【東日本大震災にまつわる不思議体験】あれから9年「亡き妻から届いた言葉」遺族の心を癒す非科学的な現象

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2011年3月11日に発生した東日本大震災。
その死者・行方不明者は、1万9千人以上に及んだ。
あれから9年。未曾有の大震災で突然大切な人を失った人々の心を、絶望の淵から救ったものは何だったのか。
そこには、これまで語られることがなかった数々の「不思議な体験」があったと、ノンフィクション作家の奥野修司氏は語る。

同氏は被災地に何度も足を運び、遺族たちの噴き出す思いを取材。
不思議な体験に耳を傾け、遺族たちの奇跡と再生を記録した。
その記録をまとめた『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』から、奥野さんが聞き取ったAさんの例を紹介しよう。(以下引用は同書より)

津波により妻と幼い娘を失ったAさん


Aさんは妻と2歳にもみたない次女を失った。
2人が発見されたのは、津波から2週間経ったころだった。

「2週間もあの冷たい中に晒されていたのかと思うと、しばらく風呂には入れませんでした。自分だけ温かいお風呂につかるなんて、妻や娘に、ほんとに申し訳ないと思ったのです」

Aさんの家の仏壇には大小2つの骨壺が並んでいる。
子供を失った遺族には、冷たい墓の下に置きたくないと、納骨をしていない人も多いという。

「納骨しないと成仏(じょうぶつ)しないと言われますが、成仏してどっかに行っちゃうんだったら、成仏しない方がいい。そばにいて、いつも出て来てほしいんです」

Aさんに不思議な出来事があったのは、2人を火葬することができた日の夜だった。



Aさんが見つけた生きる希望

「夜中に目が醒めると目の前に2人がいたんです。ああ、妻と娘が逢いに来てくれたんだと、泣いて手を伸ばしたら目が醒めたんです」

Aさんは、愛する妻と娘を同時に失い絶望のどん底にいた。

「私にとって何が希望かといえば、自分が死んだときに妻や娘に逢えるということだけです。それには魂があってほしい。暗闇の向こうに光があるとすれば、魂があってこそ逢えると思うのです。それがなかったら、何を目標に生きていけばいいのですか」

Aさんのこれからの生きる希望は、自身が死んだときに2人に逢えることだという。



夢の中に現れる妻と娘

亡くなった妻と婚約指輪を交わした結納の日の晩にも、夢の中に妻があらわれたのだという。

「いるかいないかわからないような真っ暗な中で、ぼんやりと輪郭(りんかく)だけが見えていました。そしてはっきりとひと言、『戻りたい』と私に言ったのです」

Aさんにとって夢は、生きていく糧となっていった。

「触れ合うことも会話をすることもできないけど、夢の中だけが震災前と同じ気分に戻れるんです」
「愛する人がいない世界は想像を絶する地獄です」

とAさんは言う。
そんなAさんを慰めるかのように、妻と娘は夢にあらわれ、そして声をかける。



「待っている」

そしてある日、妻はAさんにこう告げた。

「待っている」

「『待っている』というのは、私にとっては究極の希望です。みなさんの言う希望は、この世の希望ですよね。私の希望は、自分が死んだときに最愛の妻と娘に逢えることなんです」

Aさんは続ける。

「死んだ先でも私を待っていてくれるという妻の言葉こそ、私には本当の希望なんです。いつか再会できるんだという一縷の希望が持てたからこそ生きてこれたのだと思います」




『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』筆者は幽霊を信じていない




魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』にはAさんのように「不思議な体験」をした遺族たちの告白がいくつも綴られている。
亡き兄から届いた「ありがとう」というメール。突然動き出した亡き息子の玩具。遺体の腹部から浮かび上がる青い玉――。

奥野さん自身は、ファクトを元に取材するノンフィクションライターであり、幽霊は信じていない。
それが故に、この遺族たちの体験が“ノンフィクション”として成り立つのか、どうやってそれが事実であると伝えるのか、不安に思ったこともあったという。
しかし、奥野さんは以下のように考え、執筆を決意したという。

「不思議な体験が真実かどうかはすべて語られる言葉の中にある。それを毀さないようにそっと受け取るのが僕の役割だ」(同書「旅のあとで」【あとがき】より)

