「正直ちょっと怖い…」キリスト看板!いったい誰がどんな理由で、どうやって貼っているのか!?

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郊外の道を流していると結構な頻度で目にする、警告色で染め抜かれた聖書の言葉たち。この「キリスト看板」は誰がどんな理由で、どうやって貼っているのか? その一団に同行して、看板設置の瞬間を見届けた。(北林慎也)

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「神の御言葉」を世に伝える

意識しながらちょっと田舎道を行くと、至るところで出くわすキリスト看板。
これらを貼り続けているのが、宮城県丸森町に本部がある「聖書配布協力会」だ。
集団生活するコアメンバーを中心に、「神の御言葉」を世に伝える「伝道活動」を続ける。
その活動は大きく分けて四つ。聖書を要約した冊子のポスティングと小中学校前での配布、プラカードや拡声器による街宣、そして聖書から引用した言葉の看板の設置だ。

キリスト看板は、この産物として各地で貼られ続けている。
活動は都道府県単位。20人ほどの活動隊がキャンピングカーに分乗し、何カ月もかけて一つの都道府県内を集中して回る。
10月初旬、青森での活動に同行取材した。



2人1組の「看板部隊」

キャンピングカーで寝食を共にする20人ほどの活動隊は役割分担が決まっていて、早朝からチームに分かれてそれぞれの活動に入る。この日、活動隊は五所川原市内の河川敷にキャンプを張っていた。
キリスト看板を貼って回る「看板部隊」のチームは2人1組。朝岡龍さん(31)と田中勇さん(81)が今のメンバーだ。
朝岡さんの運転するワゴン車に看板を積み込んで、午前9時過ぎに河川敷を出発した。

五所川原市内の往還を走りながら、通り沿いの設置に適した場所を探す。
助手席の田中さんとあうんで見当を付けると、その先の路肩に車を止めて任務が始まる。
朝岡さんが車を降り、後方のお目当ての場所に向かう。その間、田中さんは前方でめぼしい場所を探す。それが2人の役割分担だ。

看板部隊が乗り込む日産キャラバンは、目立たない無地の白色。伸縮はしごをルーフに積み、外装工事の業者のように町の風景に溶け込む。
昨春に中古で買った、朝岡さんお気に入りの相棒だ。
以前の車は、聖書の言葉がボディーに大書された「街宣仕様」だったが、やはり目立ちすぎてやりにくかったという。
走行距離6万8千キロで買ったが、すでに10万キロを超えている。



唯一にして最大の難関

看板の掲示に適した建物や塀を見つけると、所有者に声をかけ、設置許可をもらう。
この交渉こそが、ほぼ唯一にして最大の難関だ。無断で貼ることはしない。

この日の最初のターゲットは、貸金業者「マルフク」の看板が貼ってある古びた小屋。
廃業後も各地に残るこの赤と白の看板は、目につきやすく宣伝効果のある場所に貼られていることが多く、設置の目安になるという。
結果的にキリスト看板は、このマルフク看板と一緒に目にすることが多いというわけだ。

朝岡さんが小屋の奥にある母屋のインターホンを鳴らす。
「看板を貼って回ってる者なんですけども。あそこの小屋にマルフクっていう看板があるんですが、その横にですね、聖書の言葉が書かれたキリストの看板なんですが……」

「ああ、いいです。そういうのは」
応対した女性が朝岡さんの口上をさえぎる。

「はい、分かりました。失礼します」
朝岡さんは食い下がらず、きっぱりと立ち去った。

断られるのには慣れている。地方によっては訛りが強くて交渉に難渋することもあるが、「ダメ」というニュアンスだけはすぐに分かるという。

前を歩く田中さんも、同じく断られたようだ。先の歩道で待つ田中さんを拾って先を急ぐ。

田中さんは学生時代に伝道活動に入り、半生を捧げた。「福音はそれだけの価値があるもの」と確信している。
立ちっぱなしで負担が大きい冊子配布を避けて看板部隊に専念しながら、体の続く限りは伝道活動を続けるつもりだ。
朝岡さんは「あと2~3年は大丈夫」と笑う。心を許せる頼もしい先達だ。



貼り替えの一部始終

またしばらく走ると道沿いのブロック塀に、めくれて剥がれかかっているキリスト看板を見つけた。30~40年ほど前に貼られたもののようだ。
板が上からめくれて折れ曲がって、「キリストの血は罪を清める 聖書」という文字が隠れてしまっている。
既設看板のメンテナンス、つまり老朽化した看板の貼り替えも重要な仕事だ。

家主の許可をもらって、さっそく貼り替え作業に取り掛かる。
新しい看板を取り出すため、朝岡さんがキャラバンのリアゲートを開けた。荷室に据え付けられた道具箱と看板の収納箱は、工務店と見まごう本格仕様だ。
道具箱には、ドリルなどの用具が整然と並ぶ。
収納箱の引き出しを開けると、トタン製の新品がサイズ別に収まる。回収した古い看板を収納する専用スペースまである。
引き出しはそのまま、ボンド塗布など下ごしらえの作業台になる。
朝岡さん自らカスタムした、まさに看板貼りの実務に特化したプロの仕事場だ。

剥がす看板と同じ大きさの新しい看板をいくつか見繕い、どれがいいか家主に選んでもらう。
ヨハネの福音書3章16節からの引用「私を信じる者は永遠の命を持つ イエス・キリスト」に決まった。

バールを手にした田中さんが、古い看板を慣れた手付きで剥がす。
当時の看板は、昔ながらのコンクリートボンドで貼られていて剥がれやすい。

朝岡さんが新しい看板を、耐久性に優れたシリコンボンドで貼り付ける。
四隅にインパクトドリルで釘ネジを打ち込み、ネジ頭が目立たないようにペン型塗料で黒く塗りつぶす。
最後に、風雨に対する耐久性を高めるコーティングとして、全面にアクリルスプレーを吹き付けて貼り替え完了だ。
作業は手慣れたもので、わずか数分で終わる。



足繁く通うことも

「既設の古い看板を貼り替えたい」と交渉に行くとけっこう多いのが、家主に断られた上で「もう剥がして帰ってほしい」と言われるパターン。
これを引き受けているときりがないため、一律に「剥がすだけというのはお断りしてます。ご自身で剥がす分には構いません」と答えている。
貼り替えたい先で家主が不在であれば、勝手に貼り替えはしない。あまりに汚れがひどい場合は、さっと磨いて立ち去ることもあるという。

