日本人にとっては、もはやアニメ映画の古典ともいうべき『火垂るの墓』(1988年)だが、英語圏ではほとんど批評されていないという。そんな『火垂るの墓』に感動して本まで書いたイギリス出身のジャーナリストが、世界の漫画やアニメを批評する米メディア「カートゥーン・ブリュー」で、この映画について熱く語る。
「スタジオジブリ」の長編アニメ映画『火垂るの墓』は、野坂昭如の半自伝的な同名の短編小説を基にした作品で、第二次世界大戦の末期、生きるために苦闘する日本人の兄妹を描いた高畑勲の最高傑作だ。
この映画は優しく、抒情的で、見事にアニメ化されており、ときに、どうしようもなく絶望的だ。史上最高の長編アニメ映画と位置づけられているが、本作について英語で1章以上を割いた本は、拙著以外にない。
拙著『火垂るの墓』(未邦訳、「英国映画協会フィルム・クラシックス」シリーズ)が出版されたいまでも、この映画をめぐる考えや真実味が私の頭に次々と浮かんでくる。というわけで、ここで『火垂るの墓』について本を書くなかで気づいた7つのポイントを紹介したい。
1. 『火垂るの墓』は悲しい、とても悲しい
この点で、驚く人はひとりもいないだろう。というのも本作は、史上最も泣ける映画のひとつとされているからだ。
何に驚いたかといえば、20回観ても泣けたことだ。最初のうち、本作の感情的な力は観るたびに鈍ってくるのではないかと心配したが、杞憂だった。
2. 高畑は思った以上に絵を描いていた
高畑は監督としてキャリアをスタートしたので、アニメのビジュアル製作の訓練は何も受けていない。本人も絵の技術は大したことないとよく謙遜していた。
高畑が絵を多少描くことは知っていたが、リサーチするなかで、『火垂るの墓』の脚本に彼がスケッチした小さな絵コンテを見つけた。
ベーシックなものだったが、場面ごとのフレーミングやブロッキングについて明確な青写真を示していた。それをチームが、精緻で本格的な絵コンテやレイアウトにしていったのだ。これが次に指摘したいポイントにつながる。
3. 構成が高畑スタイルの要
当たり前の話に聞こえるだろう。構成が重要で「ない」ときなどあるだろうか? だが、『火垂るの墓』などの映画で高畑が作り出す印象で、構成がどれほど重要かを私はいままで充分に評価しきれていなかった。
高畑作品が得意とするリアリズムを考えるとき、私がよく思いを馳せるのは、彼の作品の背景にある地理的な具体性、登場人物の動きにあるニュアンス、あるいは声優や俳優たちの自然なアフレコだ。
だが『火垂るの墓』を研究しているとき、高畑が奥行きをいかに巧みに使っているかがわかった。最前景、中景、背景を行き来するアクションを演出していたのだ。
セル画でよくある、画面を「横切る」動作に限定された感じが、この映画にはまったくない。その結果、非常に印象的でリアリティ満載な、多次元の世界が描き出されることになる。
高畑の空間の使い方は、(フランスのアニメーターで映画監督の)ポール・グリモーによる『羊飼い娘と煙突掃除人』に影響されている。この作品は後に改変され、『王と鳥』として再リリースされているので、ぜひ観てみてほしい。
4. 消音で映画を観ると多くを学べる
私は飛行機の機内でこれを始めた。両隣のスクリーンで『アベンジャーズ』と『フレンズ』がそれぞれ映っていたのを音無しでじっと観ていたのだ。音楽や会話に邪魔されることなく、フレーミングのパターンや、編集のリズム、演技のマンネリズムなど、それまで気づけなかったことに気づいた。
それ以来、私は映画を分析するときにはよく消音にしてみるのだが、そのテクニックが『火垂るの墓』について多くを理解する役に立った。なかでもよく理解できたのが、兄と妹の親密さがアニメのなかでどう表現されているかだった。
それに、消音にしておいたおかげで、母親の着物がもぎ取られたときの節子の悲痛な泣き声を聞かずに済んだ。
5. 『火垂るの墓』で高畑のキャリアは脱線しそうになった
高畑監督はその完璧主義ゆえに、のちに制作のペースを落とすことになる。この映画の制作でも、その兆候はすでにはっきり現れていた。彼は骨の折れる歴史調査を開始し、チームのアーティストたちにも絶え間なく高いレベルを求め続けた。
試作から公開までの時間は、14ヵ月ちょっとしか与えられていなかった。制作はたびたび遅れをとることになり、『火垂るの墓』は最終的に未完成のまま、いくつかの部分が色なしで公開された。完成品は1ヵ月後に急いで劇場に届けられた。
