大人になってからできた友達や、会社での人間関係…
学生の頃よりも自由な人付き合いができるようになったとはいえ、人間関係の悩みはつきませんよね。
フリーライターのいしかわゆきさんも、「友達ができにくい」「八方美人になってしまう」などの理由から、人間関係を窮屈に感じていた一人。
しかし、「こうでなくてはいけない」と思い込んでいたルールから解き放たれたことで、人付き合いがラクになったのだとか。
いしかわさんの新著『ポンコツなわたしで、生きていく。』より、社会人が陥りがちな人間関係を良好にするようで逆に窮屈にする3つの勘違いを抜粋してお届けします。
人間関係の勘違い1. すべての人に好かれようとする
学生時代、わたしたちは「クラス」という名の小さな箱のなかに閉じ込められて過ごします。
1日の大半をそこで過ごす「教室」というのは当時の人生のすべてで、社会の縮図のような場所。
わたしも中学、高校、大学と、我ながら「八方美人」として過ごしてきました。
頼まれごとも断らず、中学時代は隣の男子のパシリとしてなぜかそいつの本をロッカーにぶち込まれたり、宿題をやらされたりしても嫌な顔をせずにこなし、クラスのボス的な女の子に嫌がらせをされたときもヘラヘラとしてやり過ごしていました。
諦めていたんです。
そんな教室から逃れて入学した大学でも、「八方美人」の仮面は剥がせませんでした。
わたしはバンドサークルに所属していたのですが、そこではライブのたびに「会議」が開かれ、「ボーカル」「ギター」「ベース」「ドラム」「キーボード」と、パーティを組むようにメンバーを集めるしきたりでした。
そこで選ばれるのは、何もスキルを持っている人だけではありません。
人望のある人や、好かれている人はバンドに誘われやすいです。
しかも、名目上「会議」があるとはいえ、大抵「次はこのバンドをやろう」という話が出るのはプライベートな飲み会であることが多い。
だからこそ、「絶対にあぶれたくない」と思い、すべての集まりに顔を出すようにしていました。
それが、学年が上がるにつれてだんだんどうでもよくなってきて、好きな人としかバンドを組まなくなっていきました。
社会人になってからは無理して飲み会に顔を出すこともなくなり、今では仲のいい友だち数人にしか会っていません。
「嫌われてもいい」と思っているほうが好かれる。
これが、長年「八方美人」をやってきたわたしがたどり着いた答えです。
もし、本当に心から誰かと仲良くなりたいと思うのなら、「嫌われたくない」という気持ちは一度捨てて、変に取り繕わずに話してみるといいんじゃないかな。
「好かれようとしない」とまずは決めてみると、ありのままの自分で向き合うことができます。
ありのままの自分で築いた人間関係は、きっと心地いいはず。
人間関係の勘違い2. 友だちは多いほうがいい
「友だちがいないんだよね」
そう友だちに相談されて、「じゃああなたの目の前にいるわたしは何なんや」と毒づきたくなったことがありますが、友だちがいないことに悩むのは、明らかに小学生のときに教えられた「友だち100人できるかな?」による刷り込みの影響だと思っています。
「友だち100人できるかな」なんてプレッシャーをかけられた挙句「友だちの数が少ないわたしは変なのかな」「結婚式に呼べる人がいない」「お葬式に誰も来てくれないかもしれない」という杞憂が生まれていく。
ちゃんと教科書に書いておいてほしいです。
「友だちは量より質だよ」って。
わたしには小学生のころからの親友がいますが、彼女の友だちはわたしひとりです。
「結婚式を挙げるとしたら、家族とあなただけを呼ぶ予定」だと昔から言われています。
わたしだけが友だちなのに、会う頻度は月に一度だけ。
じゃあそれ以外の時間を彼女はどのように過ごしているのだろう…と思うかもしれませんが、おそらくみなさんが想像するよりもめちゃくちゃ充実したハッピーライフを送っています。
仕事から帰ってきたら家族とごはんを食べて、好きな番組を観たり、マンガを読んだりする。
週末は趣味の茶道や乗馬、着付けを楽しみ、家族旅行に出かけたりして、パートナーにすら「もっと会う時間がほしい!」なんて言われているぐらい充実しているんです。
