上野氏は「美人」発言の問題点について「すでに『ブス』という言葉がタブーになりましたから、その対極にある『美人』も言っちゃダメというのは、論理的にも当然のことですよね」と指摘したうえで、次のように説明する。
「近年、ルッキズム(外見至上主義)という言葉が登場しました。この“イズム”というのは、セクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)などの言葉にも使われているように、“差別”という意味です。ルッキズム(外見差別)という新しい概念の言葉が登場し、イズムがついているということは、外見についてとやかく言うのは差別であり、“やってはいけないこと”に認定されたということです。それは、“褒める”という行為でも同じこと。
たとえば妻やガールフレンドと一緒に歩いている男が、前から来る別の女を見て、『お、美人だな』とか『お、ブスだな』とか何気なく言ったりするでしょ。その瞬間に、女は一元的な序列のどこかにサッと位置づけられてしまうことになる。そんなこと頼んでもないのに。当然、不愉快ですよね。男というのは、そうやって女をランキングする権力が自分にあると無邪気にかつ傲慢に信じているのです。それが近年になってやっと『そんな権利、アンタたちにはないよ』ということが浮かび上がってきた」
それならば、女性が男性に「イケメン」などと言うことも問題視されるべきではないのだろうか。
「よくある反論ですが(苦笑)、女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。たとえばイケメンじゃなくたって、学歴とか地位とか、そういった尺度が男にはある。男の尺度の中で一番強力なのは金力(稼得力)であり、イケメンかどうかなんてことは、男にとってはマイナー尺度です。つまり男女のランクオーダーは非対称ですから、『女だって同じことをやっているだろ』とはなりません」
まずは「建前」を変化させる
ただ、いくら女性を容姿でランク付けしてはいけないと説かれても、心の中で美人かどうか“評価”することまでは、なかなか止められない。
上野氏も「オジサンの腹の中は死ぬまで変わらないでしょうね」と認めたうえで、男性たちにこう釘を刺す。
「私は社会の変革というのは、本音の変化ではなく建前の変化が重要だと思っています。オジサンの下心とか、人間の卑劣さというのはいつの時代もどこにだって存在するけれど、少なくとも公共の場でそういうことを言ったら地雷を踏むということは肝に銘じてほしい。男は時代の変化に合わせて自分をアップデートしなければ、自分が不利益を被ることになります」
女性の容姿に全く触れないとなると、同僚や友人とどんな話をしたらいいのか。「これはセクハラかも」「ルッキズムと言われるのでは」と怯えていては、日常会話もままならない……。
そんなふうにコミュニケーションが取りづらくなることを危惧する声にはこう応じる。
「若い女の子たちからも、そういうことはしょっちゅう言われます。バイト先などでおニイさんやオジサンたちが口をきくのに神経を使って、職場がピリピリしてしまう、とか。でも、もし彼らが神経を使わなくなったら何が起きるのか。オジサンたちからすれ違いざまにお尻や胸を触られるなんてことがずっと続くことになります。そんな職場で女性は働きたいと思いますか?
1989年に『セクハラ』が流行語大賞になった時に男性週刊誌は堂々と“セクハラは職場の潤滑油”“(だからなくなったら)職場がギスギスする”みたいな記事を載せていました。『週刊ポスト』にもあったはずです(笑)。それに比べれば、セクハラがアウトになったのは大きな進歩。気を使って職場がピリピリするくらいが、ちょうどいいんです」
ピリピリした結果、「女性に対して一切話しかけない」という極端な選択を取る男性も出てくるが、上野氏は女性に配慮した「褒め方」や「コミュニケーションの取り方」がちゃんとあると言う。
「ジェンダー研究の世界では、“女だからかわいい”とか“男だから泣くな”のようなジェンダーに依拠した説明や解釈のことをDoing Gender(ジェンダーを実践する)と呼びます。逆にジェンダーに依拠しない説明や解釈をUndoing Genderといい、たとえば“キミは根性があるね”のように、男も女も関係ない言い方のことを指します。
女性のことを褒めたい時には、このUndoing Genderの言い方にすればいい。たとえば、“女子力が高いね”ではなく“気配りができるね”という言い方にするんです。“かわいいね”という言い方でなく“チャーミングだね”と言えばいい。美人というのは一元的な尺度だけどチャーミングという表現には多様性がありますからね。人によって意味合いは様々だし、男にとっても女にとっても最高の褒め言葉だと思いますよ」
相馬市長の「美人」発言直後、本誌・週刊ポストは『美人論』著者で国際日本文化研究センター所長の井上章一氏に見解を聞いたが、そこでは〈オフィスで女性社員から『○○さんは美人だよね』と語りかけられたら、『僕もそう思う』と答えてはいけないのでしょうか〉(週刊ポスト11月19・26日号)と疑問を述べていた。その問いにはこう答える。
「そういうシチュエーションでは、その女性の話には乗らないほうが賢明でしょうね。女だって、男性的な価値観を内面化していますから、一元尺度でセルフランキングくらいしますよ。でも『僕もそう思うよ』とか言うと、女たちは内心シラケてしまうと思う。『まあ、人それぞれだね』とか『そういうキミも十分魅力的だよ』くらいの返しをすればいいのではないでしょうか」
参照元:https://www.news-postseven.com/archives/20211225_1715622.html?DETAIL
みなさんの声
こじつけてるとしか思えない。
こじつけ。
(女性に)都合のいい解釈。
ただのお気持ち
コイツがやりたいのは女性の権利向上ではなく完全女性有利な不公平で差別的な社会の実現であり本当の意味でのフェミニストからはかけ離れたことなのだ。
女性にカワイイというのはダメだけど男性にイケメンというのはいい。その理由は男性は金やら地位やら他にほめるとこがあるからと。女性には他にほめるところがないと女性自ら言っちゃう人が女性代表面して話してて大丈夫なの!?