この不祥事は高畑の評判をひどく傷つけ、高畑は一時失業するが、宮崎駿が高畑の次の作品となる『おもひでぽろぽろ』の制作プロデューサーになることを申し出て、高畑をふたたび仲間に迎え入れた──何よりのシンボリックな意思表示だ。
6. 『火垂るの墓』実写版はふたつある
2005年のテレビドラマ版と2008年の劇場版があるのは知っていたが、本を執筆するまで観たことはなかった。
厳密にいえば、ふたつの実写版は野坂の小説を映像化したものであって高畑作品のリメイクではない。だが、アニメ『火垂るの墓』の影響は明白だ。ホタルが飛び交う象徴的なシーンなどがとくにそうだ。
どちらの実写版もそれぞれに特徴的なシーンがあるが、限られた予算の重圧が見られた。どちらもほとんどのシーンが小さなセットで撮られており、空襲のシーンは不自然に短くされている。どれだけメイクを施しても、子役が飢えているように見せることはできない。実写版だと、すごく細かいことでも不自然さに気づいてしまう。
アニメはすべて創作なので、逆にそういう問題に気が散らされることがない。高畑の『火垂るの墓』もその恩恵を受けている。
7. ジブリ研究は始まったばかり
拙著では、本作のプロダクションについて詳細に書いた章があるが、その大半が日本語の資料に基づいている。主要な資料は、文春ジブリ文庫の『ジブリの教科書』シリーズの『火垂るの墓』だった。エッセイやスタッフの証言を集めたものだ。
高畑の著書や野坂のエッセイ、本作の制作・宣伝活動のアーカイブ資料も読み込んだ。こうした資料はジブリの歴史をめぐる情報の宝庫だが、まだ翻訳されておらず、英語圏の学者たちのあいだでは手つかずになっている。この現状が変わることを願っている。
参照元:https://courrier.jp/news/archives/247076/?gallery
みなさんの声
TVからは大食いで競う映像が流れ、美味しい物を求めて並ぶ。日本は、幸せなのか?今が、幸せを噛み締める時かもしれない。
どっちが始めたとか、勝ったとか負けたとかじゃなく、大人の都合で始めた戦争の影には、必ず何の罪も無い子供達の悲しみが隠されている。と普通に受け取れないものなのだろうか。
個人的に印象深いのは「海岸の死体」と「母親の最期」だな
特に後者は、あの優しくて素敵な母親が顔まで包帯で巻かれて物言えない丸太のような状態で転がっているところ
そのことを清太は節子に言えないでいるんだけど
でも節子はちゃんと「お母ちゃん、死んじゃった」ことを知っているという……
どれだけ大食いできるかとか、辛いものどれだけ食べられるかみたいな番組とか、馬鹿じゃないの?って思ってしまう。
自分が子どものころ見た主観的な恐ろしい感想と子の親になってから見る客観的な悲哀の感情は別の作品のように違う。
こうして、戦勝国側出身のジャーナリストさんが、敗戦の空気が強く残る時代の作品を、純粋に鑑賞していただいていることに、新しい時代を感じます。
ありがとう。
作品内では、そこそこちゃんとした食事を子供達に与えていたので、子供達の量を減らしてでも自分なら甥っ子にもわけるだろうな、と思いましたが、もし、一握りの米をお粥にして食べなければいけなかったら…と考えると自分ならどうしただろう?と…。
究極の人間心理を問う作品です。
食料がない中、自分は最低限の健康でなければならないし子供たちも育てなければならない
裕福な家庭生活が一気に崩れ、現実と向き合うことができなくなったとき、清太と節子は二人、暗い横穴でままごとのような生活を送る道を選ぶ。
ファンタジーの源である想像力は人間の最大の能力であるが、若すぎる二人には、美しくも儚い蛍のような存在でしかなかった。
そうか、清太と節子は幽霊として永遠にずっと二人でいられるんだ!だから泣かなくてもいいんだ!……とはいえ、やっぱり何度見ても悲しすぎて泣いてしまうよね。
でも、それを含めて僕はこの作品の美しさと儚さがとても好きだ。
その当時の自分の非道を戦後に悔いて現実を書き換え作ったのが原作小説。
ところがそのしわ寄せで実際には兄妹に優しく接してくれた実在の親戚の叔母さんは酷い書かれ方をされてしまい大バッシングを受けた。
火垂るの墓の本質は「少年の選択と後悔」
