「おもちゃのハローマック」が復活――。
2019年5月、「東京おもちゃショー2019」に「おもちゃのハローマック」(以下、ハローマック)が出展するとの報道が、SNS上で大きな話題を呼んだ。
ハローマックは、1985年から2008年まで全国に展開していた玩具量販店。
お城のようなギザギザ屋根の独特の店舗外観が特徴的だった。
全店が営業を終えて10年以上経ってなお、ハローマック跡地をまとめた個人サイトや、SNS上に同店のマスコットキャラクター「マックライオン」の有志によるファンアカウントが存在するなど根強いファンが多く存在する。
数多くの玩具店が姿を消した中、なぜハローマックは今なお語り継がれるのか。
ハローマックを運営していた株式会社チヨダの齋藤純也さん、土屋享光さんに話を聞いて浮かび上がってきたのは、かつておもちゃ屋が担っていた“地域の遊び場”としての役割だった。
靴の量販店が「ファミコン」ブームに乗じて出店
ハローマックを運営していたチヨダは、東京靴流通センターをはじめ、靴専門店を全国に展開する靴業界を代表する大手企業だ。ハローマック1号店は、同社の東京靴流通センター店舗を業態変更する形で埼玉県春日部市にオープンした。それまで、玩具業界とかかわりがなかったチヨダが玩具量販店事業に参入した理由は、空前のファミコン(ファミリーコンピュータ)ブームが背景にあったという。
「東京靴流通センターは郊外のロードサイド店舗を数多く出店していましたが、その中には不採算店舗というのもありました。その時、弊社に先んじて、同じく靴の小売を営む他の大手企業が玩具店の展開をはじめました。同業者が参入したということと、ファミコンが勢いに乗っていた時流が重なり、不採算店舗を玩具店としてやってみようということでハローマックがスタートしました」(土屋さん)
倉庫型店舗を“夢の国”風に演出したのがハローマック
東京靴流通センターの店舗外観は、大型の建物に視認性の高い縦長で箱型の看板をとりつけたものが主流だ。1号店はこれを改装した形でオープンしたため、ハローマックの特徴の1つであるお城風の外観ではなかったという。
「東京靴流通センターは倉庫型の店舗なので、そのままだとおもちゃ店としてはどこかさみしくうつってしまいます。そこで、視認性を高めるために大きくしていた看板と屋根にデコボコを加え、ピンクと白のカラーリングで“夢の国”のようなイメージにしたのがお城型になった理由です。その後、看板部分も、後から建てた店舗は斜めにアレンジするようになりました」(土屋さん)
特徴的な外観のハローマックは、全盛期には全国に約500店舗を展開。その後、インターネット販売の普及や、海外企業や家電量販店の玩具販売の影響を受け、2008年にハローマックは全店撤退となった。だがその後も、当時の建物は業態を変えて多く現存しており、インターネット上では「ハローマックの建物は遺伝子が強くてすぐ分かる」と、改装されたハローマック店舗がたびたび話題に上る。チヨダが管理する建物では東京靴流通センターに業態を変えたものが多いが、デザインのルーツを考えれば“先祖返り”を起こしたようなものだと言える。
ネット上での反響を受けてハローマック特設ページを開設
懐かしのハローマック店舗をはじめ、同店のマスコットキャラクター「マックライオン」の有志によるなりきりアカウントがSNS上で人気を博し、チヨダの版権許諾を受けて「マックライオン」のフィギュアを世界最大のガレージキットイベント「ワンダーフェスティバル」に出展する人まで現れるなど、その人気は根強い。チヨダでもそうした風潮は把握していたが、反響の大きさは予想を上回るものだったという。
