NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公は、明智光秀。
ドラマのクライマックスとなるのが、あの「本能寺の変」だ。
1582年6月2日、天下統一を目前にしていた織田信長が、家臣の明智光秀の謀反により、本能寺で自害。
だが光秀は、「中国大返し」で戻った豊臣秀吉に敗れ、その天下はわずか11日で終わった。
「戦国時代、最後にして最大の下剋上」といわれる。
主君・信長にパワハラを受けつづけた結果の謀反――つまり、「光秀の “私怨” が原因」というのが、人々が持つ本能寺の変のイメージだろう。
だが近年、これを覆す「新説」が、次々と発表されている。
『本能寺の変には黒幕がいる』という説
今回、紹介するのは、黒幕や共謀者と囁かれる8人の “真犯人” 。
荒唐無稽な説もあるが、思わず膝を打つ説も。歴史上の大事件にもかかわらず、いまだ「信長殺し」の謎が解明されないのは、なぜか。
「信頼性の高い1次史料が、限られているためです。学者や作家は、自説の補完材料として、2次史料・3次史料を恣意的に利用するため、基本的な事実すら定まらず、論旨が噛み合わないのです」
歴史アナリストで『明智光秀の生涯』(三笠書房)の著者、外川淳氏(56)は、そう語る。
「『黒幕がいる』という説を提起する人は、真実を解明したいわけではなく、歴史エンタテインメントとして支持を得られればいいのでしょう。歴史学での研究成果を論拠としながら、そこにフィクションを追加することで、真実を解明した “幻想” を与えつづけているだけともいえます。私自身は、『光秀は、黒幕に操られて謀反へ追い込まれたのではなく、自らの意思で天下簒奪(さんだつ)を決めた』と考えています。『共謀者もいた』と考えますが、山崎合戦で光秀が秀吉に敗北したことで、共謀者自身が証拠を消し去ったはずです」(外川氏、以下同)
明智光秀の謎めいた前半生
大河ドラマでは、光秀の「謎めいた前半生」に光があたる。
「光秀は謀反人とみなされ、秀吉の時代には、血縁者や関係者は、その事実を隠さざるを得なかった。そのため、光秀に関して信頼に足る史料のほとんどが失われ、生年月日や生まれた場所、父の名前さえ不明なのです。しかし生涯を辿ると、知性と行動力で逆境を克服した優れた武将だったことがわかります。精神状態が不安定で、突発的に謀反したように語られますが、それは類まれなる名将に対する名誉毀損。天下人となることを夢見て、チャンスを逃さなかった。わずかでも天下を奪い獲った、成功者だったと思います」
8人の 真犯人についての新説
以下では、8人の “真犯人” についての新説を、外川氏に解説してもらう。あなたの知らない光秀がくる。
豊臣秀吉
“天下統一を目前にしていた信長にとって代わり、自らが覇者となるために、秀吉が光秀を謀反へと導いた” という説。最終的に、本能寺の変で最大の利益を受けたのが秀吉だったことや、「中国大返し」の不自然なまでの動きの早さなどが根拠とされる。
「“黒幕” とまではいえませんが、『光秀との共謀があった』とすることは、否定しきれない有力な仮説。信長に対する不信感、警戒心は、光秀も秀吉も持っていたはずです。共謀の証拠は、勝者・秀吉により抹消されたとも考えられます」(外川氏の見解、以下同)
徳川家康
「家康は、『信長が自身(家康)の殺害を光秀に命じた』と察知し、光秀と共謀して返り討ちにした」という説。信長と徳川家康は同盟関係にあった。しかし、家康は嫡男と妻を、信長の命により死に追いやられていた。「本能寺の変」直前、家康が光秀からもてなしを受けていたことも根拠だ。
