怒られたとき、失敗したとき、家族や友達とけんかをしたとき…さまざまな理由で「落ち込む」経験は誰しもあるものです。そうした出来事があったとき、「落ち込みやすい人」と「ほとんど落ち込まない人」がいますが、ネット上ではその違いについて、「発想パターンが違うのでは」「完璧主義なのかな」「落ち込むとなかなか立ち直れない」「落ち込まない人になりたいけど難しい」などの声や体験談があります。
「落ち込みやすい」性質と上手に向き合っていくためのコツについて、心理カウンセラーの小日向るり子さんに聞きました。
思春期までの教育が影響
Q.そもそも「落ち込む」とは、心理学的にどのような状態のことでしょうか。
小日向さん「『落ち込む』という状態は、自分にとって不快を感じたり、不利益を受けたりするといった『ネガティブなストレスが加わった際に陥る一過性の憂鬱(ゆううつ)な感情』のことをいいます」
Q.落ち込みやすい性質は、どのように形成されるのでしょうか。
小日向さん「その人に特有の認知、行動、感情などの在り方のことを『パーソナリティー』といいます。パーソナリティーが個人の性格、価値観、倫理観などを形づくる概念となりますが、これは生まれつき持った『気質』と、成育歴の中で形成された『思考の癖』が絡み合って形成されます。つまり、『落ち込みやすい』という性質も含めて、その人のパーソナリティーです。
従って、一様にこれが原因というものはありませんが、自我が形成される思春期までの主たる教育者(親や教師)からの教育は、後天的な性格形成に大きな影響を与えるといえるでしょう。例えば、ダメ出しが多い教育を受けて育った場合、自己肯定感情が低く成長することが多く、社会に出て上司などから叱責されると、『ああ、やっぱり自分はダメ人間なんだ』と深く落ち込みがちです。また逆に、褒められてばかりで叱責を知らずに育った場合、少しの叱責でひどく落ち込む性格になりやすいです。
つまり、一般社会の通念と照らし合わせて『過度な』教育を受けると、社会に出た際、刺激に対して過剰に反応する性格形成につながりやすく、それは『落ち込む』ということにおいても例外ではありません」
それぞれの特徴とメリットデメリット
Q.落ち込みやすい人/落ち込みにくい人には、それぞれどのような特徴がみられるのでしょうか。
小日向さん「人生にうれしいことや楽しいことしか起こらない人は一人もいないので、落ち込むことは万人に生じる感情です。その際に『落ち込みやすい人』と『落ち込みにくい人』を分けるのは、起こった出来事ではなく、それをその人が『どう受け止めるか』という認知の仕方の違いです。
例えば、上司から叱責を受ければ誰でも落ち込みますが、その際に『次はミスしないぞ。付箋に書いて机に貼っておこう』などとポジティブに受け止めるのか、『自分には無理だ。この会社は向いていないから辞めたい』などとネガティブに受け止めるのか、ということです。また、こうした受け止め方だけでなく、落ち込んだ後のリカバリー方法を持っているか否かということも、落ち込みの深さを分けるポイントとなります」
Q.「落ち込みやすいこと」のメリットとデメリットとは。
小日向さん「人は基本的に変化を恐れる生き物です。つまり、自分にとって不都合な感情がなければ、そこにとどまってしまうのです。不快な思いをするからこそ反省し、次はそうした思いをしないように学習し、その結果、成長するのです。そうした意味では、『落ち込みやすい』という性格は、成長へのきっかけをたくさん持つことができるというメリットがあります。
一方で、落ち込んだ状態からはい上がるにはエネルギーを要するため、落ち込みを頻繁に繰り返したり、深いところまで落ちてしまったりすると疲弊してしまいます。このような状態になると、うつ病などの精神疾患にかかりやすくなるというデメリットがあります」
「落ち込みにくい人」になれる?
