中3で悪性脳腫瘍と診断された亀山晴生さん、初期症状と過酷治療を語る『自身や周囲の癌発症&闘病体験談』

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亀山晴生さんは19歳。中2のときに悪性脳腫瘍と診断されました。一度は寛解したものの再発、「絶対に治りたい」という強い気持ちでつらい治療を乗り越えてきました。治療を終え退院したものの、治療よりつらいという後遺症に悩まされる毎日を送っています。それでも晴生さんは、入院中に見た、小児がんと闘う子、治療法が見つからずに亡くなる子を思い、彼らのためにできることを模索しています。

特集「たまひよ 家族を考える」では、妊娠・育児をとりまくさまざまな事象を、できるだけわかりやすくお届けし、少しでも子育てしやすい社会になるようなヒントを探したいと考えています。

亀山晴生さんと母である高子さんに、病気と病気に立ち向かう気持ちについて聞きました。晴生さんは取材にあたって、自分の考えや思いをしっかり伝えたいと、メモを用意して取材に臨んでくれました。

脳腫瘍とわかっても「治療すれば違和感がなくなる」と冷静だった


ーー 晴生くんが脳腫瘍だと診断されたのはいつのことですか?

晴生さん(以下敬称略):中3の初め、14歳のときです。

中学生になってから、やたらと喉が渇いたり、夜中に何度もトイレに起きたり、なんとなく自分の身体に違和感を感じていました。当時、学校へは元気に通っていたし、ハードな部活もこなしていたんです。それなのに、体力テストの結果はだんだん悪くなっていたし、身長もほとんど伸びませんでした。

母の知り合いの看護師さんが「病院に行った方がいいよ」って言ってくれて、病院で診察を受けたのが中2の2月。実際にMRIを撮ったのは中3の4月です。そこで先生もびっくりするくらい大きな腫瘍が脳に見つかりました。

高子さん:病院に連れて行ったのは、どこも悪くないことを確信したかったからなんです。でも、現実は予想もしなかった先生の一言。脳腫瘍だという診断を受け止めるのは親として本当につらかったです。

ーー 脳腫瘍だと診断されたときの気持ちを教えてください。

晴生:先生から聞く前に、両親が話してくれました。最初は「嘘でしょ?」って思ったけれど、それまでの違和感の原因がわかったことで妙に納得して冷静でした。「治療すればこの違和感もなくなるんだ」とも思えました。

生検の結果、悪性脳腫瘍であることがわかって、3クールの抗がん剤治療と放射線治療を受けました。

高子:でも、腫瘍が残ってしまったので、中3の10月に北海道にいらっしゃる小児がんでは外科手術の第一人者といわれる先生に手術をしていただきました。

晴生は、退院後、高校にも無事入学して、部活をやったり、塾に通ったり元気に過ごせていたんです。私もすっかり安心していたんですけど、夏を過ぎたあたりから疲れやすくなったなと思ったら、11 月頃になると起き上がれず学校へ行けないくらい体調が悪くなっていきました。病院に行ったら、頭の硬膜に水が溜まっていることがわかったので、その水を抜く手術をしました。そのときに万が一のことを考えて先生が組織を病理検査に出したら……。再発がわかって2回目の治療に入ることになりました。

治療を頑張れたのは家族が必死で支えてくれたから


ーー 再発と聞いたときはどう思いましたか?

晴生:重い倦怠感や体調不良で高校に通えない日が続いていたので、「やっぱり病気のせいだったんだ」って、このときも納得できました。

それより診断を聞いて呆然としている母が心配でした。もちろん、あのつらい治療をまたするのかと思うと嫌だなぁとは思いましたが、そのときは「治したい」という気持ちの方が強かったです。でも実はつらかった治療の記憶はあまり残っていません。

高子:人はあまりにもつらいことを覚えていると、前に進めないからかもしれません。

晴生:実際に入院して治療に入ってからは、つらくて、夜、見回りに来てくれた看護師さんと一緒に泣いたこともあります。でも一緒に泣いてくれる人がいたことで支えられたのだと思います。僕の場合、家族をはじめ、いつもどこにいても寄り添ってくれる人たちがいたから、がんばれたのだと思っています。

