知ってますか? あなたの家の家紋―。バリエーションも含めれば2万種近くもあるといわれる日本独自の紋章「家紋」。戦国武将や有名大名のみならず、世界的に見て名字が非常に多い日本には大半の家に存在する。しかし、研究者によると、自分の家の家紋を知らない人が増え、このままでは一般社会から消えてしまう恐れもあるという。日本固有の文化に危機が迫っている。そもそも家紋とは何か。危機の原因は何なのか。
「家紋の発祥は平安後期とされます。まず、世襲する領地や財産ができ、ほかの家と区別するために名字が増えた。そして、公家の西園寺家が自分の乗る牛車がすぐわかるように印(巴紋)をつけた。これが公家の間で“流行った”わけです」
そう話すのはネットサイト「家紋ワールド」を運営する研究者で、日本家紋研究会理事の田中豊茂さん(66)=兵庫県丹波篠山市。田中さんに教えを請いながら家紋の歴史をひも解いた。
家紋の発祥は公家の間の「ブーム」
平安後期に流行した家紋は牛車だけでなく、衣服や調度品にも使われるようになる。
そして平安末期から武家が台頭し、鎌倉時代に入って武家社会になると、武士たちは戦場での武功をアピールすることや敵味方を識別するため、武具や旗などに家紋を入れるようになった。そして、武功に対する恩賞として領地が与えられたり、また、領地替えがあったりしたことで、武家とともに家紋も爆発的に全国に広まった。
ちなみに公家の家紋は雅な印象。武家は武骨で目立つものが多いそう。
江戸時代になると何といっても「この紋所が目に入らぬか」でおなじみ、徳川将軍家の「三つ葉葵」が家紋ヒエラルキーの頂点に立つ。権威の象徴でもあり、同時に憧れでもあったようで、庶民の中でも歌舞伎役者や遊女、浪人など元は武家の流れを汲む人々も家紋を使いだした。
そして明治。武家は衰退したものの、庶民も名字を名乗ることになり、特に禁止されなかった家紋が再び浸透した。家紋は常に日本の歴史とともにあった。
都市部出る人増え、忘れられ
明治、大正、昭和、平成、そして令和を迎えた今、自分の家の家紋を知らない人が増えてきている。
田中さんによると、家紋という文化が色濃く残っていたのは地方部。しかし、往来が自由になるにつれ、田舎を離れて都市部で暮らし始める人が増える。そんな家庭が世代をへていくうちに、名字は伝わっても家紋は忘れられていったのだという。
背景には、刀や調度品など家紋を入れて子孫に引き継ぐ “モノ”が減った現実がある。
例えば着物。洋装が基本になり、大人で家紋入りの着物を着るのは結婚式くらいになった。「着物文化」の衰退は家紋の危機に密接に関係している。
さらに近年では、「継ぐ人がいない」「管理が大変。費用も掛かる」などの理由で、家紋が刻まれることもある墓の「墓じまい」が進む。墓には家紋以外にも先祖の情報も多く記されているため、自身のルーツをたどることがさらに難しくなる。
日本の文化全体の揺らぎに伴って、家紋も危機を迎えているようだ。実際、記者の同僚も自分の家紋を知らなかったり、「見たことはあるけど、どんなだったかなぁ?」という人が多かった。
田中さんは警鐘を鳴らしつつも、「それでも家紋は本当におもしろい。わが家の家紋を知れば、先祖がどこで何をしていたか見えてくるかもですよ」とほほ笑む。
洗練されたデザインに魅力
田中さんが屋号「播磨屋」で運営するサイト「家紋ワールド」には戦国大名や氏族のものなど5000種近い家紋が掲載されている。
もともと日本史が好きで家系図などを調べていくうち、付随する「家紋」の洗練されたデザインに魅力を感じたそう。
そんな田中さんは、イベント時などに「家紋鑑定」のブースを出している。来場者の家紋からルーツを探るという内容だ。
試しに記者の家に伝わる家紋「結び雁金(かりがね)」を鑑定してもらった。
先祖とのつながり「想像」に楽しさ
記者の実家は京都府の丹波地域。「この辺りでは、戦国時代、氷上郡(現・兵庫県丹波市。京都・丹波地域と隣接)を治め、明智光秀とも激戦を繰り広げた赤井家が同じ家紋ですよ」
いきなり戦国武将の名が飛び出した。
「また、真田信繁で知られる信濃の真田家も結び雁金。伝承では氷上郡にいた武家に信濃からやってきた人がいたとされているので、何か関係があるのかも」
真田信繁と言えば、NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公だ。
記者が知る限り農家だったわが家に赤井や真田とのつながりがあるとは到底思えないが、昔、亡くなった祖母から「わが家は足軽だったらしい」と聞いたことがある。もしかして―? 淡い期待が芽生え始めたが、田中さんは、「家紋が同じと言うだけで関係があったと確定はできません。憧れで決めたこともあるようですし」と冷静だ。
しかし、「とはいえ、確証はないけれど、何かつながりがあった可能性もある。そんなことを想像するだけでも楽しいでしょ。これも家紋の良さですよ」。
“鑑定士”の目がきらりと輝いた。
家紋は歴史に通ずる”鍵”
家紋を知ることは家を知ること。そして、家を知ることは歴史を知ること。私たち日本人はだれしもが歴史につながる”鍵”を知らずに受け継いでいる。
田中さんは言う。「家紋を知ろうとすることで、おじいちゃんやおばあちゃんと話したり、お墓に行ってみるきっかけになる。そんなことが、家や文化を守ろうという意識につながるはずです」
みなさんも「わが家の家紋」を調べてみては?