「光秀と家康の接点は、それほどなかったはずですが、この両者に仕えた武将が存在します。『この武将が、両者の間をつなぐスパイ、あるいは連絡役のような役割を演じ、謀議を交わした……』と想像することも可能でしょう」
濃姫
斎藤道三の娘で、のちに信長に嫁いだ濃姫を、『本能寺の変』の中心人物だと疑う説。『光秀と濃姫は、いとこであり、幼馴染み、さらに恋仲でもあった』という見解を前提としている。信長を含めた、この3人の “三角関係” が、変を引き起こしたとする筋立てだ。
「ドラマとしてはおもしろいのですが、光秀の出自自体が謎であり、濃姫と血縁関係の可能性は低い。とはいえ、血縁関係が事実なら、光秀は主君・信長と、濃姫は出世街道を走るエリート・光秀と縁戚になり……。互いに好都合です」
足利義昭
「信長の後ろ盾で将軍となりながら、のちに京を追放された足利義昭が、光秀を決起させた」とする説。義昭は京を追放後、毛利氏などの庇護を受けながら、反織田の有力武将と連絡を取り、打倒信長の策謀を続けていたことは、いくつもの書状などから確認されている。
「光秀は、義昭に仕えていた時期があり、彼の軽薄な人間性を知り尽くしていた。義昭は、『本能寺の変』のころには、すでにその価値に見切りをつけられており、仮に関与していたとしても、“黒幕” ほどの影響力はなかったとみる」
長宗我部元親
「目前に迫った四国征伐を回避するため、長宗我部元親が光秀と共謀した」とする説。光秀と元親は、近年再検証された「石谷家文書」により、密接に関係していたことが裏づけられている。光秀は信長を倒したあと、元親の協力を得られることを期待していた。
「『石谷家文書』からは、光秀と元親の深い関係を知ることができるうえに、この文書が、光秀に謀反を決意させた可能性までもある。とはいえ、『共謀の証拠』とまでは言い切れません」
正親町天皇
「朝廷が信長を京へおびき寄せ、光秀に襲撃させた」とする説。「本能寺の変」が起きる直前の5月、朝廷(当時は正親町天皇)は、信長に「関白」「太政大臣」「征夷大将軍」のいずれかへの就任を打診した。根底には、光秀が朝廷と築いていた、密接な人脈の存在がある。
「『本能寺の変』前後の状況から、光秀と朝廷で謀議することは可能。仮にそのような事実があっても、光秀が秀吉に敗れた時点で、証拠は抹消されたでしょう。否定はできませんが、実証することも不可能」
森蘭丸
石原慎太郎の著書『信長記』で示された説。“信長に対する森蘭丸の愛” を主軸に描いた戯曲作品で、最終的には「信長の愛情を独占し心中するために、蘭丸が光秀をそそのかし、『本能寺の変』を起こさせた」とする。いわゆる、“BL” 的なストーリー。
「『本能寺の変』を大胆に推理するために、提起されたひとつ。史実としては、齟齬が生じます。ただし、蘭丸の小姓(=秘書)としての役割を再評価すると、謎解明のための新しい方向性となる可能性も秘められている」
イエズス会
信長は、海外の勢力とも密接な関係を築いていたが……。「みずからを “神格化” して、あまりに大きな野望を持つ信長を、イエズス会が危険視し、光秀を唆し謀反に導いた」とする説だ。だが論拠には、資料の誤読や論理の破綻があり、否定的な意見が多い。
「戦国時代の日本は、スペインやポルトガルなど、南蛮国からの侵略の危機に脅えるような、不安定な国家ではありません。そのため、外国人宣教師の政治的影響力は皆無に等しく、“黒幕” などには、なりようがありません」
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200119-00010001-flash-peo&p=1
みなさんの声
与力大名の細川氏などにも全く根回しもせず、織田信長の一瞬のすきをついただけでは。信長は、割と脇があまく、浅井などの同盟した大名、家臣の松永氏など、次から次へと裏切られている。
