恋愛ネタで数々の名言を残しながらも、自身は「振られたことしかない」というスピードワゴンの小沢一敬さん(47)。
恋愛コラムを書きながらも、「自分の恋愛は全然ダメ」と語るコラムニストのウイさん(38)。
そんな2人が、恋愛や結婚、人生についてこってり語り合いました。そもそも、「人」は好きですか?「他人」が好きなのか、「自分」が好きなのか
小沢一敬さん(以下、小沢):みんなさ「出会いがない」って言うけど、出会いは毎日ある。あなたが言ってる「出会いがない」は「“白馬の王子様との”出会いがない」だからね、って言いたい。毎日誰かとは絶対に出会ってるわけだから。って、俺もえらそうなこと言ってるけど、ウイさんの本に出てくる女の子や男の子みたいな部分いっぱい持ってるから読んでて苦しくなってる、同じ人間なんだけどね。だから「興味ない」って強がってるのかも。
ウイさん(以下、ウイ):本当は結婚や恋愛への思いはどこかにありますか?
小沢:いやまぁでもやっぱり「興味のあることランキング」のベスト10には入らないかな。ウイさんは?
ウイ:ずっと1位だったんです。それが、年々順位を下げていくんですよ。
小沢:じゃあ、今1位はなに?
ウイ:同世代の独身の男友達といることですね。
小沢:2位はなに?
ウイ:仕事です!
小沢:決定的な俺との違いがあるよ。俺は「映画」とか「ゲーム」とか「音楽」とか、趣味のコンテンツなのよ。ウイさんは「友達」とか「仕事」とか「恋愛」とか、人が好きなんだよ。人と接して一喜一憂する人生が好きなんだよ。
ウイ:人、好きですね。でもそれは小沢さんも同じじゃないんですか?
小沢:周りからは「オザ、人好きだよね」って言われる。けど、一番は自分。自分に興味があるから本読んだり映画観たりしてる時間が好きなんだよ。この本を読んで、新しいものを知っていくっていう自分が好き。だから、一軒家借りてシェアハウスしてた時も、みんなで集まれるリビングで何十人って人が鍋やってるすぐ隣の部屋でひとりで本読んでる。ドア越しに騒いでる声が聞こえて、楽しそうな話題の時だけ顔出すのが合ってた。みんなと「いる」のは好きだけど、みんなと「話す」のは疲れちゃう。だから俺多分、超孤独なのよ。人が好きで、人と関わることが人生の上位にくるウイさんは素晴らしいの。
ウイ:でも、めちゃくちゃ不安ですよ。
小沢:人が周りにたくさんいるから不安になるんだよ。いろんな成功例、失敗例聞いたりしすぎてるから。俺は人の話全然聞いてないから。
ウイ:ああああーもう、10年後、小沢さんみたいになりたいです!!
小沢:いやいやいや、ならないほうがいいから。
「友達がいない自分」を、自分で選んでない?