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191124-00010001-tanba-l28&p=1
ネットの声
現代では着物を持つ機会でもなければ、そうそう調べることもないんでしょうね。
ただ本家筋が途絶えると家紋も途絶えてしまうので文化として残すのなら戸籍に家紋を表記して家を出る子は父方母方どちらかの家紋を継承できるようにしてはどうでしょうか?
大半の庶民は明治まで家紋なんてなかったんだから、別に知るべき人が知っていて、守るべき人が守っていけば良いのではないでしょうか?
武家の出で、家督を継ぐ立場にある人の大半は自分の家の家紋は知っていると思いますよ。
うちは武家だったので菩提寺でかなり前のご先祖までわかり、私は幼少期から家紋は知っていましたが、家紋を自ら何かの注文で使用したのは父が他界して墓石建立したときが初めてでした。
私が小学生の頃には家紋を描くという授業があったけど、今時はそんなの題材に使うことはないはずです。
自家の家紋を知らない人が多くても不自然なこととは思いません。
武家出身の家だと家紋を大事にする思いがあると思うけど、家紋を受け継いでいくかどうかは、それぞれのお宅で事情が異なっても仕方のないことのように思う。戸籍に家紋が記されているわけでもありませんし。
どこかに登録されているものでもないですし、幾つかを除けば人の紋を使ったからといって何かあるわけでもありません。明治以降に勝手に使いだした人もいれば、先祖がどなたからか拝領したものもあり、同じ家紋だからといって血縁があると考えるのはかなり無理があります。
近畿圏では女紋があるように、日本国内でも地域的な慣習の違いもあります。
現代日本で知らないと面倒なのは葬式位ではないですかね?
実際、話が出ても自分の家の家紋を知らない人は多い。
使う機会がないからだと思う。
紋付か、墓、葬式とかでしか見ることないからね。
元々はその家…一族とか繋がりとかを表すものだったけど…例えば歌舞伎役者や落語家は自分の紋を持ってて、それで一族一門かどうかを見分けたりする訳で…。でも今は、家とか一族とかそういう関係性が希薄になってるから、家紋は必要なくなってきている。
まあだからと言って、無くなりはしないと思う。墓には家紋が入ってるし、紋付も歌舞伎や落語家もいるし、歴史を調べれば必ず出てくるし。
知らない人は多いだろうけど、知らなくても生活上困らないから。
いいじゃん。そういうものなんだよ苗字と一緒で。
細かいこと言えば、明治新姓で勝手な苗字を名乗ったり、家紋も勝手に使ったりデザインしたりしてるからほぼ意味ないし…一族とか先祖とか…。
そういう伝統は大事にしたいと思っていましたが、家系や出生にやたらと拘る方と知り合い、いい感じをしなかったので、家紋も無理に残す必要があるのかな、と思うようになりました。
今目の前の人を大事に出来るのならいいですが、家系や家紋で人をみるのは、どうなのかなと思います。
家紋や姓の由来に興味が無ければ不要でしょうけれど、お墓をたたまずに子供等に承継させるなら、その人に最低限の情報は伝えておいた方が良い気がしますけどね。
私自身は末弟にも関わらず承継する立場になる話が決まり、子や孫の代の負担や責任を考えると悩ましく思いますが、かといって先祖から続いてきた歴史を自分の代で失くす覚悟と勇気は持てないかな。
我が家の墓には家紋は入っておらず、亡き祖父から見せてもらった何かの書面に家紋が書いてあり、剣道をやるようになってからその図面を描くようになりました。
したがって私の胴のみに家紋が残るのみ。
他に使う機会もないし、使わない家庭はそれこそ一生使わずに終わることも多くなるのでしょう。
でも、西洋の貴族の紋章と違って、日本は誰もが使え、登記等の手続きも要らない。
大らかに自分の家のシンボルが持てるなんて、豊かな文化だと思います。
廃刀令があって、戦後の民主主義の時代になって、今は免許証の表面にも本籍地の記載はありません。ご自分のルーツは知りたい人は辿って、それを自分のアイデンティティと結びつけたければ、家紋は良い方法かと思います。時代にそぐわない物が淘汰される。自然の流れでしょう。
ちなみにヨーロッパの人々が皆血筋を辿り中世の頃の紋章を家に飾っているかと言うとかなり少ないと思います。
でも知っていると少し素敵なものって世の中には沢山ある。
実用性がないからって何でもかんでも消し去るっていうのもなんだか無機質だと思いませんか?