Q.落ち込んだとき、できるだけ早く気持ちを回復させるためにするべき意識や行動は、どういったものでしょうか。
小日向さん「先述の通り、落ち込んだときに回復を早めるためには、自身の『認知の仕方』の修正と『リカバリー術』の確立という2つのポイントがあります。認知は、自分にとって最もポジティブな気持ちになれるものであれば、どう思っても自由です。例えば、上司に叱責された場合に『次は仕事の手順を変更してやってみよう』と具体的にやり方を変えるもよし、『あんな無能な上司、いつか見返してやる!』と口惜しい気持ちをバネにしてもよしです。
そして、もう一つのリカバリー術とは、言い換えると『趣味や気晴らしを持つ』ということです。こうしたものがあると、落ち込みが深くなる前に気持ちを立て直すことができます。運動する、飲みに行く、ゲームをするなど、嫌な気分を忘れられるものを一つだけでなく、いくつか持っておくとなおよいでしょう」
「落ち込みやすい人」からの脱却
小日向さん「落ち込みやすい人は繊細で優しく、物事を真正面から受け止める真面目な人が多いです。そのため、落ち込んだときも他人を悪く思うことができず『自分が悪いのだ』などと自分を責めてしまったり、あるいは真面目さゆえに『こんなダメ人間ではいけない、もっと頑張らなければ』と自分を追い込んだりしてしまいます。
しかし、その繊細さと優しさは、まず自分のために使うべきです。不快感情でへこんでいる心の傷を、さらに自分で深くする思考をしてしまっては自分自身がかわいそうですよね。心で誰に何を思おうと自由ですし、楽しみも他人に迷惑をかけるものでなければ何をしてもよいのです。まず、そこを念頭に置いて、自分が傷つかない認知の仕方と心地よい気分転換を見つけてほしいと思います」
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190924-00049305-otonans-life&p=1
ネットの声
誰とも話もしたくないです。
全て自分が駄目だと思いたくはないが、思ってしまう状態です。
落ち込む人は本当に真面目で、二度と同じミスをするもんかと強く心に刻める人で、実際あまりミスをしない人が多いですよね。
落ち込まない人は、自分の気持ちを楽にするのが上手だから、乗り越え方を知っていて前者よりはミスの受け止め方が甘くてミスもしやすい。
落ち込む人は、人に失敗談を吐くことで気持ちも楽になれるし、何かしら励ましの言葉ももらえて自責の念が軽くなるだろうからどんどん吐き出せば良いと思う。
身近に吐ける人が居ないなら、ツイッター等で吐露したり。
とにかく自分一人で抱え込まないで、放出するのは大事ですよね。
自分はどんな発想の癖があるのか、能力は別として、上手く行っている人はどんな発想で物事を受け止めているかを考えて、自分に良くない事が起こった時、角度を変えて見てみるのが良いと思う。
長く落ち込んでいても、そうでなくても、同じ様に時間は過ぎて行く。暫く考えたら、その後は今後良い結果に結びつくようにするにはどうしたら良いか考える時間にした方が絶対に良い。
それは「なるようにしかならない」と気づけたからです。
当たり前のことですが、長く生きてきて痛感するようになりました。
あの時も、この時も、落ち込んでもがいて苦しんだけれど、それで解決したか?と自分に問うてみると、解決した事は一つもなく、かえって自分を苦しめただけで、結局すべてなるようにしかなっていないのです。
残りの人生を少しでも楽に過ごしたいと考えるようになってからは、落ち込みかけた時には必ず「どんなに落ち込んでも解決しない。なるようにしかならない。」と言い聞かせています。そうしたら不思議と悩む事を中止できるようになりました。
この先、思い悩む事を中止できないほどの場面に直面した時のために、今は無駄に落ち込むことをやめて、パワーを蓄えておこうと思っています。
初めて働いた時から7年目の今、自分でもどうしようもなくなって助けて欲しい思いで病院に行ったらうつと言われた。
それでも怠けてると思われたくないと無理をして働いたたが、会社に行けなくなった。
強制的に診断書を出されて休む事になった。
疎遠になっていた親父に相談したら、うつになるならないは紙一重。
勤労の義務、納税の義務を果たしているのだからそれでいいじゃないかとアドバイスをもらえた。
難しいかもしれないが、いい方向に考え方を変えていきたいと今は思っている。
落ち込んでいても始まらない。
次はミスしないように意識する。
そして深くは考えない。難しい。
いいことがあってもそれを素直に喜べない。
自分のアイデンティティが崩れてく感覚は苦痛ですよね。
何事にもバランスが大事だと思う。
記事にもあるが落ち込むことで成長が見込める場合もあるし、落ち込みすぎると鬱になってしまう。
いかに自分で感情をコントロールできるかだと思うけど、難しいですね….。
わたし自身の受け止め方も気をつければ良かったのですが、怒られてばかりだとそんな思考にもなれませんでした。
親から離れて暮らすようになると、否定されることも減ったし、好きにできるようになったので落ち込んでも変わっていきました。
環境も大事なんですかね?