わたしはもともと「友だち100人できるかな」に洗脳されていた身だったので、大学生のときは頻繁に飲み会に顔を出したり、イベントに参加したりしていましたが、結局今でも会うのは2、3人ほど。
入学する、就職する、転職する、結婚する、出産する。
ライフステージによって付き合う友だちが変わるのは当たり前のことだし、疎遠になっていくのを無理につなぎ止めようとも思わなくなりました。
友だちは、ひとりいればいい。
そのぐらいの気持ちでいいんじゃないでしょうか。
誰かと関わることで不幸になったり、心地よさを奪われたりすると感じるくらいなら、ひとりで生きるのだってひとつの道です。
ひとりでは何も楽しめない人だってたくさんいるのだから、ひとりで何でも楽しめるって実はすごいことなんです。
人間関係の勘違い3. 今いる環境の人とうまくやろうとする
先日、尊敬している経営者の人と「自己肯定感」について話すことがありました。
その人は「成功体験を積み重ねたから」「困難を乗り越えてきた経験があるから」と言っていましたが、わたし自身には大した成功体験も、困難を乗り越えた経験もありません。
ただ、ひとつ言えるとしたら、「あらゆる負の要素を排除してきた」ゆえの自己肯定感の高さがあるのだと思います。
これは、誰にでもできる簡単な自己肯定感の上げ方。
・自分の力が活かせない場所には行かない。
・自分のコンプレックスが浮き彫りになる状況をつくらない。
自分だけの小さな国を作っていくイメージです。
世の中には「勘違いブス」という言葉があります。
要するに、「自分のことを美人だと勘違いしているブス」のことなのですが、わたしは「ただのブスでいるよりも、勘違いブスになったほうがいい」と思っています。
一般的な「美人」の概念には当てはまらなかったとしても、自分で自分のことを美人だと思っていたら、嘘だとしてもハッピーな気持ちで毎日が過ごせますよね。
わたし自身も、自分の顔面は美人ではないと断言できますが、悲観的になったことはありません。
それは「可愛いね!」と言ってくれる人か、容姿で人をジャッジしない人としか一緒にいないからです。
ほんの少し前まで、「まわりの人を選ぶ」という感覚が自分にはありませんでした。
その環境にいる人たちと当たり前のように仲良くするのが普通であって、選ぶ権利などないと思っていたからです。
でも、私たちは関わる人たちを選べる。
だったら、好きな人だけを集めて自分だけの王国を築いていこうじゃないか。
そうやって好きな人とだけ暮らしていくと、自己肯定感は下がりません。
だってあなたの王国に住んでいる人たちは、「あなたが生きているだけでいい」と言ってくれるはずだから。
参照元:https://r25.jp/article/1123875265418592640
こんな人は嫌われる&人付き合いの対策【みなさんの声】
人それぞれ合う合わないは出てくる。
自分の信念だけは曲げない方がいい。
全ての人からから好かれようとすればする程、自分がしんどいし余計な仕事が増えるだけ。
なんだか、一人になりたくない!というのが、伝わってくるんです。友人は沢山いなければならない訳ではないのに。
個人的には、幼い頃から「ともだち100にんできるかな?」の歌が苦手でした。
謙虚、であること。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。
性格なんだろうなと、諦めてる。
内心疲れてそうなのにここにいるんだ…って見えてしまうと、逆に無理しなくていいよって言いたくなるのもあると思う
SNSで盛りたくってる人は病的に見えてちょっと怖いですしね
場が盛り上がってても「疲れたから帰るね」って気兼ねしないで言えたらいいですね
にこにこしながらさりげなくマウントする人や、男・女・酒癖が悪い人、距離置きました。
風通し良くなった。
自分が気を使わない人たちだけ付き合っていくっていうのは理解できますが、それでも最低限の配慮は必要だと思います。
ただ、友だちというか、コミュニティはいくつか持っていた方がいいと思う
人間関係って些細なことで崩壊することがあるから、自分だけの小さな王国だけだとそれが崩れ去ってしまうと孤独になる
子供の自殺とかはまさにこれで、学校という小さな枠組みしか無いとそれが崩壊すると世界の終わりに感じてしまうんよ