自分は歴史が好きなので、家の家紋も元々知っていたんですが、正直どうでもいいと思っていました。でも結婚式で家紋入りの装束を纏ったときに、父も祖父も曽祖父もこれを付けたんだと思うと、改めて命を自分の代まで繋いでくれたことへの感謝が深まった気がしました。
我が子にも家の家紋を伝えていきます。彼らがそれをどう扱うかは彼らに委ねたいと思います。
記事内容に、先祖のルーツが判るとあるが、本当に縁のある先祖なら問題ないが、好みで選んだりして本来の家紋の方とは縁の無い人の可能性がある思うと、結局は遡って調べても時間の無駄になるし、家系図でもあれば直ぐに判ると思う…家系図が無いので、どこの馬の骨か、分からんのと同等の血筋だと思って開き直ります。
この先、必要性も無く、どうでも良いことに思う…日本の内戦時代だし、悪く言えば、究極の大量殺人犯みたい感じる…もう全く興味がありません。
多分小さい頃に父親と時代劇を見ていた時に気になって聞いたのかな?
まぁまだ親と子の会話が有った時代だったから知る機会が有ったんだと思いますね
今は一人り一部屋の時代だから親子の会話も少ないし親の側が教える、子供の側が聴く機会も減ってしまっているから伝わっていかないのかも知れませんね
家紋を知る事は自分のルーツを知ることにも繋がるので調べてみるのも面白いと思います
まあ、先祖が武家だったり、それなりの家柄だったところは、しっかりと受け継ぐことにも意味もあろうが、昔どこかで家紋を決めた歴史的経緯も希薄な家は、今の時代あっても無くても困らないように思います。
本家、分家と、小さい時に祖母から教えてもらった時にね。本家の家紋はコレだが、うちは分家だから、こっちの家紋を使わなきゃならないとか言ってた。気持ち違うのよね。名家だと本家のみ、この家紋てあるから分家と違うのよね。
私は女だし結婚で名字も変わるから、何か家族の繋がりを目に見える形で残したくて、結婚指輪に家紋入れたからね。
それに墓見れば家紋分かるでしょ!
年齢的に親の葬式用に黒紋付きを作らないとなぁ~とは思ってるけど、母や祖母より体が大きいから袖がかなり短くて、お下がり着れないし、着物が好きだから…
いくら家紋を普段、使わないとは言っても親が教えるでしょ。知らないて事は親も教養がないって事だと思うが…歴史を教えるのも大事な事でしょ。
良き古き文化は大事にしないと、個性がなくなる。その他、大勢と同じになりたくないタイプなんで、大事にしてくけど!
それは名字も同じだけど、毎日使うから愛着もあるしアイデンティティの源でもある。
でも家紋はお墓に刻印されてるものや、仏壇に刻印されてるものしか目にしない、つまりはあまり身近ではない。
元公家や武家の子孫が家紋が忘れ去られるのを憂うのは気持ち的に分かるけど、多くの人には100数十年の歴史があるのみ。
しかも村のお寺の和尚さんにつけてもらったとか、知識人につけてもらったとか、自分でつけたとかでしょ?残念なことに廃れるのは必要ないからだと思う。
家紋は色々デザインあって面白いけどね。
この文化も、いつかは無くなるのかな。
留袖作らない人も、
親族の慶弔時に正装を求められた時、
貸衣装で留袖に紋を入れるときまでには
実家の紋を確認してみてくださいね。
(地域によって風習が違う可能性もあります)
俺の親父とかお袋とかは拘っていたが、俺は全然興味が無かったから、親父が亡くなり墓を作った時は、家紋も○○家とかも一切入れずに洋風な墓石にして、昔ながらの日本的な要素を減らした墓にした。
やっぱり家紋に続く家系というのが煩わしいからね。
先祖を蔑ろにするつもりはないが、過去は過去で、昔の家柄が良くても、今とは暮らしぶりも全然違うからね。
そういうのを大事にしたい家は大事にすれば良いと思うけど、家紋なんて無くなっても良い物だと思う。
慶事とかでも
紋付袴を着る機会も少ないし
墓参りに行けば
墓石またはその周辺に刻まれてて
もしかしたら家紋がわかるかもしれないが
必ず刻まれているとは限らないし
信教によっては
西洋式の墓碑であったり
最近では建物の中にあるような
近代式墓陵を利用するとこもあるから
家紋を身近に知る機会が減ってるかもね
あと、VIPでもない一般の人が家紋を持てるようになったのは時代が
下ってからですし、現代は家紋に関する法律などありませんから
自分が好きな紋を使うことができますので、文化的な意義は薄れる
いっぽうでしょう。
知識として家紋に関する習慣などは知っておいてもいいとは思います。
ちなみに、どの家紋を使うかという習慣は、土地や性別などにより
異なります。
東日本では実家の家紋を使い続ける(ただし、紋付の着物は誂える
費用を出した人の意向による)傾向が多いのに対し、西日本では女性に