振り返ると、つらく苦しい時間にもかけがえのないものをたくさん与えられていた


ーー 記憶に残らないくらいのつらい治療を乗り越えてきたんですね。

晴生:再発したときは、初発のときよりもっと厳しくて長い治療になりました。でも初発治療の後、元気に回復したことが頭にあったので、「今度も絶対に病気を治してやるぞ」という強い気持ちをもって、前向きに入院生活を送りました。

前向きな気持ちになれたのは、家族や病院の先生、看護師さん、保育士さん、院内学級の先生そして親友が励まし続けてくれたおかげだと思います。

母は毎日面会に来てくれたし、母が来られないときや土日は父が来てくれました。母が留守にする間、妹や弟は不安なことも多かったと思うけれど、近くに住んでいるおじいちゃんやおばあちゃんが一緒にいてくれて、本当にありがたかったです。

僕くらいの年代になっても家族の面会はとてもうれしいです。小児病棟に入院していたのですが、どうしても頻繁に来られない家庭もあって、僕よりずっと小さな子が寂しくて泣いている姿を見ていたので、余計にそう思いました。年齢に関係なく、特に入院中は家族がそばにいてくれるだけでとても安心した気持ちになれるんです。

コロナ禍の今、病院の面会が制限されていますから、入院中の子たちはほとんど家族に会えていないんだろうなと思います。子どもたちが寂しいのはもちろん、家族もつらいだろうし、それを間近で見ている病院のスタッフのかたもきっと大変だろうなと思うと、僕も悲しい気持ちになります。

高子:病気と戦っている息子を前に、私ができることはただ面会に行くことだけでした。下の子たちも話せばわかる年齢になっていたので、お兄ちゃんががんばっていることをよく理解してくれていたと感じます。祖父母の存在もとても大きかったと思います。

今だから、こうして当時の体験を振り返ることもできます。晴生は今なお後遺症と向き合う毎日ですが、他のかたにお話しさせていただくことで、改めて入院や闘病の時間が、晴生にとって、私たち家族にとって、どんなときであったのか、冷静になって振り返ることもできます。そのたびに、苦しくて悲しくてつらかった時間も、かけがえのないものをたくさん与えられた時間だったということにも気付かされます。
そのことが、私たち家族がこれからを生きていく力になっているような気がしています。

参照元:https://st.benesse.ne.jp/ikuji/content/?id=127801

みなさんの声

名無しさん
自分が小学5年生の時に母親が脳の深い所に腫瘍が見つかり手術をしました
その後放射線治療を終えその後転移が見つかり再手術、自分の小学校の卒業式には出ましたがその後中学校の入学式には出られずに亡くなってしまいました
36年前の事です
あれからだと医療技術もかなり進歩しているからあの時難しかった事も出来る事が多いと思う、それでも無理な事もあるが、当人の治ってやるって気がやっぱり大きいよ!
これから先まだまだ楽しい事はたくさんあるから頑張って下さい!
名無しさん
私の息子も中学3年で脳腫瘍が発見され4回摘出手術、サイバーナイフ治療を行いました。
眼・歩行に障害、高次脳機能障害による記憶障害、てんかん発作と様々な障害に苦しみました。
高校生活もほぼ入院、治療でまともに登校もできず青春を送れず親として申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
でも同じく本人の生きる!!という強い意志のもと現在専門学校で懸命に勉強してます。まぁ皆より遅れをとり留年しましたが(笑)
支えてやることしかできませんが親の我々が強く信じていきましょう!!!
名無しさん
俺の嫁母は先月末に癌が見つかり、それから僅か半月で亡くなった。
その通夜に俺の母も参列してくれたけど、最近お腹の調子が悪いと話していた。
詳しく検査をするとスキルス胃癌で、手術も難しいほど進行しているとの事。
今まで一切大病もせず、いつも誰かの為に働いていた母、俺と嫁が本人同席で医者の話を聞いてたんだけど、一番恐いはずの本人が医者の方を真っ直ぐ見て、表情も崩さないでやんの…
それ光景見て思ったわ、告知される人もその家族も含めて、こんな悲しい人を絶対増やしちゃダメだって。職場とかでやる定例健診なんかがどれだけ薄っぺらいかが本当に良くわかった。
嫁と俺はこれから毎年、胃カメラ飲むよ。
もちろんそれだけで全ての癌を見つけられるわけは無いけど、嫁母と母はそれを教えてくれたんだと思う。
母は今日から入院して抗がん剤治療を行います、少しでも進行が遅れてくれることを願う事しかできません。