「2018年の秋、子供靴の新しい体験の場を作れないかということで『東京おもちゃショー』出展を計画しました。その際、せっかくなら『ハローマック』ブランドを使ってみてはどうかという意見があり、出展に際し商標を確認したところ、一部の商標が切れていることが分かり、再登録しました。すると『ハローマックが再開するのですか?』といった反響や、企業からマックライオンの商品化やノベルティ制作の問い合わせを受けることとなり、改めて『ハローマック』ブランドの認知度に驚きました」(齋藤さん)
こうした反響を受け、2019年4月には、靴のチヨダ公式サイトで「なつかしのハローマックの店舗」と題し、かつてハローマックだった店舗を写真付きで紹介するページを公開した。
閉店後も記憶に残る理由は…「子供の遊び場」と「特別な思い出の場所」
今なおハローマックが愛される理由はどこにあるのか。その理由を、ハローマックが地域のコミュニティとしての役割を帯びていたからではないかと土屋さんは話す。
「ハローマックではおもちゃの大会やイベントを毎週のように開催していたこともあり、お客様の来店頻度が高かったことは影響していると思います。アイロンビーズの手作り体験には主に女の子のお客様が集まってくれましたし、TVゲームのデモ機を店頭に置くと、体験版のゲームに順番待ちができるぐらい毎日来てくれた。その地域で簡単に行けるゲームセンターというか、遊び場としての役割も担っていたと思います」(土屋さん)
さらに齋藤さんは、「玩具店におもちゃを買いに行く」という目的買いの記憶が、それぞれの思い出として印象に残っているのではと続けた。
「SNSのコメントを拝見すると、誕生日やクリスマスといった特別な日に来店されたという声が多いんですね。『お年玉をもらった次の日には必ず行った』とか。今はネット通販などが発達していて、おもちゃをどこで買ったのかすぐには思い出せないということもあると思うのですが、おもちゃ屋に行って買ったおもちゃは、どこで買ったというエピソードごと思い出に残るようです。そうした子供のころのワクワクした記憶が、ハローマックの名前や店舗、キャラクターを見ると想起されるということが、今も愛される理由の1つかもしれません」(齋藤さん)
昨今、消費の傾向はモノ消費からコト消費へ移行していると言われる。だが、子供にとってはおもちゃそのものの所有とともに「おもちゃを買いに行く」というおでかけそのものが大きな楽しみとなる。ハローマックはそれに加え、「あのお城風のおもちゃ屋」「ライオンがマスコットのおもちゃ屋」という、思い出を共有できるイメージを持っていたことが、他のおもちゃ店に比べてもさらに印象深くなった理由の一つと言えそうだ。
玩具から靴へ、受け継がれた子供へのまなざし
最後に、「おもちゃのハローマック」実店舗の復活の可能性を聞いたが、そういった予定はなく、あくまで東京おもちゃショー限定での出展。だが、本業である靴量販店の子供靴売り場で「ハローマック」のイメージを活用することは検討していきたいという。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190614-00192578-tkwalk-life
ネットの声
玩具屋てそうやってつながっていく業界なんだと思う。
何もかも効率を求め、省き、利益を追い求める。それができなければ手を引く。これは企業が生き残るためには必要だが、同時に失うものもある。
今日に日本経済は、子どもが夢や希望を抱きにくいシステムを作り上げてきたように感じる。
大人はそれでいいかもしれないが、今の子どもがやがて大人になったとき、一体どんな世界が広がっているのか。
おもちゃ屋さんは、憧れや夢を描き、過ごす事の大切さを教えてくれたと言っても過言ではないと思っています。
ハローマック、本当にありがとう!