関しては女紋という習慣がある、というふうに。
紋付き袴だったけど知らない家紋だったような気がします。
既に両親は亡くなってるし、実家のお墓も古くて家紋があっ
たかどうかもわからない。
父親が亡くなった時に、僅かばかりの相続で父親の戸籍を調
べて、その流れで初めて祖父の出生を見たけど、それ以前は
サッパリわからない。
よっぽどの旧家ならいざ知らず、そんな家が多いのではない
のでしょうか。
そもそも守るべき世帯は守るべき文化なのだろうが、全世帯がそうだとは思わない。
少なくともその名の通り紋付袴を用意する必要の無い世帯では歴史的にも必要ない物では。
わりといい加減な世界ですよ。
代々引き継ぐのがベストな選択だとは思いますが、知らなければ自分達の家庭から新たに家紋を選び直しても全く問題はありません。
ウサギの家紋が可愛いな、竜の家紋がかっこいいな、鳥が好きだから千鳥にしようとかでもいいんです。
極端なことを言えば自分でアレンジ加えてもいいんです。そうやって家紋は進化し続けてきたんですから。
ただし家紋のイラストレーターのデータはいつでも渡せれるようにしておいてくださいね。それがないと困るんで。
家紋自体は消えてしまっても仕方がないと思いますが、女紋の背後の母系の思想は尊重して欲しいと思います。
男女別姓と男女平等は別問題だと思います。
中国では古代から男女別姓です。ところが儒教社会では、子供は男女とも父親の姓になり、結婚しても変わりません。(蒋介石と
宋美齢、毛沢東と江青等)
それどころか女の子は嫁いでも父親の支配下にあり、実家と婚家が対立したときは、実家に従うべきとされています。
このため歴代王朝は外戚の横暴に苦しみました。
男女別姓は、結婚による改姓の不便さだけでなく、真の男女平等、父系と母系の両立を目指すべきだと思います。
すなわち、「紋」のように男子は父親の姓を名乗り、女子は母親の姓を名乗るべきだと思います。
結局、義父の実家に聞いて判明しましたが、家紋を知らない人が増えているのは寂しいけど、使う機会が無ければ仕方ないですね。
私は家紋とかルーツとか歴史が好きなので息子にもしっかり伝えていきたいです。
ウチには、母の残した和装の喪服に家紋が入っていますが、新しく売りに出された喪服は、家紋のないものが出てきている。おひな様の小道具に家紋を入れます、というのが久月人形あたりのCMでやっていたけれど、家紋が分からない人もいると思います。
むしろ、家紋ってそれ何?という感覚の人や、自分の家の家紋よりも、見た目が好みの家紋を選ぶような人が増えているのではないでしょうか。
文化として研究し残すのは一部の方が、やれば良い事。
一般的には全く危機ではないでしょう。
家紋は人気がありすぎていろんな家系が競って用いた紋らしく、
ここから祖先をたどるのは難しい。
複数の紋を使った戦国武将とかいるわけだし、時代を遡れば別の紋を使ってたということもあるかもしれんが。
落武者だったとすればヘタに目立たないようにしたほうがよかったのかもしれんなあ。
昔は「家>個人」だったから尚更。
まぁ、現代でも世襲政治家やオーナー企業のトップは家柄も重視してますけど。
今は完全に「家<個人」ですね。
長男でも地方から東京に出ちゃうし、長女が婿養子ってのも稀。
昔は家の存続の為に「跡取り」がいた。教育や相続も跡取りを最優先して『家を護る』事を優先した。
今は全てが平等。
親の面倒を看ようが看まいが、相続財産も均等割り。
『家を護る』という概念が稀薄となっています。
どちらが良いとか悪いとかは、時代にも依るし、それぞれの考え方だから一概には言えない。
ただ、家を護るかどうかは別として、両親や兄弟(姉妹)とは『家族』として一生付き合って欲しいと思います。
全国2位の鈴木さんとか、先祖は熊野に連なる神官の家系で、紅葉狩りの余五将軍・平維茂の配下だったり、源義経の家臣だったり、織田信長を狙撃した雑賀孫市の本名は鈴木だし、ワクワクするような人が一杯いる。
知っていて、でも必要ないから遠ざかってしまうのは仕方ないかもしれないけど、嘆くくらいならまず知る機会を増やして欲しいよね。
そういうモノでいいと思う。
大半の人のご自慢は明治期の先祖が勝手に創作したものであるし、本当に子孫であっても直系でない人ほど先祖を誇る。
ちゃんと裏打ちのある人々だけが使用すればよいし、無いからと言って何の問題もない。
静岡の茶畑は明治維新の着くも忠義、着かぬも忠義の際に徳川慶喜に着いて駿河に来た徳川家臣が生活のために開墾したのが静岡の茶畑。
武士は代々伝わる家紋の他に個人の替紋を持ったので江戸時代には家紋屋という家紋をデザインする商売があった。
徳川家臣末裔の人たちは今でも替紋を作っているから家紋屋が成り立つのだろう。