それは大人にも言えることだし、筆者のようなひとつだけの小さな世界ってのは割と危険だと思うなぁ
(フェードアウトしてどんどん友達が減ります)
大人になってもたまに会う友達って、価値観や波長が合う人が残るなと思いました。
無理に合わせるのも大変ですし、居心地のよい人と出会えればラッキーです。
集まりに参加する時も、適当に話を合わせているだけ。
ガツガツやりたい人がやれば良いと思います。
そんな人を横目に見ながら、2回目からは断ります。
「付き合い悪い」と言いたければ言えば良い。ボスの評価より自分の快適を追求する人間です。
「悪口言いたければ、思う存分言えば?」
です。悪口は自分自身の評価を落とす火種ですしね。
親から感情的に怒られてイライラをぶつけられて、怒っているから自分の何がいけないのか考えても一貫性の無い親の八つ当たりに混乱してきた。人と接する時は親の機嫌をとってきたように「とにかく怒らせないように」と思ってしまう。
まともな人間関係を築けるようには育っていない。
案外、私こんなんですけど〜。で開き直ってる人程好かれたり、受け入れられたりする。
解りやすい人のが付き合いやすいってのも、理由の一つだと思う。
自分に正直に、素直な人を嫌う人はそうそういない。後は相手の好き嫌いだから笑。
気にせず、普通でいたら良いと思う。
ある程度の維持努力は必要だけどねぇ
人間関係も賞味期限はあるから、いつかその時がきたら、さようならで生きていくしかないね
でも先日部長になって嫌われ役をしなければいけなくなった
当たり障りなく仲良く平和にやってたパートのおばちゃん達に今度は私が注意をする側になった
仕事なんだから割り切って頑張る
ぬるま湯に浸かっていた方が楽でもそうじゃいられない立場の人もいる
記事と同じで「話を聞いてる私は何なんだ?」。
私は友達作りに苦労したことがない。来るものは拒まず、去るものは追わずだからかな?と思った。
ちなみに基本一人行動が好きです。
自分にメリットのある他人を友人と呼ぶにしても、数人いたら最高。同窓会すら苦痛。旧友は友人とはいいがたいね。価値観かわるしね。
相性って難しいな
もう長いから互いに変な気を使わなくて楽。
会社の中には友達は作らない。面倒だから。
一人で出来る暇潰しを探す所から初めると良いです。
私車を買ってから世界が広がった。
正直な意見を言う人やダメなところを見せることができる人は、嘘で塗り固めた人と違い信用できるから人がよってくる。
でもそれを意識すればするほど不自然な振る舞いになってしまったりするからむずかしい。
真面目すぎる人が適当に振る舞おう、と真面目に考え過ぎてしまうとかと同じ現象だよね。
暇潰しに出掛ける相手欲しさで、友人とは呼べない。
質だと思うよ、本当に。
それでも好きでいよう、とするとどういうことが起きるか…
「舐められちゃう」んです。小馬鹿にされ、なんなら奴隷認定されちゃう。
人間というより、生き物は多分そういう造りになってるのではないかな。
猫も犬も他の動物も、それに(飼ったことあるとわかるが)魚でも、「好きな他者、嫌いな他者」があるみたいですから。
友達多い人、仲間内以外には最低限の気遣いすらしなくていいと勘違いしてる人が多い。
そんな人はいくら友達多くても信用できない。
まぁ、学生までは友達の多さはカーストの位置やモテ度と相関あるから無視できないか。
めっちゃ仲のいい上司が2人。
老後が困る気もするが、自分の老後のために友達なってというのは失礼な気がするので、しばらくはこのままで。
強烈なファンがいる芸能人ほど強烈に嫌うアンチがいるものです。
なんで?なんで?と気を揉むと余計に人との距離が出来る。
あ〜めんどうくせっ!と思い、細かい気遣いをやめたらまわりに人が増えた。
…こういう事か!(笑)と、この年になって納得したアラフィフ。
私は人を見る目がないので、ママ友を作らない選択にしました。派閥に巻き込まれたり、スケープゴートに使われたり疲れちゃった。笑
筆者も無駄な努力を続けた結果でしょ
若い頃はなかなかすすんで孤独には飛び込まないし嫌われ者になるなりたくないでしよ
多少自分を飾らないと誰も私と付き合ってくれない。
波長が合う人とか出会った事がない。どこにいるの?