名無しさん
私の母も、数年前、咳がよく出るということでCTを撮ったら肺に影が見つかりました。ただ、ほかの検査ではっきり癌と診断されず経過観察になりましたが、ちょうどコロナが流行り始めた時期で、検査に行くのを躊躇して見送っていて初診から半年後に検査に行くと、もう手術ができないくらいになっていました。それが6月です。その後在宅酸素になり、10月に本人の希望で入院。肺に水が少しでもたまらないように処置をしてもらいましたが、脳に転移し、12月の誕生日に自宅に帰りたいとの希望を聞いてもらい退院しました。とても、嬉しそうにしていたのが忘れられません。その翌早朝、私が最後を看取って亡くなりました。
検査の大切さ、最後まで楽しく生きるということを母に教えてもらいました。日々を大切に、病気の治療は辛いと思いますが、その先にはきっと楽しいことが待っています
頑張ってください!
名無しさん
自分も、20歳で悪性脳腫瘍になり、放射能治療を経験しています。その際に、1度記憶喪失に陥りましたが、大分戻りました。こういう経験があり、親と、よく両方の家系の病歴、体質などで話をする機会が多くなりましたし、自分でも、人間ドックに数回行きました。実際問題、自分の体は自分で守る、もうこの一言に尽きるのではないでしょうかね。家族内で、病気に関して、しっかり話し合う場を設ける必要もあると思います。
名無しさん
御本人の病気に負けない精神力、周囲の方々の支えも素晴らしいと感動しました。
私は、20年程前に脳静脈に血管腫があることを発見されました。
感染予防を優先して、年一回のMRI検査も延期しております。
普段、オンライン診療等も便利に利用して大変助かっておりますが、
病院での検査・治療、通院・御見舞い・訪問等が必要な場合の病気・怪我等は、一日も早くコロナウイルス感染症が収束して、通常の体制になると良いと思います。
大病をした家族、病気で亡くなった家族もおります。
その時毎には、精一杯やって来たつもりでも、今、思い返すと、もっとこうしておけば良かったと思うこともあります。
医療は、新しい検査・治療へと日々進化しています。
生きている今が全てです。
頑張ってください。
名無しさん
30半ばで、乳がん→脳転移→放射線治療を数ヶ月前に受けた身として。
あからさまに思考力が落ちたり、視野欠損が出て、放射線治療で治る希望を持てないまま治療を受けた。治療効果は徐々に出て今では元通りに。
でも、最初は治る希望なんて見えず、辞めた仕事もあった。
途中からは開き直って、むしろ脳転移がきっかけで『今』を生きることに専念して幸せだけど、最初は大変だった。今でも抗がん剤の副作用が出れば辛い。
最初から前向きに治療出来るのは、本当にすごいことだと思う。見習いたい。
今も絶対生きたいという強い気持ちは持てなくて、生かされてる分生きればいいと思ってしまうけれど・・・強い気持ちが大事なんだろうなと思わされました。
頑張って生きよう!!!
名無しさん
小2の頃、母が大腸癌だと分かり入院。その時点でステージ4でした。手術したものの癒着が酷く何も出来ずそのまま閉じるしか無かったそうです。
約1年の入院生活後、39歳で帰らぬ人に。
当時は告知が一般的でなく、ちゃんと知らされないまま逝った母。病院嫌いで発見が遅くなったのもあるでしょうが、定期的に検診を受けて早期発見出来ていたら、と今でも思います。
当時の母の年齢も超え、2人の子を持つ父になりましたが、健康な身体に産んでくれた事に感謝してます。
医療保険とガン保険は社会人になった時からずっとかけ続けています。
今は健康でも明日何があるか分からない。
万が一、病気や事故で何かあっても残される側の為に出来る事をしておきたいと、親になって殊更感じます。