亡き父の実家は地方で、由緒正しい家だったらしいですが、父は大学から東京に出てきており、私が生まれる前に父の実家は破産して無くなったとのこと。
なので、父の生家に行ったこともなければ、墓参りもしたこともなく、父も実家のことはほぼ話さなかったため、家紋など気にしたことも目にしたこともありませんでした。
父が亡くなり、お墓をどうするかという話になった時に(屋内型の貸金庫のような納骨堂ですが)、業者に家紋をどうするか聞かれて、調べて初めてわかりました。
ただ、納骨堂の銘板には家紋は入れませんでしたし(代わりにお花の模様をデザインとして入れました)、私自身も今後、家紋というものを使うことはないと思います。
正直、留め袖や紋付きなんかほとんど着る人がいなくなったし、家紋の描かれてないお墓も増えたと思う。
つまり、現在では家紋はほとんど実用性がないといえるだろう。
そもそも、家紋がそれほど重要な文化なのかが疑問。
本来は家(一族)の血筋を表すものだけど、正直明治以降、結構適当に自分ちの家紋をつけた人がほとんどだし、源系の家紋だからといっても自分が源氏の子孫だとは限らない。
つまり、こんなもので自分のルーツなどさぐれない。
かえって家紋が廃れることで、根拠のないアイデンティティがなくなり、変な差別意識が根絶されてよいのでは。
知らなくても日々の生活には困らないですからなくてもいい気もしますが、せっかくならハンカチなどに刺繍するのも素敵かもしれませんね。
母方のルーツが記憶されますし。
家紋がどうしても不明な場合、五参の桐だけは避けた方が良い。貸衣装が使う紋だから。
好きな紋でも良いけど、やはり紋のルーツを聴かれたりするから突拍子もない紋より、自分の名字で使われてる家紋の中から選んだらルーツに遠からずだと思います。家紋は日本の格調高い続けたい文化の一つですね。
妻の実家の家紋は「丸に違い鷹の羽」だが似たり寄ったりの者が沢山あり丸の輪郭が細いだの太いだの羽がどっちが上にあるとか。
家紋一覧を見たことがあるが非常に多くの家紋がある。
家紋・・・仏壇の正面にあるくらいだなあ。
40~50年まえかなあ、甥が生まれたとき父がこいのぼりを送ったときに家紋が・・・うちのか先方のか、それとも両方だったのかが記憶にない。
あとは葬式関係で家紋を入れるくらいでそれ以外あまり記憶がないなあ。
残ってほしいと思う反面時代の流れにそぐわないかなあとも思う。
事実かどうかはわからないが、いまは交通が発達して日本全国の中から結婚相手と出会う可能性があるだけでなく、お見合いも減って、国際結婚も多いご時世だから、その説が事実なら家紋の意味は薄れたのかもしれない。
文化を守るのは、日本人としての心と国の財源であって、日本人の財源と国の心ではないと思います。
そこには明治どころか江戸時代生まれの先祖の名がずらずら。
また、以前から親の荷物を整理していく中で、100年前の一族写真が出てきたこともあります。
自分のルーツにつながる人々を少しでも知るのは、なんともいえない感慨があります。
家紋もそういうルーツを物語るものの一つでしょうが、確かに今はお墓くらいでしか目にする機会がないですね。
既に、うちには家紋なんてないよ、あるいは昔家紋があったかも知れないけど、墓も無いし知る方法もないよ、という状態になっている人から見れば、家紋の重要性を説くことは、家紋を持たない人への差別に繋がるから、むしろ不適切である。
男性はスーツや礼装でも洋服、女性の方が、家紋の入った着物を着る機会が多いと思うのです。
娘や孫にも女紋、受け継いで欲しいと思っています。
しかし、「とはいえ、確証はないけれど、何かつながりがあった可能性もある。そんなことを想像するだけでも楽しいでしょ。これも家紋の良さですよ」。
結局のところ、明確なルーツが分かるわけでも関係が証明できるわけでもないのね
そりゃ廃れていくわけだ
かなり残虐な事してる悪魔みたいな連中だぜ?やるかやられるかの
世の中だから仕方ないと言えばそれまでだけど 家紋がどうのこうの
必要と思う人は大事にすれば良いし どうでも良いと思う人は
それで良いと思う ひとそれぞれ 無くても別に困らんけど
家紋にこだわっているのは「失礼ですが田舎の小うるさいジジイが居るお宅くらいの気がします。」
家紋は確か自由に決める事が出来るはずで、例えは「戦国武将の伊達政宗の伊達家は竹に雀・九曜・竪三つ引両」等、たくさんあります。
家紋が必要な時は自身で決めるのも一理かも
その前は屋号を使っていたのだから歴史の重みというなら屋号の方が大切にすべき存在。
分家にでは家は新たな屋号を付けられるのだから自らが考えれば良いと思う。
家紋の意識が薄れてしまうのはそれ程重要でも伝統も無いと言うことだと思います。
名家だけ伝承すれば良いのでは?
