罪のない幼子に、なぜそこまでできる!連日のように流れる幼児虐待のニュースに胸がつぶれる思いをしている人は多いだろう。
子供同士のいじめももはや“悪ふざけ”ですまされるレベルではない。そう憤慨した後で、テレビやネットのなかった頃はどうだったかと思うと、それはそれで暗澹たる思いになる。
思い起こせば、子供が虐げられた歴史は今に始まったことではない。
先日、取材で地方を訪れた時、ちょっと薄暗い感じの路地で、4~5才くらいの子供たちが数人、『はないちもんめ』を唄いながら遊んでいた光景を目にした。いたって無邪気で楽しそうな子供たちの姿に、あぁ懐かしいなぁ、自分にもあんな頃があったなぁと目を細めたけど、それと同時にあれこれ思い出したことがある。
そう、誰もが子供の頃、なんの気なしに口ずさんでいた童謡の数々には、実はとってもコワい意味が込められていたことに。
もちろん、その多くはいわゆる“都市伝説”の類いで、尾ひれがついた話だとは思うけど、あながち作り話ですませるわけにはいかない気もする。
ほら、童謡のメロディーって短調で、どこか暗い響きがあるじゃない。それがまた、コワさをよけいに演出するような気がするんだよね。
そこで今回は「本当はコワい(と私が思ってる)童謡」について──。
『はないちもんめ』(作者不詳)
〈勝ってうれしいはないちもんめ 負けて悔しいはないちもんめ 隣のおばさんちょっと来ておくれ 鬼が怖くて行かれない お布団かぶってちょっと来ておくれ お布団ぼろぼろ行かれない お釜かぶってちょっと来ておくれ お釜底抜け行かれない(鉄砲かついでちょっと来ておくれ 鉄砲あるけど弾がない)
あの子が欲しい あの子じゃわからん この子が欲しい この子じゃわからん 相談しよう、そうしよう〉
口減らしのための人身売買説
──庶民が貧しい暮らしを強いられ、子供は口減らしのために都会に売られていた時代があった。勝ってうれしい、とは「買ってうれしい」という人買いの気持ちで、わが子の体重の一匁ぶんまで値段を負けて売ることになった親の気持ちが「負けて悔しい」と表されている、という説もある。
まだ日本中が今よりずっと暗かった時代。日が落ちる少し前から山影が黒く浮かび、いよいよ日没になるとあたり一面、漆黒の闇。聞こえてくるのは野犬の鳴き声くらいで、深夜遅く、人の話し声が聞こえたりすると「何事だ?」と、母親の顔に緊張が走った。
知らない男はみな、人さらいに見えて恐ろしかった
すでに「人身売買」の時代ではなかったけれど、「人さらい」はいると思っていた。イメージは、町の縁日に外からやって来たサーカス団やテキヤのお兄さん。
茨城県の山麓に抱かれた城下町で生まれた私の子供時代は、『日本昔ばなし』そのもの。童話『桃太郎』に、「おばあさんは川に洗濯に行き、お爺さんは山に柴刈りに」とあるが、3、4才の私は、明治25年生まれの祖母の着物のすそをつかんで、裏の川に洗濯に行った覚えがある。
若い母親は木製の小さなハシゴを背負って山に行き、背丈より高く小枝を積んで帰ってきた。
女の子は全員、オカッパ頭。冬は綿入れを着て、足元は下駄か運動靴か。昭和35年くらいまでに地方で生まれた人は、同じようなものだったのではないか。
『はないちもんめ』は小学校低学年までの遊び
私の育った集落には、同級生の女の子が6人いて、朝は集団登校のために集まる広場で。放課後は農家の友達の家の庭で、道具もいらないし、ちょうどいい遊びだった。
そこに上級生や下級生が仲間に加わって長くなった列でする『はないちもんめ』は、たちまち華やかな遊びになった。
だけどそのうち、この遊びがイヤになってきた。「〇〇ちゃんがほしい」の「〇〇ちゃん」に真っ先に選ばれる子と、そうでない子はいつもいっしょなんだもの。
小さな集団の中での人気者の取り合いで、それを歌いながらする。面白くない。
そんなある日のこと。「はないちもんめ、やだ」と人気最下位の私が思い切って言うと、意外なことに人気ナンバー1の子が「そうだね。やめよ」と賛同した。
取り合われる人気者も、残りものになる者も、同じくらいイヤな思いをしているんだなと気づいたのは、その時が初めてだったと思う。
※女性セブン2019年9月26日・10月3日号
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190915-00000009-pseven-life&p=1
ネットの声
そうではなくて、人気最下位の子のその発言に同情したのでは?