ルートは住宅地図を広げて見当を付けるが、真っすぐで広い道路は避ける。こういったエリアは区画整理が進んでいて、民家や商店の密集度が低いことが多いからだ。
また、交通量の多い幹線道路はもちろん、渋滞の迂回路となる県道や広域農道も狙い目だという。ゆっくり走る車中から見てもらいやすい。
いまや地図を一瞥しただけで良さげなルートが分かるという朝岡さんだが、「まだまだペーペーですよ(笑い)」と謙遜を忘れない。

朝岡さんは23歳で洗礼を受けた。
一家で信仰していた新興宗教から転向すると、それまでの不信心を埋め合わせるように伝道活動にいそしむ。
いつの日か「家族にも福音を届ける」のが夢だ。

良さげな場所を見つけては、家主を訪ねて交渉する。看板部隊の活動はこの繰り返しだ。
この日は土曜日で留守の家は少なかったが、平日だと不在も多い。
これは、という絶好の場所には在宅時間を狙って出直し、足繁く通うこともあるという。

宣伝効果や交渉の難易度から結果的に、古い家の庭先の離れや小屋、ブロック塀が設置先の定番となる。
とりわけ、母屋や玄関から遠くにあるほうが「我が家の信条やメッセージと思われる」といった家主の懸念も小さくなるせいか、承諾率は高いという。

参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191118-00000004-withnews-soci&p=1

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ネットの声

名無しさん
あの不気味な看板は逆にイメージを下げていると思います。あの看板を見て入信しようと思う人なんていないでしょう。もっと色とかフォントを普通な感じにすれば良いのにと思う。
名無しさん
初めてこのキリスト看板を見たのは関東のとある田舎町だった。民家の塀に突然貼ってあった。西日本生まれの自分は見たことがなかったから驚き、なんか怖いなと思った。
その後仙台を旅した時、聖書の言葉をたくさん車体に書いたワゴン車が「キリストの血は〜」とか何とか大音量で流しながら街を走ってるのを見た。団体の本部が宮城県にあると聞いて納得した。
インパクトは確かに残るが、それ以上にあのデザインによる怖さの方が大きい。果たして伝道には役だっているのか?
名無しさん
小学校の頃、キリスト教の人が冊子を校門前で子供たちに配っていたことがある。
子供からすると、知らない人が校門前で待ち伏せして何かを配る様子は少し怖かった。キリストの絵とかも怖かったし…
先生方もやめるよう注意してくれた。次の日は校門前にはいなかったけど、通学路にいて私たちはやっぱり怖かったから、走って逃げたんだよね。そしたら追いかけてきて、腕を捕まえられて、無理やり冊子を渡された。
子供を追いかけ回してまでやるなんて本当に怖いと思ったし、子供ながらに腹が立った。
人がなにを信じようといいとは思うけど自分は無いなと思う。
名無しさん
設置を断われた時にすぐ引き下がる点だけは評価します
名無しさん
気にはなっていたけど別に調べる程でもなかった事が知れて勉強になりました。
看板を1枚2枚でなくめっちゃ貼ってる家もありますね。
あの看板を見て入信してくる人は居ないと思いますが、看板を貼る彼らにとっては善行なんでしょうね。
色んな生き方があるんだな。


名無しさん
例えば渓流釣りに行く途中にある集落の廃墟寸前になっている家の壁とかにありますよね。あれがすごい印象悪いんですよね。あと、違う団体かもしれないけど、駅前でプラカード持って布教テープを流している人も見かけますが、正直不気味だし関わり合いになりたくない雰囲気がある。
名無しさん
宗教に入るのは自由。
人それぞれの考えがあるから。
でもこういう看板やら駅前演説とかで勧誘するのは違う。
素晴らしいから広めたいとしてもそこまでする必要はない。
押し付ける人もいるがそれは宗教ではない。
名無しさん
持論だが、信仰は人に勧められたり、仲間を増やしたり、お金が絡むことではないと思っている。人生のどこかでふと出会って感銘、悟らされたりして気づいたら信仰ということにだと。
名無しさん
言葉の説明も教訓もなく、不気味な雰囲気の色と自体で廃墟などに掲示する
言葉の意味がわからないし、ただ聖書のイメージを悪くしている
本当に意味を理解して、伝えたいと思っている人たちの仕事には見えない
何でイエスが生前に弟子と歩いて回ったのか理解してんの?
論理的に教えるためでしょ?
名無しさん
剥がすだけ、は受け付けないのか。今まで貼らせていただいてありがとうございます、の気持ちにはならんのかね。年月たてば貼らせてくれた家にも事情があるだろうに。
名無しさん
子供の頃、この看板が不思議で特に夜見ると怖かった。
死後さばきにあう。
悔い改めよ。
…これが土塀に張られて怖い印象が強かった。
この周りには、金鳥蚊取り線香、アース殺虫スプレー、ボンカレー、カンコー学生服、ダイセン家具、マルマル火災などと合わせて田舎の風景だった。
今でも新たに張っているとは…。
何を原資にしているのだろうか?
子供の頃怖かったのは、出光の赤い横顔看板、日石の一つ目看板、錆びたヨコハマタイヤの顔看板だった。
怖かった看板の話し。