あれから9年──。大切な人を亡くした人たちの心の復興は、これからも時間をかけてゆっくりとゆっくりと進んでいく。

魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く (新潮文庫) [ 奥野 修司 ]

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参照元 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200311-00612354-shincho-soci&p=1

みなさんの声

名無しさん
「科学的な現実」ではなく、「目で見て耳で聞いて心で感じた事による現実」もあるのだろう。
ただ「そういうこと」として話を聞けば良い。
名無しさん
凄く良いこと言いますね。
胸に刺さりました。
名無しさん
「目で見て耳で聞いて心で感じた現実」こそが「真実」だと私は考えています。
100人いれば100通りの「真実」があり、そしてその真実にまつわる100編の「物語」があります。
この本に書かれているお話も、そんな「真実の物語」ではないでしょうか?
名無しさん
真実は体験した人の中にあると思う。仮にたとえ科学で別の説明が出来たとしても、それはそれだと思う。
名無しさん
出版当時に読みました
私自身は全く見えないタイプですけどある種の視力の良い人には見える人もいるのだと思います
それが辛い経験をした方の生きる希望になるならその方々が生を全うするまで見続けていければいいですね


名無しさん
自分も見えないし信じないけど信じて希望を持ってる人を否定はしない。
名無しさん
父が亡くなった時も母が亡くなった時も、共に不思議な体験をしました。人に言っても理解してもらえなかったけど、私の中では「お別れの挨拶」だった、と今でも信じてます。
名無しさん
私も信じます。
私はいわゆる「霊感」といわれる物が少しあり、逆に夫はまったく無い人間なのですが二人同時に体験したり、夫だけ体験した時もあるのでそういう事もあるのかなと…。
目に見え、科学的証明がつく事だけがこの世のすべてでは無いのだなあと、なんだかちょっと嬉しい気持ちになりました。
名無しさん
私も何度か不思議な体験をしました︎
私は信じます︎
名無しさん
私は両親を1年の内に二人、亡くしました。
亡くなって3年が経ちますが夢にも出てきません。
逢いたくても逢えない寂しさを痛感しています。
私は夢のなかでも良いから両親に逢いたいと思っています。
星林檎
生き方は心のまま、本人が自由に選んでゆくべきだ。
「さっさと再婚してまた幸せになればいいのに」なんて心無い言葉を吐く者もいるが、そういう現世での刹那的な幸福しか認められない人間はいざ自分が死に行く時の絶望や苦痛に相当苦労するだろう。
その分、このような人々は誰よりも幸福にその時を迎えられるのかもしれない。


名無しさん
まったく、そのとおり!それがワカラン人が多い。
名無しさん
最近、言葉や常識では説明のつかない事は本当にあるし、信じたい人は信じていいと思うようになりました。
名無しさん
死ぬと言うことは、俗世のしがらみや執着から自由になる事で、死んだ本人よりも、残された人の方がよっぽどダメージが大きいと思う。
お葬式やそういう行事や、宗教的コミュニティが段階的に亡くなった人を成仏させるというのは、残された人達の傷付いた魂を成仏させる為なのだとも思う。
亡くなった奥さんや娘さんは、苦しみが無い世界で幸福感に包まれていると感じられるようになるとイイですね。
止まった時間から立ち上がり、自分の人生を歩めるように。
名無しさん
「機械に魂はあるのか?」という実験でなんかの機械(確か時計)が寿命を迎えた瞬間 ほんのわずか重量が軽くなり「機械にも魂がある」と証明されたという記事を見たことがある。
化学でも不思議なことは起きるんだから、現実で見たり聞いたりする人がいてとおかしくないのかもしれない。
そういう自分は不思議なこととか霊の概念とかわりかし信じている方ではありますが、何も見えたことがありませんw
名無しさん
この記事を読んでいる人の中に例えば紫外線、赤外線が見える人は多分いないだろう。
数百年前は紫外線や赤外線の事など理解されなかったが現在は自分に見えないからと言って紫外線や赤外線など存在しないと言う人もいないし言えば窘められるだろう。
自分に霊魂は見えないし死者の声は聴こえないけどないと断言するのもあると断言するのも同じ様に乱暴だと思う。
名無しさん
いいと思います
科学的に説明出来ない事でも、他人には理解し難い事でも
当事者が何かしらの希望が持てて糧に出来ているのが素晴らしい