叔母さんが悪いわけでなく、清太がむきにならず叔母さんのところにいれば節子は助かった
叔母さんを悪者のように描いているようで、実は「悪かったのは選択を誤った自分自身」という構図になってるのよな…
子供のとき
思春期のとき
社会人になったとき
子育て世代のとき
そして私はまだですが、我が子が親離れしたときも変わるのかなと思います。
感想は人により変わりますが、その感想もきっと年とったり、立場、環境がかわると、皆さん変わると思います。
昔見たきりという人はまた是非見てもらいたい。個人的に火垂るの墓は、この叔母さんの描写が1番深いです。
非情に見えたおばさんも自分には理解できた。
登場人物に悪人はいなかったと思ってる。
現代の日本がどれ程甘いか
ましてや戦時中。
今の平和下の日本人が軽々にアレコレ言えない。
本人も事実は異なること・贖罪の意を作品に込めている旨を言及しているし、
アニメはこうだった・実際はこうだったは、さほど意味をなさない
その子の弟である長男が、今年清太と同じ「14歳」になった
もう一度、見てみるべきなのか悩んでいる
ふたりはもちろん「となりのトトロ」は大好きだ
幼稚園に持っていっていたネコバスのカバンは今でも取っておいてある
現代の中学生になった長男の背格好は、すっかり清太に似てきた
頑張れば彼と一緒に視聴できるだろうか
今はなくなってしまった夏休みの間の登校日に火垂るの墓や戦争作品のアニメを学校で沢山見ました。
大火傷を負った節子のお母さんの姿、アメリカ軍の攻撃で沈没してしまった船から筏で逃げ出した後、合唱したままお婆さんが海に落ちてサメに食べられる姿など目に焼き付いて離れません。
戦争経験者の方も沢山いらっしゃった時代だったので大きな空襲や原爆、沖縄本土合戦の話など沢山の経験談も聞きました。
感受性豊かな子供のうちに見て、聞いて良かったと思います。決して風化させてはいけないことだと思うので、是非息子さんにも見ていただきたいです。
我が子が3〜4歳の時に改めて見たら、あの線があるから、子供の表情がリアルに見えるんですね。
本当にあんな顔をしています。
節子が娘に重なってしまって、涙が止まらなくなります。
娘本人には7歳の時にテレビ放映で初めて見せました。
最初は頭の中ハテナだらけみたいな顔してましたが、途中から怖いと言ってテレビの前から逃げて行ってしまいました…。
またいつか見て欲しいです。
事情を伺ったところ、適切なものは「戦争はよくない」というものでなければならないとのことだった
いろいろなことについて「なるほどね」と思わせられるエピソードだった
作品が古くて視聴の機会が少なく、凄惨な描写には敏感な感性を持つ長男は、これをまだ見てない
「アメリカと戦争をしていたの??」などと言う、歴史背景についてさえ認識していないだろう昨今の小中学生は、これにどのような感想を持つのだろう
実際に、こんな悲惨な時代があったと記憶を風化させないように…
それだけ胸を締め付けられる。
現実逃避と言われればそれまでかもだが、それくらいに強烈なインパクトのある映画である。
放送法や倫理に引っかかるとしても、是非ノーカットで流していただきたい映画です。
抑揚が抑えられ、お涙頂戴とは無縁の描写。
日本ならではの繊細さが印象的だった。
映画版、TVドラマ版も見たがアニメには届いていなかったと思う。
無力で幼い節子が戦争を語っている映画だと思う。
実写でもCGでもない「火垂る」は、戦争当時の日本をリアルに蘇らせた。また作画監督の近藤喜文さんは、人の動きを活き活きと描いた。
高畑さんも近藤さんも鬼籍に入られたが、素晴らしい作品を遺してくれた。
高校生の頃だったか?覚えがないが初めてテレビで観た。
途中から正座して観た映画ははじめてだった。
平和な日本に生まれじいさんばあさんが戦争の話しててもピンと来なかったが初めて戦争というものを考えるきっかけを与えてくれた作品です。
世界の人が見てくれたら
世界から戦争はなくなると思う。
こういう映画がわだかまりなく評価される真の平和な世界が訪れると良いですね。
可哀想過ぎて見られない。
だけど、日本人として必ず1度は見るべき映画だと思う。
1度でも見て、この作品を可哀想で見られないと思えることが大切なんだと思う。
戦争はだめ。
イヤミな映画だと思うかもしれない
日本人であればこの映画を一塊は見てもらいたい
本当に嫌な気分になるけど