名無しさん
私自身、十数年前に悪性脳腫瘍で外科手術を受けました 比較的場所が良く、石灰化していたのと、術後経過も順調なので一応寛解に向かっていると思います。ただ、昨年、少し、MRIで影が見えていたので、これが広がれば、再発です。冷静になり、受け止めるしかないのですが、脳を切るというのは、自分自身の記憶やパーソナリティが失われる気がして、恐ろしいです。命には変えられないので、選択肢は無いのですけども ご家族もでしょうが、ご自身の不安感や辛さはなんとも言えません。
名無しさん
自分も十代の頃に下垂体に脳腫瘍ができました。手術で採るにはかなり難しい位置にあったらしく抗ガン剤と放射線治療で治療をおこないました。やはりその時に自分の支えになったのは家族や恋人、友人の存在でした。あれから十数年経ちますが幸いなことに再発もなく元気に毎日を過ごせています。
晴生くんも絶対に病気なんかに負けないでください。御家族の方も色々と大変なことはあるかと思いますが、御家族の方々の晴生くんを絶対助けるんだという想いが晴生くんにとっての一番のパワーになるかと思います。どうか晴生くんの病気がよくなりますように…。
名無しさん
夫が昨年夏に職場の健康診断で肺に影が見つかり、肺炎と診断され3週間抗生物質の投薬を受けるも変化がなく(実は写真を見たときに肺炎ではないのではないかと本人も私も感じていた)紹介された病院で肺癌と診断、脳にも転移が見られその段階でステージⅣ。ドクター曰く、大きさから見て一昨年コロナで出来なかった職場の健康診断があれば転移なく見つかっていたのに本当に残念だとのこと。それから10回の脳への放射線治療と3週間に一度の抗がん剤の治療を続けて、脳の転移巣は肉眼ではほとんど見られなくなり、肺の原発巣も小さくなっています。先月には職場復帰も果たし、日々仕事に励んでいます。がん治療には結構お金が掛かるので、最初は躊躇していた私が勧めた楽天生命の保険に入っていてよかったと言う夫。これからも治療は続きますが、二人三脚で闘病をして行きたいと思います。
名無しさん
子供が生まれてから、生きてるって奇跡だと思うようになった。
事故、病気、もし子供がなったら、もし自分がなったら。
30半ばから毎年健康診断フルコースで受けてる。
親も祖母も癌で亡くなってるから、がん検診は特にきちんとしてる。
子供には心配性過ぎるかもと思いつつ、少しの体調の変化でも気にして調べたり病院行ったりしてる。
それでも避けられない病気も事故もありますよね…
もし家族の誰かが病気になってしまうなら、私にしてって神様に願ってしまう。
子供が病気になるのは辛すぎる。
ご本人もご家族も、とてつもない辛さに向き合い前向きに生きてると思うと本当に尊敬します。
名無しさん
私も脳腫瘍で2回開頭手術を受けました。幸いにも悪性ではなく、殆ど普通に仕事もして生活できていますが、てんかん発作や頭痛、疲れやすいなどの後遺症と日々戦いながら過ごしています。
入院していた時は痛みと不安で自分は世界で一番不幸だとネガティブな思考に陥った時もあったけれど…今はあの時の経験があったからこそ、ある意味達観して生きていられる気がします。また再発する可能性はあるので油断はできないけど、家族や親友など支えてくれる人達を大切にして生きていかなきゃいけないなって思えるようになれたから、脳腫瘍に感謝しなきゃいけないのかも。


