【昭和レトロ】懐かしき、あのスポーツ自転車の思い出

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昭和40年代半ば~昭和50年代半ば、小学生・中学生の憧れの対象はスーパーカーにありました。
そして、その憧れであるスーパーカーの各部メカニズムを取り入れた自転車は「ジュニアスポーツ車」と呼ばれ、小・中学生の男子を夢中にさせることとなります。

ブームを巻き起こしたジュニアスポーツ車

実用性よりも豪華な見た目や装備を優先した「ジュニアスポーツ車」の特徴として、今では珍しいセミドロップハンドルや、ダブルヘッドライト、電子フラッシャー、シフトレバーの付いた変速ギアなどを装備していることが挙げられます。

スポーツ自転車の前身「フラッシャー自転車」


始まりは昭和40年代半ばに丸石自転車の開発した電子フラッシャー付きの自転車でした。

ダブルヘッドライトで、テールランプ、ブレーキランプや方向指示機能が付いている程度でしたが、これが人気を博したことをきっかけに各自転車メーカーが競うようにフラッシャー自転車開発に取り組み始めます。
速度メーターやシフト表示用のデジタル液晶パネル、電子ホーン、トランジスタラジオの搭載、ダブルヘッドライトのLED化やフラッシャーの大型化など勢いは止まりません。

電飾も豪華となり、そのため必要となる電力はダイナモだけでは到底足りなくなり単一乾電池を何本も必要としています。



フラッシャー自転車は実用性が低かった

最終的に少年の力で乗るには重すぎる重量となった実用性の低いこの自転車は、スポーツという名前とは程遠くなってしまい、のちに「フラッシャー自転車」と呼ばれるようになります。

昭和50年代に入ると「フラッシャー自転車」の流行はすっかり過ぎ去っていますが、スーパーカーブームが始まったことによりカウンタックやポルシェなどのヘッドライトを模倣した、通称「スーパーカーライト」を搭載した自転車が大流行することとなります。



スーパーカーライト搭載自転車の流行、そして終焉へ


リトラクタブルヘッドライトのように角張ったヘッドライトが人気で、使わない時は収納して必要な時にポップアップさせたり横方向に展開させるタイプもありました。
その操作は手動操作のほかに手元のスイッチによる電動式に対応したものまであります。

AT車やMT車のようなシフトノブ付きの変速ギアを搭載し、自動車と同じ油圧式ディスクブレーキの構造をした「パワーブレーキ」を搭載した自転車も登場しています。

「フラッシャー自転車」と比較してみると、「フラッシャー自転車」はテールランプなど後部の電子フラッシャーが最も特徴的だったことに対し、「スーパーカーライト」を搭載した自転車は、顔ともいえるヘッドライトに変化を与えることができたため大好評となり、ジュニアスポーツ車の流行はここがピークといえます。

これらの過剰な装備により上昇していく価格はPTAからの問題視や、第一次オイルショックにより自主規制する流れとなり、さらに昭和60年代には人気の原動力であったスーパーカーブームも収束してしまいます。

昭和60年代に入ると通勤や通学用のシンプルで実用的な自転車が若者向けとして売れるようになり、ジュニアスポーツ車は終焉を迎えた。

引用元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200504-00010000-bikeno-bus_all

みなさんの声

名無しさん
懐かしいです。スーパーカーに憧れた世代としては、リトラクタブル、なんちゃってスピードメーター、10段変速が思い出されます。
実際、日常では10段変速とか使う機会がないですが、変速数が多いほど誇らしい感じでしたね。
名無しさん
ほんま懐かしいです(*^^*)金持ちの家の子のリアのフラッシーが羨ましかったです。
ギアチェンジがクルマのフロアAT風だったのが当時はかっこよかったです。
スピードメーターで最高速何キロとか競い合ってましたー(ง˙o˙)ว
名無しさん
そうそう、スピードメーターが付いて嬉しくて、長い下り坂でどれだけスピード出るかとか試してました。今考えると、ノーヘルだったし事故ったら死んでましたね…恐ろしい。
名無しさん
懐かしい。もう45年くらい前だな。共働きしてた母親に「買ってほしい」と言い出せなかった。でも、姉貴が母親にこっそり伝えてくれて、誕生日に買ってもらえたサプライズがあった。ブリヂストンじゃなくて富士自転車のだった。
今、考えると母も姉も優しかったんだなぁ。
名無しさん
法律で車道走行の今こそ、フラッシャーが必要になった気がします、昔は無かった電動も一般的になりましたし。


名無しさん
小学生の時のクリスマスに無理言って買ってもらいました。
あの頃で5万円くらいしたので今思えば凄く高価な自転車でした。
ただ、電池もマンガン電池でLEDでは無く電球だったので直ぐに電池が切れてしまいました(=_=)
流石に重かったので中学生になった頃にはフラッシャーユニットは全部外して高校卒業まで7年くらい使っていました
名無しさん
カゴが後輪タイヤの横に付いていて、それが折りたためたと父親が言っていました。
でもそれって、折り畳まないで走ると邪魔じゃないかな?
と思ったりしたんですけど、そういう問題ではないみたいですね
名無しさん
初めは4段変速買ってもらった。
次は10段かな?横に折りたたみのかごがあってドロップハンドルだったなあ。
10段も変速いらないけど嬉しかった。
鍵をかけ忘れたら盗まれたよ…。
名無しさん
今見たら結構斬新なデザインですもんね(^^)
逆に今再販売したら個性的なデザインだから
一定層は購入する人結構いそうなw
自分は蛍電球とか付けてましたがw
名無しさん
シンクロメモリーってのに友達が乗っていて憧れた。
ギアシフトが透明で、握って「カチカチッ」ってギアチェンジしてて羨ましかった。
そういえばあれ、志村けんがCMやってたんだよな。
名無しさん
自分の所は田舎だったからブームが去った平成5年くらいまで上級生が乗ってたのを覚えてる