名無しさん
そもそも布教活動なんていうのはおかしな事で、もともと人が考えた思いを これが正しい考え方だと押し付けているだけ
宗教が悪いとは言わない。宗教は心が病んだ人たちがすがるために生まれたものだと思うけど、結局は宗教による争いや戦争がこれまで何度も繰り返され、それによって多くの人々が傷つき殺され苦しんできた
数ある宗教の中にも色々な素晴らしい教えはあると思うが全てが正しいとは限らない。一つに入信しそれだけに固執してしまうのではなく、もっと広い視野と心で自分で判断する力を持ちましょう
名無しさん
他の方も書いているが、この看板の「不気味さ」を感じてないことが洗脳されてるんだろうなぁと感じさせる。
有料の野立て看板をもっとポップに作って、きちんと近くの教会でも示したら、印象は変わると思うけどね。
名無しさん
私は宮城県出身なので、ある意味あの看板と一緒に育ちました。
また、下校時校門の前で冊子を配られるというのも何度か体験しました。
以前は人が住んでいたのであろうが現在は廃墟となっている民家や納屋に貼ってあるあの看板を見ると、何とも不気味というか不安な気持ちになります。
実被害はないとしてもそれが貼ってあるだけで気分が盛り下がる事を貼る側は理解していないと、この記事を見てわかりました。
過疎が進む町にあの看板。
みなさんがもしそういう地域に住むことになったとしたら、結構嫌だと思いますよ?
あの看板を見ると本当に憂鬱な気分になります。
貼ってらっしゃる方々との相互理解は不可能だと思いましたが、伝えたいことがあるのであれば看板ではなく別の方法を探るべきですし、勧誘自体がその宗教へのイメージを回復不能なほど悪くします。
私は看板を貼る宗教を受け入れられません。
名無しさん
僕はクリスチャンなので、こういう記事がニュースに上がっていることに驚きました。ここの団体は異端やカルトというわけではないと聞いていますが、やり方があまりに不器用だなと感じるのが正直な所です。昔ここにいて、今は僕と同じ教会にいる方がいますが、その人も、もっと違うやり方でした方が良かったと言っていました。現代は世界中で宗教離れが進んでいますが、それでもキリストを信じる人は世界中に沢山いて、それには現代人でも信じようと思えるだけの理由があります。ちゃんとした人間関係の中で、血の通ったコミュニケーションを通し、押し付けるのではなく、知ってもらって、信じないのもその人の自由ですし。その上で信じる人が増えてくれたら嬉しいなと僕は思っています。ただ、この団体の人たちは不器用ですが、たとえ人からどんな誤解を受けたとしても、目指しているもののために行動をしている所は尊敬しています。
名無しさん
一体どなたが設置しているのだろうかと幼少の頃から気になっておりましたので、溜飲が下がりました。取材ありがとうございます。
この世には、天地万物を創造された神を信じる人と、神はいない教の信者、以上2種類の方がいるかと思います。後者の方々は、人間は猿から進化したのだと主張する傾向があります。目の構造上、視神経の都合上、神が見えないだけかもしれないのに、神いないと宣言しています。果たしてそうか、キリスト看板を見ながら一考するのも良い機会かもしれません。
ただ、この看板を掲げたり、スピーカーで聖書の話をすることで、不快感になられたり、嫌悪感を持たれる方がおられる訳ですから、知恵を出し合って、従来のやり方に拘らずに、臨機応変に対応されても良いのではないでしょうか。
『はじめに神が天と地を創造された。』


名無しさん
文面が怖いよ。もっと時代に合わせてポップにしなくちゃ。
「クリスマスは教会でお祈りをしましょう」とかね。
名無しさん
一番知りたいこと、看板部隊の素性がこれではわからない。これは単なる伝道活動ではない。景観破壊であり、人々を不安にさせる狂信的行為である。
名無しさん
信仰の自由というのがあるから仕方ないけど布教しないでほしい。
信じる人たちだけで信仰しててください。
休日に変な冊子を持って個別訪問するとか正直迷惑です。
名無しさん
布教活動そのものがおかしいと思う。宗教は自由でどの神を信仰しようと人それぞれだと思うが、それを布教活動し広め信者を増やし組織化してる事がもう宗教から逸脱していて、ただ信者からお布施を貪る現在生きてる宗教の頂点、幹部の私欲を満たしてるだけだと思う。信者は損は有っても何も得が無い。どこの宗教とは言わないが、信者になって幸せになるどころか逆に不幸になってる人の方が多いと思う。何を幸せと感じるかは確かに人によって考え方が違うだろうけど、それも場合によってはただの洗脳だと思う。
名無しさん
この団体はプロテスタント系と聞きましたがカトリックの自分としても、馴染みのない人は両者の違いも分からないだろうし、キリスト教全体のイメージが悪くなりそうで辞めてほしい気持ちです。
開拓段階でもあるまいし、既に世界中に沢山信者のいる宗教なのだから布教は教えを請う相手に行うだけで十分なのではないでしょうか。
聖書の言葉も知ろうという意思のない人にまで嫌でも目に入るような押しつけがましさは…三大宗教としては少し余裕がなさすぎる。
もちろんこれまで縁のなかった人が聖書を知り救われるというケースもあるのでしょうが、個人的には普通に暮らしていて聖書に触れる機会がないのなら、その人の人生において聖書は必要なものではなかったってことなのではないかと思います。
家族がキリスト教とか、学校がミッション系とか、近所に教会があったとか、そういうきっかけでやってくる人たちを迎え入れるだけではダメなのでしょうか?


名無しさん
面白い記事だった。日本人の宗教観は他国の人には理解しづらい独特のものだ。信仰にのめりこむ人や信仰を押し付けようとする人は嫌うが、しかし、無神論と言われるものとも違うし、宗教の力を借りずに非常にモラルがあって秩序だった社会を実現している。
許可をとって看板を設置しているのだから、全然良いと思うが、他の方の指摘の通り、色・フォントなどが恐怖をあおる。もっと優しいメッセージにみえるように工夫すれば良いのじゃないかな。
名無しさん
キリスト教や仏教に限らず、恐怖心を煽って人々を信仰に導こうとするやり方は間違っているし、危険なやり方だと思う。恐怖心を操って人々を意のままに動かすことも可能になるからだ。
名無しさん
自分も青森の人間ですけど、子供の頃からこの手の看板を見ると、どこか怖い、剣呑な印象を受け続けてきたと思う。
それは記事にあるように看板の色が黒と黄色の目立つ警告色である点や
短い文章で内容を伝えるためにメッセージそのものが強い語調になりがちな点
見通しの悪い場所がよく設置場所に選ばれている点などが(そういう所の方が許可して貰い易いのか)関係していると思います。
伝道行為そのものに悪意を感じている訳ではないのですが
個人的にこの看板による伝道方法に良いイメージを受けた事がないのは確かです。
名無しさん
その信仰が素晴らしいのなら、その信仰を通してあなたが素晴らしい人物になれば良い。そして「どうすればあなたのようになれますか?」と聞かれるようになること以外に布教などしようがないはず。
熱心に布教する信徒ほど自分のコトを棚に上げ、他人を変えようとばかりするから嫌われるし、教団もそこには触れたがらない。
名無しさん
自転車通学が8割の田舎の公立高校の周辺で、交差点で減速した自転車のかごに小さい聖書みたいなの次々入れていく2、3人の大人がいたけど、あれは許可とってなかったよ。絶対。
生徒から報告受けた先生が追っ払いに行ってた。