名無しさん
コメントを読んで涙が出てくる
自分も18の頃倒れて病気が見つかり開頭手術をして病原を調べても前例の病気がなく病名は無し
毎日親が来ていて反抗期なのか「毎日来なくていい」と言っていた
毎日じゃ疲れるだろうとも思っていた
面会最終時間まで居てくれ、自分も出口まで送っていく
あの時の親の気持ちを今考えたら、何とも辛かっただろうな
自分も手術をすれば良くなると謎の自信があって入院生活は楽しかった
不安など無かった
しかし退院してからが辛かった
いつも居た先生、看護師、入院仲間その家族、掃除のおばさん、そして毎日誰かが見舞いに来てくれてた
家では頭痛が起き、精神的にも不安定になるばかり
後遺症も不安になったけど、精神的なものが1番辛かったな
もう28年経ってるので元気だけど
病名は無いので一生病院で検査をしないといけない
近く予約入れないと
名無しさん
記事を読んで、病気と入院生活を通して、素直な気持ちで、周囲に対する優しさを持ちながら成長されている姿にじんわりと感動しました。ご家族もご本人もこの経験を生かして成長され、今後の活躍されることを期待し、応援したいと思います。
名無しさん
長男も中3の8月に脳腫瘍と診断されました。本格的に受験勉強しようとしたところでした。4ヶ月、抗がん剤と放射線治療を受けました。毎日面会に行きましたが、体をさすってやることくらいしかできず、髪の毛が抜けてくる長男を見て、自分の無力さに嘆き、病室では笑顔、往復の車の中で大泣きした毎日でした。
でも、長男は体調の良い時に勉強を続け、どうにか志望校に合格しました。合格したときの「お母さんありがとう」と言う言葉は本当に忘れません。4月から高2になりますが、通院を続けながら通学しています。今後のことよりも、今を大切に生きようと思う毎日です。
名無しさん
記事に登場する人物が全員心温かくて素敵な記事ですね。
晴生さんも自分がしんどい時に親のことや他の子供のことを思いやれるとても優しい強い方ですね。
後遺症に負けず頑張ってください!
心に寄り添える看護師さんも素敵です。
私は父が定年退職と同時に肺腺癌で亡くなりました。
あれだけ厳格で弱音を吐いたことのない父が最期に弱音を吐いたのが忘れられません。それほど癌の治療は過酷なのかと。。
長い長い単身赴任を終えて、今頃は時々父を連れて飲みに行っているはずでした。
今、健康で生かせてもらっていて、父親の名前から一文字貰った娘が横で寝てます。
あらためてかけがえのない時間を大切に過ごそうと思いました。
名無しさん
うちの娘は摂食障害で入院しています。孤独との戦いでもある過酷な入院治療です。一日も早く退院するためにひたすら一人で食事を食べて孤独と戦っていると思うと胸が張り裂けそうですが、このつらい経験は絶対無駄にはならない。いつかこの辛い経験を生かして、人の心の痛みを理解し寄り添える大人になってほしいな、と思っています。