名無しさん
この自転車と多面筆入れはいい思い出です(笑)平和だったなぁ。。。
名無しさん
セミドロップハンドルと言ってたね
後輪はディスクブレーキだった
45年前の話
名無しさん
リトラクタブル友達のは電動、自分のは手動。
羨ましかった。
名無しさん
マガジンやジャンプの裏表紙の広告によく載ってたな。
ブームが過ぎた80年代初頭には民家の軒下に乗らなくなって錆びかかった個体をよく見かけたよ。
名無しさん
40年前に7万円近い金額
僕は要らないキラキラ装備の無い自転車を買ってもらいました
同級生のほとんどが同じ隠し目やら発行ダイオードのキラキラ装備の付いた自転車をカッテもらってタガ
名無しさん
足が大きかったので、荷台の横かごで何度かかとを削ったことか(泣


名無しさん
変速ギアの多さでの誇らしさ、懐かしいです。
名無しさん
この後にマウンテンバイクが大流行
懐かしいね!
名無しさん
なつかしい
シンクロメモリーっていうの志村けんがCMしてた
確かシンロクノモメリー?とか間違えるようなセリフいってたなあ
名無しさん
ブラッシュアップして再販されたら欲しいかも
名無しさん
そして時は流れ、今は電動MTBに乗ってます︎
チャリンコ万歳︎
名無しさん
ありましたねぇ。
何キロ出るかやりましたわ笑
おおらかな時代でしたね。


名無しさん
アンテナとかランプとかペナントとか、デコトラみたいにけばけばしい奴もいたね。
黒王号とか名前着けている奴もいたね。
名無しさん
つんつんツノダのTU号ゴー♪
知ってる人いるかな(笑)
名無しさん
うたばんで股間変速と言われていた。
名無しさん
山口ベニー
名無しさん
小学生の時に一番上の写真の様な自転車を買ってもらいました
フラッシャー
ダブルライト
5段変則
みんなこんなのを乗っていたし自転車ショップには何台も飾られていましたね
自分のはブレーキの制動力が雨の日は5倍、なんてのが売りでした
友達や近所の子供達とブレーキに水をぶっかけてそれを実証してましたね
特に5倍とは感じなかったけど、まぁ子供のやることですからね
懐かしいですね
名無しさん
リヤサイドにスチール製のカゴを取り付けて乗るのが定番だったね。たまにカカトがカゴに当たるんだけど、目から火が出るくらい痛かった記憶がある。
みんなで遊んだ帰り、チャリ漕ぎながら少年探偵団BD7のエンディングを歌ったよ。
何もかもみな懐かしい…。


名無しさん
うんうん、仮面ライダーのサイクロン号等を模した子ども用自転車に憧れる年齢を卒業した後はみんなこれ一本でしたねぇ。
うちもリトラクタブルはなかったけど5段変速が自慢でした。
スーパーカー等のかっこいい絵が描いてある泥除け等を装着したり、後でカスタマイズするのも漢(おとこ)の浪漫でしたよね(笑)
あと、うちの地域限定かもしれないけどスポークにプラスチックの輪っかをたくさんつけたり試験管ブラシみたいなのをホイールの中心に巻き付けたりもしませんでしたか?
…いや…あれは子ども用自転車時代だったかなぁ…
…さすがに記憶があやふや…(´-ω-`)とにかく、8時だよ全員集合を見て爆笑して、野球盤で消える魔球使って「ずり~よ~」と友達らと揉めて、ご自慢のかっこいい自転車に颯爽と乗り駄菓子屋さんでガリガリ君を買って。
楽しかったですね(´∀`)
makoto
このチャリ高校の時に乗っていました。
あと、今は見かけない装備でスポークベルがありました。
走りながら手元のスイッチを引くとスポークに打棒が弾かれてタイヤの回転に合わせてベルを打ち付けて「ジャリジャリジャリジャリ」ってけたたましくベルが鳴ります。
うるさかったけど、カスタムする時は一番につけました。
あとはハブステ。
後ろに人を乗せる時にステップにしていました。
今はつけている人はいないなあ。
名無しさん
小2頃に買ってもらったな。買ってもらった日に近くの公園を20周ぐらい走った記憶は今でもあるけどその後の思い出がない。その後ママチャリで武蔵野市から相模湖まで小6の時に行ったり弟の2~3万のマウンテンバイクで大阪行ったり富士山に行ったりしたな。
バイクに十数年乗った後にランドナータイプのトレックに乗っている。北海道から沖縄まで行ったし月に200km前後乗っているな。
小学校の時に乗ったスポーツタイプ。メーターもあり刺激的だったな
名無しさん
私も小学生の頃親に買ってもらいました。リアサイドに折り畳みのカゴを付ける定番スタイルにしたかったのですが、親に「カゴは前の方が見えるから安心だろ」とフロントに付けられてちょっと恥ずかしかったのも良い思い出です(笑)。
名無しさん
俺も昭和の終わりに、小学生になる時に買ってもらった
ダブルライトで6段変速
ここの画像にあるような有名ブランドじゃなかったかもだけど、お気に入りだった
名無しさん
自分はツノダの自転車だったのかな?
四灯ライトで、スイッチでフォグランプとメインのライトに切り替わってた


名無しさん
昭和48年、私はミヤタのサリージャンボテクニカに乗っていました。
電子音とともに左右に光が流れるブラックマスクの電子ウインカーが懐かしいです。
学習机は電動鉛筆削りやアラーム時計の付いたヒカリ・サンデスクでした。
名無しさん
軽いペダルでシャカシャカやるのはかっこ悪いとかいう変な風習があって、いつも重いので漕いでた。
名無しさん
空気入れが装備されてました。すぐに盗まれましたが。と、水筒を搭載してるモデルもあったような。
名無しさん
自分のはフル装備で電池を大量に積んでいたため、坂道は真っ直ぐ上れなかった記憶が…
ジョン
農協扱いのマルキン自転車はちょっと恥ずかしかった
名無しさん
ツンツンツノダのテーユー号です。親に志村のやってたシンクロマッチック買ってくれって言ったらじいちゃんが知り合いの自転車屋さんでディスクブレーキじゃないツノダのチャリ買ってきたの思い出した。


名無しさん
自分の世代は「ツンツンツノダのテイユウGO!」というCMはドラえもんが登場してましたね。
名無しさん
映画のE.T.が82年公開なので、MTBブームとも重なるかな?
名無しさん
>リヤサイドにスチール製のカゴを取り付けて乗るのが定番だったね。
しかも折りたたみ式
名無しさん
リトラクタブルライトのがなかった?
名無しさん
シャアより凄い!
名無しさん
つつんつ、ツノダのセイリューゴーやった?