子供の頃前日まで買ってもらうオモチャ決めてたけどいざ行ったら土壇場で違うオモチャが良いと言ったから母がビックリしてた。こういった思い出が実店舗の意義だね。息子のプレゼントはトイザらスに買いに行く。多少高くても。一緒に買いに行った時の思い出を大人になっても覚えていてほしいよ。
ハローマックを追いやったトイザらスが今度は窮地だもんね。実店舗も頑張ってほしい。
そこを通るとたまにふとハローマックを思い出します。
自分の興味がある無しにたくさんのおもちゃがあっていつまででも滞在したくなるお店は今の時代減ってしまって寂しいです。
あと、Twitterに登場しているマックライオンがシュールで面白いです。
私も誕生日などハローマック等に連れて行ってもらったとき嬉しかったし。
店に入ったら天国だったなぁ。
同じ系列だったのか。
今はどっちも別の店になっているけど。
先日入ってみたけど、雰囲気も何となく昭和の感じだった。現存するバンバンは2店舗らしい。昭和生まれとしては残っていてほしいなぁ
ここに行けば、何故か欲しい商品が見つかっていた
復活出来るものならして欲しい
近所のハローマックのおかげで日々
楽しく生活できてました〜
新聞の折込チラシのドキドキ感は今も強く心に残っております。
ハローマックが出来立ての頃は
ロが丸に見えてて
パーマックと勘違いして読んでました…
でも夢があって好きだったな。
子供にとって天国、楽園
そのような店が無くなってしまったのはかなしかった。
一時ではあるが復活ありがとうございます。
ある日見かけて一目惚れしてしまった可愛いキツネのぬいぐるみ、お年玉を貰ってやっと買えた時は嬉しかったなぁ。
夏休みの課題終わったご褒美に親がマンボウ型の風船買ってくれた。テンションが上がり過ぎて行く途中派手にコケて足の爪剥がれたけど、泣きながら買って帰って来た事とかもいい思い出。
もう20年以上前の話だけど、キツネのぬいぐるみは結婚して実家を出た今でも宝物。大切に飾ってます。
沢山の人の中に素敵な思い出として、生き続けるんだろうな。ハローマックさん、沢山の思い出をありがとう。
トイザラスとハローマックはマジで行くの楽しみだった
公式の担当者さんはあくまでも現状の靴のビジネスとして考えているのか冷めてる感がしますね
亡きじいさんに連れられて、いい夢見させてもらいました。
自分が小さい時に家族でどこか行った帰りにこの看板を見ました!
縦に不器用に並ぶ「おもちゃ」の文字を見つけた幼児の私は指差し「おもちゃや!行きたい!」
うちの父「あれは、おもちや、だね〜。おもちが売ってるんだね〜」
。。。確かに、やがでかくてそう見えなくもない。。
記憶の片隅にずっとある、あの時の出来事。
幼児が一度見て覚える看板とは、素晴らしい視認性ですね!(笑)
そしてここで再会できた喜び。店名も初めて知りました。
本当に懐かしいです。
しかしいつの間にかトイザラスがメインに
なりました。
カードダスの当たりカードを連続して入れる遊びをやってたな
小学生のテンションヤバかった
買った思い出がある。
確かお一人様2個までだったかな?
友人にたまごっちが売ってるの教えたけど友人が買いに行った時はすでに売り切れだった(^_^;)
自宅近くに玩具屋なかったからガンプラとかも買った記憶がある。
今もハローマックの店舗を違う形で使ってるのを確かに見かけるな。
懐かしい…。亡くなったおじいちゃんにおもちゃ買ってもらいました。
今は太陽書店。
自分が住んでいるところは、小さな田舎町だけど、幸いなことに歩いていける距離にお店があったので、まだ小さかった息子を抱っこして、よく買い物に行った思い出があります。
あれから20年近く経つけど、
おもちゃは思い出にとってあります。
あとマミーみたいなライオン
シンプルなロゴ?で覚えやすかったのかも
おもちゃのBANBANは生き残りが何店舗かあるみたいだけど。
楽しかったね。
因みに逆シャアとパトレイバーのプラモはここで買ってました。
今はこういうお店が少なくなったなぁ
ジョイスティックを使って16連射をやってた。
ソフトはスターソルジャーだったかな。
ライオンを見て、
幼少期のこの玩具屋の記憶が鮮明に甦ってきました。
懐かしいなぁ。。。
サンタさんに鬼太郎のおもちゃ頼んだ!
って笑顔で言ってきた。その頃は鬼太郎は夕方の再放送で放送してたからマイナー過ぎてどこも売ってなくて…
そしたらなんとハローマックの半額ワゴンセールに鬼太郎のおもちゃがわんさか!
サンタさんは大盤振る舞いできました(笑)
スーパーファミコン欲しかったけど高くて買えなくて、ミニ四駆買ってたなぁ。良き思い出。
子供のころは、レストランに食事行くよりハローマックに連れていってもらえる時が至福の時間だったな。
高橋名人が来るイベントがあり、なぜか平日で、その日に限って帰りが遅くなり見られなかった苦い思い出…
あとバイトのお兄さんが100円の商品を「100万円です」ってウザい奴がいたなぁ。
今は携帯ショップになっているが建物は健在です!