何かトラブルがあっても、私が好きで一緒にいたんだから、ま、仕方ないかって納得できる気がして。
挨拶と適度な距離感。繁忙期以外はさっさっと帰る
仲良い人は1人か2人で良い
本音がわからなくて怖いもんね。
友達できてもできなくても幸せ。みたいな歌だれか作ってくれないかな。
嫌われたくない。
そもそもそれが間違い。
逆に、嫌いな人いないの?
付き合いたくないと思う人ひとりもいないって言える?
自分中心に考える人ほど人に嫌われたくないとか言うんだよね。
私は、私を嫌いなら嫌いで結構!
と思ってる。
この言葉が受けいられないだろう?
孤独に弱い人や寂しがっている人に対して味方と仲間の言葉だけ与えればいいじゃん?
かえって本当に若く見える人には、女性ってやっかんで言いませんから。
人間関係に悩める人に是非読んでもらいたい︎
嫌いになる部分が無いから嫌い!
とかさ。
多いとかえってわずらわしい。
間違いない
必要な分だけの金稼いで、好きなことやって生きたい。
お金があればな〜
万人に同じ態度、姿勢って評価されてるけど、すごくエネルギー使うし、割に合わないことも多い。
でもこれを打算的ではなく、自然にできる人はすごいですね。多分そういう人ほど、他人に興味がなかったり、他人の視線とかも気にしない人なのかなと思う。
他人どうでもいいから、他人に熱くならない。誰が来ても一緒。
他人にどこか期待してるところがあるから、人によって態度変えてるところもある。
結局は自分に自信があれば、上記のような自然な感じになるのかなと思う。
最近では、昔たくさんいたような気がしてた同年代の友達は、皆どこにいってしまったのかと思うくらい出会いがありません。友達は作るより長続きさせることのほうが難しいけど大事な気がします。
素でいる方が好かれやすいのはそうだろうとは思いますが、それが全てじゃなくて、嫌われなくても自分とは合わないということはあります。相手がいい人かどうかとは別の問題で。
仕事ならともかく、プライベートまで合わない人と一緒にいるのが苦痛になってきたので、友達と呼べる人は少ないですが、それでいいと思っています。
長く続かない人たちは、その時その時で本気でぶつかり合ってこなかったのかなと思います。その時だけ一緒にいる人を友達と呼んでいるのかなと思います。
友達がいなかったら、いろんな感情に出会えなかったと思います。合う合わないなんて深く考えてきませんでした。合わないから一緒にいない、友達じゃないって短絡的だと思うんですよね。いろんな人がいるからおもしろい。人との出会いって貴重だと思います。
嫌いじゃないけど好きでもなく大切でもなければ友達という関係にはなりませんよね。
個人的には、相手に好かれるために最もシンプルな方法は相手を好きになることだと思います。全ての人に好かれたいのであれば、全ての人を好きになることから始めた方が良いと思いますが、現実的には非常にエネルギーが必要となるのであまりオススメしません。
大人気無かった。後悔は後には立ちませんね。
如何なる関係性でも相手の立場に立つ想像力を持てる人になりたいと思ってます。なかなかお互いに立場とかで難しいことが多いですが。
高校生と中学生の子どもたちにも
人には相性ってものがある。
好きになれない子がいるのも当然。