ある意味一番身近なご先祖様との距離が遠い。
TVや映画では時代劇は減少傾向だし、司馬遼太郎など歴史作家も他界され次世代の時代劇作家はいるのだろうか?
また生活も経済的に余裕がないと、昔に想いを馳せたりがきつきつの生活では難しい。
剣術や武術の体の使い方も、ガタイの大きさ重視の西洋式スポーツとは次元が異なるのを知らないと奥深さに行きつかないし、何よりも興味や関心が無いとね。
似ていても、関係ないことが多いだろう。貴族制が無くなったのも、原因。
家で身分を分けなくなった。
歴史的にみれば、家紋の衰退は、むしろ良い傾向なんだろう。
文化レベルでの衰退で構わない。
個人の尊重の方も、十分素晴らしい。
友人が自分の家紋の成り立ちを調べたら、ルーツに超有名な戦国武将が出てきてビックリしていた。調べていくと本当に面白いんだけどなあ…。
危機っていうけど。。。危機なの?
危機なのはそれをビジネスにする人なんじゃない?
25年前父が亡くなったときの「会葬御礼」に家紋を入れるなんて薦められなかったけど最近は葬儀屋さんは、それが当たり前のように勧めてきます。
ウチの紋は戦国時代からのものだらしいけど「紋帳」になくて結局印刷できないんですけどね。
家の玄関の白壁に紋を入れてる人がいるけど「反社」にしか見えない。。。ふつうのひとなのに。
今の日本、紋付を着るような人にしか必要ないのかも。
落語家、相撲取り 歌舞伎役者?
借り着の喪服、。あれ、誰の紋?
家紋だけではなくて、受け継がれなければならない物が受け継がれていない事が心配だ。
家訓、道徳心、家の歴史、その地域の歴史。
人との繋がり。
後継者不足に悩み、誰に先祖や自分が生きた証を残せばいいのかという問題を抱えている。
前の世代と今の世代の分断とも言える。
家紋はそのうちの一つだ。
よく、テレビなどで「日本すごい」番組が流れる。
でも日本がすごいのではない、人々が積み重ねてきた歴史がすごい。
その人々が一人一人いなくなり受け継がれなかったら、文化は途絶える。
日本の文化とは脆いものだ。
家紋といえば、ルイヴィトンが日本の家紋の美しさに感銘を受けて、デザイン創業した事が有名だよね。
「家」を意識しない核家族化が進んだから。
家紋を意識する人は、やはり格式が高い家だと思います。
これは、お金持ちとかではなく、心持ちの格式が高いということ。※良い悪いでもない
父方の祖父母はともに長寿で私が成人してから他界したので
小さいころはお墓参りはしてなかったがそれでも自家の家紋はなぜか知ってた
婚家の家紋は結婚式に義母が紋付を着ていたのでそれで知った
女性の着物の紋はそれを仕立てた家の家紋が入るので
(母の着物には母の実家の紋が入っていた←嫁入り道具として持たせた)
どっちかなぁと思っていたらお墓にも同じ紋が彫ってあった
自分の家の家紋を知らないってお墓参りが習慣じゃないのかな?
せっかく受け継がれてきたので残したいとは思うけどね
とても興味深いものがある。
別の興味として見直されれば良いと思う。
私はネットで自分のルーツを知りました。ソースを取り寄せて確認。長いこと自分はどこから来たのかと考えていた疑問が解け、安堵と仰天。だけど、家系と言ってもたくさんの血が混じるのだから、生物的にはあまり意味がないとも思う。家紋は知らない。
あと、女紋がある家系もあります。
もし紋付をレンタルする時でも、定番の「五三桐」にすれば何の問題もないと思います
藤原秀郷流の家名だからだけど、その辺知ってるのは、一族でもごく僅か。
家の出自を語れる人って本当に少なくなったし、俺の周りでもそんな話の出来るのは、一部の100歳近い老人だけ。
現役世代でそんなことを話せる相手は、ほぼ皆無だね。
戦後教育の賜物か弊害かは議論が尽きないが、少なくとも自分の直系の歴史くらい、興味持たないのかなぁってのが不思議。
自分がどんなルーツを持つのか、どんな使命を負ってるのか、歴史を学ぶ上でのバックボーンは、そこから始まると思うんだけどね!