名無しさん
小学生の時買ってもらっただと~!
くそ~!
俺なんか、学校から帰ったら、ランドセルぶん投げて走って遊びに行ってたぞ!
どこに行くにしても走ってた!
今思うと考えられない体力w
不思議と、疲れを感じなかったんだよね!
名無しさん
スーパーカーブームと相まって子供は自転車に夢を重ねていた。「いつかは自転車ではなく、スーパーカーに乗りたい」。今の時代、子供たちの夢ってなんだろう?令和も昭和以上に子供たちの夢を育む時代にしたいよね!
名無しさん
自分らの頃は移動=自転車。それなしの生活なんて考えられなかった。
現在、地方の車社会のせいか、子どもに自転車そろそろ換えるか?と聞いたら…「あまり乗らないからどっちでもいい」だそうです。少々むなしい。
近年、ヘルメット着用、低学年は大人と乗れ、行っていいのはここまで、不審者事案、一部の大人の暴走自転車による事故… 子どもの自転車環境は悪くなる一方です… 残念。
名無しさん
自分はミヤタ自転車のフラッシャー自転車に小6から高校卒業まで乗っていました。
勿論、愛車の名前はランボルギーニミヤタでした。
名無しさん
セミドロップを略してセミドロと言ってましたね。セミドロは絶滅したようですね。
名無しさん
スーパーカー自転車世代ですが今思うとこの頃の親やPTAは子供の流行に必ず横槍を入れていたように思えます。スーパーカー自転車といい全員集合のコントといいインベーダーゲームといい・・・・・
極めつけはバイクの3ない運動!
因みにこれらのPTAの横槍による規制は私たちが大人になってから役にたったことは何一つない!全て児童・生徒を手っ取り早く管理するためのも愚策であり今の高齢者優遇、現役世代冷遇の図式は我々が児童・生徒時代からの流れではなかろうか?そんな気がします。


名無しさん
確かにそうですが… むしろその規制に反抗する「禁断の果実をかじる感覚」を楽しんでいた気がします(笑) 多分、不良少年がタバコを吸いたがるのと同じ心理ですね。
「エンガチョ」を大人が推進した時代はないでしょうけど(そりゃそうだ)、それが消滅した時代もないと思います。
名無しさん
中学の時プライベートで乗ってる自転車は一切禁止でバカ高いくせに変速機も無い時代遅れのチャリを全員強制購入させられました
30年位前で7万円はしました
理由がもうナメとんのか!って
派手な自転車に乗ってきたら貧しい家庭の子が劣等感を抱く
ホンマ頭おかしいやろー!
子供が3人おったら20万超えやぞ
原チャとちゃうねんぞ!?
そら今の時代になっても激辛カレー食わせた後に可愛がってたつもりだったとか、しゃあしゃあと言える教師がおるわけやわ
クソ神戸が!!
名無しさん
中3になったとき、やっぱりロードマンが欲しくて、子供の頃からお世話になっていた自転車店のおやっさんに相談したら、本気で乗るのならこっちだ!と進めてくれたのがユーラシアでした。サイズもその時の私には少し大きい26インチでしたけど、結局身長が伸びてドンピシャに。高校~大学時代には夏休みの輪行を経験することが出来ました。
50年経った今でも健在で、自転車店のおやっさんには感謝・感謝ですネ。
名無しさん
ブリジストン自転車のカタログを見ながら「ランドナーかスポルティーフか」悩んでいました。
友達と話していると子供心にも志向(嗜好)の違いが出ていました。
それぞれを丁寧に教えてくれた「おやっさん」
その行きつけの自転車屋さんはモーターバイクも扱っていたので、今の趣味にたどり着いています。
名無しさん
スーパーカーライトの自転車が欲しかったけど、小学生のころ父が買ってくれたのはロードマン。
オモチャじゃなくてホンモノを、という事だったみたい。
(ロードマンがホンモノじゃない事が分かったのは最近ですが)
でもその価値がわかってきたのは中学生以降でしたね。
高校生になるとテントを積んで友人とキャンプツーリングに行ったり、いい思い出です。
名無しさん
高校まで10kmあったのでさすがにチャリ新調
知り合いが丸石自転車だったのでロードエースに
店にはアルピナという本格的なランドナーがあったが高かった
入門車なのでけっこう重いが、それでもお金ためてシマノのディレーラーにかえたりトウクリップつけたり、ハブやシートポストをクイックリリースにしてすぐはずせるようにして、友達と輪行で旅行に行きユースホステルに泊まったりといろいろと楽しい思い出を作ってくれた


名無しさん
自分の愛車はナショナルのタムタムロードでした。サイクリング自転車の分野では比較的お値打ちな方の価格帯だったのでこの車種に絞って親に無心したのを覚えてます。このチャリで高校の時に淡路島を一泊二日で一周しました。
名無しさん
私は小5から高校1年まで、グリーンのカリフォルニアロードにお世話になりました。
サイズが少し小さめだったけど、小5の時には大きくてよく転倒しました。
高校2年からは、ママチャリが流行ったので姉のお古をもらったな。
サイクル野郎!って言うマンガが大好きでした。
名無しさん
BSロードマン、宮田カリフォルニアロード、石丸ロードエース、ナショナルタムタムロード、富士フェザーコンポ・・・懐かしいな
名無しさん
ロードマン…懐かしい笑
友達みんな乗ってましたよ。
自分は貧しくてママチャリでした。
たまに乗せてもらって熱かった笑
名無しさん
タッチの西村が乗ってたやつだな覚えてるぜ
名無しさん
三浦友和さんが昔、そういうかんじの自転車のCMに出ていた
フラッシャーはないけどトップチューブのところにレバーがついてるタイプだった
「クリックFF」という名称で、当時感覚でレバーを操作してたのをギヤの段数にクリックがあってそこに合わせると、そのギヤになるのが画期的だった
しかも、通常こぎながらじゃないとギヤチェンジできなかったものを、こがなくても自由にギヤを変えられるところが画期的だった
普通は後ろのハブがフリーなので足を止めるとチェーンも止まるが、これはフロント側がフリーなので足を止めてもチェーンが動いているため変速できた
フロントフリーなのでFF
驚愕の機構だった