松永久秀に関しては二度も謀反したのにまた許そうとしてたんだし
黒幕説は現実的ではないですよね。秀吉も家康も本能寺の変で窮地に陥る可能性が十分にあったし、朝廷も財政を信長に頼っていた状況でそんなリスクを冒さないと思います。京都が戦場になるのも避けたいですし。
秀吉に計画を漏らすくらいなら細川・筒井に漏らした方がずっと良いだろう。
羽柴秀吉でさえ、信長が天下を取ったら要済みとされ所領を没収されることも充分予想出来た。
光秀は理想論で、自分が信長を討てば各将が喝采して味方になるものだと思っていたが、実際は誰も味方にならなかった。
一方、秀吉はこれを千載一遇のチャンスと捉え、各将に手紙を書きまくり、根回し万全の状態で光秀を山崎の戦いで打ち破った。
この根回しの上手さが秀吉と光秀の差だと思う。
カギは本能寺の前に数週間にある。織田家のナンバーワンの光秀とナンバーツーの秀吉の関係も大きい。秀吉が黒幕ではなくリスクマネジメントを徹底し情報網があったんでしょう。信長が亡くなったと信じて行動したことの証。信長と長男が同じ地域にいたことも大きい。四国の長曾我部等、いろんな要因が絡んで起こった。黒幕はいない、本能寺までの2週間に何かがあった。その2週間を解明できれば分かるでしょう。滅びた家の史料は乏しい。最近、新たな発見があるようだが、更なる発見も待たれる。
信長も朝廷に圧力かけて日本の暦を宣明暦から三嶋暦に改暦させようとした。
信長が本能寺に滞在したのも、三嶋暦で予測された部分日食を確かめ、朝廷に三嶋暦の正確さを認めさせるためであった。
信長の予想した通り、天正10年6月2日、京都で部分日食が観測されるが、翌日に本能寺を襲撃され三嶋暦への改暦は沙汰やみになってしまう。
なお、本能寺の変と同じ年にヨーロッパでは、ユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦が行われた。
暦を巡る歴史の不思議な因縁・・・
信長の欠点はKYなこと。家臣の気持ちが分かっていない。これも1級資料の古文書からうかがえるようだ。これも遠因になっているかもしれない。
良く言う黒幕説は物語風にもってこいで多くの方が唱えていたが、確証が乏しく矛盾も多い。
ここ数年で新たな1級資料が発見されているが、今後の発見でまた所説でるかもしれない。
一説には光秀に天下統一後の治世を任せて、自身は海外に出るという説もありました。
光秀を信頼していたがために脇が甘くなっていたのでは?
秀吉が黒幕なら信忠への備えもしてるだろうし。あの時たまたま信忠が犬死してくれたから秀吉にチャンスが巡ってきた。
ナポレオン一世は暗殺された可能性が高いが、おそらくそうなら、(元皇帝が邪魔という)イギリスとベルトラン伯爵の利害が一致したからだろう
まあ、史料がない限り想像でしかないね
皆がイメージしがちな光秀とは異なり、狡猾で計算高い記述だ。
智将のタイプではなく、陰気な某将の光秀だ。
光秀は中国攻めの支援の直前、信長に領地を返上させられている。
刹那に成った瞬間かもしれない。
そこに、義昭様からまた書状が・・・。
ただ光秀がどこで生まれどのように育ち、またどれほど信長に重用されていたか知ってる人はどれくらいいるのだろうか。天王寺の戦いではどれほどの無理をして信長自身が光秀を救いに行ったのかなどなど。
光秀はこの記事にもある様に「知性と行動力で逆境を克服した優れた武将だった」らしい。それらを怨恨と野心の一言で終わらせる方がおかしい。普通におかしいんだよな~。
戦国期、毛利輝元の意向に反して、吉川広家が徳川に通じたように、
小早川秀秋の意向に反して、2家老が徳川に通じたように、
光秀も、斉藤利三ら重臣の意向に振り回されたのでは?