ウイ:周りの人に必要とされて、それに対して「どっちでもいいからやってみようか」って応える。恋愛はあればあったでいい……。正直いま、めちゃめちゃ小沢さんに憧れてます。
小沢:そういう言い方をしてくれるのを客観的に聞いてみると俺も「その生き方いいな」って思うけどさ。そんなかっこいいものでもないよ。ただ、漫才なり仕事なり、やるにはそれなりに時間も労力も使う。でもやっていくことで日々は過ぎていく。大事な子が現れれば一緒にいればいい。その繰り返しでいいんじゃないかとは思うね。
ウイ:お話聞いていて、どういう女性が小沢さんにフィットするんだろうって考えたんですけど、全然想像がつかないです。
小沢:俺、無責任だから。
ウイ:でも人がこんなに集まってるじゃないですか。本当に孤独な人っているみたいで、僕もふとしたひとりの時間とかに「あぁ、寂しいな」って思ったりすることはあるんですけど、もっと比べものにならないぐらい、趣味もなく友達も少なく会社と家の往復みたいな人もいたりするんですよね。僕なんかは「じゃあ、友達作ればいいじゃん」って思ったりしてしまうんですけど、大人になってから大人の友達を作ることってなかなかそう簡単なことでもないようなんです。
小沢:みんな「自分がなりたい自分になってる」気はするけどね。友達がいないって言うけど、どこかで自分でそれを選んでるのよ。たとえば、映画をひとりで観に行ったとして、映画館で隣の人に話しかけてみればいいじゃん。「話しかけるのが苦手」っていうけど「苦手な自分」であることを選択してるんだよ。
ウイ:どうしても友達が欲しかったら、話しかけるでしょ、っていう。
小沢:「俺、友達いないんだよ」って言ってる自分が好きなんじゃない?俺、上京してきて何年かは潤と数少ない先輩ぐらいしか話し相手もいなくて、それでも平気って思ってたけど、それってまぁかっこつけてたんだよね。どこかのタイミングで「そんなことないよな」って思っていろんな人と喋ってみたら、世の中っていいヤツがめちゃくちゃいるんだよ。それからご飯に行く時は「全然知らない奴連れてきていいよ」って言うからどんどん友達の輪が広がっていったの。それがずっと続いてる。こっちが心を開けばあっちも開くんだよね。
ウイ:ひとりでいる人は、自分でそうあることを選んでるのかもしれないですね。
参照元 withnews
結婚式にも呼べないくらいだ。
適当な、人生で友達にも適当に接していた罰だと思っている。だから今から出会う人を大切にしたいと思う
友達は1人だけだったよ…
旦那の方はたくさん来てたから、本当に辛かった…
二次会なんか、旦那の友達しか来なかったしね。
でもやっぱり今友達1人でいいかなって思ってる自分がいる…
私も「結婚式」ってなった時に、呼ぶ友達がいない…ってなって、慌てて「親族だけでいいよ」って言ったクチなので。
小中高と全く友達がいなかったわけではないのですが、卒業してからも会ってる友達はいませんし、職場でもそれなりに友達みたいなのはできますが、辞めてしまえばそれまで。
子ども3人育ててますが、挨拶する程度の知り合いはいますがママ友は皆無。
ネットでもいいから友達が欲しい!とTwitterやインスタを始めてみましたが、そちらもダメで。
僕の場合は、友達自体少なく、5人くらいかな。いずれも親友とは呼べないです。狭く浅くです。親友と呼べる人がいるのは羨ましくも感じます
小沢さん1人が好きっていうけど、シェアハウスに住めてる時点で、症状としては軽度だなと思う。このスレッドに書いてる人なんかは、僕も含めて、シェアハウスに住むなんて選択肢、一切ないでしょう笑
相手にも自分の時間も大切に丁寧に
こんな時だからこそ感じています。
友達と沢山絡むも、一人でやりたい事だけをするも、人生や価値観、人それぞれ。
妹いるから育児や家庭の愚痴は妹とLINEしたり。近所のママ友1人と協力して子供の面倒みてるからわざわざ新たに作る必要ないかな。
ただ夫や妹やママ友失った時自分には何も無くなりそうとは思ってる。
でも結局1人を選んでるんだよね。今までの人生経験から。自分はわがままだから人とずっと一緒ってわがまま出さないように気を遣って疲れるし、嫌な思いをした事もあるからあまり近づきすぎないようにしてる。