最近、ハローマック見ないなぁと思ってたら、全国で閉店してたのね…全然知らんかった…。
懐かしい思い出だ。
カズレーザーに似てる。
整然としすぎ
いかにも米国の小売業って感じ
国道沿いにハローマックやバンバンがあると見るだけでもワクワクしたっけな(笑)
子供の頃よく行ったな
ロボットアニメも。ジェイデッカーとか
地元のハローマックは地元の中学生たちの万引きの被害で潰れたんだよな〜。
この建物の形が懐かしすぎる…!
うちの地元じゃあ、このままローソンになっちゃってるけど
子供のころはオモチャ屋さんって言ってたからお店の名前知らなかったけどこの看板はハッキリ覚えてます。買ってもらえるの嬉しかったなあ…
ハローマックがなくなった跡地に靴流通センターになったのは同じ会社だったからなんだ
そしてなくなって10年ですか
自分年取ったな
お年玉ももらっても親にすべて取り上げられて何もない子供におじいちゃんが好きなものなんでもひとつだけ買ってあげるよって。
うれしかったな~
いろいろ買った。
最後に買ったのが「セーラームーン(三年目)」の聖杯。その時のポイントカードが半分くらいたまったままで今も手元に残ってる。
欲しくてお年玉握りしめて行ったっけ…
あの銃なんて名前だっけなぁ。
今は建物そのままでアダルトDVDの店になってしまった。
だから子供のオモチャから大人のオモチャに変わってしまった(笑)
母「◯◯の前の道!ハローマックもうないの!」
俺「は?!…」ショックだった思い出がある。
そう遠くない未来に葬儀が実際に参列することなくネットで済まされるようになると思う。
いまだに父親と仲良く今は並んで酒飲んでる。
管理人の率直な感想
この建物の写真を見て「うわ~!懐かしい!」と感じた方は多いはず。
そして、子供の頃の思い出が溢れ出てきてノスタルジックな感覚を覚えたのではないでしょうか。
と言っても実は2008年まで営業していたんですね。
11年前か・・・。
もっと昔の気がする。
ちょいと外れにあるんですよね、この建物は!
そして僕の見てきた限りだと、国道沿いです。
びっくりドンキー的な感覚で建っている。
僕も思わず当時の思い出が蘇ってきました。
個人的な話ですが、僕の家は両親が共働きで忙しく、子供の頃にあまり家族で出掛けたことがありません。
だから、家族と出掛けた思い出というのは少なく、その分ほかの人より家族との思い出が濃いんです。
その思い出の中にハローマックがあるわけです。
小学校高学年くらいになると、友達と一緒に買い物に行ったりするわけですが、それ以前はゲーセンやおもちゃ屋さんや外食などの外出は完全に親次第。
もし『手で胡麻をする』という技を身につけていたら指紋が無くなったんじゃないでしょうか。
そのくらいです。
あれ買ってこれ買ってと言うわけですが、もちろんそんなに簡単には買ってもらえない。
お金を渡されて最初に買ったのはミニ四駆でした。
嬉しかったな。
中学以降は放任主義になりましたが、それまでは結構ガチガチな教育で、ことお金の使い方に関しては厳しかった気がします。
なかなか買ってもらえないんですよ。
それでも、見るだけならタダ!
陳列されたオモチャたちが光輝いて見えました。
そして当時まだガラスのショーケースに入っていた新しいゲーム機やゲームソフトたち。
へばりついて眺めていたものです。
今の時代だったら「へばりつくガキ」というハッシュタグが付いて拡散されるんじゃないかというくらいへばりついていましたよ。
・・・なんだか可哀想な子供みたいですね。
けど、皆さんそんなに大きく変わらないのかな?
そんなに甘やかされてませんよね。
そうか、今は靴屋さんになっているのか。
それはそれでいいんですが。
この何とも言えない建物の形状がいいですよね。
復活はしなくていいと思うんです。
思い出は思い出だから美しく儚い。
ヨダレが出そうな勢いでショーケースにへばりついていた思い出も美しい・・・ということにしておきましょう。
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