ライターのメリッサ・ブレークさんは、ニュースサイトに記事を投稿したことをきっかけに、ネット上で「醜すぎるから自分の写真を投稿するな」という嫌がらせを受けました。
それに対して彼女は、Twitterで自分の写真を投稿することで反撃。そのツイートが拡散して大きな反響を呼びました。
拡散したことで、「ずっと待ち望んでいた会話がスタート」したというブレークさん。彼女の反撃は私たちの社会にどんな意味を持つものでしょうか。また、彼女が望んでいた会話とはなんだったのでしょうか。
ブレークさんが気持ちを綴りました。
始まりはYouTubeのコメント欄に残された心無い言葉
「メリッサ・ブレークは、自分の写真を投稿するのを禁止すべきだ」
ある日の午後、私はネット上でこのコメントを見つけました。YouTubeのコメント欄に残された言葉です。
とても短い言葉だけれど、私に強力なパンチをくらわせました。思わず顔をしかめました。
だけど私は、みなさんが思っているほど苦々しい顔をしていなかったかもしれません。この言葉は私を傷つけたかって?もちろん傷つけました。コメントに驚いた?いいえ、ちっとも。残念だけれど、こんなことを言われるだろうなとある程度予想はしていましたから。
自己紹介
私、メリッサ・ブレークはフリーランスのライターでブロガーです。自分の人生や体の障がい、そして女性問題について幅広く執筆しています。
私の体について言えば、私の見た目は周りの人を戸惑わせるんじゃないかなと思います。その体のことを38年包み隠さずに綴ってきましたが、その結果、私の書いたものは私の体と同じように長年に渡りたくさんの人たちを戸惑わせてきました。
しかし私はこの世界で生きてきて(それは、私のような障がいのある人たちのためには作られていない世界です。アメリカに住んでいる女性のうち4人に1人は障がいを持っていると言われているんですが)、私たちの社会は障がいについてまだ十分に話せていないと思っています。
それに、障がいについて話す時には、ステレオタイプや誤解が溢れているケースが多すぎるとも思います。わかってもらえるのではないでしょうか。「 障がいのある人は一日中家の中で暮らしていて、外の世界に対して扉を閉ざしているものだ」という時代遅れの考えがまだまだ共有されています。その想像の中では、膝に毛布をかけているかもしれません。
考えるだけで、腹が立つ光景だと思いませんか?
だけど先ほども言ったように、それはありふれたことなんです。
見た目に対する攻撃であふれていた
私は8月に、「全員でトランプのTwitterをフォローするのをやめてはどうだろうか」という記事をCNNに寄稿しました。それを見た保守的なユーチューバーが、動画で私のことを話しました。するとその動画のコメント欄は、私の見た目に対する攻撃であふれました。
私の記事についての思慮深い批評や、寄稿の内容に触れたコメントはなし。みんなが、私の見た目を攻撃し馬鹿にしました。
控えめに言って、私はおおいにやる気を刺激されました。あまりにも刺激されたので、挑戦的なツイートを投稿したのです。
コメントにはこう書きました。
「私があまりに醜いから自分の写真を投稿するのを禁止すべきだ、とネット上でたくさんの人がコメントしました。それを祝うために、3枚の写真を投稿します」
障害のある自分「フリーマン-シェルドン症候群」
障がいのある私は、他の人と見た目が違います。もちろん私自身は、そのことを生まれてから今までよく理解しています。
私には、生まれつきフリーマン-シェルドン症候群があります。遺伝的な骨と筋肉の障がいで、この障がいを自分で受け入れるまでに何年もかかりました。
子どものころの最大の敵は鏡。車椅子に座る自分や変形した手を見て、「もしかしたら、私は醜いのかもしれないな」と思うこともありました。