落ち込んで反省する。そして、今後の対策を立てる。リカバリーと再発防止
ミスやトラブルは全てさらに良くなるために必要な事と思えれば気持ちは前向きになります
自信と謙虚さを併せ持つ感じが最高です
私は悩みや落ち込みが大きい時程、「神様は乗り越えれない試練を与えない」「きっと乗り越えられるから、試練を与えられたんだ」と、そんな言葉が脳裏に浮かびます。
多分、自分の何処かに「今の状況を抜け出したい」「打破したい」という思いがあるから、そんな言葉が浮かぶんだと思います。
「それがポジティブな人の考えだ」と言われたりもするけど、「でも…」「やっぱり…」だと、その状況からは抜け出せないし、堂々巡りですからね。
「あの時頑張ったから今がある」それを常に感じて今を生きてます。
良くないこと、失敗したことに、自分である程度受け入れて、反省内省して前向きに、それなら次はどうしようか?と思い、行動や言動を直していくから、それが巡り巡って自分が成長して、また失敗しても、直ぐに立ち直れるようになると思います。
落ち込みがちな人は、失敗した時に、友人などに話をしたりして、自分自身を知ることから始めたらいいと思います。
落ち込んでもいいんだよね。でいいんじゃないかな?
同じ波長のネガティヴな人と愚痴を言い合う機会もあっていいも思うが、解決や改善には至りにくいかなぁと。
落ち込まないというか…落ち込んでる暇があるなら行動した方がいいという結果を知ったのでそういう動きになります。
落ち込んで夜も寝れず悩んでもぐっすり寝たとしても次の日は何も変わってません。反省を込めて1日ぐらいは寝ずに自分を省みたとしても長々は全く無意味です。
ざっくり言うとしてしまったこと、なってしまったことはいくら悩んでも後悔しても変えられないので大事なのはこれからどうするかですよね。
その思考パターンを変えるのは難しいので、考える対象を変えるのが効果的と思います。
失敗に目をむけるのでなく、なんで失敗したのか、次はどうしたらいいかという点にフォーカスし、失敗したのを他人に置き換えるぐらい客観的にとらえるとよいと思います。
ミスった時は自分で出来る後始末をやった上で、原因が何か、次どうすれば良いかをきちんと考えて終了です。
いつまでも考えていても、無かった事にはならないし。
またハゲ出来たら嫌だし。
49歳になった昨年(2018年)。
結局落ち込むだけ「無駄」。
メンタルがやられますよ。
わたくしは、数えで50歳になった昨年、自分自身のそれまでの人生を振り返って考えてみたんですよ。
わたくしの人生は、「失敗」だらけ。
「失敗」から学ぶことを考えてみよう!と頭を切り替えてみたんですよ。
そうしたら全然落ち込まなくなりました。
誰でも多かれ少なかれミスや間違いはするだろ?
だから落ち込むくらい真摯に悩めるのは悪い事じゃない。
ただグダグダしてても時間が過ぎてしまうわけだから、悩む時間を決めるとか2人に話したら前を向くとか、自分に合った解決策を持っておくのがいいかもしれない。
仕事では比較的スムーズにきたのですが、私生活において、すぐ落ち込んだり、物事をオーバーに受け止めてしまう。兄はめちゃ前向きなので、生まれつきの性質もかなりあると思います。
受け止め方を、改善して楽に生きたいなと思う。
やってしまった事、起きてしまった事は仕方ない、踏ん張ろう!の精神です。
これも周りの環境、人間関係全ての人に恵まれて今の自分があるのだとつくづく実感します。
楽観的に考える人と悲観的に考える人で、同じ場で同じ体験をしても、性格1つで心理状態は大きく異なる。
難しいのが、悲観的に考える人に、楽観的に考える頭になりなさいと言っても、脳がそう感じるんだから無理なんだよね。
また、楽観的な性格でも悲観的な性格でも、感じる力が敏感か鈍感かによっても違ってくる。
ま、そんな簡単に落ち込まない性格になれるなら、世界で多くの人がノイローゼにならないと思うよ。
中々、良いカウンセラーを探すのが難しいです。
いつまでも落ち込むだけでは何の解決にもならないから解決策や
改善策を考えたら、あとは行動あるのみ
おちこむことはない。
何か皆でやろうとすると、どこかに歪みがでます。ミスしたのは自分のせいだけではない。組織風土、仲間の能力、時代、など沢山の要因がある。
視野を広げて見ると大したことはないと気がつく。
じゃ運動選手プロ野球選手は落ち込まないのかって思わない?