名無しさん
懐かしいです。
私は、ナショナルが作った5段変速に乗っていました。確か、6万円近くしたものを、ねだりにねだって親に買ってもらいました。
“プリズムライト”だとかいう、メインライトの光をプリズムを利用して下のライトも光っているように見せる、今思えばフォグランプ的な位置のライトが売りだったと思います。
わけもなく、変速を1段にして、シャカシャカとやたら足の回転だけは速くて、でもスピードはそんなに出ていない感じで走るのが気に入っていました。
名無しさん
当時5万〜6万円してたんですよ、今考えるととんでもない高価な自転車なんです。
親に感謝です。
名無しさん
懐かしい笑。
自分は貧しくて他人から譲り受けたママチャリ乗ってました。
子どもは意味不明なことやって喜んでましたよね笑
楽しいネタありがとうございます。
名無しさん
子供の頃から自転車は大好きで、親に買ってもらって大切にしていましたが、あまりにブームになり過剰装備になりすぎて学校からで規制がかかり
フラッシャーはダメ、変速は5段まで、セミドロップは上に向けて取り付けることなど。
当時の学校は全てダメダメダメ・・・の連発でそのうち廃れて世の中普通の自転車になてしまいました。
ジュニアスポーツではロードマンに全く追いつけずパフォーマンスの違いを見せつけられ社会人になってから、ロードレーサーに乗り3台乗り継ぎながらアップグレードしましたが年齢的に限界を感じて降りました。
今となっては良い思い出です。
名無しさん
小学生の頃5段変速機がトップチューブに付いた自転車を母親に買ってもらいました。荷台のサイドに折り畳みのカゴも付けてもらい遠くまで出かけたりして小旅行感が楽しかったです。大人になった今、屋外の運動も兼ねて自転車買って走ったら楽しいかもしれないですね。
名無しさん
ありました。
あまり使わないとサビてかたくなって開かなくなるカゴですね。
両側に付けてる猛者もいました。


名無しさん
リムを掃除するブラシとかハブ?を掃除するブラシとか…スパークにチェーリングをつけたりと…懐かしいわ
名無しさん
折り畳みのカゴありましたねえ、懐かしいです
名無しさん
ブレーキランプとウインカー付きの自転車はあってもいいと思う。
狭い道で車に乗っていると、前の自転車が急に止まったり、いきなり道の反対側へ渡ったりと危ない事も多々ある
名無しさん
ウインカーは乗る側が出すか出さないかがあるから自転車では厳しいと思うが、ブレーキランプや明るいライトやテールランプは安全の為に良いと思います。
問題は電源かな、ハブダイナモで発電させて小さめのバッテリーに充電して電源の安定化が出来るのなら可能かも?
名無しさん
前照灯が豆電球の時代のハブダイナモは6Wでしたが、LEDになった現代は0.9Wが主流です。
体感的な重さは6Wでも0.9Wでも大差ありません。
3W程度でも光量を増やしたりテールランプやウィンカーも充分つけられるでしょう。
名無しさん
単一の電池を2個入れる取り外し自由の四角いライト、盗まれたり、電球がすぐ切れたり、接触不良で付かなくなってついたり消えたりしながら走ってお巡りさんに止められたり、あの電燈あったらオブジェで欲しい。
ちょっと見駅員さんが駅で使っている感じでした・・・


名無しさん
ブレーキとウインカーは、中国のサイトやamazonに売ってるね。
悩んで、いまだに買ってないけど。
ロードの後ろブレーキにブレーキランプ付けてるのいるけど、昼間車から全然見えないと思ったら、どうも後続のロード用だと気が付いた。
名無しさん
ロードマンより少し後のRADACに今でも乗ってます。
ハイブリッド車はエンドを広げて現行のホイールを使用することが可能です。その他部品も現行のものが使えます。
自動車だったら30年以上前のモデルは現行モデルと大きな差がありますが、この頃のMadeinJapanの自転車って良くできてます。さすがにレースでは無理ですがそれ以外なら今でも十分に通用します。昨今スポーツ自転車は海外ブランドが席巻してますが、日本メーカーが気合を入れて作ったら負けないと思う。
名無しさん
昭和53年小学校5年生の時、フラッシャー付きの自転車が欲しくて買に行ったけど品切れ。一週間待てば入荷すると言われたけど待ちきれず、別の店で当時5万円もするギヤ付きのスーパーカーライト仕様の自転車を買ってもらった。せっかく買ってもらったけど2年間ぐらいしか乗らなかった。買ってくれた父も今年3月他界してしまった。感謝しかない。
名無しさん
子供の頃にリトラクタブルライトの自転車を父に買ってもらい乗っていました。閉じているとフォッグライトのように光り開けるとハイビームのようになってカッコよかった思い出があります。ただ耐久性が無くライトの付け根が割れて最後には片側が落ちてしまった悲しい記憶があります。スーパーカーブームを経験したオジサン世代の思い出話です。
名無しさん
今も有ったら売れると思う!
現在は、電動自転車だから、バッテリーだし。
しかもLEDで、ある程度の電飾にも対応出来そう!
名無しさん
何年前だったか、たしか「YOUは何しにニッポンへ」って番組でドイツ?の若者が自転車で日本縦断の旅をするとかで、青森だったかとある自転車で売れ残ってたのか大事に取ってあったのか その「ダブルヘッドライト」の自転車を僅か数千円で購入し、その自転車で北海道から沖縄行って更に東京に帰ってくる、というのをTVで視た記憶があります。
何十年も前の自転車が何千kmもの走行に耐えうるのに感心したのを今でも憶えています。