戦争を繰り返してはいけないと言う気持ちには絶対なる
当時はこの火垂るの墓と、となりのトトロを2本連続同時上映してました(今のこの時代だと、かなり難しいと思われます。)。単独でも評価を与えるべき作品ですが、火垂るの墓の内容の基本骨子は戦争の暗い影が、ささやかな日常を営む家族に消えようのない凄惨な現実を突きつけ、後に残される末路は目を背けたくなる惨い末路ですが、同時上映のとなりのトトロがその火垂るの墓を観賞した陰鬱な気分を一新してくれます。
世界観も、観賞者に残る印象は180度真逆ではありますが、2つの作品に込めたテーマは、日常の平和と家族の尊さなんだと、今ならそう解釈しています。
そして、当時その映画を家族揃って、観賞した帰り道に外食した一時が、尚更日常の平和と家族の尊さを実感します。
でも大人になった今、私は高畑勲監督の手がけた『火垂るの墓』の素晴らしさを、ほんの少しずつだと思いますが、わかって来た気がします。
昔はほぼ毎年終戦の日前後で放送されていましたね。最近では殆どないので、またそうなって欲しいですね。
戦争でめちゃくちゃになるのは、戦場だけじゃないんだよな。町も、襲われた後も全部めちゃくちゃになる。そういう悲惨さを描いている。
これがアニメとして再び登場した時、ただただ悲しくて辛い印象でしかなかったので、とても見る気になれなかったけれど、偶然テレビでやっていたのを見入ってしまった。
子どもの頃に感じた印象と大人になって母となってからみた印象とではこんなに違うものかと思いながら、やっぱり泣いちゃったのは変わらなかったな…
思うだけで涙が出る。今、このコメントを書いているだけで涙。
悲しすぎる。
見たいけど見ない。
何度も涙を流しながら見た。そして、自分の恵まれた環境を思った。
その後大人になって、子どもを産み母親になり、見る事はできないとずっと思ってきた。
子どもを置いて亡くなったお母さん。残された子ども達の悲しみ辛い境遇。親戚のおばさんの態度や描かれてはいない苦悩。
まだ辛すぎてみられる気がしない。
でもこの映画を見たおかげで、自分はどんな事があっても、戦争の時代に生きていた人たちに比べたら、こんな事なんともないと心の奥深いところに思って乗り越えて来れたのかもしれないと思う。
泣けるほど客観的な視点で観ることはできないしとても複雑な思いになる。
戦争体験のある親族は戦争中は何処でも同じような子達はいたし、この子達はまだ良い環境で我慢が足りないと言ってた。一緒に観た私は涙が止まらなかったが、兄に腹が立つと言ってたよ。
故に、清太に共感して、あの意地悪なおばさんが憎たらしくて、とにかく涙が止まらなかった。
でも、大人になって見たら、子供の頃はあれほど「意地悪」だと思っていた叔母さんに逆に共感して、泣けなくなった。
この物語は、野坂氏の実体験に基づいているらしいけど、野坂氏自身は清太のようにいいお兄ちゃんではなく、それ故に幼い妹を栄養失調で死なせてしまった経験があるらしい。
恐らく野坂氏は、この物語を「可哀想な二人の子供」の話として書いたのではなく、「我儘ゆえに妹を死なせてしまった」懺悔の気持ちをこの物語に託したのだと思う。
それくらい悲しい話しだから。
しかし、何故だか世界の人々には見てほしい。
ただ、見た人は私と同じで二度と見ないことになるだろうから鬼滅のような大ヒットは期待できないですね。
それでも一度だけは見てほしい映画です。
それがリアリティーを増す。
『火垂るの墓』の最大の問題は、同時上映作品が『となりのトトロ』だったということだと思います。
『となりのトトロ』でほっこりした直後に『火垂るの墓』を観た親子は、さぞかしショックだったことでしょう。
私は、同じ作品を何度も見るのが好きだが、火垂るの墓は、一度しか見ていない。
苦しくって見られないのだ。
見ようとしたこともあったが、初めのちょっとだけ見て逃げてしまった。
そうして、何十年も経っている。久々に見るかなぁ。
子供の頃は、お母さんの「カルピスも冷えてるよー」っていうセリフで、セイタさんと節子も自分と同じような子供なんだって引きこまれたり。
これでもかというほどに意味深い場面ばかりで、毎回考えさせられます。
ドキュメンタリーでなくリアリズムを追求しながらもアニメだから、あのシーンは必要だった。
てかないと潰れる、こっちが。
なぜオバさんは守ってあげないのか…
親になってから観ると辛過ぎて観ていられない。