逆に誰かからは好きになれないと思われることもある。
合わない子とは必要な関わりだけ持てばいい。
大人だってそうしてる。
と小学生になったときから話してる。
ですが転勤族の夫について各地を転々とする生活となり、数年で転勤だから嫌われてもいいし気を使いすぎず本音で話そうと思って接していると、引っ越した後も連絡をとりあえる親しい友人が各地でできました。
八方美人は嫌われるとまでいかなくても、大好きになる決め手にかけるんだろうなぁと思います。
「大人になってから友達作るの難しい」
というのが分からない。
学校という小さなコミュニティの中で成り行き上友達になって、嫌なこと言われたりしても我慢してズルズル関係を続けていた子供時代より、大人になってから自分で選んで友達になった人たちとの方が上手くいってる。
自分の王国、まさにそれだな、と思いました。
「自分を大事にしてくれる人だけと付き合う」といっても、そういう相手が何人いるかなぁ。
気が合うなと思っていても、相手は別人格だから、思っていたような人じゃないかも?という面も出てくる。
家族だから気が合う、家族だから自分を大事にしてくれる、とも限らず、他人ならなおさら。
「気が合う人だけで自分の王国を作る」
響きはすてきだが、そんなにいないや。
でも、友達いらないなと思います。本当に素の自分を出せて心許せる友達が1人だけいますがその人だけでいい。
SNSでママ友と子供達で集まってバーベキューなんて投稿をよく見かけますが、私ならきっと頭痛がしてくると思う。
職場の人などは、当たり障りなく、ニコニコしてうなずいてれば良いと数年前から学びました。
みんな自分が疲れないようにすればいいと思います。
嫌われたくないんだろうな、この人…
同じ心情だと思いますし、言動見てると、わかります
逆に、好かれなくても…別に〜
嫌われても別にいいし〜、って人の言動は、損得感情がなくて、偽りがないので、信頼が発生し、結果「この人好き」となる
わたしの経験上、↑です
わたしを雑に扱う人とは、社会的な挨拶程度で接してます
良い状態っぽいな、この人、って時は、少し会話をしますが、その程度の方が、いいと思います
心理学を学び心の境界線というものを知って、それは誰の問題なのかを考えるようになってから意地悪な人などには最低限しか関わらないように変えた。
お陰様で今はお互いを大切にしあえる人たちが周りにいてくれるので、とても楽に過ごせています。
学生時代からの友達でも、お互いの状況が変わったらなかなか会えなくなるしね。
友達に求めるものも、年齢と共に変わるし。
でも老後は、たくさん友達がいるほうが楽しそうだなぁと思う。
義母が友達がたくさんいる人だった。
一緒に習い事したり、旅行したり、ランチしたりと、充実していたなー。
私も嫌われない様、相手に合わせてしまうので嫌われてはいないだろうけど、好かれてはいないと思う場面は多々あります。
嫌われたくない人は周りの目を気にしがちな部分もあるため、好かれていない=嫌われているとも感じてしまうんですよね。
ただ本当に嫌われる人は、相手の事を思いやれない自分本位な人、更には理不尽な事を平気で言うキ○と言われる様な人達。
それに比べれば、嫌われたくないと接する人達は、嫌われているのではなく、好かれていない程度だと思えるのではないでしょうか?