家族とか少ない友達に優しくしたり気を使って誠意ある対応して、子供の集まりとかでは目立たないように地味にしてます。全員に親切にできるほど器が大きくないから。年取ってやっと自分を知って自分らしく生きてると思ってる。
「友達」だからこうあるべきって思うのが合致すればいいが、各々が考える友達の条件は経験、環境、人間関係で変わってくる。
友達ならこうしてくれる…友達にだって立場や事情がある。
条件を求めてばかりでは相手もうんざりするだろう。尽くしているのだからというのもエゴだし、相手が求めている事と違う可能性がある。
親しき仲にも礼儀ありって言葉があるが、慣れ親しんだ相手こそ甘えてしまい、ちょっとした事が積み重なって疎遠になることがある。利害関係だけじゃなく友達が多い人は当たり前のように自然に気遣いができているんだろう。
自分も友達が少ない部類だろうが、今いてくれる友達は1番大事にしていこうと思う。
自分の友達作りはとりあえず、去る者も追って来るもの拒まず。
夜中に駆けつけないし、金も貸さないがそれでも友達だと思う。
私は本当に1人です。
こういう人生を選択してきたって言われると…なんとも言えないです。
来月入籍する彼は友達多くて、人が大好き!な対象的な私たち。でも、彼は私が長い間1人時間で積み上げた知識とかそういったものが素晴らしいという‥笑。
小沢さんの足元にも及ばないけど、そういう生き方もありと教えてくれました。
少しだけ自信もとう。
結婚式を挙げなかったんだけど、もし挙げたとしたらスピーチとか正直どの人に頼めば良かったんだろってふと考える。
親友っていうのも片想いのようなもので、相手の気持ちはわからないからね・・・
人と話してると無言に耐えられないし、ずっと気を使っちゃうから疲れる。
現時点で付き合いのある人とか会社の同僚とか、浅い交情の人達。
本当に呼びたかった人、来てほしかった人は意外とそこには居なかったりする。
結婚式のような場で見栄を切るには人が多い方がいいのは確かだけど。
他の人はみな「友人」ではなく単なる職場の「知り合い」笑
職場以外だったら、一年に2.3回 顔をあわすぐらいの友人がほとんどですよ。
無理せず自分に合った人付き合いが大事よ。
私は結婚もできないし付き合ったこともありません…
普通に生きてるつもりなんですが、普通じゃないんでしょうね…
友達が少ないのも悪くは無いと思う。
あと、ホームパーティーとかちょっと憧れる。
妻、子ども、家族がいます。
このままでいいです。
城田優とか小栗旬みたいないい歳して仲間仲間言う人ほんと苦手
たぶんこれからもできることはないだろうな。
他人に興味ないというかコミュニケーション能力が欠如してるのかもしれないでもう諦めてるが。
が、誘うの面倒だし、誘われるのはもっと面倒。友達いないから、友達とどう過ごしていいか、わからないw
休みの日は、のんびりしたい…
確かにそういうとこあるかもしれない。
一人の方が気楽だし人と居ると疲れてしまう。それは例え家族であっても四六時中一緒に居るのは嫌だし。でも我儘なのかもしれないけどたまには自分の事気にかけて連絡してくれる人が一人くらいは欲しかったなとかは思ったりする。LINEとかじゃなく直接電話でって意味で。まあ私もしないから居なくて当然なんだろうけど
器用じゃないので、あちこちの友達と連絡を取り合うってのが出来ないし、今は特に家族の事で目一杯。
時間にも余裕が無いな。
BBQ、キャンプ、宅飲み、役員、習いごと…たくさん、一緒一緒してきて、今やっと落ち着いたとこです。
家族ですら、疲れる。わかります。
だからたまーに、気にかけて連絡もらえると、凄く嬉しい。だからといって、私ができるかと言われたら、できない。
あの人友達いないよねと言われてもけっこうです。
自覚ある人は良いんですが、自覚ない人の多いこと。
帰って好きなことしたいし
で、1人が居心地良くなっちゃう。
家に帰ってどっと疲れるし、嫌われてないかな?とか一々気にしちゃうから本当無理
この世で一番怖いのが人間。
人付き合いでもいわゆる外面が良い方だ。
でも、出会った人がもしせこかったり、他人に対して冷たかったり、いろんな場面においてずるかったり…その人間の嫌な部分を見てしまうと、親しくなる気持ちが失せてしまう。
本当に友達だと言える友達とは(少ないけど)身内のような付き合いをしてる。
だから、友達と言える人は1人2人でじゅうぶん!
