないとUターンできないという、違う恐怖がありました。(笑)で、トンネルの前には石が積まれてて、落書きがしてありました。
見たら、当時有名だったヤンキーの名前がいっぱいありました(笑)
で、帰りに、魔利亜の特攻服を着た人のワゴンRに絡まれました(笑)
はい、これが、2000年くらいの犬なきの話です。
その集落の車で行ける所まで行ったけど、古い民家が数軒あったのと、ちゃんと道路側に電柱が並んでいた記憶があります。
私の記憶では、看板は木版で日本国憲法云々と書かれてましたよ。
何も無いハズの道路上で前2輪がいきなりガチャンとハマって車止まって、降りてみると穴なんて無いし車も何ともなってない。確実に「落ちた」感触と衝撃があったのに。
以来二度と行く気がしないが、今だにアレは何だったんだろう、て思う。
しかし、直方や宮田から博多行きの国鉄バスは、あの細い山道をガンガン走ってました。すれ違いの時など車掌が降りて誘導してましたよ。
国鉄仲間内でも有名な話
ってことです。
よく分かりました。
だぞ!日本国憲法の字だけは赤かった。
40代なら見たことあるやついると思う。
とある川沿いを行った、砂利道左コーナーに2本の支柱で立ってたよね。
友人と4人でバイクで犬鳴峠に行く約束をしたが、当日俺だけ授業が入り行けなかった。
後日そこで撮った写真をみたらなにか煙みたいのが3人の頭の上に写っていた。
その翌日から1週間以内に3人が連続して交通事故に遭い救急車で運ばれ、行くと約束して行かなかった俺もバイクで車と正面衝突事故をおこした。偶然かもしれないが、近寄らない方がいい。
怪しい人物が屯してるような所は実際に危険だから行かない方が良い。
おばけより生きてる人間のほうが怖かったりするよ…?
その子は「いんなき峠」って呼んでましたね。
旧トンネルはとにかくシャレにならないくらい恐ろしいと。
これだけ永く言い伝えられるってことは本当に何かあるのかな?と思ってしまいますね。
けど、そういう現象は太古の昔から続いてる人類のサブカルチャーって考えれば、ロマンを感じ得ない。
近い過去で凄惨な歴史がある所に、遊びで行くのはどうかと思うけど。
一軒だけ、日本国旗を大きくペイントされた家があった。
当時は差別のこと知らず、心霊スポットとして向かったけど、今じゃ行く気になれないな。
近づかないほうが賢明です。
どこかにある病院跡がそうだと言うことを聞いたことがあります。
その先に集落は存在してました。
あの集落は今もあるのか気になります。
そして、本当に斧を持ったおじさんが中から出てきて走ってきます。細い一本道を登ってきたのでバックで戻らないといけないため必死に逃げました…
あと、トンネルで遊んでると犬鳴村から来る軽トラが、人がいるのも構わず猛スピードで突っ込んでくるので焦ります。
1986年DJ1(原チャリ)だったかな〜〜
懐かしい。
それ以来通ってないけど、映画になるなんて驚いた。
旧犬鳴隧道を通って近道になる場所は山しかありませんから。
近所に住む男性は犬鳴ダムで行方不明になってるし、知り合いの友達は橋から飛び降りました。
多分学生の頃だから20年位前に、犬鳴峠に肝試しに行きました。
今思えば不思議な体験だったけど、トンネル通行中にいきなりルームランプが点くし、一方通行の道で追い抜かれた車の色が違っていたし。
(追い抜かれた時は確かにレッドの車体だったのに、帰りにすれ違った時はシルバーになっていた。行き止まりの為に見間違いではない。)
懐かしいなぁ。
怖がる。一歩踏み止まる必要。
人に本能として備わってるんだと思う。
だから怖い物が無い人は、危ない。
トンネルなり橋なり何らかの境界線がないと、唐突にここらへんから異界といわれてもわかりづらいよね。
似たような景色の中にぽつんとあるトンネルとかならわかるし、人通りの多い場所のここらへん、といった心霊スポットが無いのは気持ちとしては整合性があるね。
そう言えば旧伊勢上トンネルだったか、なかなか怖いスポットがあると聞いたような。
管理人の率直な感想
犬鳴谷村という名の村は実在した。
殺人事件や自殺が実際に起きていた。
日本国憲法云々の看板は昔あった。
心霊現象よりそこにいる人間の方が怖い。
しかし、ヤンキーに助けられたという人もいる。
様々なファクターが絡み合って出来上がったのが犬鳴村伝説のようです。
僕は福岡と縁もゆかりもない人間ですし、行ったことがないので、実体験として語れるものは何もないのですが、何故か惹かれるものがある。
行きたいとは思いませんけどね。
世の中には何の根拠もない心霊スポットもあります。
僕が見て印象的だったのは、とあるサイトで紹介されていた『北関東最恐の心霊スポット』として紹介されていた家屋。
個人運営の心霊サイトですが、結構賑わっていて、コメント欄もいろんな意見で溢れていた。
そのサイトの管理人は実際に現地に足を運び、写真を撮ってサイトにアップ。
そこに自身の感想を載せる。
「この家は尋常じゃない・・・近くに行っただけで・・・」
コメント欄も「この母屋の横にある小屋で惨殺事件が?」「禍々しい雰囲気が伝わってくる」など、様々な意見が。
ところがどっこい、その北関東最恐と言われる家屋の住民が登場!
「俺んちだよ!」
「凄惨な事件なんかないよ!禍々しい小屋って、そこはただの鶏小屋だ!!」
そのサイトは今はもうありません。
そんなこともあるのです。
犬鳴村伝説も尾ひれがついて大きくなった話。
ガチで最恐なのは慰霊の森だと言われています。
ただし、その名の通り『慰霊』なので、遊び半分で行くのは死者への冒涜になる。
北関東最恐の心霊スポットの話も含め、いろいろと考えさせらるのがオカルトの世界です。
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