名無しさん
私も大切な人を18年前に亡くしました。
思い描いていた未来がやってくることはないという絶望感を味わいました。
死にたいという気持ちが、そのうち死んだら会えるに変わり、大切な人が出来、だんだんと生きたい気持ちに変化していき罪悪感に悩んだこともあります。
月日が経っても忘れた日は1日もありませんが今は幸せに暮らしています。
震災で大切な人を失った人々にも心穏やかな日々が過ごせるように心から願っています。
まま
目で見た事、耳で聞いたこと
感じたことは全て現実
良しとすれば、夢もまた現実
名無しさん
胸が痛いですね。
このコメントを打つことさえもためらってしまいます。
あの日、あのときに、最愛の大切なものを失って絶望を味わい、地獄のような日を送った、送っている人が、自分と同じように、自分にはなんてことない当たり前の時間の今のこのときを過ごしているんですね。
今を大切に、生きていきます。
名無しさん
Aさんの悲しみは計り知れず、死んで妻と次女に会えるのが人生の希望、目標というのは正直なお気持ちかと思います。
が、長女としては複雑かもしれませんね。
父親の究極の希望が、死んでしまった母親と妹に死んで会えることというのはね…。
ご本人には伏せているのかもしれません。わかりませんが。
名無しさん
いろんな思いや希望・願望が重なりそういう事が起きるのですかね。
夢でも会いたい人に会えるのはとても嬉しいでしょうね。
羨ましいですね。
自分は念じた事ありますが現れなかったです。
名無しさん
だいじょうぶ、必ずまた会えますよ。奥さまとお嬢さんもあちらで再会を楽しみに待っててくれてます。


名無しさん
勝手にこのご家族の気持ちを代弁しているかのようなコメントがあるが、なんと無意味なことか。
この記事に書かれていることは彼らの生活のほんのごく僅かな断片でしかなく、当事者の気持ちは当事者にしかわからない。
ABC
辛いのは分かるけど…。
けど、生きている上のお子さんの気持ち考えたら、そんな事言えないと思うんだけど…。
ちょっと、自己中だと思う。
残されたお子さんだって、辛いのは一緒なんだから。
名無しさん
証明など必要ない
否定する人はすればいいし、それで元気を貰えて頑張ってる人もたくさんいる
へえそうなんだで済む話
名無しさん
ま、結論から言っちゃえば夢や幻覚なんだけど、それは愛する人々を喪失した悲しみから来るものなんで、それはそれで尊重しなければなりませんね。
名無しさん
実際は、化学、科学、歴史、数学、言語等は思っているより堅固なものではなく、砂粒を宇宙の中で一生懸命集めてみている様な、未だガタガタなものです。
感じたナニカや見たナニカを、幻想や幻覚、夢で片付けるよりは、エネルギーの様な地場の引きの様なモノが確かにあり、今後それが数字的に、言語的に、化学的、科学的に解明されていくのではないかと思う方が、そのナニカを見ないふりして切り捨てるより現実的なのかなと、思います。
名無しさん
お母さんと娘さん。そっくりですね‥
当事者の旦那さんにしか、分からない苦悩と辛さ。また夢でお逢いできるよとよいですね


名無しさん
横でテレビを観ている妻。いつも側に居る。「愛する人がいない世界は想像を絶する地獄です」私は耐えられない。
名無しさん
こういうことは本当にあると思います。
あると信じます。
名無しさん
心の復興はまだまだだなと思った。
名無しさん
涙が止まらなくなりました。死ぬことを希望に生きるってどれだけ辛いだろう。
名無しさん
会えますよ。きっと。
名無しさん
科学で人の心は解明出来ない。