こじらせた末路なのかな。
このおばさんが一番の差別主義者でしょ
この人に限らず、フェミニストって人達の価値観が化石レベルだよ。
差別は駄目だけど、男と女は違うんだよ。
相手がどう思うかわからないしね。
それこそ女に対する侮辱だわよ。
だから、男性ならハゲはダメ。
オジサンの感性は絶対悪
こういった決めつけや善悪の押し付けが本能的に皆に嫌われてるんですよ。
それは「べき論」が大好きな左翼全体主義と親和性が高く、そんな世の中になったら全員不幸になるという、深層心理でこのようなフェミ闘士にアレルギーを起こしてるのだと感じます。
これからの若者の敵はオバサンのような「相手を罵って薄っぺらな価値観をエラそうに押し付け分断を呼び、それに乗じて儲けようとする」
「フェミニスト」になっていくだろう。
今の若者はオバサンでは騙せないからね
「フェミニス」に染まった
「TVに若者は興味ない」のがその証拠
なんかこの人の視点が偏ってるんだよねww
おばちゃん達が語るフェミは、現役の女性達と凄くズレてるんだけど、、
その乖離に気が付かないマスコミが若者達から嫌われるんだよねー
この人嫌いじゃないけど、ここはあまりに非論理的。
そして、人の第一印象は見た目で決まるのだから、そこは自覚させてあげることは社会に出た時にとても有用だと思いますけど。
美人でも鼻にかけない人はたくさんいるし、それだけが自身の基準ではないと思うけどな。
あれもダメこれもダメで窮屈すぎる。
本人が美人と思ってても側から見る側がそう思ってない場合もあるしその逆もある。
フェミ辺りがよく分からない理由で噛みついて来ますしね。
俺は外見ではなく内面で褒める様にしてます。
なお、多元的な解釈ができる場合は、差別にならないから、「美人」は駄目でも「魅力的(チャーミング)」は差別にはならないとのことだが、だとすると、「魅惑的」は大丈夫だが、「セクシー」はダメなのだろうか?、いや、その逆なのか?、両方とも大丈夫なのか?、両方とも駄目なのか?
もちろん、セクシー路線のアーティストとかもいるから、そういう人に対しては別なんだろうけど。。。
年配世代の言う「美人」は、その世代の「社交辞令」であったりもするから、「それだけ私に対して言うこと無かったんだな、もっと成果を出せるように頑張ろう。。。」くらいの自戒をこめて、「社交辞令言われてるなー」くらいに聞き流すのが吉だと思う。。。
ただ、「美人だから仕事ができるんですね!」とかの発言なら、言わずもがな、また別の問題だね。
美人だからその役職につけたと思われたくないんじゃないかな。
自分が不愉快に思うのは個人の感想だろうが、自分の感じ方をさも一般論かのように落とし込みすぎでは?
少なくとも「美人」に関しては論理が破綻しています。
特に問題なのは同性が同じことを言っても問題ではないこと。異性がいうとなぜ問題であるかを説明できていない事です。
LGBTQに関してもそうですが、「嫌だ、好まない」といった個人の感情すら否定する言動にはファシズムを感じる。
また、定年後の男性の実態を書いているが、サラリーマンを引退した大都会の一部の男性を書いている。
対極の容姿を褒めることもダメとか意味わからない。
かわいいはダメでチャーミングはOKとか諸々もう全部意味がわからない。
このレベルの人でも結局そこに帰結する、下を見てもそんなのばかり、結局はその程度なんですよ。
だからダブスタ余裕だし正論突かれても論点ずらしの反論しかできない。
ていうか、周りにケダモノみたいな男しかいなかったんですかね?