名無しさん
私も同じ悪性脳腫瘍です。
3年前ですが、それまで自覚症状も無く朝起きて直ぐ突然倒れ、救急隊員が担架に乗せようとしてた時、ウッスラ意識が戻ったのですが、その後のこ事は記憶が有りません。
摘出手術は上手く行ったのですが、再発確率大とのことでガンセンターに通院中しています。
以前に直腸がんで、事前の検査では肝臓に転移、一年持つかなとのことでしたが、幸い再発無く今に至ってます。
色んな事が有りますが、兎に角前向きにし、頑張りましょう。
名無しさん
私は乳ガンですが、癌はツライ治療を乗り越えれば健康体に戻る。というわけではなく、やはり癌になる前の体には一生戻れない。
その事がツライです。
抗がん剤、手術、放射線治療、分子標的薬にホルモン注射。そして飲む再発防止薬を後8年。
それだけ頑張っても体力は癌になる前の7割。抗がん剤を終えてから1年半経つけど、副作用で抜けてしまった全身の毛は未だ満足いくほどには戻らず、頭はまだカツラで、睫毛や眉毛も以前の半分ほど・・・
脇のリンパと胸を取ったことで体のバランスが崩れ、腕は上がらずリンパ浮腫を招き、一生弾性スリーブという圧迫サポーターをつけなければまともに利き腕が使えない体になりました。
右腕は一生、重い荷物は持てません。
血圧測定や注射も右にはもうできません。
そして一生右側を下にして寝てはならないそうです。
スキッと治るならいいんですけどね。
なかなかそうはいきませんね。
名無しさん
なんて勇敢で前向きで情に溢れた強い人なのだろうか。
親への感謝、兄弟への気遣い、心の交流があった人々へと想いなど、うまく伝えられていて頭が下がる。
診断を聞いて納得した、という経験こそあるが、自分では到底達する事のできない「人としての器」を感じた。
亀山さんには1日でも早く快復してもらい、人生を謳歌してほしい。
祈る事しかできないがこの記事に感謝したい。
名無しさん
私も中学1年の時に脳腫瘍が見つかりました。同時私には絶対に言わないでくれと両親が先生に口止めをしていたようですが、私の余命は3ヶ月と診断されていた様です。下垂体周辺にいくつもの影があり手術もできる状態ではなかったと聞いています。治療は症例が少ない抗がん剤を使用した治療しか選択肢はなくそれにかけるしかなかったようです。両親は毎日仕事が終わって1時間半かけて病院にきてくれ祖母はアパートを借り毎朝朝早く病院にきては私の背中をさすってくれました。5つ下に妹がいますが、大事な時期に両親は私にかかりっきりで辛かったと思います。しかし家に帰ってくるとにいちゃんと笑顔で迎えてくれるのです。本当に家族には感謝しかありません。治療は1回目で奇跡的に80%癌細胞が消滅。その後8回抗がん剤治療を続け、後放射線治療後治りました。そして今38歳嫁さん娘2人2年前に家をたて仲良く生活しています。希望は捨てたらいけません
名無しさん
病気の種類にもよりますが私も五年前に難病を患いました。
失明をする危険性などがあり視力がだいぶ低下してますがなんとか前を向いて私生活をおくっています。
家族の支えが一番の特効薬だったりします。
若い力も源!元気になる日が必ず来ると信じて頑張ってください。


名無しさん
自分も脳腫瘍で生検の結果、良性の部類に入ると言われたが、手術が難しい場所で去年1年間は抗がん剤と放射線をしたが、ほとんど小さくならなかった。新たな治療を今していますが、副作用や後遺症は本当に辛いです。全く同じとは言えませんが一日一日を大切にしていきたいですね。
名無しさん
私自身も、脊索種という脳腫瘍を発症し、幸いにも早期発見で内視鏡手術により摘出することができました。
治療自体も長く辛かったですが、何より親に相当な負担をかけてしまったことが辛かったですね。
ひとりだったら精神的に耐えられなかったと思うので、感謝の言葉しかありません
名無しさん
自分は脳腫瘍ほど重篤な病気では有りませんが、若年性関節リウマチに罹患しました。今から40年以上前で13歳の時です。当時は、今のような抗リウマチ薬が無く、痛み止めとステロイドが主流でした。リウマチ熱も併発していたので、心臓も悪くなり、20歳までしか生きられないとも医師から言われました。
その頃は学校の偏見が強く、教師から、リウマチは老人の病気で、13歳が罹るはずは無いと、医師の診断書は破り捨てられて、何度も殴られました。
病気の克服や完治には、周りの人たちの理解が不可欠です。自分がもし同じ病気になったらと考える事です。
脳腫瘍は命に関わる病気ですが、10年前よりも医学の進歩は向上しています。望みは捨てない事です。
名無しさん
26歳で脳腫瘍ステージ3で意識失い緊急搬送されました。自分も家族や子供にも負担をかけたと思います。術後の抗がん剤はアレルギーが出て少ししか出来ませんでしたが奇跡的に18年生きています。
頭はドン引きされるほど傷だらけだし住宅ローン組めない、保険入れないなど大変だけどこんなオッサンも頑張ってます。
合併症も慣れました!応援してます!
名無しさん
掲載写真の笑顔より大変元気もらいました。ご家族のサポートも素晴らしく感動しました。お寿司食べれたかな。治療は辛いですし、薬の副作用も含め体調が悪い日は早く楽になりたいと思う事が多々ありました。私も頑張ります。