落ち込みがあるから、日々向上を目指す
最後は自分の実力しか頼れないんだから、正直にプライドを捨て、目的に向かった最善を尽くすのみ
100点満点の人間なんて居ないと思うべし
だけど、120点を目指すことは必要だと思います!
もう前を向くしかない状態。
初めて…人生の山を登ってます。
辛いし、怖いし、引っ込みたくなる。
けど、私は前に進みます。
支えてくれ人がいるから。
私も困ってる人いれば支えます。
人間はそんな生き物です。
落ち込まない人は自分をわかってなくからまわりしてるのをきがつかない人だと思う
長生きする人って自己中な人多いけして自分のせいにしないからわがままだし人に気をつかえない人達
しかし心の支えを失うと誰でも落ち込みます。それが仕事だと計り知れないダメージになりそうですね。私は祖父を失って鬱になりかけましたが年月をかけてかなり改善しました。
あの時よりマシという比較対象があれば大抵平気ですよ?
自責感が強すぎたんだな~と思えました
好きなこと 楽しいこと やってみます
良い記事をありがとうございます
そこで無理して気丈に振る舞おうとするから辛い
徹底的に落ち込めば、そのうち満足するんじゃないかな
苦しい時に自分に嘘つくのやめない?
事前に提出日が決まっているのに、「他部署が絡んでいるせいで」遅れる。
先日も、そのせいで不必要な残業を強いられた。
頼む、落ち込むくらい反省してくれ。
落ち込んでもいいけど、すぐに切り替えのできる子になって欲しい。どうしたらいいんだろうか?
育児って勉強続きやな。
あ、綺麗なおねーさんに慰めてもらえるかも的な妄想か(笑)
悩みなんて人に言っても解決しない
居酒屋で話し尽くして心が軽くなった気がしても一歩店を出れば何も変わらない生活が待ってる
じゃ落ち込む意味ないしネガテイブシンキングなんて時間の無駄じゃん
きちんと反省出来ているなら良いですけどね。
時々…自分のミスを都合良く解釈し、正当化して、結果落ちこむことなくやり過ごす人がいるので。
頑固なので慰めの言葉を頂いてもそこに納得しなかったりするんですよね。非常に申し訳ないのですが…。
でも、これ以上悪くはならない、と考えれるようになれば私の場合は少しずつ楽になれます。
落ち込まない人っていないと思います
表現するかしないかではないでしょうか
書いてある様に皆さん人間ですから落ち込みは必ずしも感じてるでしょう
受け止め方が違っても表現するかしないかでは?