体の傷のほとんどは、服の下に隠れているのですが、隠れていようがいまいが関係ありません。私は、傷の一つ一つを感じることができるのですから(手術を26回したので、体にはたくさんの傷があります)。
時々、実は他の人たちもその傷に気づいているんじゃ、と感じる時もあります。そしてこの傷のことを知ったら、周りの人たちはきっと嫌悪感を覚えるだろうという確信もありました。私自身が10代の頃に、そう感じていましたから。
社会が定義する美とは
私たちの社会が定義する美は、とても狭い。広告からInstagramフィードに至るまで、 達成不可能な理想であふれています。
可愛いのがいい。可愛い方が受け入れられる。可愛いのが完璧。
もしそれから、ほんの少しだけでも外れてしまったら?それは、「受け入れらない」になってしまうのです。そして、障がいはその中に含まれています。
例えば、子どもの時に見ていたディズニー映画に出てくるホームレスはどう描かれているでしょうか?その一方でお姫様、例えば「リトル・マーメイド」ではアリエルが美しく描かれ、ウルスラが醜い悪役です。ライオンキングでは、文字通りスカー(傷という意味)という名前のライオンが悪役になっていますよね。
実際、外見が周りと大きく違うということは、醜いの同義語のようになっています。YouTubeの私に対するコメントをリアルタイムで見て、そのことをひしひしと感じました。
私がどれだけ醜く外見が損なわれているか、ということが山ほど書き込まれました。中には、私が自分の見た目を受け入れるのに苦しんでいるとか、社会で受け入れられている“美しさ”とは何か、ということを書いた人もいました。こういったコメントが、私をはねつけ、障がいが私は価値がないというのです。
だけど私のツイートは、本人も驚くほど拡散しました。2週間で30万を超えるいいね!に30万を超えるリツイート!
メディアからのインタビューが殺到
グッドモーニングアメリカやピープル、BBC、MSN、CBS、シカゴトリビューンなど、メディアからのインタビューが殺到しました。ジョージ・タケイやジャミーラ・ジャミール、Blink182のマーク・ホッパスらセレブもシェアしてくれました。
この一つのツイートで、私は自分の美しさを知りました。人生で初めて、私は自分に価値があると感じられたのです。鏡で自分の見た目を分析していた時代からずっと探し続けていた「自信」。それを280以下の文字で、とうとう手にすることができたのです。
もちろん美人コンテストで優勝したわけではないし、これから先美人コンテストで勝つことはないでしょう。ファッション雑誌の表紙を飾ることもね。だけどそれは、私が醜いということを意味しているわけではありません
そしてツイートは、ネットで私を攻撃してきた人への反撃になっただけでなく(正直、反撃は気持ちいいのですが)、障がいと美しさを一つにするという大きなことを成し遂げました。障がいと美しさが同時に成り立ち、障がいは美しくなりうる。それをツイートは世界に証明しました。
自分が美しいとどうやって感じることができるか
ツイートした後の2週間は、いい意味で非現実的で、慌ただしい日々でした。自分のツイートが、こんなに拡散するなんて思ってもいなかったけれど、結果的に拡散してよかったと思います。
拡散したことで、ずっと待ち望んでいた会話がスタートしたからです。それは、私には障害があり、障がいのある人が自分の美しさを祝ってもいいんだということです。
私を「自撮り写真を投稿するには醜すぎる」と思っている人もまだいるでしょう。それでは、障がいのある人たちはどうやって自分の体を好きになれるのでしょう?さらに言えば、自分が美しいとどうやって感じることができるのでしょうか?
そして、それをできるのは誰でしょうか?