名無しさん
久々に読み応えのある記事だった。
この手の看板は幼少期の実家の近くにたくさんあって怖かったが、いまは見かけなくなった。古い小屋がなくなったからだ。
当時あまり生活状況の良くない友達がいて、遊びに行ったらその子の親と一緒に聖書の紙芝居を見せる集まりにつきあわされたことがある。そのことを親に告げたら怪訝な顔をしていた。残念ながらその友達は、中学で空き巣をやらかして補導され、付き合いが途絶えた。暗い記憶だ。
とはいえ、信仰を持つことで救いになることはあるだろうと思う。
Web広告では宗教関連は強く制限されていて、そのうち布教の看板を見る機会はほとんど途絶えてしまうだろう。宗教への関心の低い日本人であっても、よく見ればあちこちに信仰は存在する。人間同士の直接の情報交換が希薄になる中で、今後宗教はどのような形をとっていくのだろうか。
名無しさん
自分一人が信じる分にはなんとも思わないが、こうやって他人を巻き込むのはどうなんかな?うちの田舎も結構あるけど、ホントに許可とってんの?て場所にもはってある。
ありがたいのかもしれないが、人に勧めるもんではない。本人が選択するものだ。とくに意思のハッキリしない子供を巻き込むような団体はもはやただの危険分子である。
宗教は自分が心で信じるものです。
名無しさん
宗教の自由だからある程度は良いけど。
でもまぁ初詣で賑わう寺や神社の参道でやるのはどうかと思うけどね。
教会の入口で「アラー万歳」って大声で言っているのと同じなことしているわけで、それをバチカンなんかでやったら捕まるじゃ済まないよね。
何信じていても良いけど、自分がやられて嫌な事を宗教の名の下なら他人にやっても許されるとか思っているようなのは、そもそも人としてどうかと思う。
名無しさん
水害があった丸森町に昔から存在しています。
現地に赴いたフリー記者が声をかけたのでしょう。
山間部が戦後の開拓者たちが入植し、開拓者は実家を継がなくていいから、改宗しやすいこともあったのでしょうか。
併設された私立小学校は孤児が通っています。
宗教法人として孤児院がある理由は、信者が増えること、伝道者が増えることだと思います。
仏教でもやってますから、別にいいですが。
この系列の幼稚園が仙台市北部にあり、お受験で入らなければいけないほど人気と聞いて、驚きました。
名無しさん
付ける作業はするけど剥がす作業はしないって態度はあまりに酷くないか。これが知れ渡ったらもう協力する人も居なくなるだろう。
本人達は意義深い行動と思ってやっているんだろうけど、外から見る限りキリストの教えを守っても、ああなるだけで幸せにはなれないんだなというふうにしか捉えられないよね。
今生が修行の場だとしても、ああいうのにはなりたくないよ。


名無しさん
地元沖縄で急に見かけるようになったので不気味に感じていたが、記事を読んで謎が解けた。
郊外の県道沿いの原野に小屋があり、車が数台集まって何人かで作業をしていた。
聖書配布協会で検索すると、これまで沖縄だけ空白地帯だったのだが今年から活動が始まったとあった。
本土から布教に来ている人たちなのね。
記事を読むと、折り目正しく一般住民には無害のようにも見えるが、こちらでは街宣車でのスピーチも看板の文言も終末思想を訴えるようなものばかりで普通のプロテスタントとはとても思えない。
名無しさん
書いてある内容とデザインが無宗教の自分からしたらヤバさを感じる。
最近急激に増えてて気持ち悪い
名無しさん
大変な苦労をされたのはわかるが、あのおどろおどろしい看板見て入信した人が何人いるのか一度検証してみた方がいい。
実は凄く無駄な事に大事な労力・時間を費やしてるかも知れない。
個人的にはネガティブキャンペーンでしかないと思っている。
布教したいなら他にやりかた考えた方が良い。
名無しさん
悪意はお互いないと思うけれど、あの看板は高圧的で不気味で日本人には受け入れづらいものがあるなぁと思う。
キャンプで各地を回るのは楽しそうだが、お金はどうしてるのだろう。
名無しさん
剥がして持って帰ってくれと言われて剥がすだけはしないと言うのは無責任では。今までありがとうございましたとは言えないなら最初から貼るな、貼るなら信者の関係先だけにしてくれ。
名無しさん
よくお寺さんの門前にある掲示板にはなるほどと考えさせられるものから、思わずふっと肩から力が抜けるようなめちゃくちゃ有難い訳でもないけど興味深い文言が書かれてて、お寺さんと特に関係が無くてもひそかに楽しみにしてる通行人も多いと思う。
でもね、このキリスト教の文言は自ら垣根を作ってるようにしか見えない。
熱心さが空回りしてるというか、キリスト教を信じてる人は一体何を考えてるんだろう?と分かりたくもないけどひたすら不気味に思ってしまう。


名無しさん
今も貼ってある所あるんだ。子供の頃、お盆の時期に車で祖父母の家に行く道中、祖父母宅に近付くにつれ、あの看板が貼ってあったのを思い出す。スマホやゲームが無かった時代、あれを見つけるのが、唯一の退屈しのぎだった。
名無しさん
うちの近くでもよく見かけるようになりました。最近は道案内に役立ちました。(笑)
でも、信者でなければ意味が逆にとられかねない箇所が多い気がします。聖句はどのように吟味しているのでしょうか?
新興宗教か?と思えるような雰囲気が漂っているように感じる方は多いのではないでしょうか。
名無しさん
この看板、家の近くにも貼ってある!なんか、小さい頃から怖いイメージしかなかった看板だ。
名無しさん
私は聖書の教えを信じていますが、せっかくの布教が微妙にカルト的なイメージを抱いてしまうのではないかと。例えば、自殺の名所、三段壁の看板はオカルトなイメージはないので、布教するのであれば、何かしら、一般の人に普通に受け入れられる、ロゴなり文章なり工夫した方が良さそうです。いつも見かけては、同じキリスト教でも、邪教的なイメージを抱いてしまうのは。。せっかくの最高な信仰を変なイメージを抱かしてほしくないから、何とか、お願いしたいです。
名無しさん
小学生の頃、この団体の人たちが校門前で聖書の配布をしていた。
聖書をもらって帰ったら、親は怒るでもなく、「聖書は面白いからよく読みなさい」と言った。それで小学生ながらに聖書を読んだ。
確かに結構面白くて、いろんな寓話のモチーフが感じられた。
いまではしっかり家業を継いで、坊さんやってます。
名無しさん
信仰は自由だけど、作業者が周辺にいたら警戒してしまう。貼らせてくださいと言われたら断る。効率を求めるなら、伝道活動の仕方を見直したほうがいい。多分自分の為の修行なんでしょう。