仕事も私生活も、乗り越えられるのも、乗り越えられないのも人間関係もあります。
最悪な上司や最悪な職場環境なら、乗り越えるのも困難だったりします。
リカバリー能力ももちろん必要ですけど。
ミスしても立ち直りがものすごく早い人。
ちょっときつく注意し過ぎたかな、とこちらが自己嫌悪してるのに、即、相手は明るくサラッとして、あぁ、良かったと思ったのも束の間。
反省していないのか、また、性懲りもなく次々とミスの連発。
仕事が全くできないわけじゃない、会話やLINEの文は表現豊か、話は盛るし面白い。
こういう人の頭の中、いったいどうなってるのか見てみたいです。
もう毎日何かしらしでかしてくれるので、怒られなれているのか、発達障害かなんかなのか、
困っています。
その割に、人のミスは突っ込んでくる、いったいどういう性格、いや、人格なのかわかりません。
こうなると、立ち直りが早い人より、じっくり考えてくれる人の方が応援したくなります。
自分にとって不快な苦手な環境や場や人と関わらないで生きていけたらどれだけ楽に過ごせることか、いかんせん仕事があり現代の労働環境でさまざまな人と関わらざるを得ないのでストレスフリーの生活はもう無理だ
同じように育てたつもりでも同じにはならないだろ
そりゃ、そういう人は暗い気持ち引きずる事はないよね。羨ましいよ。
笑えないような失敗談で大爆笑するような人達だ。酒飲んで道でひっくり返って救急病院に運ばれたとか車で事故ったとか。その話のどこで笑えるんだってことで盛り上がる。
失敗を失敗とも思わなければ、そもそも反省しないよね。
結果、
能天気すぎる。
高田純次のそれ。
気が利かない。
やる気が感じられない。
と飲み会で言われた。
みんな疲れてるんだろう…。
大変なんだなーって思った。
落ち込むけれど反省しない人が一番たちが悪い。
なんで俺ばっかり、、と悲しむだけ悲しむけれど、反省しない。
落ち込んでいる間はイライラしていたり、泣いていたり、、迷惑極まりない。
そこから反省したかと思えばまた繰り返す。
だからこいつを指摘しても面倒だと思われ、指摘すらされなくなる。
こーゆー方は自己肯定感が異様に高い。
幼児期に褒められ失敗なくきてることが多いし、失敗しても親がなんとかしてくれていることが多い。
今、過保護なまでに過保護な教育は、子どもの将来のためにならない。
今の上司も常にパワハラまがいの口調でいつも話してくるし、仕事の指示にしても、こっちに何をして欲しいか抽象的な指示ばかりで具体的な指示がない。
意味がわからないから、下から下からへりくだって聞くけど、「だぁ〜かぁ〜らぁ〜!」と、更に抽象的な怒りの指示。
だから聞けなくなって、こっちの仕事もいつも中途半端に…
年齢も年齢だから仕事も辞められずストレスばかりで落ち込む毎日…
全てから逃げたしたくなる事もしばしば…
でも、こう言うの他の同僚に相談しても「根性が足りない」とか「そのくらい気にするな」くらいしかきっと言ってもらえないから、そもそも人に相談する気にもなれず…
1人で抱え込む毎日…
辛いです…
ごめ~ん!
ええねんで。
下っぱには
すみません。
何してん!
(作業を今まで)何回やってん?
まだわからんの?
て、リーダーたちには日々凹みます。
グレてやる。
他人からの批判を何でも常に真に受ける。
そもそもミスや無知などを犯さない人は誰もいない。
完璧な人間などいないのだから。
落ち込まない人は、ミスを取り返すべくすぐ行動する。
そして他人の批評は、自分の感情からほぼ切り離して気にしない。
だから悩まないというか、悩んでいる暇がないのです。
反省したフリでいいんだって。
まぁ、経験がモノをいうだけどな。笑
フリはパフォーマンスが重要だからね。
無視するべきか、闘うべきか。
突破口を見つけるのは、難儀です。
生きてることにも
人、金、物、気候、文化…。様々な要因が絡み合うなかで人格は形成されます。ただ、そこに新たに“ネット”という環境が加わってからは、幼児期からその影響を多大に受けることが増え、他者の内面を慮る能力が大きく欠けるようになりました。
一刻も早く何らかの手を打つべきだが、親や教育者も多くがゆとり世代なだけに期待薄。
北海道のアパマンの社長は落ち込まないタイプだと思います
ああいう人にわたしもなりたい
落ち込み続けて普段通り出来ず、また失敗するようなループ地獄にハマりたくないので
それはそれ
これはこれ
と、思考を分けている。
ちなみに失敗の事は暇な時にどうすれば良かったか考えている。
多分、失敗したあぁぁぁぁぁぁ!!って時に思いつく事って役に立たない事だし、やってしまったものは仕方ないし、その時にやれる事をやるしかない。
大事なのは次にやらないこと。
そして、命に関わることでなければどうにかなる。
それが出来ないとズルズルと引きずりますから。
自分の場合は、これから何をどうするか、そこに集中するようにしています。
心のどこかに空気穴を開けておく。
心の中が満タンになりすぎるとその重みで落ち込む。
自分はそういう思考でコントロールしてます。
そう厚かましく割り切ればいい。
東京電力旧経営陣への地裁判決も、そう示してるじゃん。
カウンセラーの方にも心を開けず、あなたの罪悪感はどこから来てるの?と?