仕事で失敗しないように行動する人の感覚にも似てますよね。仕事で求められてるのって成果って言われるもので、失敗しない事は当たり前というか求められる事と違うんですよね。
私は教室の後ろの掲示板に大きく貼られた
「いつもいきいき げんきもりもり みんななかよく」
「みんなが一つに 笑顔で」
あれも大概だと思ってる。
私もそうだった。そうあったらいいねーぐらいで考えられたら良かった。
これらに囚われて、そうじゃない自分はダメなんだと思ってる中高生の多いこと。まじめだからこそ一生懸命頑張っては傷ついて自分を否定してる。
私は彼らの自己肯定感を作っていくためには、小学校で植え付けられた価値観、これらの標語を崩すところから始めなければと思ってしまう。
あれって、呪いです。イラショナルビリーフです。
自他ともに認めるクソ真面目でしたが、そんな自分がある時本当に嫌になりました
真面目が大事な場面ももちろんありますが、そうでないところまでガチガチにしていると、人に距離を置かれていることに気づきました……
30すぎて少しずつ自分の本心を出すようになり、たまに毒舌を吐こうものなら「〇〇さんにそんな一面があるなんて!意外!笑」と言われるようになり、友人が一気に増えました
小中の頃の友達はもう会う事ないと思います。一番の親友と思っていた子は、未婚子なし鬱や摂食で色々あって私のような専業主婦には会いたくないそう、、、
高校時代の親友は他界と音信不通。
大学時代の友人はそれぞれ遠方へ嫁ぎ、年賀状のみの付き合い。
結局は新卒の時の同期を始め、仕事で知り合った人2〜3人は今でも定期的に会ってる。
近所のママ友は濃い濃い時間を過ごし、やっと断捨離して、友達になれたのは2人かな。
あー、友達少ない。
趣味を1人でしてる時間が一番充実。
いっそ田舎暮らししたいわ。
LINEはあえてアカウント削除。
LINEだけしか連絡先を知らない人が多かったので。
そして、電源が入らなくなって故障したスマホから新しいスマホに替えて、紙に書き出していた人たちの連絡先を改めて登録しました。
ほんの数件でした。
自分が連絡先を消しても、相手がこちらに連絡をしようと思っているなら、電話番号を知っていてかけてくるはず。
でも、結局、消した人からは全くかかってこないです。
連絡を取る人だけを電話帳に入れた事でスッキリしました。
否定してるわけやなくて友達関係で人生充実してる人もいてるしスゴいなあとも思うけど。子どもの時は世界も視野も狭いし結構大きい事やったんかな。社会に出ると会ってる時間もなくなるよ。
結局本当に信頼し合える人が数人いることが、結果的に自分が本当に困ったとき良いことが起きると思う。
あれもこれもとなると、結局疲れちゃう。
ママ友いるけど、本当当たり障りない関係。
生活のために仕事してるけどパートだし、基本1人体制なんで、職場の人とランチ行こう!ってほど仲良くならない。
学生の頃からの友人とご飯行くのも数ヶ月に一回程度だしな。タイミングを合わせるの難しいよね。
趣味で始めたフィットネスも、ランチ行こうとか個人LINEする人はそんなにいないなあ。
多分近所に仲良い姉が住んでるのが大きい。
楽なんだよなー。身内。
自分の王国を作ることは否定しませんが裸の王様になるような排他的な世界に生きるのだけは避けたほうが良い気がします。
気を遣い合い、会う時間を作ることも面倒になり、今では年賀状をやり取りする人が数名いるだけ。その方々にも電話番号変更しても知らせていない。LINEが繋がっていればいいけどLINEしてない人とは連絡手段は住所だけになりました。どうせ会えない、会わないなら年賀状に新電話番号書く気にならなかった。
職場は仕事をするところで友達を作るところではないと割り切っているので、プライベートな話はしないし、連絡先も交換しません。
今は寂しくないけど子どもが進学就職で家を出たら寂しくなるのかな。
まぁ、後悔はしないよ。年をとってから人付き合いが得意になるわけでもないだろうし、むしろおひとりさまになるのが楽しみ。
八方美人は浅く広くしか人脈が形成されないから顔見知りはできるけど10年後の友はできない、虚しい人たちだと思う
学生時代の友人もとっくに疎遠でLINEもしばらくしてないなー
職場の仲間も格闘技仲間もダンス仲間もその時だけは同じ事をする仲間であり、友達とは違う感じ
休みの日にわざわざ人と予定合わせて出かけるのも仕事と思って疲れてしまう、だから友達なんていない笑
幸いなのは責任感のある仕事と可愛い嫁がいるだけだ
コメント