名無しさん
小学校の6年の時に変速がフレームにある最初の画像のを、やっとの事で買って貰った。1年も経たない中学の時に下のロードマンが大流行
我が家は買ってくれない
仕方なく黒いフレームをカラフルな色に缶スプレーで塗装、ドロップハンドルに変速機をハンドル取り付けタイプに交換して流行に乗ろうともがいた苦い経験を思いだす。
名無しさん
これを語るならやはりロードマンの扁平型歯車と、セミドロップ車のリトラクタブルライト(電動式)を採り上げなければ。
当時そういった高級車を買ってもらえない我々貧乏人は、プラモ屋で麦球を買い、ブレーキユニットに手仕込みして制動時にバックランプ光らせる程度が関の山でした。それでもかなり楽しみましたけど。
名無しさん
子供の頃、友達がジュニアスポーツ車やカリフォルニアロードなどの自転車に乗り始め、自分も欲しかったのだけれど、「チューブをまたいで乗るような自転車は危険だ」ということで、親は却下。そして高校通学用に買ってもらったのは、カッコ悪い婦人用自転車。
大学生になると仲間の間でロードレーサーに乗るのが流行り、自分も真似をしてついに購入。片道23キロの遠距離通学を開始し、峠越えなどの挑戦もした。自転車は趣味と実用の両方で役立つのがいい所。
確かに親が考えていたように、危険ではある。自分は通学中に自転車で転倒して、歯が4本折れ、ブリッジの前歯になってしまった。治療費48万円を支払わされた親も気の毒。
しかし転んでも起き上がり、乗り続けるのが自転車魂の持ち主。その後も自分は、スポーツ自転車を何台も乗りつぶし、人生の様々な局面で自転車と苦楽を共にしてきた。スポーツ自転車は自分の個性の一部だと思っている。
名無しさん
小学生の時買ってもらったジュニアスポーツ車だったが中学校がセミドロップ禁止だったので自分でハンドルひっくり返して取り付けそれを45°まで下げて椅子を上げ前傾姿勢になるようにして乗ってた。まさに中二病。
名無しさん
懐かしい
ブリジストン アストロG→ロードマンに乗った
アストロGは単一乾電池6本積載でかなり重かった
その後のバイク、車のメンテナンスができるようになったのは自転車いじりがきっかけだった
名無しさん
今の時代みたいに2-3段切り替えがあれば十分使用に耐えられるのに、意味もなく5-10段くらいの変速もあった気がする…
ただ単に変速が多ければ多いほどカッコいいと思っていた時代でもあったわ(*‘ω‘*)


名無しさん
私の時には富士自転車の内装3段のヤツだった。ライトを点けるとスモールランプが前後に点くと言う物だったけど、ダイナモの能力が6V8wで重たかったけど頑張って踏んで居た。弟はナショナル製のwライトのディスクブレーキのヤツ。
当時学校迄の道路が繋がり自転車通学が学年の途中から始まったと言う具合。
当時の自転車屋は、かなり儲けたと思う。
私の地区迄持って来ての展示即売会だったから(S.40年代)。
名無しさん
スーパーカーはポルシェ派でリトラクタブルライトには関心が薄く、欲しかったのはせいぜいライトがフォグに瞬間に変えられるヤツでした。
校則でセミドロップは禁止だったので、ソレを上下逆さまにしてました。
田舎だったので田んぼのあぜ道や林道にも満たない山道を走ったものです。
おかげで3年間持たず、3年の後半にはドロップハンドルのランドナーもどきに買い替えました。
校則違反でしたが昔はおおらかでしたね。教師からはせめられませんでした。
同級生からの風当たりは強かったですけど…
小さい頃から偏屈者でしたね。
今では当時の山道好きが高じてオフロードバイクと4WDにのってます。
名無しさん
むしろ、今の自転車にフラッシャー標準装備して欲しい
なまじスピードが出るだけに、どっちに曲がりたいのかの意思表示をハッキリしてくれないと危険
名無しさん
懐かしいですね。フジのコンコルドやそれに似たベガ、ミヤタのスーパーサリーゼロ・スターレイカー、ブリヂストンのモンテカルロなど、見ていても唸るものがありました。
オイルディスクブレーキは、一見、利きが良さそうでも、実際はパッドが磨り減るとブレーキ本体を交換ということになりかねなかったですから大変でしたね。灯具類は見た目が良いですが、ウィンカーは電池式ですから水が入ると・・・、でしたが、こういったスポーツ車の技術が後年の電動アシスト自転車などに生かされているのは凄いですね。今後、安全の為に、色々な自転車にウィンカー付きのものが登場すると良いと思います。
名無しさん
『トリアルタイヤ』をお忘れなく!
なんたって、走行する際の遠心力で、タイヤ断面が自動的に三角形になることで路面に対する接地面積を減少させ、転がり抵抗を少なくさせるという、画期的なタイヤだからね!
名無しさん
私が小学校低学年の時まで流行っていましたね。ちょうど平成になったばかりの時代でした。
あのAT車のようなシフトレバーにMT車のごとく用意された外装変速機はとても憧れていました。
しかし、変速をするために片手をハンドルから離す必要があり、安全性に問題がありました。そこへ、ハンドルから手を放さず指先だけで変速できるタイプが登場しました。
するとたちまち憧れだったこの自転車は姿を消していきましたね。
私が中学生の時は指先で変速するタイプ。高校生の時は右手のグリップを回して変速するタイプになりました。
私が大学生の時は、友人から「人間オートマだ」と言われました。「それをマニュアルと言うんだよ」と返したのを覚えています。
ちなみに、人間の身体はモーターとガソリンエンジンの中間くらいのトルク特性なので、6段変速だったら2速発進していました。ディーゼルエンジンみたいですねw