大人になれば子どものときのように、毎日遊ぶ、頻繁に話するっていうことは物理的に無理だし、
一年に1回くらいしか合わなくても繋がっていられたりする
何かあれば応援するし、話も聞く
ベタベタ引っ付いて群れてるのが友達ってわけじゃないから、それぞれが居心地の良い距離感で付き合えばいい
以前はたくさんいました。
でも、友達っていう意味が変わっただけかもしれません。
結果、一緒に居たり、関係するだけで友達って呼ばなくなった。
改めて考えてみたら一人だと心地いことが多いけど、独りでは居られない。
でも、裏切られたり嫌われるのが嫌で一人が心地いいことに気づきました。
だから「嫌われる勇気」ではないけど、他人の考えをできる限り受け流したり、逆に迎合せず承認できる様に心がけることにしました。
まだまだですが、友達については自分に正直に距離感や関係性をもって、自分から助けられる、見返りに助けてもらえるのではなく、価値観が同じだから助けてももらえるなりたいです。
これが当たり前と言う人も、うらやましいと考えないように。
私は基本的に人間好きです。
信頼出来る人を見抜く自信があるので人が怖いとも感じません。
が、私自身が自分勝手で人に合わせるのが大嫌いなので自然と付き合う友人は非常に少ないです。何かに誘われても断りまくります。
だけど数少ない友人は全員信頼出来る人です。
私は世間体も気にしないので外面もあまり良くないと思います。
必要な時だけいい顔してすり寄ってくるのに、不要になるとお前が悪いとばかりに攻撃してくる。あれはなんなんだろう…
人間って恐ろしい
あまり怖がり過ぎたらその類いの人間しか寄せつけない。
少なくとも見知らぬどこかでも人は関わっているし、助けてくれる人間も中にはいるかもしれない。
自分自身のボーダーラインの引きかたが曖昧だと八方美人になるし、上っ面のヘラヘラで生きないといけなくなる。
信用できる人間もたくさんいる
自分は知り合いはいるが友達はいないと思います。
ああ、わかります。
僕もそうです。
相手は友達と思ってないかもしれないからね。
そういう気持ちが根底にあるから腹割って話す事ってなかなかできないよね。
別に友達いないからって不便じゃないし、相手から擦り寄ってきても多分引くと思う(笑
SNSでダイレクトメールをするようになった人も含まれていたり。
概念があいまいですからね、トモダチって言葉の。
私の場合、見た目と名称が一致する人物、それだけしか思いません。
もしくは過去に接点のあった人。
友達はゼロなんだと思います。
対比では無いけど、お金はあった方がいいですね、それで旅行でも食事でも知的興味でも自己満足でも何でも満たせます。
「っていうか、(相手もあなたを)友達として見てるのかね?」って確認したかったけど
友達が少ないのを悟られないために必死
怒られるのも嫌だし。
来世でがんばります。
でも最近気づいたのはそれは自分だけじゃないってこと
辛い時期だけど乗り越えましょうよ
他人に期待や興味を持つと他人の嫌な面が目につきます。
そもそも興味が無ければ嫌いにもなりません。
「対象物」としてしか見ないので。
見た目と名称が一致する音を出す生き物でしかないから。
医療や福祉の仕事を長くしていると人間を「対象になっている人」としてしか見なくなるし、その人は法人と契約しているのであって私個人とは契約関係にはありません。
だから場面場面での責任しか発生しません。
今はトータルケアとかトータルコーディネートとか都合のいいことを厚労省に要求されますけどね。
そうなると、私生活でも友達とかその概念がなくなる。
旅行に一緒に行きますが「同じ目的地に行く人物」なだけ。
食事にも行って何か話しているんでしょうが、何を話したか覚えていません。
食べることが目的だったから。
そういう人が孤独感を持つかと言うと、それも違います。
それでも接してくる方は大切にしてます。
友達がいないお陰で楽しい事もあればしんどい事もある。だからどっちが良いとか結論出す必要ないかな。私は友達がいようがいまいが『1人でも幸せに過ごせる才能』を持っている人を羨ましく思う。そうなりたい。
ママ友繋がりで年に何度か飲みに行ったりする友達はいるけど、私も心の中を見せたりしない。それこそ価値観が違うし、そんな考えがあるんだと思うけど、この歳になってすり合わせしようとも思わないし、
そんなのは疲れてしまう、仕事だけで十分。うちは息子3人に夫1人。
女1人の私にしたら、1人になりたい時間が多くあり、息抜きに1人で出かけて息抜きしてます。友達は要らないな。
親や兄弟が、家族でも友達でも