最近、開き直りました。
人は人、どう思われようが見られようが構いません。
自分の人生だから。
親が悪かったとか思うのかもだけど、結局自分で気づかないともったいない。
厄介なのは、落ち込んだ感情を無理矢理封印して、さも、だいじょうぶなように自分をごまかすこと。
繊細な奴ほど落ち込む。
いじめっ子といじめられっ子の違い。
俺は典型的な【あまり落ち込まない人】だな。(笑)
叱られても失敗しても落ち込みを引き摺った事は無い。
精神疾患とも無縁だ
しかし、そんな偉そうな事を言う自分は、ストレスの捌け口が真っ先に『食』に向かう典型的なメンヘラー。。。。
そもそも、失敗する前提でやってますから笑
人間が生まれると、まずは死なないように、爬虫類も持っているような原始的な脳が、周囲の環境に合わせてプログラムの書き込みを始める。
それが情動記憶。
危険な環境に生まれたら、ヘビのように、警戒心や攻撃性を高めて、生き残りやすいように書き込みする。
逆に、安全な環境に生まれたら、警戒心を弱めて、穏やかな性格をプログラムし、子育てしやすいように書き込みする。爬虫類は子育てしないから、卵のカラがある。
落ち込みやすい人は、警戒心が強くプログラムされてしまった人で、理由なくいつも鬱。
痛覚が存在するのは、身を守るためだが、心の痛覚が過敏に設定されてしまった人。
対処法は、この仕組みを論理的に理解するメタ視点を持つこと。
そして、必要なら、適度に心の麻酔を使うこと。
適度な趣味、他の幸福などが、心の麻酔。
暗い方面から、嫌な方面から人生を考えりゃあ、世の中に明るさ、何にもないわ。暗かったら窓を開けろ。光がさしてくる。
管理人の率直な感想
悩みは人それぞれですが、対人関係で心をすり減らしている人が多いのではないでしょうか。
勉強や仕事や子育てがしんどいという人が多いとは思いますが、単純にそれだけで心を病むことはない。
出産や子育てによって産後うつや育児ノイローゼを発症する人がますが、結局は相談相手がいないとか理解者がいないとか、孤独が起因しているケースが多い。
僕は、いわゆる「何とかなる」と思って生きているズボラな人間なので、この問題に関して何をどう書こうかと迷っています。
どうしましょう。
「落ち込みやすい人は繊細で優しく、物事を真正面から受け止める真面目な人が多い」
そうだと思います。
がさつな人間は心を病むほど悩んだりしません。
そう、僕のように。
繊細で優しく真面目な人ほど心が潰れていくなんて馬鹿げていませんか。
そういう人ほど目の前にある幸せを噛み締めて日々過ごすべきです。
学校や職場にいる嫌な人。
悩む必要なんてないじゃないですか。
他人ですよ?
「知らねーよ、そんなもん」とはなかなか言えなくても、それこそ冒頭の上司の例のように「次こそは」と思えばいいし、反骨精神にすればいい。嫌な上司なら反面教師に。
本当に嫌で嫌で仕方ないなら「知るか馬鹿」でいいでしょう。
大人げないと思いますか?
あなたが病んで人生を詰んでしまうくらいなら、そのくらい屁のツッパリでもありません。
その人のためにあなたの人生があるわけじゃない。
あなたの人生はあなたのためにあるんです。
・・・なんだか自己啓発セミナーみたいになってきましたね。
キモいので、ここらへんでやめておきましょう。
とにかく他人の人生、もっと言えば嫌いな人間のために自分の幸せを捨てる羽目になったり見逃すようなアホな話はないんです。
前に進めなくなるくらい悩むことなんてないんです。
闇が深い人間関係の真っ只中にいる人こそ自己中上等でしょう!
もし僕があなたの友達で、あなたを悩ませている「自分が正解人間」がいるとしたら、代わりに僕がその人の顔の前で屁をかましたいくらいです。
・・・あれ?僕がまさに今あなたを悩ませている「自分が正解人間」になってたりしませんよね。
適当でいいんです。
「適当」と「いい加減」の違いさえハッキリと理解しているならば。
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