このように、大名(光秀)の意向が100%反映されるとは限らない。
だいたい秀吉が天下を治める過程で多数の子飼いが大名になるなど、それなりの地位に就いた。その全員が秀吉の陰謀を隠し通せるわけない。
やはり光秀の野心だろう。信長の手勢は少なすぎた。つけこまれたんだよ。一番話としては面白くないけど。
運もあって本能寺まではどうにかなってきたけど。
なのになぜか信忠と同時に討たれる状況が生まれてることこそが本能寺の変の最大の謎なんだよなぁ
そして一番得をしたと思われるのは信雄で秀吉もその後信雄を神輿として担いでたしここら辺のが黒幕としては怪しい
安土城の最上階を天主閣とし、天皇を見下ろす位置に天皇接待館を造り、自らを神と崇めさせ入館料まで取った。自らが天皇を超える存在になろうとしていた事は間違いないとみる。
信長は平氏が、そして光秀は源氏がルーツ。足利政権も源氏、自らの保身野心も合まって、大きな変革を望まない信長の数多い敵勢力にシンパシーを感じ代表的立場で信長を撃ったと感ずる。依って際立つ黒幕はいない。
当時の信長の敵は「義昭を庇護する諸勢力」で、義昭をかくまう毛利もそうだが、義昭を将軍から罷免しない朝廷ともマイルドに敵対していたんだよね。光秀が裏切らずに中国に進んでも、このタイミングで天皇が朝廷守護の軍に急詔を出したら、目の前にいる無防備な信長は朝敵として討たれてたんじゃないかな。
そりゃ、一か八かに出てもおかしくない
面白い記事だった。
そして信長が討たれ、秀吉が手筈通り光秀と合流するていで大返しするのだが光秀の思惑とは違い自分一人逆賊として討たれる
おそらく光秀の側にスパイや忍者を放って探らせて、これは裏切りそうだと認識したんだろう。
それを信長に連絡せずに、見殺しにした。
光秀は偉い坊さん、森蘭丸は服部半蔵になったとか結局偉い人は死んでなくてとか言ってたんですよね。
まぁこんな事書いても、青ポチ見る限り信長は残忍で怨まれて死んでいった、光秀は積年の恨みで信長裏切った、秀吉は主君の仇を打ったけど、狡猾に主君の功績を掠め取った、と言うのがお好きなようで。
というか、日本人の本質みたいなものだから、しようがないか笑
天下取り目前となった信長が、かなりの強硬で戦を進める事でしか今の状況を変えることが出来ないとして振る舞っていた為、かなりの家臣や同盟領主に裏切られてきたので、天下を取ったとしてもそう長く続く事の無い砂上の城となるだろう。となると、人望が熱く、他領主ともうまい立ち周りができ、農民出で領民に人気のあり、優秀な家臣が多い秀吉が天下を統一する事が一番望ましい。
此処で信長が退場する事が一番理想的と考えた信長が光秀と官兵衛に本能寺で謀反を起こすようにと命じて、官兵衛は直ぐに引き返せるように準備をしておくように命じていた。信長自身は長崎に逃れて生涯を過ごした。その後秀吉が黒田官兵衛に九州へ領地を与え、信長の守護につけた、みたいな。
多分にだったらいいなが詰まってますけどね。
春日局の父親なんだよね。
そうなるとやっぱ徳川家康かな。
軍事としてこの矛盾には誰も説明が付けられていない。
信長は今で言うサイコパスだから
信長の棺が重要資料です。
光秀に全てをなすりつけてね。
信長は天皇を廃して自分が国王になろうとしていたので、朝廷と光秀が組んで阻止しただけだよ
信長への恨みもあれば毛利討伐後の処遇の不安もある。
しかし、この絶好の機会に根回しのできる時間はない。
幸いか、近くには味方になってくれるに違いないだろう細川・筒井がいる。
今、信長・信忠親子を仕留めれば織田家は混乱に陥ることは間違いない。
その先は・・・・
よし!やろう!!