それを、私はできます。私はこれからもずっと続けます(そのために#MyBestSelfie(私の一番の自撮り)というハッシュタグをはじめました)。
これは私の反抗で、世界への生意気なメッセージです。
私の体がパーフェクトになることはないでしょう。だけど私の体はリアル。そして私にとっては、リアルこそが美なのです。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191205-00010002-huffpost-int
ネットの声
彼女の勝ちだね。人の見た目、つまり人種や性別、あと年齢なんかで人を攻撃してくるっていうのはもうその時点でそいつの負けだと思ってる。
それ以外何もいうことないんだよ。
世の中の外見を気にする人の多くの励みとなったでしょう。
素晴らしい方です。
だから、いばることでも嘆くことでもない。
でも、表情は自分の責任。
素敵な表情なさってる。
たまに芸能人、一般人に自撮りツイートをたまにお見受けしますが
それを見てる側はどうしたらいいのか
ガン見してからスクロールしてます。
アイコンを自撮りにすればいいと思います。また、海外の政治的発言が多いのにはびっくりします。人口と国土面積、宗教の違いが大きいからでしょうか。
持って生まれたもの、自分が選択しなかったものを攻撃するのは、人として最も卑しく愚かなこと。
大体、外見に重きを置き過ぎる。魅力的な外見や好感度の高い見た目が好きくらいの感覚ならまだしも、金太郎飴みたいに同じ形にするため、健康な歯を引っこ抜いて入れ歯にして、骨削ってトンガリアゴにして、スナフキンか宇宙人みたいな目にして、額から鼻生やして、塗り壁みたいに白い顔にして、しない天然顔を不完全なブス呼ばわりって、最近の世の中は狂気の沙汰。
彼女の容姿をけなした人達だって完璧な容姿ではないはずですし、その上更に心が醜い人達だと思います。
誰もが心の醜い人達の言葉に惑わされない、そんな振る舞いが出来る様になるといいなと思います。
色々とアドバンテージあるだろうなって思うけど。
顔かたちの美貌は、虚しい。
時とともに必ず失われる。
うわべのチヤホヤは表面的な美しさに流されるけど、
真実の共感や信頼や尊敬、愛情は、精神的な輝きを持っていなければ、得られないと思う。
中身の攻撃したら負けるのだけは知ってんだよ。
その中身を見るべきだし、見れない・解らない・解ろうとしない人は、他人を評価すべきじゃないと思うよ。
現に障害が無くても見たくないユーチューバー多いよ。けれど見てもらう自由もある。中国以外は。
誰にも迷惑かけてないんだから。
全くさ、こういうこと言ってる奴の容姿見てみたいわ、よっぽど容姿に自信あるみたいだしね!
人が繋がりすぎるのもこれもまた弊害だな。
何か楽しげでもあるな
容姿で人生決まらない…
SNSも水ものてす。
ずっと流行ものやってる人はアレですけど…
どっちでもいい。
外見やたった一枚の画像で評価するような世界に、そもそも近づきたくもないわ。
応援します。
頑張れ
この醜い世界が貴女のような美しい方で溢れる事を願います。
私は素敵だと思う
うらやましい
ほんとに素敵な女性ですね。
おとぎばなしに出てくる優しいおばさんみたい
見ちゃったじゃないか。
なんか可愛い。
なんかかわいい。
もっと暗くて怖い顔の人いるじゃん?
それからしたら随分愛嬌があるよね
私は見た目が悪いから,離れて写します
私からしたら、そう思わないけど。
自分の思い通りの世界を作りたいって願望を持ってるんだろうけど、そこまでの力も知恵も持ってない。
手近なところでSNSで「お前よりは上だぞ。」って言って満足する。
口汚く罵る輩ほど、孤独なんだなって思う。
日本人は?黙っている人が多いかもしれません。もちろんそうじゃない人もいるでしょう。
何人がエライいとか、ステレオタイプの偏った話をしたいわけではありません。でも一つ思いこみをしている人に言いたい。外国でいじめられたり、孤独になる人は自分で行動を起こします。自分の足で立つ。だから欧米社会は民主主義や人権を大事にする。逆にいえば、それくらいまだ日本は平和ということです。
日本的な文化もわかります。でも基本は自立です。個別具体的な事案はわかりません。ただ一般論として、人は自立しなければいけない。人の助けを待ち人権だけを叫ぶ、これだけは違う。そのことを伝えたいです。
若さ故に未来の自分の首が絞められていることに気付かない。
自分の常識を押し付ける人ほど人を傷つけるものはないよね
この書き込みをした人の方がメリッサさんより酷い顔をして載せてたでしょうに
誰もがいずれ病気になり、年を取るごとに体の自由がきかなくなり、そして最後は死ぬ。
例外は誰一人いない。
どうであれこういう恣意的な扇動はどうなんすか?
堂々と意見戦わせるべきですよ。
ズボラでみっともない格好をしている人にならまだしも、きちんとしてる人をとやかく言うべきではない。
けつの穴まで見せてやれ
「日本は文明途上国。障害者への差別が根強く残っている。」
そういう書き込みを何度か見たことあるんだけど、アメリカの方が酷いんじゃない?