名無しさん
地元にいた時はよく見かけていた。何だこれと少し嫌な印象を抱き、文字にあったキリストもよくないものかなあと小学生時は解釈しました。
今は成人し最低限キリスト教について理解してるつもりですが、この看板では中々いいなと思う人はいないと思います。
名無しさん
キリストは神の子というけど、皆さんも神の子だよ。覚えていない?キリストも皆さんも同じ神の子です。どういうことか?神は一つしかない。つまり、宇宙が無から生まれたのが神であり、その神から無数の分魂を放った。その分魂が皆さんであります。肉体が生命の本体ではなく、意識(分魂)が本体であって肉体が死んでも意識は永遠に生きます。ただ、キリストとはどう違うかというと、宇宙の法則はどうなっているのかを悟ったのであって、地球に生きていた時に宇宙の法則を周りに教えていたけれど、理解できたのは誰一人もいなかった。自分の意識はどこから来ているのか、よく考えて見て下さい。脳があるからではないんです。脳はあくまでも記憶装置みたいなもので、生命はそこからあるわけではありません。
名無しさん
確かに今の日本に必要なのはキリストの存在なのかも知れない。
全てを許し庇護の下、魂を救う。
家族、隣人と共に正しく行き、お互いを助け合い、見返りを求めない。
人生を見つめ治し、新たな価値観に感じ入る。
今の日本は絶対的に慈悲の心を失っている。
許すことを忘れている。
明日を忘れている。
未来を。
本来なら現世は修行、命あるものは強い反面、誘惑に弱い。
だから命には期間がある。
生きることは厳しく辛苦で、誰の道標もない。
だからこそ自我に目覚め、輝きと失敗を繰り返し学んでゆく。
魂の鍛錬、研磨、浄化の為に。
でも今の日本人には無理だろう。
やはりキリスト的な救世主が必要なほど、暗く冷たく頑固だ。
恥じることではない。
どの国も繰り返して来たことだ。
一度救われて、また歩き出せば良いだけだ。
逆に言えば絶対的存在による魂の救済なしに、国は成り立たない。
共産国のように。
名無しさん
特にどこかの宗教に傾くという気は起こしていない。
ゆえに流し見る程度の知識は、無い事もない。
どちらかというと、東洋思想的な方に傾いているかもしれない。
文芸的な読み物としての旧約は、掻い摘んで読んでいる。新約は、どうやら性に合わない。
看板には、あまり心地よさは感じたことがない。
心酔している人たちには、申し訳ないけれど。
でも、まあ、そういう押し付けで世界を席巻するに至った訳だろうから、無駄な事ではなかったのだろうとも思う。
しかしながら、他を廃する、否定する、呑み込む、というようなあたりの営利も絡んだ布教活動には、一個も共感しない。
名無しさん
きっと勧誘目的ではないんです。彼らは神の言葉を伝えているだけです。なぜなら時が良くても悪くても、御言葉を伝えることが、キリストの弟子に与えられた使命だから。人々が求めるウケ狙いの言葉でなく、神が伝えなさいという言葉なので時に厳しくもあり、受け取る側から見れば嫌な言葉になることがあるのかもしれません。ただし、確かにあのデザイン、インパクトはあるけど怖いイメージになってるのも事実かも。


もも
小さいころはあの聖書の看板や、年末に街頭で立て看板を持ちながら拡声器を使って聖書の言葉を伝える人達がただただ怖かったです。
今、子供がキリスト教系の学校に通っているので、近所の教会に出向くこともありますが、クリスチャンでない我が家に信仰を強制されることは一切ありません。いつもフレンドリーに接してくださいます。
街頭で無理やり勧誘したり、家に訪問してきたりするのは「エホバの証人」みたいな集団であり、すべてのクリスチャンがそんな伝道を行っているのではないことも理解してあげてほしいと思います。
名無しさん
聖書を読むと「キリストの教えを延べ伝えること」が大切と説かれている訳で、これを守っている団体がエホバだったり、聖書配布協会だったりする訳で。ある意味一番教えに忠実なのかも知れない、とも思います。布教云々には色々問題点も伴いますが、聖書自体は悪いものではなく、むしろ勉強にはなります。世界中の人を集めて祈らせたら、間違いなくキリストに祈る人が一番多い。日本人の祈りはどうも誰に対して祈っているのかあやふや。日本人の価値観を世界に通用するものにするためには、聖書の世界観は知っておくべきかと思います。聖書の物語は宇宙~地球の創造から始まり、人を作り出していくスケールの大きなものですから・・・。聖書は日本人の神様・仏様というスケールの小ささが恥ずかしくなるくらいに、壮大で膨大な読み物で、今も昔も世界一のベストセラーです。
名無しさん
いろんな生き方あるなー、とは思う。何かを信じ続けれるのはそれはそれで幸せなのかもね。自分にはできない生き方だけど。
名無しさん
自分は初めて見ました。田舎に多いっていうけど人の少ないところばかり増やしてなんの意味があるのだろう
本当に広めたいなら都会の広告看板とかに出せばいいのに。なんか毎月のノルマを達成するために貼りやすいとこばっかに行ってそうと思えてしまう。あと景観的にやめてほしい。
名無しさん
住まいが田舎なので、集落が固まった所の十字路によく看板が見られる。近所の方の家が、たまたま交通量がある町道に面していて、政党のポスターの貼り付けを許可してたから、宗教系やら金融やら探偵事務所やらが頻繁に訪ねてきて、看板やポスターの設置を言って来るから困っていた。最初にしっかり断らないと大変な事になると思った。


名無しさん
駅前で牧師さんの説教のテープ(やはり「死後さばきにあう」的な内容)をエンドレスで流しているのもこの人たちだと思うが、果たして効果は上がっているのだろうか? 同じキリスト教系でも子連れで訪問勧誘をしてくる某団体や、怪文書もどきを投函してくる某団体などとは違って、直接的に関わってこようとしない点はいいが、やはり不気味さを感じる。カルト集団ではなく、まっとうな団体だとは思うが、もう少し明るい印象にできないものか。
青空
実際に見たことはないけど、そういう看板があるというのは聞いたり、ネットで写真で見たことあります。
どんな看板でもセンスが必要だと思うし、これは逆効果だと思いますが、どうなんでしょう?活動してる人たちはそう思わないのかな?
せめて、明るい色にしては?
名無しさん
面白おかしく書いていない、この記事には好感を持ちました。また、看板、街宣、聖書配布が同じ団体と知り、納得しました。外部との微調整が出来ていず、不気味さが目立ってしまっています。廃墟や温泉地での寂れた博物館を見たような不気味さです。一度、外部の方と話したりするのも良いのではと感じます。
名無しさん
いや普通にあれ見たら頭おかしい人達がやってることって思ってしまうよ。
結局宗教って金集めだよね。自分が納得したなら入信すればいいけどそれを家族に勧めたり友達に勧めたり通りすがる人達にパンフレットやら配ってどうですか?って活動するのは変だと思う。そういう事しだすと自然と周りは距離取っていくでしょう、実際職場などにそういう人がいるとめんどくさい事に巻き込まれやすいですからね。私はそういう類いの人種はどんなに優しくてイイ人だろうと全て関係を切ります、価値観を押しつけてくる人は嫌いですから。
名無しさん
キリスト教の中でもかなりユニークな働きですね。渋谷で見かけたことがあります。もとは、アメリカの宣教団体だと思います。日本の方はほとんどいないと思います。
聖書の言葉を一部だけ切り取ると誤解される可能性があります。特に、さばきとか死という言葉は誤解されやすいと思います。