ってな流れが一番自然なのかなぁ。。
事実、織田信孝と丹羽長秀は家臣に逃げられ柴田勝家と滝川一益は強敵(上杉、北条)に絡まれて身動き出来なかった。徳川家康に関しては逃げるのに精一杯。
唯一例外的に秀吉だけが毛利と和睦交渉中という特殊な条件下にあったので引き返す事が出来た。
滝川一益も上手く交渉すれば北条を味方に出来たかもしれないが関東は遠すぎる。
やはり秀吉の行動力と毛利の潔さという想定外の要素がなければ光秀は天下を維持出来た。
秀吉に優れた参謀(黒田官兵衛)がいたことが最大の勝因だと思う。
家康の接待役を外されて、恥をかかされたのが決定打だったのでしょう。
この真犯人仮説の中には、そそのかした人物が本当に混じっていそうな気もしますね…。
ただ内通者がいて本能寺の扉開けてたのは確実。
本来は乱というより謀殺狙いだろう。
その後の二条城攻防戦で大事になって収拾つかんくなったみたいだが。
なまじ優秀だっただけに、やれるやっちゃった。
成功は五分五分と思いながらやったかと思う。
ドラマや作家の脚色から生まれたに過ぎない。
一次史料を無視した関ヶ原の戦い以上に光秀については史料が無く、想像でしか書けなかったと言える。
昔から言われている仮説2を最も推薦する。
家康と光秀の家来衆はつながりがあり、スケジュール的には本来、本能寺の変の当日は信忠は京には存在していなかったので、信長と信忠が同時に京に滞在するのが生まれた事はこの変を決行するに当たっての最大のポイントと言える。
武田を背後に抱えていた時は徳川は織田にとって重要であったが、西国支配に向けて、嫡男に家督も譲った後で、信長にとって将来織田家の危機は徳川と考えていたに違いない。
堺に居た家康を考えると家康暗殺を考えていたのは有力な仮説と言える。
黒田官兵衛は予想していたのかも知れないが
濃姫が南蛮渡来のやばい薬を信長に勧めその薬の中毒になった信長がその薬の為に日本人奴隷の海外輸出を南蛮人に認めてしまった。
それを止める為にやむ無く本能寺の変を起こした光秀。
これなら沢尻でいけるよね。
歴史上、「なんで?」と思うような謀反を起こした人はいくらでもいますが、大半は適当に取ってつけた理由で「そんなもんだな」と納得する。もしくはそもそも初めから関心が無い
しかし光秀の謀反だけは「そんな理由のわけが無いだろう」と異論が出続ける
本当にそうかってよりそれにより検証する楽しさがいいんでしょ、きっと。
自分も金ヶ崎の退き口のタラレバ好きだし。
歴史は勝ったものが作っていくと考えるので罪を着せて塗り替えたのでしょう
個人的には、光秀私怨説が強いと思うなぁ。
資料こそあまりないけど、波多野氏討伐の際に、信長の判断のせいで人質に出した母親殺されてるし。それまでも色々仕打ち受けてて、憔悴してる所にたまたま、チャンスが来て思いたったんじゃないかな。部下からも信頼厚かったから殿のなさる事ならなんでもでついて行ったかも。
「いつやるの殿?今でしょ!今でしょ!」と詰め寄ってきたら
「えーと、敵?は本能寺にあり?」って言っちゃうかも
秀吉の世間的な英雄像をより際立たせる目的や、後の徳川的儒教感の作用もあって、必要以上に悪人扱いされた光秀だが、自身の統治する領地では死後も隠し仏として敬われており、人間性は確かな人物であったようだ。
あの当時は当たり前のことを、謀反人、裏切り者の視点のみでしか見てこなかった徳川期の史観がお粗末だということかな。
市内の真宗関係者では、秀吉贔屓なのに、亀岡、園部、福知山では「英雄」です。
戦国時代の歴史、正確かつ公平な史実が、ないような感じがします。
いつかは寝首をかかれるだろうというのは有り有りとわかっていたにも関わらず家臣の諌めも取り入れなかった