スルーが一番。
指人形みたいでかわいいじゃないか
称賛してる人たちってさ、ほんとに容姿で人見ないの?
ネット上って両極端でさ、酷い書き込みか偽善レベルの書き込み
でも結局さ現実世界での本音を包み隠してネットだからと綺麗事だけ言う層ってネットだからと酷い事言う層と紙一重の存在だよね
嫌なもんは嫌でしょ
迫害や暴力はダメだけど自分の主義や好みまで偽善で隠さないといけない世界もそれはそれで生きにくいな
そういった人たちの方が醜いやろ!!
分別ってものをわきまえるべきだな。
何でもかんでも許容するのが左翼の得意技だがそれで社会が良くなった試しがないからな。
容姿についてしかコメントできないバカを相手にしないでいいのにとも思った。
この人は知性があるのに他人のくだらない悪口に反応してしまった。
この人はこの人で歩調を乱さなきゃいいのにな〜。
可愛いと勘違いしている不細工のほうがたち悪いからな
スマートに相手を負かした弁舌は天晴れですね。
人の容姿といったどうしようもないことを揶揄する人っておバカばかりだから彼女が勝つのも無理はない気もしますが、容姿いじりは本当にはたから見ても気分の悪いものです。
これは、醜いとは何か?美しいとは何か?に関する哲学です。口汚く『お前は醜い』と罵る人間は、周囲から美しく見えますか?『お前は醜い』と言われても毅然と凛々しく、醜い、美しいの判断を他人に委ねることなく、自分で決める。その様な生き方をしている人間が、周囲から醜くく見えますか?
醜とは何か?美しいとは何か?
自分が、『これが美しい』と決めたんなら、誰が何と言っても『美しい』なんですよ。
これはライフスタイルの話です。
堀ちえみのブログで訴えられた主婦は罪悪感の微塵もない。
[なぜ私だけ?]って思ってた見たいだった。
結局、面と向かっては言わないから余計に悪質な言葉を投げるんだ。
知らない人に面と向かって「醜いから写真あげるな!」なんて常識的な人なら絶対に言わない。
管理人の率直な感想
酷な話ですが、小学校低学年から中学年くらいまでは見た目をバカにすることはありますよね。
高学年くらいからなくなってくる。
僕の学校ではそうでした。
それからは、異性の見た目に関しては「恋愛対象にはならないけど、いい奴」だとか。
逆に「可愛いけど付き合うのはキツイ」だとか。
「別に何も」だとか。
僕が懺悔したいことといえば、太ってる同級生に対して「お前は力士になるべきだ」と言ったことですね。
「モテたい」なんて言い出したんで、力士しかないだろうと思って・・・。
ごめんね、Mくん。
ネット上では日々いろんな声が飛び交っていて、中には心無いものも盛り沢山。
見た目に限らず、タレントの一挙手一投足に対して攻撃する人がいる。
手作り弁当の中身がどうだとか、あとは何ですか?とにかく叩く人たちがいる。
と言っている僕も、犯罪者に対しては非難します。
理由は簡単で『やってはいけないことをやったから』です。
さて、メリッサ・ブレークさんですが、何かいけないことでもしたんでしょうか。
NOですよね。
なぜ攻撃する必要があるのかさっぱりです。
「自撮り写真を投稿するには醜すぎる」
そんなもん人の勝手でしょう。
自撮りをしようがしまいが。
醜かろうが美人だろうが。
「私の体はリアル。そして私にとってはリアルこそが美」との言葉で締めくくられています。
僕が同じ立場で同じように攻撃されたら、ブレークさんと同じように自撮り投稿しまくるでしょう。
やってやりますよ。
だけど、「リアルこそ美」なんて答えに辿り着くことはない。絶対に。
今ここにこうやってブレークさんの言葉があって、それを見たから「そうだよな」と思いますが、何も無いところから自分でその発想まで行き着く自信は全くない。
凄い人だ。
僕が心の弱い人間だからかな。余計にそう思う。
とにかく、このブレークさんの発信を心強く感じた人は多いことでしょう。
見た目か。
あまり自撮りしてる人のこと考えたことなかったな。という僕みたいな人間も罪なのかもしれないな。
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