名無しさん
一緒に泣いてくれる人がいて救われた、てのはなんか考えさせられる。看護師の仕事は医療ケアであって一緒に泣いてくれるってのはらしくないような気もするけどそうやって人間として接してくれることで癒されるものがあるんだろうね
名無しさん
温かい家族に恵まれ良かったね!先端医療の力も大きいけど、ご自身の前向きな力はもっと大きいと思います。頑張れ!!完治を心から祈ってます。
名無しさん
オレも脳腫瘍との闘病中だけど、是非とも諦めないで頑張って欲しい。オレの場合は深すぎて取りきれない部分から出血して半身麻痺を起こして必死にリハビリして杖歩行できるようになってきたから、生きていればそのう良いことがあると思って前向きな考えを捨てずにここまできました。
名無しさん
うちの息子も3歳で血液の難病に罹り一時重篤な状態になりました。今も寛解はしていませんが再発は免れています。入院中たくさんの病児の子達と出会いましたが、みんな一生懸命に治療に臨んでいました。夜中にこっそり泣いているお母さんやお父さんもたくさんいました。
子供の病気は本当に辛い。病児の子達みんなの病気が治ってほしいと切に願います。
名無しさん
わたしも去年の5月に脳腫瘍がわかりました。乳がんから3年は検査目前のことでした。脳腫瘍は延髄にあるため手術ができず放射線治療のみしました。小さくなりませんでしたが、大きくならずなので経過観察でこのまたまだまだ生きて中3小6になる息子たちと過ごしたいです。足にきてしまい車椅子ですがそんなもの!生きれたら!て思います。


名無しさん
私は55歳になりますが、中学3年生だった昭和56年の秋頃、同級生が脳腫瘍で他界した時のことを思い出します。どうか元気で頑張って下さい。同級生の分まで元気に過ごしてほしいです。
あと、なぜこのような書き込みに「悪いね」が付けられるのか‥意味が分かりません!
名無しさん
このご家族に生まれてきて本当に良かったとおもいます!辛くて苦しい事が多いと思いますけど、大切な優しさ、無償の愛を感じれたのは幸せですね!
負けないで!応援してます!
名無しさん
息子が小学校6年の時に悪性脳腫瘍になり同じ様にOPと抗がん剤と放射線治療しました。もう3ヶ月はもたないと宣告されましたが只今33歳 高次脳機能障害 記憶が出来ません 目は複視 身長も伸びず色々とありますが元気に過ごしています。
名無しさん
自分は、小学生の時小児性白血病にかかり中学卒業まで入院と通院。そして、社会人として働いている34歳の時に子供のコブシぐらいの脳腫瘍と経験してきましたが、幸いにも今も楽しく生きています。病気になる事は、防ぎよう無い事です、それも含めて自分の人生と楽しんで前を向いて歩んで下さい。
名無しさん
私の父も2年前癌で逝ってしまいました。
もっといろんな話をしたかったな。
本当に、病気は本人も周りも苦しいものですね。
自分自身は0歳2歳の子育て中で毎日がバタバタと一瞬で終わっていくような感覚です。
手がかかり途方に暮れる事もありますが子ども達が元気に笑っていてくれる事がいかに恵まれていることか忘れないように日々過ごしたいと思います。


名無しさん
癌になってしまった母を支える毎日。
私も病気を抱えているため、気が滅入って、辛い毎日である。
自分の幸せばかりを考え生きてきた私にとって、母の幸せを考えて願って、母を大切にするという当たり前のことができていなかった気がする。
明日も、母の笑顔が溢れる一日になりますようにと1日1日を大切に生きる。
名無しさん
私の息子も中学3年で悪性脳腫瘍になりました。幸い名医の先生の手術で上手く取り除く事ができて生きることが出来ています。
今現在22歳です。
記事を読んであの時を思い出しました。
息子はソフトテニスの部活で汗をかいてアクエリアスを1L以上毎日ガブ飲みしていました。
アクエリアスの人口甘味料が脳腫瘍の原因になるとの記事を読んだことがあり、納得しました。
あれからアクエリアスは飲んでいません。
中学生のお子様を持つ親に人口甘味料が入ったスポーツドリンクを絶対に毎日飲ましてはいけない事をお伝えします。
名無しさん
小児がんのトップは血液系、次が脳などの神経系ときく。
そもそも悪性でここまでこれてることはすごいと思う。
医療も進んでいるし、このままうまくいくとを切に願います。同じように苦しんでいる若い人(だけではないけど)のためにも…
名無しさん
自分のことよりも、両親や家族、そして小児病棟にいる小さな子等、相手の気持ちを考えられる優しい子ですね。自分はお母さんの年代ですが尊敬します。
表に出さない気持ちもあるでしょう。
この子の身体から、ツラいことは無くなり、笑顔で過ごせる時間が増えますように。
名無しさん
私も、難病と線維筋痛症と闘って4年目になりました。 苦しみ、悲しみ、辛さ、沢山あります。でも、私も負けないで頑張るので、お互い頑張りましょう!
ファイトです