名無しさん
震災当時は妻・母親を亡くしても遺族年金が出なかった。
法改正されたが、法改正後に亡くなった女性の遺族が対象だから、震災で父子家庭になった世帯はいまだ貧困に喘いでいることを忘れてはならない。
名無しさん
在宅難民が多いのが事実…
とくにお歳を召した方は日々の生活がままならず…
家を修理できず、持病があっても薬買えず…
地元の方々が協力しお弁当や日用品を運んでますが…
それでも足りないって知りました…
また、未だにトラウマから抜け出せず苦しんでる方も…
こういう方々が居ることも忘れてはならないですよね…。
名無しさん
切なすぎて、涙がこぼれてしまいました。
Earth
戻りたい、待っている、と言っていた。
夢の中で聞いた言葉は、自分の願望、想像、ご都合主義が生み出した幻想ですよ。
名無しさん
↑あなたの胸にあるのは何?心臓だけではなく心もある。心臓と心では、多くは心を取ると思う。心は幻想でしょうか。幻想を作り出すのも心。よって幻想も心も幻想ではない、実在するもの。あんまり辛い人に余計辛くなること言っちゃだめよん
Earth
あ、神仏を信仰、敬っている人は別です。


Earth
仏さんを供養して墓に入れるというのは、死んだ人間と生きている人間が別の世界に隔てられたという、一種の気持ちの整理の役割もあるんですね。今、わかりました。魂を信じたいのに遺骨を手放せない物質主義も矛盾していますね。まあ、人間は矛盾だらけの生き物ですね。
物質的にも精神的にも自分と切り離すのが生者にも仏さんにも1番良いのですがね。まあ、日本人て、かわいそーかわいそーと、しみったれたのが好きだよね。
Earth
神仏も信じないくせに都合の良い時だけ霊が云々言う日本人のご都合主義が嫌いなんです。
自称無神論者なら、中途半端な幻想にしがみついていないで現実を見ろ!
Earth
ゴーストを信じる(信じたい)なら、あまり執着しないであげること。生きているもんの執着が強すぎると、霊が迷うか、時には生きとるもんがあっちの世界へ連れて行かれる。とゆーよーな伝記はいくつか読んだよ。
名無しさん
肉眼で魂は視えないが、夢の中にいる時は、魂はあの世に行っているので、亡くなった人と再会している。
しかし、起きた時には、残念ながらその時の記憶を忘れてしまう。
この人は、忘れずに済んでいるだけ。
最愛の人を二人も失ったので、神様が記憶を残してくれたとしか思えない。
ブースカぷん
量子力学の世界で、あの世の存在が証明されるかもしれない。詳しくはリサランドールの「ワープする宇宙」を読んでみて欲しい。私たちの住むこの世はバスルームのシャワーカーテンに張り付いた水滴のようなもの。死ぬと魂が水蒸気のように空中に放たれ、5次元の世界に向かうらしい。
医師が臨死体験を書いた「プルーフオブヘヴン」もおススメ。
名無しさん
亡くなられたのは奥様と次女。ってことは長女が生き残ったってこと?
それで死ぬことが希望とか言っちゃう?
私が長女だったらこんなお父さん嫌だ。


名無しさん
残された長女が可哀相だわ
辛いのは分かるけど生き残った長女のことを気にもかけず死んだ嫁と次女のことばっかりとか
長女が何かしら反抗したら絶対「お前が代わりに死ねばよかったんだ!」って言うと思うよ
名無しさん
たぶんお母さんと妹を亡くしつらい経験わされたこの長女の方は、話しのある部分だけを聞いて、なんて父親だ!と思うほど狭い視野ではないと思います。
名無しさん
そうだといいですね
私は他人だから書いてある部分から感じたことを無責任に書いてしまってますけど、長女さんにとっては唯一の肉親でしょうしいいお父さんなのかもしれませんしね

管理人の率直な感想

僕は宗教も神様も信じていませんが、こういった不思議な体験は信じているという実に都合のいい人間です。
科学で説明できないことは確実にある。
そんな僕をぶった切るようなコメントもありましたが、こういう人間もいるのです。仕方ない。

文字通り『人知を超えた事象』に対し、科学という名の人知で図ろうとするのがナンセンスな気がしますし、この筆者のように幽霊は信じていないけどノンフィクションライターだから記すという人がいてもいいでしょう。
いや、そういう人がもっと必要なんです。

震災に関する不思議な体験は、東日本大震災に限らず多く語られています。
当然、怖い話も。
僕もいくつか知っていますが、不謹慎なので書くのは控えます。

今回の話を見てどう感じるかはあなた次第です。

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