ある場合はそれを継承してもいいだろうし。
伝わっていない、記録もないのでは、確認する術は無い。
由緒ある家同士でしか付き合いのない人達が、自分達にとって当たり前だから日本全体でも当たり前だと思っているだけではないのか。
仮に明治維新をきっかけに家紋を作ったとしても、150年余りしか経っていない。
旧家でなければ、無くなって騒ぐ程のものではないと思う。
差別になるのかもしれないですね
将来的には公共の場所での家紋は使用禁止にした方がよろしいのではないでしょうか
父に我が家の家紋を教えてもらい百科事典で調べたら、種類も多く、好みのものやこれはちょっと・・という家紋もあり興味深かった。
古い家なら家のどこかに家紋が彫られていたり、代々伝わる羽織に染め抜かれていたりして子子孫孫伝えていくこともできるのだろうが、授業では歴史上の人物の家紋程度しか扱わないだろうし、その折に教師がちょっと脱線して自分の家の家紋を調べて来るように・・・なんて粋な宿題も出さない限り、自分の家にも家紋があることすら知ることもないのだろう。
若い親の世代も知らないんだろうから子供にも伝えられないよね。
家紋を守りたい人は守る
文化時代は変化していきます
が、我が家(母親の)の家紋はとても地味。
父方の叔母の家紋が綺麗で、叔母には息子しかいないので、叔母の家紋を継ぎたいくらい。
でも家紋て平民は勝手に選んだものらしいので、何にしてもいいみたいである。…と聞いたことがある。だから、興味がある人は、好きなものを選んでもいいんじゃないかな。
NHKEテレでたまにやる家紋の歌はとても面白い。円と線の組み合わせでデザインされてるって考えてた人凄いなぁって思う。
色々なパターンがありますが基本家紋から先祖がどうゆう人物かが判るからですね。
歴史上勝ち組なのか負け組なのかだけでは無く家同士の間では未だ宿敵と思っている地域もありますから。
明治時代の先祖が選んでくれた家紋を大事にする気持ちも大事。
ただ、20-30年前、百貨店で着物買ったとき、今の人達は自分で好きな家紋を選んでつけますよと言ってました。
明治の人たちもそんな感じだったのかもしれない。
私はお墓参りのときに父親に家紋を教えてもらいましたが、今はそういうのも少なくなったみたいで、昔の文化や風習が失われるのはなんだか寂しいです
文化とは少し違うかもしれませんが、必要以上のマナーとかは増えてるのに、こんな些細なことが消えちゃうのはさみしい
人によるんだと思いますが、家紋でロマンを馳せる楽しいですけどね
最近 ずっと昔から風習なんだから従うのが当たり前みたいな事が実は明治から 下手すると昭和の初めや戦後すぐのブームなだけなことが多いのに気づいた。
今だと紋付きか墓石でしか目にする機会も無いですね
名前の判子みたいに家紋判子あれば少しは普及するかもですが
実生活上で活用する機会も無いか
大切に思うことに大いに意味があるんだと思います。
家紋は、この記事にあるように自分で決めたり、戦国時代に殿様からもらったりということがあったみたい。
つまり、そもそもが代々伝わっているというものでなくて、あるときひょいと変わったりするものだったりするらしい。
また、特に法律もないので、かっこよさそうなものを自分で作ってOKということみたい。
秀吉なんかは、桐紋なのだけど、あれももともと秀吉の家の紋ではなくて、秀吉のときにあれになったということらしい。
自分の死期を意識するような年代になったら、考えたり大事にするようになるのかもしれませんね。
どういう由来なのかは不明だが、あまりにもあちこちにあり過ぎて、ありがたみに欠ける。
先日たまたま現代の家紋デザインを見る機会があり、なんというか凄く印象的で羨ましく思えた。
ウチは今更変えたりすることは出来ないが、今の人達が新しい意匠の家紋を新しく使い始めるというのはアリなんじゃないだろうか。
必要だと感じたことは一度もないので、あえて子供には伝承しません。
危機とか言われてますが可笑しな話。
必要が無いものは消滅していきます。
その場にいた父がすぐに気づいて事なきを得たけど、普段使うことがない故に肝心なところで間違って伝えられている家はわりとありそう。
私の家の家紋は丸に剣方喰。藤原北家の流れを組むが、何故か藤ではないのだと親父に幼少期から聞かされていた。
妻のご実家に「家紋は?」と訪ねると、知らない、今時それを気にするとは、みたいに変わっているかのようなコメントが返ってきて、ちょっと面食らった。
羽織袴に家紋シール。初めて袖を通す羽織袴に、晴れの日に家紋を着けて臨み、引き締まった気持ちだったし何より嬉しかった。