名無しさん
宗教に没頭して、布教している人を見ると、いつも不思議に思う。何が目的で何を目指しているのか。普通に考えれば、神は想像上の存在で、実在はしない。自称「神の預言者のキリスト」が実在したとすれば、演説の上手な哲学者といったところか。悪い事を広めているわけではないから、禁止することもないが、キリストの考えに共感する者たちだけで勝手にやって下さいね、って話だと思うんだが。
名無しさん
あの看板見る度に、どんな人が貼ってるんだろうな、と思ったりもしていたので、具体的に知れて面白かったです。無断では貼っていないというのも知れて良かった。しかし、多くの人にとっては無意味であり無価値と思えるものに、これだけ精を出せる人もいるんだなぁ。色々な人が世の中にはいるんだなと思いました。
名無しさん
クリスチャンです。
『キリストは神の御子』クリスチャンにとっては当たり前の事なんですけど、信仰がない人にひとことでは説明出来ません。
かなりインパクトがある看板だけど、恐怖心や警戒心を与え、むしろ誤解されるからやめてほしいです。
名無しさん
宗教=不気味….という人多いね、日本は。初詣≠宗教と思っているのも不思議だ。
この人たちは、布教そのものが目的ではないだろう。今の時代看板よりSNS使ったほうがいいことくらい分かっているはずだ。
看板の効果が薄いことも分かっているだろう。
しかし、布教活動に携わっていること自体が、満足に繋がっているのだろう。もしかして充実しているのかもしれない。
今の世の中、充実するって、なかなかないですよね。宗教云々とは別の話なのかもしれないですね。
名無しさん
旅行で行って実際に看板、宣伝カーを見たことがありますが、率直な感想は不気味で気持ち悪かった。
また旅行に行こうとも思わない。
完全に逆効果だと思います。
自分の住む地域では目撃していないので一応安心しています。
オウム真理教のテロ事件があってから、宗教というもの自体が恐ろしいものという認識しかできなくなってしまった。
信仰は否定しませんが布教されると拒絶反応が出ます。
信じる人だけ救われて下さい。


名無しさん
あの看板は完全に逆効果、不気味さか強調されるだけ。看板を貼りたいと頼まれても絶対断る。
名無しさん
悪いことをしてはいけない、という内容のものが多い気がする。
宗教は自由だし、もっと胡散臭くない感じでやった方が良いと思うけど。
名無しさん
クリスチャンの中には自分の宗派だけが優れていると思っている人もいて、どうも排他的な感じがして苦手。古今東西の争いの種にもなるわけだ。
信仰そのものは無害だからいいとしても、家に来て冊子を置いていく人をどうにかしてほしい。
名無しさん
イエス・キリストが人類全体の救い主であるのは事実です。ただ、聖書に書いてある内容を捻じ曲げて解釈したり、キリストの御心を行わない団体もあるので正しく教えている教会を探す必要があります。プロテスタントの教会なら教義もしっかりしているし、キリストのメシヤ性を否定する牧師はいないと思うので、真理を知って救いを得たいと思う人はプロテスタントの教会に行くようにして勉強をするようにして下さい。。
名無しさん
何を信仰してもいいとは思うが強引な布教だけは止めてほしい。何故か声をかけられやすくとても恐怖と不快感がある。
名無しさん
これを見て信仰に目覚める人はあまりいないかもしれないが、彼ら自身の人生の満足感には寄与するのかもしれない。
もしウチに貼るならぜひ広告料をいただきたい。


名無しさん
『あ〜恐ろしやぁ。恐ろしやぁ!』
が人の心の中に純粋にあった時代は通用したかもしれませんが現代においてはむしろ逆効果に感じる。単純に怖い。
法を上げようと一生懸命動きながら一生懸命下げていると思います。
名無しさん
貼ったら定期的にメンテして欲しい、何処に貼ったかとか記録をとって、最低でも5年に一回は見回りしないと逆効果だと思う。数十年前とかありえない。ゴミを見るのも、貼られているのも気持ちよく無いのですが。
名無しさん
もっとオカルト的な何かだと期待してしまったが意外と律儀な方々の仕業だったわけだ。小中高とエホバの親友がいたが確かにカリスマ性みたいなものがあって頭はキレるし面白い。下ネタみたいなのにも付き合ってくれるが授業であっても武道はしない。だけどスポーツ万能、女の子にもモテていた。入信しているわけではないが、宗教なんてまともかそれ以上の人間性の方が布教しなければ存続できるわけないか。何かと殺風景な昨今にこういうのは有りだと感じた。
名無しさん
>既設の古い看板を貼り替えたい」と交渉に行くとけっこう多いのが、家主に断られた上で「もう剥がして帰ってほしい」と言われるパターン。
これを引き受けているときりがないため、一律に「剥がすだけというのはお断りしてます。ご自身で剥がす分には構いません」と答えている。
えらい自分勝手だな。
貼る時はお願いして剥す時は嫌って。
名無しさん
地元もあるよこの看板。
人様の家にあったけど、入信してる人なのかは疑問
聖書配布ってなまーに家に来るけど、「ご苦労様です」としか思っていない。あー、親の同級生が入信してて家へ来た。
「まさかこの子が!?」だって知り合いであろうとなかろうと、信じるかは個人であっておすすめするものではないよね
配布されたパンフレットは玄関のシーサーの口に挟んである
名無しさん
もっと可愛らしいデザインと色彩にした方がいい。これは恐怖の看板になってしまう。これみて入る人はいるのだろうか?