名無しさん
赤・青・綠・オレンジの豆球を至る所のフレームに付けトラック野郎風にデコレーションして発電機を何回も壊して。何処へでも出かけていたことを思い出す。いま少しずつ増えている自動車の流れるフラッシュも、すでにこの当時この自転車にはあったのも懐かしく誇りに自慢できる話。ポリ公うるせぇぞと思いながら乗っていた。今の中古車中心に乗用車にこんな楽しみ方あれば売れるのに、税金で縛られてる残念な日本
忍者
この時代の自転車はワクワク感があったな!
もし今の時代にこの当時の自転車が復刻版として発売されたなら即買いします!
いつかはカウンタックに乗りたい…
この夢は今でも見てますよ!
名無しさん
20年くらいまえ、まだ役者だったころの山本太郎が、テレビで「趣味は自転車」といって、このタイプのを乗っていたw
もちろん、すでにこのタイプは絶滅してたのだが、「いまみてもカッコいいなぁ」と、幼少の憧れを抱いていると、なんと数日後、営業先のとなりにある自転車屋で、1000円で投げ売りしていたw
もちろん即買いしてしまい、まったく乗らないけど、いまも大切に保管している。
名無しさん
セミドロップハンドルで、フラッシャー付き、乗ってましたね。1968年~1969年くらいからかな、小学生に爆発的に流行り出したのは。親に買ってもらった時はとても嬉しかった。その後、フラッシャー外したり、ハンドルを別のに変えたりしながらも、高校卒業まで乗っていた。この記事にあるスーパーカーブームは1970年代後半からなので、最初のブームの頃は、ほとんど関係ないと思うけど、大人が乗る自動車やバイクへの子どもたちのあこがれをうまくつかんだヒット商品だったと思う。シフト表示も当初はメカニカルだったけど、その後はLEDも使われたんだね。
名無しさん
ドロップハンドルの自転車が欲しくて中古でしたが買ってもらった時は嬉しかった思い出があります。
今街中でドロップハンドルの学生はほとんど見ませんが当時は皆ドロップが主流でした。
今の通学用は無機質な皆同じ感じで面白みもなくちょっとかわいそうな感じですね。
最近は歳のせいか電動自転車にあこがれを持ってますが高いのと重たいので考えています、又ドロップハンドルに乗りたい。
名無しさん
自転車に乗る事が大好きだった小学生の頃を懐かしく思い出します。ライトが上下2段に付いてたり、ペダルを漕がなくても変速ができるタイプ、ブレーキが油圧だったりと、今思えばいい値段だったんだろうなぁ。当時お世辞にもお金持ちでは無かったあの頃の我が家、そんな自転車を買い与えてくれた事に、子供の頃には気付かなかったけど今、とても感謝してます。


名無しさん
これは当時のスーパーカーブームと密接な関係があると思う。リトラクタブルライトやウインカー、シフトレバーなどをクルマと同じイメージにして子供を釣ろうとしたのだと思う。実際自分も釣られたけど。現実にはとても重く、スポーツには程遠い、本物のスポーツ車とかけ離れて居たが、夢があった。
名無しさん
うろ覚えだけど、昭和50年代の小学生の頃、低学年で1台目のナショナル製の3段変速、高学年で2台目のブリヂストンの7段変速、ダブルライトは白色と青色(プラスチックかガラスの色かも)、速度の目安が表示されるもの、に乗っていた気がする。
当時はもうスーパーカー人気はなかったけど、記事写真の1枚目のものが自転車屋さんの店頭にズラリと並んでいて当たり前のように買ってたと思う。
フラッシャーとは呼んでなかったと思うけど…
中学生では、3段変速付きのママチャリのハンドルがY字にしたようなものに乗ってた気もする。
高校生では普通に2段変速のママチャリだったかな。
大学生になって原チャリ、社会人になって自動車、子供が中学生になって車は手放してカーシェアリングサービスに移行。
妻は子供が小さい頃は子供乗せ自転車、子供はLOUISGARNEAU…
小学生当時のフラッシャーなるものが一番高かった…
名無しさん
憧れでした、上級生や同級生は乗ってましたね。
私も欲しかったのでしが買ってもらえず悔しい思いでした。
高校の頃にはロードレース用を買ってもらえました。
その自転車のフレームはいまだに有ります。
名無しさん
ミヤタのリトラクタブルに乗ってた。初代はライトが横に開くタイプだった、2代目が普通の縦に開くやつでそれ買ってもらった。ライト後ろにツマミがあり押すとボコっと開くセコイ仕組み、オプションでワイヤーによるユニット付けると手元のレバーで開閉出来る。他メーカーはそんなの最初から付いてたり、電動だった。近所の自転車屋がミヤタの販売店だったからそれになった。しかもその自転車屋のオヤジは安全面からか画像のようなドロップハンドルではなく、それをひっくり返したアップタイプに組み立てるもんでカッコ悪くて納得いかなかったな。
名無しさん
ダブルヘッドライト自転車に憧れた中学生時代。
「ロードマン」が欲しかった高校時代。しかし貧困のため下位車種の「ロードスター」を買って貰って通学しました。
12段変速でしたが、特に故障もなく…夏休みに熊本から広島まで行った事が今でも最高の想い出になっています。
名無しさん
なんと懐かしい!私も小学生の時に近所の自転車屋さんで新車で買って貰いました。ブリジストン製で夜はリアに赤いLEDが点灯と点滅し、ギアポジションがデジタル表示され、フロントライトはHiとLoに切替式でした、が、しかし。地域の小学生の妬み嫉み僻みを一身に受けたその自転車は3年程の間に絶えず駐輪場で攻撃に合い知らないうちにギアポジションのプラ部分が割られてしまいました。昔は子供が多かったからか大切にされない子供が沢山居たものです。


名無しさん
友達がリトラクタブルの奴に乗ってて羨ましかったけど、俺はそんなの買ってもらえるわけなかった
でも、中学生になって近所のお兄ちゃんが乗ってたドロップハンドルの自転車を貰えた
なんにもついてないシンプルな奴で、むしろ中学生になった頃に小学生の時の派手な自転車に乗ってるやつよりもカッコよく感じて嬉しかった
名無しさん
子供頃持っていた自転車は電子フラッシャー(方向指示器)ではなく、電動式のタイプだった。フラッシャーライトのオンオフをさせる役目は低速で回転するロータースイッチ。そして、それを稼働させるギアとモーターが入っいた。そりゃ、電池の消費が早い訳だとガッカリした事を覚えている。因みに、その他の装備はダブルヘッドライト、ストップライト、速度計、走行距離カウンター、5段変速ギアと、空気入れ、ブザーだった。メーカー名は記憶が定かではないが、確か、マルキン自転車だだったような気する。
そこらのオヤジ
自宅から高校まで公共交通機関だとものすごく時間がかかる経路だったんで、結構な距離はあったけど自転車通学だった。
で、通学の足として使ってたのが金色っぽいメタリック色のロードマン。
途中には地獄坂と呼ばれていた厳しい坂もあったけど、ガシガシ登っていったもんだ。
今じゃ、金かけたロードバイクでも一息にいけるかなぁ、、、
郷愁にふける良い記事だ。
名無しさん
自転車屋でバイトしていたんだけど「どうして自転車屋がハンダゴテ持って修理やってるんだ?」って思った。
電飾は「調べないとわかりません」っていうことが多いから商売的に厄介者だったなぁ。自転車ってシンプルだからちょっと触ればどれだけの作業時間・費用で修理できるのかわかるんだけど、電気はそうはいかないんで。
名無しさん
どちらに曲がるか良く分からない電子フラッシャー、普通のものと比べてどれくらいの差が有るのか不明のハイドロブレーキ、大き過ぎて凄く扱いにくい車のシフトみたいなチェンジレバー、使う事の無かったフォグランプ、漕ぎ出しが軽かったのかどうだったのか思い出せない楕円形のオーバルギア、他にも一杯メーカーが競いあって色んなメカニズムを一杯つけていた。50年近く前に3~4万円していた。親は無理して買ってくれたんだろうなぁと今さら感謝しています。
名無しさん
昭和50年に中学生になった年代なので、まさにこの時代でした。
但し、校則でドロップハンドルは違反だったので上向きにひっくり返し、変速も「5段まで」というルールがあったので、6段変速の自転車は6段目に入らない様にテープ巻きしてじやないと通学許可が貰えなかったな。
リトラクタブルライトのは、珍しさでみんなで出したり入れたりして遊び過ぎたのか、かなり早い時期に動かなくなったりしていた。