家制度を軽んじたくない私は、自らのご先祖の出自を知っていることもアイデンティティの一部です。
家紋って、なかなかにかっこ良いと思う。
別にあっても構わないが、差別や区別につながらないよう注意
しなければならない。韓国などは平民や奴婢のほうが圧倒的に
多かったのに皆が両班(上流階級)の子孫だと言い張っている。
そうなるくらいならないほうがマシ。
と言うことはありません。武家の家系の方はご存知かと思いますが、分家を立てると本家の紋に多少手を加えるか、同じ紋を使うときは裏紋や替え紋を別のものにします。
親族が喪服の家紋の話をしていたので 小学生ながらに不思議でたずねたからです。
お墓にも家紋があるので 御墓参りされた折に確認すると良いですね
日本人の文化、日本人として継ていかなければならない文化だと思います。
知らない日本人が増えているとは知りませんでした。
何とかしなければと思います。
祖先を大事にする意味でも。
墓地は一族の同一姓で十数基立っているが、家紋が確認できるのは明治期中盤以降のもの。
自分は分家で別の場所に親の墓を建立したが、鉛筆と紙で
本家筋のものを写し取って、家紋を入れた。
意識するのは、そんな時だけだな。
小学校の図工で、家紋調べて書いて見ようって言う模写の一環で知ったし、コンパスとか定規でどうやったらうまく書けるか試行錯誤したから25年以上
という冗談は置いておき、うちだけのデザインという要素は若者受けする可能性も十分にあると思うし、復権すると嬉しいですね。
私は、我が家の家紋を知りません。どこかにあるとは思いますが。
両親と姉は、家系とか家紋とかに関心があるので知っていると思いますが。
私は、過去のこととか、身分とか、ほとんど関心が無い人なので。
途絶えないほうが良いという考え方があるのなら、マイナンバーカードに印刷するとか考えたら良いかもしれませんね。
たとえばスーツや鉛筆の名入れに選べるとか、家紋のハンコ売るとか車に貼るステッカーにするとか…
当然の事で仕方ないと思います。
存続させようでは無く、昔はそういう文化が有ったんだと言う記録だけが残れば良いと思います。
あってもなくてもどっちでもいいです。
主張する必要が無くなった現代では民間人には必要がないものなのでしょう
また、宗派も知らない人が増えた。
無宗教の人が増えている。正月は神社にお参りして、結婚式は、教会に
子供が出来ればお宮参り。亡くなればお寺にと日本は平和過ぎる。
でも墓を持たないって人も増えてきてるし。気がついたら、もう調べようもないってことになってそうだな。
ただ自身がなくなり他の世代に繋がってくことで歴史であり文化になる。この前の大嘗祭がそういう歴史や文化のひとつとなっているように。
日本国としての。
姉の店の袋には、家紋をデザインしているし、私も家紋をいろんな所に自分で付けて自分の物という目印にしています。
一頃、家紋のストラップなどが流行りませんでした?
母も数個作って貰い、私達に与えてくれていました。
糸の部分がすぐ切れてしまう代物でしたが・・
ルイ・ヴィトンの売り上げは、日本人客で全体の3割を占めているそうですが、あの有名なデザインは、
日本の家紋を真似たものだそうで、日本人はそれを逆輸入して宣伝しているみたいになっていますね。
ルイ・ヴィトンは、私には高過ぎますが、家紋など代々伝わる物を身の回りに飾って、日本人の血というか、パワー気分をありがたく感じています。
武家の出だけど、そこには家紋と言う考えは出てこない。
寂しく老いたとき、懐かしむだけで良いのではないの?
今はそれに落ち着いてるな。
その方に貰って、余程嬉しかったのか報いる為なのかなと思うけど。
本来のは、由来で使ってたのはあるね。
一桁世紀からと聞くので、良く続いたもんだなと思う。
管理人の率直な感想
紋付き袴など着る機会も少なくなった現代。
家紋自体を見る機会が少なくなった気がします。
仏間に先祖代々の遺影を飾っている家庭は、先祖の遺影に紋が入っていることと思いますが、最近の遺影はそうとも限らない。
僕の祖父の遺影はめっちゃカジュアルです。
僕は自分の家の家紋を知っていますし、五代前くらいまでの先祖は何をしていたのか知っていますが、それ以前の先祖が何をしていたのは分からない。
どんな仕事をしていて、どんな性格で、どんなものを食べて、どんな会話をしていたのか。
実に興味がある。
平民でしょうけど、変なあだ名で呼ばれていたとしたらどうしよう。
変態だったらどうしよう。
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