そしてショウタがあの時代で生きている力の無さに辛くなる。
オバさんも大変だな、と思う。
後世には伝えたいけど、私はもう観たくない。
さらにそこにプロの音やセリフが入るから凄いことになっていく。
宮崎駿さんも指摘していたそうですが2人の父親が海軍大佐でありながら両親が死に家が焼かれたとはいえ路等に迷うのは実際の海軍ではありえないとか、後半に銀行から7000円、現在価値で1200万円程の現金を持っていながら餓死っていうのは、ね。
私は号泣しすぎて2度と見ないと誓った。
息子と娘は関西弁に。
節子の話し方、リアルの西宮や病院。
遠い歴史のファンタジーだったはすが、急にリアルになり鑑賞できなくなった。
戦争はダメ。
タイトルを聞いただけで少し涙が潤んでくるので、もう見ないことにしています。
星は魂の事だと。
火垂るの墓とは無念の死を遂げた人の墓なのだと思う。
隣のトトロと2本立て
完成版だったのだろう
神戸空襲は知っていた
実写で出来ない描写がある
年甲斐も無く、号泣するからです。
と言うか、歳とって涙もろくなりました。
見れません。
『火垂るの墓』は素直に見たほうがいいよ。見れば見るほど知れば知るほど重くなってしまうから。
あの時代の日本(人)が凝縮されてると思います。
本当に悲しいお話で、あらすじを思い出すだけだ目がウルウルしてくるよ…。
節子役がまだ小さい子だったから、って話だったような。
一度だけ見たけど、いつも途中で(ごめんむり)と言ってチャンネルを変える。
悲しすぎる。
普通のホタルの話題からも思い出し悲しくなってしまうほど。
海軍大尉の子供があんなことになるはずがない。
うそを書いていると怒っていた。
怒りとも悲しみとも言えない、どうにもならないやるせなさを感じるので。
見ている間はまるで虐待にでもあっているかのように、「え?なんでこんなの見せるの?なんでこんな怖い思いさせるの?悲しくて苦しいばっかりのこんなものを見せるなんて、なんでそんな酷いことを私にするの?」ってずっと思ってた。
トラウマすぎて見たのはその一度きり。
子供に見せるなら、悲しさや怖さから何か学べたり、愛情とか人の美しさとかを最低限感じられる程度の年齢になってからが良いと思います。
子供の時はこれきつかった。
まあジブリではない、のかな?
ギブリーズのカレーのやつもオススメ、まああれはもともとセリフないけどね。
何処までホントか?疑わしい・・
話し半分くらいで良いのとちゃうかな?
漫画で号泣はないやろー、冷静にみてや、おかしいとこあるよ
おばさんになってからみると、気持ちがわかってしまう。
ご飯作っても食器下げずご馳走様も言わない。
自分達の家族が食べる分が減っていく。
上級国民はこのご時世に白米が食べれたと知るとモヤるでしょう。
米を大切におかゆにしていたら文句言われる。
お兄ちゃんが消防訓練や青年団に所属しないからご近所の目があり肩身が狭かっただろう。
兄妹ともに世話しているのに懐かない。
妹が毎晩ぎゃーぎゃー夜中に泣く。
最初は可哀想に思うし仕方ないから引き取り世話するが、邪険にしてしまうのも納得。
お兄ちゃんも、プライドが邪魔しておばさんに泣きつけず妹が死んでしまうしモヤる。
悲しいなあ…
注意しなくてはならないのは、「戦争に負けるな」
「二度と戦争するな」がないと言う人もいるけど、戦争は相手が居て戦争だよ。外国でも内戦でもね。
仕掛けなくても、ふっかけられた戦争は負けてはならない。
火垂るの墓は名作だ。
それに酔って頭がお花畑になってはならない。
8年前に他界しましたが、生前に”火垂るの墓一緒に見る?”ときいたことがありますが、悲しすぎるからいやや、と。
空襲のこわさ、疎開のつらさ、いばりちらしていた農家、空腹、朝鮮人の火事場泥棒的土地略奪、米兵による性略奪などなど酔った時に話してました。
ぼくらのような戦争を知らない世代、平和ボケもいいとこなんだろうなぁ。
でも一番心に残ったアニメ。
戦争になれば節子のような子供は世界中に溢れるってことをわかって欲しいね。
この強烈なオープンニング忘れられない。
戦争は経験してないけれど、その悲惨さが深く突き刺ささる一言だ。
2回目は見る勇気が必要になる名作。
国や人は悪くない。
悪いのは「戦争」。
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