知り合いでも無くなるくらい付き合いも何も無くなる。
疎遠という言葉は、なかなか重く悲しい。
「夫は他人以上に他人で結婚以来、腹割って話したことなんかない、そんなことをしていたら同じ財布で生きて来れない」
そんなもんでしょうね。
夫の側も「あいつが何を考えているのか分からない、言う通りにしてきただけ」と。
その子供すら言います。
「オヤジは他人より他人だった」
私にとってママ友って害悪以外の何物でもないないですね、過去の記憶では。
知り合いで十分
近所で顔を知ってるだけでもいざという時結構助けてくれる
5年経ち、、10年近くなった時に出た結論は自分にとっては、ママ友は友達ではなかった。
子供の友達のママに助けてもらってただけ。
楽しい時間を共有しただけ、だった。
地域の社会活動に参加しているので知り合いは沢山いる方だと思います。
でも、友達ではないんだなぁ、、
これを勘違いせず、自ら気づいていることが大切だと悟りました。
コロナ禍で、原点回帰することにし、家族と向き合って生きていくことに注力しています。
向こうは、多数の知り合いがいるので私なんかそのうちの一人だと。
でも彼女は極度の人見知りなのでこちらから近付けば、すごく親身になってくれる。
でも、やはり距離感を間違えそうで怖いのが事実。
子供の成長と共に何かしら、嫉妬や価値観の違いやら出てくるから。
ママ友の世界って特殊だから相当コミュ力ないと無理。
特に子供が同性だと、余計に。
お互い探り合いで悲しくなりますね。
そう、家族が1番大事ですね。
昔は毎週でも毎日でも相手の都合に気を使わず遊んでたけど、大人になり就職して家庭を持てば、そうそう会おうとはならなくなる。
Facebookで友達1000人=友人いっぱいいます!なのか、本当に悩んだときに本心をさらけ出して話せる相手がいる=友人、なのか。
人と関わりがなくても生きていける時代だけど、より人生を充実したもの、心を豊かにさせるものとして、なんでも話せる友人は一人くらい欲しいものですね。
だけど人と関係を構築していくことは結構しんどいので、つい一人でいる気楽さを選んでしまう。そしてそれを肯定している自分がいる。
めちゃくちゃ焦ったが
結局、仕事はともかく友人関係は特に支障が無いまま現在に至る
友達だと思ってたのはただの知り合いだった、と気付いた
(逆に、向こうもそう思ったはず)
子供の頃集団無視受けて以来人間不信で深い関わりは持たないようにしてる。
大人になって努力してみたこともあるけど一時仲良くても結局うまくいかない。
歳食って面倒にもなってきたからもう作る気もない。
行きたい場所は一人で行くし時々寂しいけど一人の方が気楽でいい。
特に女性の場合は結婚出産組と独身組。
女性は基本、噂話や自慢話が多くて、聞いていて疲れる。話してても「私も○○で…」と自分の話に持ってかれる。
結局煩わしさか孤独の選択になってくる。
ひとりで行動するのが苦にならないので基本的に友達がいなくてもなんとかなるけど、たまにふと自分を曝け出せ何でも話せる親友という存在が欲しくなる。
でもこのコロナ禍ではおひとり様の方が感染リスクが低いからひとり行動が得意でよかったなと思う。
1人はいるかな。
2年前までは100人以上はいて特に仲良くしてた友達は…10人ぐらいいた。
でもある日携帯を変えるついでに番号も変えて引っ越しもした(笑)
登録してる番号は家族のみにして。
これが凄く心地よい。
友達はみんなイイ人だったけど私は人に合わせるタイプだから結局疲れてた自分がいて…。
友達には時間もお金も使ってきた。
困ってる友達がいたらどうしても助けたい!!とか思っちゃうし。
イイ人ぶってるわけじゃないけど結局それで自分が疲れてるのであれば本意じゃないのかな…と思ってね。
これからは自分に時間を使おう!と思って2年目。
なにこれ…ってぐらい心地よい。
心に残っていて
友達わーい、一緒に楽しもー、これやロー、あつまろー。これいいでしょーって事が乗り気じゃない、それを見てるのも辛い、見ないようにしてるのに見える、巻き込まないでくれと心の中でストレスに感じている人は一定数いるわけで
でも人生順調の好機の人はみんな同じでショー、と、なる
暗いものは見ないようにきずかないようにしないとパリピになるのは難しい
友達って言うのは多ければ多いほど気を使ったり、気にかけたりすることは難しくなる
最近そんなことをよく考えます。
わたしのことを親友だと思ってる人もいないと思う。遊んだり飲みに行ったりする友だちはいるけど、気を使わずに何でも話せる、いわゆる親友はいないなぁ。
てか親友の定義ってなんなんだろ?