すぐに胸とか尻を触られるとか、いくらなんでも妄想が過ぎるような。
美人については女性だって美人を見たら、わー綺麗!ってなるし言うよ。
貶したらダメの対義で褒めるのも自動的にダメって、思考が破綻してる。
つまり、女性だけが良ければ良くて、男性のことについては一切考えないスタンス。
だからこういったことが言えるって。
記事を読みましたが、フェミニストって差別主義者なんだなと改めて思いました。
そして敵視しているのもわかった
そしてこの人を好きにならなかった男性の気持ちもよくわかった
この人の主張はよくわからなかった
と決めているところが昭和脳
それは、「歌声が綺麗だ」とか、「スポーツが上手い!」とか、「学校の勉強がデキる!」みたいなのと一緒。
それが全てではないけれど、だからと言って「ナイもの」として扱うものでもないと思うよ。
誰かを貶すようなことは封印。
序列とかじゃないんだよ。
お互いに、相手の良い所はジャンジャン褒めよう!
ただし、どんな美点も、「それは相手の一部でしかない」ことを忘れずに。
野の花を見て「まあきれい」と言えば、その近くに咲いている花を傷つけたことになりますか?
女性学は一時憧れましたが、本を読めば読むほど混乱し、やめました。
私は運動音痴ですが、体力や技を競うオリンピックを見ていじけるほど狭量ではありません。
あとは顔しか見てないと思われたり。
個人による話なのに、みんなそうですよみたいなスタンスで話すからわからないことになるんですよ。
私は美人と言われたら恐縮するけどうれしいので、言っていただいて結構です!!
あんまりいわれないけど!
まあそんな層は相手にしないことにしてますが
女性側もそれでいいんじゃないですか?
気にする人は気にする
気にしない気にしないってことで
私は知人の紹介で綺麗な女性にお会いした際には素直に「お美しい方だ」と言いますよ。
もちろん他の女性がいない場所でね
お相手も、はにかみながらも喜びます。
上野先生もそう言われたら嬉しいはずですが?
ジェンダーの本質は理解してます。
もちろん外見や女性らしさという定義だけで女性を判断してはいけません。
ただ小難しい理屈ばかり並べず、美しくなるための努力も必要です。
世の中には、いろいろな考え方があるので。
美人と言ってはいけないではなくて個人を見る尺度を揃えるようにするのが大事なんじゃないの
おんなじなんだよね。
逆差別だと思うよ。
言葉狩りしても何も変わらない。
考え方を変えないと。
そして、多元尺度だからイケメンと言っても問題はないのはなぜだろうか。
ルッキズムは一元尺度の女性だけにあてはまるのか。
人の美醜をとやかく言ってはいけない、というのを女性だけに当てはめてどうするのか?
男女それぞれに、同性ならばどちらを選ぶか?と聞いたら、まず美人イケメンが圧倒的多数になるはず。
学歴や稼ぎ、背の高さ、容姿など判断基準は多々でありますが、男女比の違いはそこまでないと思いますよ。
芸能界で成功してる女優は元々の美しさと言う土台もあるけど、美容投資を惜しまないよ。
新人の時から所属事務所社長や先輩女優達に「私らは人様に見られる商売。
美容投資を惜しむな。服にも金をかけろ。」と叩き込まれる。
「美しい」と言われたら「美容投資が報われた」って事でもある訳で。
「人様に見られる商売だから美容投資を惜しむな」って芸能界の思想は悪なのか?
たしかに言ってることは一応理解できる。『は?』って言う他のコメントも、もちろん分かる。この発言に対して、議論すること、コメントすることは無意味に思う。今の時代って、この手の論法がすごく面白いな~って感じる。面白いけど最終的に全員がツマラナイ顔になる気がする。
正直なんだと思うけど、褒める褒めないが丸わかりで、なんだかな〜と感じる友人がいた。
縁切ってしまったけれど。
女性だって創造性や、優しさや、体の強さを美しさと同等に評価されて良いと思う
だからイケメンも普通にルッキズムの外見差別だぞ。
テレビ番組なんかでも女性を笑ったりするのはNGだけど男性を笑い者にするのは許される。
でも、プラベでは気をつける必要がないよ
こんなハラスメントに負けてはいけないよ
「女の場合は一元尺度」という発言が古く差別的な気がするけど。
追従しないといけない人もいるし。
総じて口は災いのもとというわけです。
おしゃれイズムって、おしゃれ差別って意味だったんですか
知らなかったなぁw
男女の役とかもクジで決めるならいいの?
そういう事なら全く支持出来ない
差別だ何だと騒ぐ奴には好きか嫌いかで接すれば
どうせ何言っても気分次第で噛みつかれるんなら余計な事を考えずに済むだろう
大抵嫌われるだろうけど仕方ないわな
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