天下取りに時間がかかり過ぎたことをはっきりと解っていて引き際の潮時と感じていたのではないだろうか
自分は残った7人すべてそれなりに絡んでるような気がしてなりません。
実直で糞真面目な光秀の性格は側室など持たなかったことから本当だと思います。
先のことを考える性格で、後先考えず行動するタイプではなく、勝算が成ったからこそ行動に出た。
自分は山崎で合流するはずの秀吉が、いきなり攻撃してきて崩れ、それを知った家康や元親も見捨てざるを得なかった。こんな感じではないかと思っています。
本能寺の時、大名になってたとは言え、誰がそれに協力するのかって話です。
光秀は奥さん一筋だつたというのも有名な話ですよね。敗軍の将ですから、もつとひどい逸話があつてもいいはずなんですけどね。
本能寺の変の真実は、秀吉君!君も賛成したじやない!ていうのが落ちだと思う。
光秀は、まじめで実直な人柄だったんだと思いますね。
森蘭丸説は意外とあり得る。
毎晩毎晩、18才の男が信長のシモの世話やらされたら発狂してブチ切れると思うよ。
精神破綻した人間が家の事や家族を考えられると思う?
蘭丸の精神状況について言及された史料はある?
蘭丸に衆道への抵抗があったかどうか、衆道関係を結んだかどうか、あるなら本能寺まで続いたのかどうか、その資料は? 他にも小姓はいたはずだが、彼らは?
当時の武家の、衆道の捉え方は?
現代人感覚の妄想で反論するのでは、無知と変わらん。
蘭丸説は著書が著書だから単なるネタでしかないしな。
だけど分からないのが面白いんだよね。
俺は謀略がなかった説に一票かな…
当時必須とも言える根回しをせず信長暗殺後すぐに秀吉に討たれてる。
秀吉陰謀説も根強いけど、万を超える軍勢を進軍させるのは簡単じゃないし、毛利との戦で勝利が確定していたからこそ和議が結べ「中国大返し」が可能だったのであって、戦の状戦況第では戻れなかった可能性もなきにしもあらず…
むしろ秀吉の情報収集の速さと正確さをこの場合は誉めるべきで、暗殺の一報の前から光秀の動向を調べていたのではないかと思う。
秀吉は「黒幕」というより光秀の思惑を「知っていて利用した」んじゃないのかと…
歴史はこういう想像を膨らませる事が出来るのが楽しい!
管理人の率直な感想
僕は学生時代に日本史を専攻していたんですが、日本史が全く分からないというアホです。
単純に時系列だけで言えば、ゲーム『信長の野望』の方が教材より頭に入ってきたというくらいのアホです。
なので僕が言えることはほとんど無い。
「弥助」とコメントしている方がいましたが冗談ですね。無い。
「実は森蘭丸と逃げた」というのは面白かったです。
どうでもいいですが、森蘭丸って「絶世の美少年」と言われたり言われなかったりするじゃないですか。
ハッキリ言ってブスですよね。
目は細いし、頬はぷっくりしてるし、おちょぼ口だし。
戦国武将は「男も好き」って人間が多いですが、何故でしょう。
女性は吐いて捨てるほど抱えられるから、男も行っちゃえってな感じなのかな・・・。
僕には分からない感覚ですが。
そんな話はどうでもいい。
本能寺の変。
内通者は必ずいたでしょう。
「突発的」との見解が多いですが、思いきり過ぎじゃないですか?
少なくとも「信長殺してーわマジ」「声がでかいよ!俺も殺したいよ!」「何?ワシもじゃ」という会話はなされていた。
光秀が単独で「敵は本能寺にあり!」と言ったところで家臣たちが「ヤバいですよ…」「やめときましょうよ」じゃ笑えない。
アホな僕に言えるのはそんなところですかね。
あ、家康は無いと思います。
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