人の気持ちがわかって気を使える子だからみんなの人気者になれたのかもね。
残酷な遊びだったんだね。
クラスで班を作る時も好きな者同士でって事で、余り者の自分は最後人数の足りない班に拾われてた。
今はそういう決め方しないのかな。
そんなスクールカースト下位時代の幼少時代だったけど高校からは上位になった。
仲良しの友達が変わったからだと思うけど周囲の対応も変わった。
返って人が信じられなくなった。
一番で指名されなくてもいいから、最後の1人にはなりたくない!と必死に祈りながら足を上げていた記憶があります。
たまにイジワルな子がいたりすると、自分が気に入らない子を名指しして、◯◯ちゃんだけは最後まで残すよ!とか指示出ししていた。そのこと同じチームになるまで、そんな決め方があるなんて知らなかったからとてもショックだった。
も怖い
それも時代背景を知れば仕方ないと思う。
為政者が絶対的な権力を持ち、比較的恵まれた武士や坊さん以外は、貧しく虐げられる存在だったから、もちろん治安も悪い。
政治思想も醸成される土壌が無いから、個人の自由が極端に制限されてたからね。
その後、近代的な自由論が確立されてしまった現代では、困難に陥ったとしても、同じ状況が訪れるとは考えにくくなった。
昔の世相を知る資料の一つになっている。
足を上げる所は勢い良く蹴りの形。
でも満遍なく指名されたから、殺伐としてた訳ではない。
単純に負けて取られたのが悔しかっただけ。
それよりもうちの地域は「お布団ビリビリ」だったのが気になる。
裂いたのか…?といつも疑問に思ってたけど、他の地域は「ぼろぼろ」なのね。
うまく言ってれば選ばれるとき選ばれない時でうまくいくけど。
人気者がいい子でよかったね。
中には率先してやらなくてもいいのにいじめだす人とかいるからね。。。。
文中の人気のある子供のような考えをする子は少ないと思う。
教育は大事。
はないちもんめ、かごめかごめ、ハンカチ落とし、水雷艦長、ゴム段、色鬼・・・。
小学校5年のある日、団地の前庭で、数人ではないちもんめを始めました。すると、団地の色々な年齢の知らない子達がいーれーて!と集まって来ました。あちこちから自主的に走って来る子、母親達に「ホラ、入れてもらいなさい」と言われておずおず来る子達で50人くらいの大はないちもんめ大会になりました。
「あの子が欲しい」と話し合う時は、知らない子、おずおずしている子を率先して名指しし、夕食時までクタクタになるまで夢中で遊びました。
以来、私が私立中学校に行って帰宅が夕食時になるまで、団地の前庭の「昔の遊び」は続きました。
あと、昔話も額面通り受け取ってリアルに絵にすれば怖い表現があるが、実際は深く考えず作られた子供向けの荒唐無稽な戯言なんだと思う。
ただ、同じような虐待なら、後者で起きる方が、より悲惨で救いようがなく思われる。
誰かを集中的ニック狙うとか、逆に全く落としてあげないとかあれば。
子どもたちが仲間遊びをすることは良いことだと思うんだけど、要はその仲間の人間関係ではないかと思う。
とりけんってのもあったね。ジャンケンして欲しい人を順番にチームに入れていくやつ。
あれは残り者は辛かったろうなと思う。
自分はとりけんするか、先に選ばれる方だったけど子供の頃は残されたメンバーの気持ちがわからなかったな・・
私は小学校低学年とか幼い頃までしかやらなかったからか、一番人気が最初に選ばれ人気のない子が最後まで…とかはなかったなぁ。そもそも仲の良い子同士じゃないと遊ぼう、ってならないと思います。
本当はこわいグリム童話みたいに、今の童謡のいくつかは、原曲からかなりマイルドな意味合いにアレンジされた可能性がありますね。
というか、選ばれる人が常に決まっているという事も無かったですし、全く選ばれない人がいるという事も無かったです。
後に人身売買の歌と知って驚愕しました。
しなかったよ誰も。
じゃあ、あぶくたった煮え立った~♪の遊びも最後に真ん中の人を囲んで髪をわしゃわしゃしたりしたから、今じゃ色々怒られるね。
>今の日本の方がある意味よっぽどドス暗い暗黒時代のような気もしますがどうなんでしょうね。
オカルト的でもあり、哲学的でもあり、いかようにも解釈できそうで…。(実際いろいろな説があるようですが。)
『とおりゃんせ』や『かごめかごめ』も、実は『怖い話』らしいですね。
ただ歌詞はちょっと違ってた。(地域性があると思う)
子供心に変な歌詞とは思っていた。鬼への生贄の子をえらぶ話だと思ってた。
人さらいと似たようなもんか
役人が気付いて井戸から回収したけど、皆んな死んでたらしいけど、風評被害を恐れて隠蔽。
その女衒の子孫は今は街金とガソリンスタンドを経営しているそうです。
要は次に誰が指名されるか当てる遊び
私的にはほぼ百発百中だった
決まって指名されるスクールカースト上位の子は決して謙虚ではなく、かなり得意げだった印象しかないけどね
最後の方まで残ってしまい、狙られるのが怖くて嫌いになった。
誰々さんがほしい…のところでは、別に人気者に偏ったりしていなかったよ。
いろんな解釈があってどれが本当か分からないけど
選ばれない
グリム童話なんかも実は残酷なものが多いですね。昔話だと、カチカチ山とか。
とうりゃんせも、また。
箪笥長持ち、どの子が欲しい?