楽しいフリするのしんどい。ムリしたくない。約束したはいいものの、その日が近づくとすごく面倒くさくなる。その場のノリに合わせてるだけで本当は楽しくない。
そういうの全部とっぱらって、ありのままの自分でいられるのが親友なんだと思ってるけど、そう考えるとやっぱりわたしには親友は1人もいないわ。
歳行くとますます頑固者になる。
孤独と言うのは、自分が選ぶもので 他人は選べない。
なんともさみしい時代に突入してる。
それも、日本独特の孤独だ。
おひとりさまが流行り出した頃から 孤独の質が、変わったような気がする。
人って軽い気持ちでひどいことを言ったり勝手なイメージでものを言うから。
なんでそんなに皆勝ちたがるのかな、と思う。
そういうことをしない、ごく僅かな人が友達。
友達いない自分ヤバい、辛いと思ってたから。
ホントだよなぁ、自分の事なんて自分にしか分からない。他人と気持ちが通じたり分かち合えるのも楽しいけど、それってずっとは続かない。日々変わっていく。
自分との付き合いは死ぬまで続く。
自分が心地良く生きられるように過ごしたい。
考えは又変わるかもしれないけど、今はこれでいいか。
本当にその通りなんだけど、ちゃんと自分を好きになること
本でも映画でもいろんな媒体を通して自分の好みや考えを知ることがいかに大事な行為だったのかは年を取れば取るほど思う。
人は、とても楽しい存在だが人の数程その人の考え方も違い不必要なコンプレックスを植え付けられたり足を引っ張る存在にもなる。
自己肯定感を高めて人を考えを選びとる力を鍛えることは大事だったと友達ができにくくなったこの年だからこそ痛感している。
その逆に、育った環境が冷ややかで親も信頼、信用出来ない辛い環境で育った人は大人になっても人を信頼出来なかったり汚い部分がクローズアップされ奥を見てしまう、見えてしまう感覚を持ってるから中々人を信用できず腹を割って話せなかったり、所詮人間なんて…と言う思いがある人多いのでは?
結局心底信じれるのは自分だけだと!
大勢の中にいて偽りな自分で楽しくなく疲れるなら1人が楽だと、1人が良いと。
自分と合う、心から信頼できる人を常にどこかで探してたりもする?友達が要らない訳でなく、ホントは1人、2人はほしいのでは?
お互い、たまにで良いから2、3人でゆっくり酒を飲みながら語らいあう仲間は大事にしていこうと思います。
でも近年、人と会うと楽しいけど、終わって帰ってくるとホッとすることが増えた。
予定を入れる頻度が減った。
そしてこのコロナ禍で、そういうお付き合いもほぼなくなり、一抹の寂しさはあるけれど、心底気楽な自分がいる。
家族円満だから、それでいいかな。
いつも会ったり話したりしてたけど
コッチから声掛けるのに疲れたらそれっきりになって
その時に学んだよ
自分は中心になれないって事を
そう考えると、友達じゃなく知り合いレベルな気がする。
たまに会って、細く長く付き合って、気付いたら大切な友達だったっていうのでもいいのかな。
コメント