名無しさん
シンクロメモリーシステムは今のロードのシフトの原型だし、ディスクブレーキは今の最新ディスクロードの原型だし、BSの少年用自転車に採用されていたフロント楕円チェーンリングも今の楕円ギアの原型。
なんやかんや、時代を先取りしてる。
名無しさん
昭和50年頃に買った自転車のタイヤが「トリアルタイヤ」とか言って断面が三角形だと言って宣伝していた。正確には台形というか地面に接する部分が丸ではなくて平らになっていた。転がり抵抗が少なくて軽く速く走れる新時代のタイヤだと言っていたがあまり流行らずいつのまにか消えて行った。私の自転車のタイヤも磨り減って来て普通の丸いタイヤに交換したが特に変わらない感じだった。
名無しさん
当時中学1年で親父に富士フェザーコンポを買ってもらって嬉しかったな。
それまでのミニサイクルに比べて行動範囲が広まってよくサイクリングに友達と行った事はいい思い出になっている。
その後のバイクや車への趣味に繋がる道だったと思います。
名無しさん
こういうチャリで育った世代は年いったら必然と車に興味でる流れだよね。今はチャリは色々充実してるけどあくまでチャリの世界で完結されてる感じだから若者が車に興味ない一因なのかも。うちの職場にも免許取る気配ない若者いるな。
名無しさん
もろに記事の世代です。
大人になってからヴィンテージ自転車のレストアが趣味にしてるんですが、5年ほど前に「ロードマンってどんな感じだっけ?」と思って83年の車体をヤフオクで入手してレストアして通勤に使ってました。
自転車の構造に詳しくなってから見ると、作り方はママチャリですね。スポーツ車の形をしたママチャリ。乗り味もママチャリそのものでした。そこを分かったうえで趣味として乗るのはいいと思います。ヤフオクを小まめにみてれば純正のオプション品が今でも新品で出てきますし、タイヤとか今のママチャリと同じ規格なので苦労することもないです。
名無しさん
フラッシャー自転車とロードマンの間の世代で両方乗った…
小学生のときに流行ったフラッシャー自転車は、高学年になると恥ずかしくて外したけど、外した後にはすごく間抜けな空間が広がった…
自動変速やスピードメーター、バックミラーを付けているヤツもいたな…
終わりくらいには、ラジオを付けた自転車もあった…f(^_^;)


kuro
ナショナル製を小学生のときに買ってもらいました。
セミドロップハンドル、6段変速、ウインカー、黄色フォグランプ、電子ブザー、リアサーボオイルディスクブレーキとほぼフル装備。オプションで横にかご、ミラー、スピードメーターなんかをつけたりして・・・・。雪国に引越しとき、アイスバーンでは車重の重さに加え、リアのブレーキが効き過ぎるので下り坂ではブレーキ操作に気を使ったことを覚えています。
名無しさん
めちゃくちゃ懐かしい。中学、高校と乗ってました。
高校の時は下火になり、お金ある家庭は普通の自転車に乗りかえてたやついたけどね。普通の家庭はなかなか買ってもらえなかったので、けっこうまだ乗ってた人多かったですね。中学の時男子は全員のっでしたねー。けどけっこう高かったよねー。親もがんばってくれたなと思います。今は親の気持ちがわかると年齢になりました。
名無しさん
エレクトロボーイZに乗っていました。
リアのターンシグナルは今のプレミアムカーが搭載している流れるウィンカーで(もちろん、電球ですが)カッコ良かったなぁ~
その後、中学生になってウィンカーを外しハンドルをドロップにしたりしてサイクリングにも出かけたな。その頃にはロードマンが発売されて、欲しかったな。
名無しさん
4灯式のヘッドライト付きに乗ってました。
さらに電池式のフォグライトまで付いてました。
変速ギアは自動車と同じ様なHパターンのものでしたが、電動式だったので電池が減ってくると変速が遅くなる代物でした。
で、中学生なる頃にロードマンに乗換え〜と、この記事通りの道でしたね。
名無しさん
マイナーなモデルでしたが、セキネのウルフVXが欲しかった。機械式スピードメーターは走行負荷になるので、標準装着してるモデルは少なかったが、ウルフVXはヘッドライト、ウインカーと一体化してデザイン的にうまくまとめていた。昭和45年頃だったと思う。乗っていた方いたら、コメント頂けると幸いです。
名無しさん
うちは「貧乏」だったので、親に『自転車買って!』とは言えず、持っている友達と遊ぶときには『体を鍛えているから…』と嘘をついて全速力で走っていました。
結局、大人になって「車」は、何台も買ったのに「自転車」は買う気になれなかった。(TT)