名無しさん
私も産まれてすぐに脳幹に腫瘍があり手術不可で余命宣告されたそうです。
ただ、症状が出てなく、特段治療もせず。
その、2歳で水頭症、17歳で脳腫瘍をやりました。
それでもなんだかんだ生きてます。
本人よりも周りや親の方が心配で心配で仕方ないんですよね。
名無しさん
他人事と思われるかもしれないけど、どうにか心の支えにないたい気持ちは強く持ってる!
どうにか気持ちは強く!!心と気持ちは強く持って、絶体に夢と規模はすてないでよ!!
名無しさん
私は視神経に腫瘍が食い込んでいる形であるから手術不可だって言われた。
眼鏡を変えても視力が出ない以外はほぼ元気。
でも腫瘍が大きくなったら色々問題出てくるだろうな~。
名無しさん
私も23歳で難病と診断されて、医者から社会復帰なんて無理!と言われましたが、何とかやってやりました!
47歳。何とか生きてる。寛解維持するのは大変だけど。
君に楽しい未来がありますように!
名無しさん
こんな見ず知らずの人間に何を言われても響かないだろうけど、人前で泣くなんて本当に辛かったんだと思います。だから、これからも1日1日1時間1時間1分1秒を全力で生きてください。泣くより笑って生きる為に自分だけじゃなく周りの人達が少しでも楽しく笑えるように願っております。


名無しさん
親になってみると我が子が闘病している姿は何よりも辛いんだろうなと改めて感じます。
変われるなら代わってあげたいそれ以外の言葉が見つからないだろうな。
名無しさん
うちの子も脳腫瘍です。しかし、場所が悪く、手術不可能。放射線治療のみ。後が悪く、ほとんど学校へは行けません。けど、望みは捨てません。頑張りましょうね!
名無しさん
病気は違うけど、俺も小6から全身麻酔で6回手術した
普通と同じ事しちゃダメな制限もずっとある
がんばろう
がんばって!
名無しさん
私の友人は、肺癌からの転移で、脳腫瘍になり、後に亡くなりました。 なった人しかわからない痛みや、苦しみで、とても想像はできません。
名無しさん
小5の時に6年生の先輩が拳大の脳腫瘍が出来て卒業前に亡くなりました。
今だったら早期に発見出来て治療が出来たのかなぁ。


名無しさん
我が子も小学低学年で脳腫瘍の手術しました。セカンドオピニオンで北海道にも行ったなぁ。僅かに腫瘍らしき影が残ってるけど、出来ればまた手術したくないです。
名無しさん
これからの人生に、辛かった何倍もの幸せが訪れることを願うことしかできないです。
名無しさん
科学技術、医療技術がもっと発達して還暦を迎えるまでは病気の心配をする事の無い世の中になって欲しいものです。
自分の子供が先に逝くのだけはみたくないです。
名無しさん
私も左右の脳の奥にゴルフボールぐらいの脳腫瘍があり手術しました
脳の奥で7割がた残ってます
ボールぐらいになるのわ10年でまた手術
60歳ですが10代頑張れ
負けるなよ親より長生きしろよ頑張って
名無しさん
なぜ生きたいと願ってる人が病気になり、死にたいと思ってる人ほど健康なのか?
名無しさん
特効薬、新たな治療法が早く見つかりますように。




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