名無しさん
昭和の時代からの伝道活動なのかもしれませんが、宗教にあまりよいイメージを持っていない日本人が多いなか、あの看板は逆に怖いイメージに思えてしまう言葉と配色。わざわざキャンピングカーで生活してまでの効果はないように思います。そろそろ伝道方法を考え直したほうがよさそうに感じます。
名無しさん
家主さんには許可を取っているようですが、このような看板を設置するには屋外広告物申請が必要です。条例違反ですので、各自治体に許可を取った方が良いのでは・・・
名無しさん
隣の国のキリストはすごいですよ。道端で行き来している誰にでも”神様を信じてください”としつこく伝道します。断ってもまた伝道。平日週末関係なく人ん家のベル鳴らして”教会にきてください”、”仏教の方でも構いません。来てください。天国に行けます”。ほんと気持ち悪いです。そうならないと良いですけど。今も新大久保に行けばそういった人たちが結構います。宗教って誰かにしつこく誘われていくもんじゃない。苦しくて苦しくて心の癒しが安静、何かに頼りたい時に自ら足を運んでそこで悟るのだ。
名無しさん
ちゃんと所有者に設置許可を貰っているのであれば問題ないですね
名無しさん
仮にこれを見て、もっと知りたい!入信したい!となったとして、次のアクションも連絡先も書いていないのが致命的だな。
多分彼らにも次はどうして欲しいとかないんだろうな。
名無しさん
コメントを見てると、ほとんどの人が批判する事もなく、割と暖かい目で見てるのが意外だった。
僕はこの手の看板を見た事がなく初めて知ったんだけど、たまに行く街の駅近くの広場の端に、チラシみたいなのが貼ってあるのは見た事がある。
僕はカトリックだけど「神が云々…」というチラシを見たら、何か怖い。皆さんが言ってるのと同じで。
だから、こういう事をしてる人たちは、キリストをだしにしたカルトじゃないかと思ってる。
記事の人はどうなのか知らないけど。


名無しさん
日本の神道は、伝統的で神秘的。
災害の多い国なので、民衆の希望や支えになってきた。
悪魔とかオカルト的な宗教は、恐怖映画や娯楽ではアリかも知れないが、日本人には受け入れられないと思う。
名無しさん
明治神宮への表参道でもキリストの誕生を祝っています。クリスマスがキリストの誕生日だと知らない人はいないでしょうから自然と浸透しています。
アメリカ大統領も就任時聖書に手を置いて神に誓っているのをメディアでも見ているのでそんなに恐いものでも無いのがわかりそうですが、世の中に興味のない知らないものは恐いと思う人はいるのですね。
名無しさん
頑張ってほしいですね。日本だとなかなか布教のハードルは高いと思うけど、ぜひ、皆さんに聖書を読んでほしいね。まあ、神を信じる私ですら解釈に困る部分や、明らかに同性愛者を異常扱いする個所などもあり、私も完全に理解できたわけではないんだけど。。
サラダ
最近物騒な事件も多いのでパトロールも兼ねてやってほしいですね。
一方的な主張を貼りまくるより世の役に立つ事で思想を広めるやり方の方がいいと思いますね。
名無しさん
田舎道を走っていると、キリスト看板をたまに見かけますね。
ちょっと不気味で意味がわからない看板を、娘はまたあったよ〜!と宝探しをしているように見つけては、なんだかんだ喜んでいます。
私はキリスト教ではないけれど、信じるものがあるのは自由だし、見ても特に嫌な気はしません。
逆に書いていることの意味不明さやおどろおどろしさが面白いと感じてますよ。


名無しさん
布教のためにおこなっているはずが、看板が不気味すぎて入信しないと思います。
あのような看板に時間とお金をかけるならボランティア活動通じて布教した方が自然で受け入れやすいと思います。
駅前で、聖書のパンフレットをもちただ微笑んでたっているのは、この団体の方ですか?
無料で英語を教えますといって勧誘している外国人団体は?全部同じに見えます。
名無しさん
本当に良いものなら伝道などせずに、流行する。
自分も看板を不思議に思っていたので真相が知れてスッキリした!
長崎県民より。
名無しさん
ちゃんと許可は貰うし、しつこく食い下がらないし。なら別にいいんじゃない、とは思うが、看板自体のデザイン考え直した方がいいでしょ。イメージ良くないよ。
しかし、聖書配布協力会ってのがあって、しかもそんな体制で大勢の人間が細目に活動してるなんて全然知らなかった。そこがストイックではあるけど、ちょっと怖いかな。別に悪い事してる訳じゃないんだけど。
間違って看板に「777」って書いたりしない様にね。(そんな訳ないか)
名無しさん
宮城出身なのであの看板には、ある意味見慣れた風景でしたね。
それでも、不気味である事には変わりないが。
素性に関しては初めて知りましたが、七夕祭りの会場にゴリ押しで、伝道するのはやめて欲しい。
名無しさん
プロテスタントも人口が少ないですからね。確か聖書は国際ギデオン協会が学校とかに無料配付してるはずですが。私もプロテスタント教徒の家に生まれ育ちました。看板は見たことがないですが、頑張っておられますね。お疲れ様です。佳いお導きがありますように。


名無しさん
あの看板が貼ってある家とかって、見るからに人が住んでるのか分からないような古いトタンの家が多いような気がする。
まぁそう言う家だから家主は許可するんだろうけどね。
自分の場合は古いトタンの家に看板貼ってるの見ると、気味が悪いだけで良い印象な持たなかったな。
古くて汚くて潰れそうな家だと、なんか反対に不幸で貧乏になりそうって思ってた。
名無しさん
昔ながらのやり方をそのまま続けてるんでしょうけど
世の中の動きや流れはしっかり意識していかないと敬遠されるばかりだと思うけどね
あの看板にはへんな怖さしか感じないです
名無しさん
設置はするけど、剥がすのはご自身で?
設置交渉の際にその旨を伝えているなら問題ないとはおもうのですが、その辺りはどうなのでしょう。
名無しさん
生まれる前からそこら辺にあったけど、特に危害を加えられたことはないので、普通に暮らしてる分には関わり合いのない人たちなんだと思ってます
名無しさん
何事もそうだけど自分がいいと思うから人も良いと思うっていう考えが多すぎる。
名無しさん
特に問題は無いと思う。
看板よりもYouTubeをたかった方が良いのでは?