名無しさん
そうした「重装備」、目の付け所は悪くなかったのだが、いかんせん当時の工作・電気技術では、大きく重たく不確実な物しか量産できなかった。
皮肉な話だが、そうしたフラッシャー自転車が消滅した1990年代になってようやく、ハンドルから手を離さず確実に操作できる多段シフトが量産化された。複数ヘッドライトの並列装備も、LEDライトやハブダイナモの実用化、乾電池や二次電池の高性能化で簡単にできるようになった。
クロスバイクやMTB等のハンドルにアクセサリーバーを追加するなどすれば、ヘッドライトがずらりと並ぶ「なんちゃってフラッシャー」に変身できるぞ!(笑)
名無しさん
ライト、フラッシャー、スピードメーター、ディスクブレーキなんかが付いてました。
電池の消耗が激しくて、とても小遣いでは買えなかった。たしか単1、8本使ってたと思う。
名無しさん
懐かしい昭和ですね…憧れだったけど買ってもらえなかった…悔しかったしお金持ちの乗ってる子供がうらやましかったけど、今ではそれも良い思い出ですね…今みたいに何でもみんな、同じ物を持たないとおかしい時代では無かったからね~(^-^)
名無しさん
納車した日、あまりの嬉しさに遠出し過ぎて隣の学区まで行って親、学校、その他大勢に怒られ、翌日そのショックから立ち直れない状態で乗ってて、クルマに衝突…。思い出してしまったなぁ。当時、クロレラドリンク配達バイト頑張って、やっと買ったオレのマシン。最高にカッコ良かった!
名無しさん
ポルシェタイプ乗ってました。ランチアタイプもありましたがポルシェが好きだったから。
リトラクタブルライトで車のオートマ風デザインの5段ギアでした。色は当時のポルシェ935のマルティニカラーを意識したものでした。
ただ、ランチアタイプはギアがFFだったかな?ペダルこがなくても変則できるシステムだったような?
頭の片隅程度の話ですみません。
あきまる
小学校6年の時に山口ベニー号って言う自転車を買ってもらって乗っていました。シフトがトップブリッジについていてクルマのATレバーのような格好でした。セミドロップは逆さま取り付けでアップハンドル仕様でした。今はレイダックとゲイリーフィッシャーのMTBを楽しんでます。


名無しさん
中学入るとき自転車通学にロードマンが人気だったが高くて買ってもらえず、違うメーカーの似たものだった。
当時の校則のせいでドロップハンドルを付けられなかったが、後に戻して高校時代も通学で乗ったよ。
今思うと危ないんだけど楽しかったな
名無しさん
懐かしい!ミヤタの、スーパーサリーゼロ乗ってました。油圧リアディスクブレーキでドライ路面でもすぐロックできてしまいタイヤが無くなりタイヤ交換2回しました。中1から、高3まで6年お世話になりましたが、流石に高校時代は、友達から笑いネタにされて悔しくて辛い思い出もあります。友達が自転車好きで高価なロードバイクや、当時未だ珍しいマウンテンバイクで通学する連中に囲まれてていたので良くバカにされてました。(走りは根性で負けなかったですが、、)
名無しさん
ロードマンではなくミヤタのカルフォルニアロードを中学に入る前に買って貰ったな。タイヤのサイドが生ゴムっぽいカラーでカッコ良かったんだけど段差でよくパンクするのでタイヤを買い替えたり高校の通学用に使うのでストレートバータイプのハンドルに変えたりしていた。バイクに乗る様になって乗らなくなり誰かに譲った様な気がする。
名無しさん
僕も乗っていました。「ミヤタサリージャンボテクニカ」(長!)フラッシャーに電子ホーン、荷台の下に電池ボックスが在った。5段変速で、よくチェーンが外れたのを覚えています。素手でチェーンを戻すから指が油で真っ黒になっていました。小学高学年の時に買ってもらったのですが、中学になると、人気だったマンガ「サイクル野郎」を真似て、ライト以外を全部外して、ハンドルもドロップタイプに変えていました。
名無しさん
自分のジュニアスポーツ車には「TURBO」とエンブレムがあった。
クルマに憧れていたから嬉しかった。
あと、自分で豆電球みたいな電飾をダイナモから電源を取って前後につけてたな〜
やはり、中学生になってロードマンを買ってもらい、鶴見川のサイクリングロードや街中をかっ飛ばしてました。自転車暴走族だった。
今思えば、おっかない…

管理人の率直な感想

僕はこの自転車の世代ではないのですが、思い出はあります。

小学校2年生のとき。
近所にこの自転車に乗ってるおじさんがいましてね。

当時僕は、ハンドルの中央に仮面ライダーの顔が付いていて、その顔がピカピカ光るという実に怖い自転車に乗っていました。
ピカピカ光る仮面ライダー自転車に違和感を覚えていた僕の前に、流星のごとくスポーツ自転車おじさんが現れたのです。

「いろいろ凄い自転車」に乗っている普通のおじさん。
見た目は普通だけど凄い自転車に乗るおじさん。
僕の中で特別な存在でした。

具体的な家の場所は分からないのですが、定期的かつ不規則に僕の前に現れる。
それがまた神秘的だった。

おじさんの正体を暴きたくて後をついていくようになりました。
おじさんはそんな僕に話しかけることはなかった。

僕の小学校では低学年が自転車で乗れる範囲が決まっていて、その決まりを順守していた僕は、範囲外に出ていくおじさんを追いかけることは出来ませんでした。

「凄い自転車の秘密を知りたい」「おじさんの正体を知りたい」

そんな僕の願いは、猫の額ほどの範囲内では叶わないものでした。

数か月間、追いかけました。
ある日、いつものように範囲ギリギリの場所で止まって見送る僕に、おじさんが戻ってきて話しかけてきました。

「知らない人について行っちゃいけないって言われなかったか?」

黙り込む僕。
去っていくおじさん。

ところがまた戻ってきて、僕にパピコの片方をくれたのです。

二人でパピコを食べながら「なんでついてくるんだ?」とか「この自転車は若者がみんな乗っていたんだ」とか、何だかんだと話してくれたのですが、たどたどしい僕の返しのせいで会話として成立していなかったのを覚えています。

「とにかくもうついてくるんじゃないぞ」
これがおじさんの最後の言葉です。

小学生の興味は移り変わりが早いものです。
数カ月もおじさんに興味を持ったのが奇跡といっていい。

中学年になり高学年になり、中学に入り・・・おじんさんの姿を見かけることはなくなっていました。

結局おじさんが誰だったのか正体は分からず終いですが、まあ普通のおじさんだったんでしょう。

最後に話しかけてくれた夕暮れ時。
あのパピコの味は今も鮮明に思い出せる。

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