あの子が欲しい、あの子じゃわからん、相談しましょ、そうしましょ。
うちの地区はこう歌ってた。
タンス長持ちとは何の意味なのか気にはなってたが誰も知らんかった。
それと当時の音楽室の後ろにはベートーヴェンを始め音楽家の肖像画が貼られている学校が多いと思うけど、あの肖像画は理科室の人体模型以上に不気味だった
みんな目がいっちゃてるしオカマみたいなのもいて2階が理科室3階が音楽室で両方とも日が当たらない方角で交代で掃除すんの嫌だったな
あの暗い音楽室で歌うドナドナ、その後の給食全く食欲が無かった
でも私もこの遊びはみてても面白くなかった。
この頃少し変よ
そいつ死んだけど。
はないちもんめは確か「民俗学者 八雲樹」というタイトルのマンガでも悲しい話として紹介されていました。
ハーメルンの笛吹男の話は日本でいうと神隠しなのでしょうか。
いつも最後まで誰からも指名されず悲しかった思い出が蘇る
後の人は覚えてなんかいないよ。
自分ははないちもんめで遊んでたことしか覚えてないわ。
かって嬉しい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ箪笥長持ちあの子が欲しいあの子じゃわからんこの子が欲しいこの子じゃわからん名をなんと申す相談しようそうしようだったと記憶してます。
本当はこんなに長いんですね?!なかなか決まりませんね!!!
拉致って感じで歌詞は怖いわ…
「はないちもんめ」…確かに陰湿な遊びかも……
日本の歌は…どれも暗いね
勝ってうれしいはないちもんめ
負けてくやしいはないちもんめ
あの子が欲しい
あの子じゃ分からん
この子が欲しい
この子じゃ分からん
相談しよう ちょっとまってね。
となってた。
本当はこんなに長いセリフがあったの???
知らんかった。。。
隣のおばさんの辺り知らない…
また、子供が口減らしで売買されてたのも、事実です!
神隠しという言葉も、これと密接な関係ある言葉です!
私個人が一番怖い歌は、「赤い靴、履いてた女の子。
異人さんに連れられて、行っちゃった。」ですね。
これも、多分日本人の女の子が、外国の人身売買する男に連れ去られる歌ですからね!
何気なく歌う童謡も、意味をよくよく考えると、結構恐ろしいかと思われます。
♪わかるかな?
うすのろのばか、とかあーぶくたった、花いちもんめ、ゲタかくしちゅーねんぼう♪とかわかる?
(ぶきっちょ)
どこかに引き取ってもらえないかな
こんな話読むとつくづく思う
結局、都市伝説であって真実であるとの立証は何もないのだけれど・・・。
「となりのトトロ」の都市伝説で、実はさつきとメイは死んでいる・・・という話が、ジブリが否定してもなお語り継がれたりしているな~。
イソップ物語同様、恐ろしい裏話が多数隠されている。
管理人の率直な感想
女性セブンの記事です。
この記事を書いたライターさんは結構な年齢ですね、きっと。
はないちもんめ。
僕は保育園くらいまではやっていたと思いますが、小学校に入ると知らない間に遊びから消えていました。
基本的には女子の遊びだったような気がする。
日本が貧しかった時代の悲しい物語。
口減らしという名の人身売買事件。
今の時代なら大問題です。
連日各局で報道されまくるでしょう。
しかし、そういった時代があったのも事実。
忘れてはならない。
こういった時代を経て今があるということを忘れてはいけないけど、童謡として歌うことはどうなのか。
遊びにしてしまっていいものだろうか。
淘汰されていい遊びの一つだと考えます。
それと、凄く長いゴムを輪っかにして、それを二人の女子が地面すれすれのところで持ち、何やら歌いながら一人が「けんけんぱ」のようにゴムを飛んで避けるという遊びがありました。
知ってる方いらっしゃいませんか?
名前は忘れました。
小学校1年生の時に女子がその遊びをやっていて、そこをたまたま通りかかった僕に女子が「一緒にやろうよ」と声をかけてきたんですが、僕はそのルールを知らない。
見事にゴムを避けきれなかった僕は、ゴリラのような体格のいい女子に罰として掃除用具入れに入れられたんです。
掃除用具入れに入れられるまではよかったのですが、画びょうが落ちていて、裸足で踏んだという二次災害がありました。
結果、保健室行きです。
こんな罰がありますか。
僕はそんなに悪いことをしたんでしょうか。
何だっけな、あの遊び…。
そもそもゴリラに誘われた時点で断るべきだった。
みなさん、ゴリラと遊ぶ際は気を付けましょうね。
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