名無しさん
キリスト教関連の教団が貼ってるんだとは思ってたが、どんな団体かまでは知らなかったです。
記事の内容を見るとどうやら無断や強制的では無いようなので別に構わないと思う。
しかし、全国行脚して看板貼ったり布教活動したりと活動費はどうなってるんだろ?
記事の内容だと働きながらって感じでも無さそうだし、どこが活動費を出してるのかが気になりますね。
名無しさん
どうやって生計を立てているのか知りたい。
活動するにも車や看板の材料費も必要だろうし食事も摂らなきゃいきていけないだろうし。
なんか給料的なのが出るのですか?それとも本業があって、布教活動は空いた時間にやってるんでしょうか
名無しさん
なにか好意的な観点から書かれている記事だが、果たしてこの活動に法的な問題点はないのだろうか。専門家ではないのでわからないが、環境の美化には明らかに反しているように思えるし、自らの主張を好きなところに書いたり、それを書いたものを設置したりすることが認められるなら、様々な団体がそれを始めることだろう。
名無しさん
日本は不思議だよ。確かに看板は見て良い気分にならないけど、ちゃんとクリスマスはお祝いをする。聖書の言葉なのに看板を嫌う。不思議だよね。
名無しさん
これ仙台のマルモリの看板ですよね。芦田愛菜のマルモリ曲ではありませんよ?
マルモリ地区は確かキリスト教のコミュニティがあるはずです
私は聖書の看板を絶対に批判しませんが、ネットの方が早いかも?
あと看板のデザインを色んなパターンで考えた方がいいかもしれませんね
もっとイメージのいい看板も作るなどです
黒に黄色で書体だとインパクトが強すぎてドン引きする人もいますからね
名無しさん
宗教って本人が信仰するのはいいんだけど、どうして仲間を増やしたがるんだろう。
神とかに祈りを捧げ、向き合っていればいいだけなのでは?


名無しさん
いわゆる峠族に有名だったのが、30年以上前から東京都某所(山梨県に近い方)のカーブの先にある「神の国は近づいた」看板で、噂は2種類あって、実際にそこのコーナーで死亡事故があったというものと、逆に看板のお陰で事故が減ったというものと、真相は謎ですが、看板が新しく綺麗になっていた謎がこの記事で解けました。
名無しさん
これ見よがしに神社仏閣の脇にある気がし悪意しか思わないのは私だけだろうか。
名無しさん
正直言って興味無い人からしたら気持ち悪さしかない、アンタらが好きでやるのは自由だが他人に迷惑はかけるなと思う、関係ない人を巻き込むのもやめてほしいし勧誘とかもホントやめてほしい。
名無しさん
あの看板初めて見た時は得体の知れない雰囲気で怖かった
今見ても不気味で普通に怖い
キリスト教徒を増やしたいのであれば逆効果なのでは?
想像ですが狙いとしては人生に疲れ、途方にくれた人が道を歩いててふと見上げた先にあの看板が…
そしてキリスト教へ…
ならんやろ
名無しさん
近くでも、二か所ありますよ。
住民を脅す様な文面には、違和感も感じます。
どう考えても、千年前の人の話と、現在の哲学、比較にならんでしょ。
彼等は、大勢の中の一人で居られる所に、魅力を感じてるんでしょうね
悪い事も出来なければ、良い事もそこそこみたいな。
お墓にも、この手の文章が書かれたboxが。
公衆電話の4倍ほどの建物。
どうやら、キリスト信者のお墓なようです。
決まりでは、建物はダメらしそうで、非難も。
20年程建てられてましたが、今年撤去されてました。
新興は自由、どうぞ身内だけで。
他人を巻き込んだり、掲示物で勧誘・脅ししたりせずに、真摯に。
ねッ、学会さん。
名無しさん
楽しそうだな。信じるものを持って良いと思うことをする。いいと思う。


名無しさん
なるほど、密かに貼ってる迷惑看板じゃないのですね。
そのことがわかる良記事でした。
効果がどうかなどは、その団体が判断すれば良いこと。
自分が信じる道をまっすぐに生きている2人の信者の様子に、とても好感が持てました。
名無しさん
数年前、何日か家を空けて戻ってみたら、勝手に看板が打ち付けられていたのですが、どういう了見でそうした勝手なことをしたのか、説明して頂きたいところ。そのままにしておくわけにもいかず、撤去したところ、ロック塀に釘打ちされていたことから、撤穴が開いてしまったのですが、こうした行為は明らかに犯罪では?
名無しさん
小さい頃ボロボロの家の塀に貼ってあった黒地に黄色い文字の看板がなんか怖かった思い出がある。あれはなんだろう?と思って親に聞いたけど親も分からないわと不思議そうだったけどこういう団体があったのね…うちにもし来たらお断りするけど。救世軍の社会鍋とかも初めてみたときは何だろう?って子供心にインパクトがあったからインパクト狙いな宗教活動なのかとずっと思ってた
名無しさん
比較的いろんな地方で暮らした事あるけど、蚊取線香とか古いブリキの朽ち果てたカンバンと一緒に、確かに東北の田舎の壁で良く見かける気がする。
キリスト教系のだとはわかってたけど、これだったんだね。
貼ってある家が信者さんの家だと思ってたけど違うんだ。
名無しさん
クリスチャンから見てもやっぱりおっかない感じしますよ。
ただ、あの独特な不気味さに悪寒がして目が覚めた(万引きやめた)的な人もいました。感性の違いは多少なりあるのやも
名無しさん
貼っただけで満足してるただの自己満足
本当にイエスに信仰を持って欲しいならイエスと同じ方法で布教すべきだと思う
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管理人の率直な感想

あらかじめ断っておきますが、僕はキリスト教徒ではありませんし、キリスト教を否定するものでもありません。

はい。この看板。
目にしたことのある人は多いでしょう。

「この看板のある風景と共に育った」という人も多いはず。
西日本には比較的少ないんですかね。

東日本の郊外に行けばすぐに見つかる看板です。

もちろん僕も小さい頃から何度もこの看板を目にしてきましたが、小さい頃は特に何も思いませんでした。

大人になってから見ると、何だかいろんな疑問が生じる。
まさに今回の記事の見出し通り「誰が貼ってるんだ」「どうやって貼ってるんだ」ですとか、「デザインはどうにかならないのか?」とか。

書いている内容は、分かるような分からないような・・・ふ~んって感じなのですが、看板のデザインはどうにかならないんでしょうか。

正直、ちょっと怖いですよ。

もう少しポップな感じで、カラフルに出来ないものでしょうか。
この写真の看板も、色としては黒と白と黄色じゃないですか。

色の組み合わせが悪い!

布教活動としては、勧誘に来られるより、こういった形で押し売りせず、目に入ったら見てくださいくらいのメッセージがいいと思います。

それと「気にはなっていたけど調べるほどじゃなかった」とのコメント。

まさにそれなんです!
それこそがこのサイトのあるべき姿!

・・・というか調べてくれなかったら誰も来てくれないんですけどね。
まあそれはそれでいいでしょう。

今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。


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