8月下旬から9月にかけての夏休み明けは子どもの自殺が増える傾向にあるが、そもそも人はなぜ「死にたい」と思うのだろうか。死を考える人が周囲にいたら、どんな態度で接したらいいのか。国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦医師(精神科)に話を聞いた。
松本医師によると、「死にたい」という感情は精神疾患の一つであるうつ病とセットで語られることも多いが「死にたいと思うこと=うつ病」ではない。自殺した人の全てがうつ病を患っているわけでもないという。
「死にたい」という気持ちが芽生える背景には、特定の神経伝達物質の減少が影響していると指摘する論文はあるものの未解明な点が多く、メカニズムは今も分かっていない。
死を望む理由は多様
松本医師は「自ら命を絶とうと思う理由はさまざまで、心理的、環境的状況によると考えられる」と説明。現代人はさまざまなストレスにさらされており「死を一度も思い描いたことのない人の方が珍しいのではないか。『死にたい』という感情は異常ではなく、『異常な現実に対する正常な反応だ』というスタンスが大切だ」と指摘する。
一方で、普段から「死にたい」と口にする人は自殺のリスクが高いことも分かっているという。生きていくうえで困難が積み重なり「死ぬ恐怖を割り引いても生きることが苦痛だ」と感じた時に、自分の体を傷つける行動につながる場合がある。「死にたい」という感情には波があり、その強度は上がったり下がったりするという。
また、松本医師は「若い人の中には『消えたい』『いなくなりたい』などと言う人がいるが、これは『死にたい』という感情の前段階と考えられる」とも語る。こうした言葉が出てくる人は、幼い頃に虐待やいじめ、厳しい叱責などを受けて否定的な自己イメージが定着してしまっている場合が多いとされる。
説得ではなく共感を
自分の周囲で「死にたい」と言う人がいたら、どう対処したらいいのか。一度も「死にたい」と思ったことがない人は、つい「ばかなことをするな」などと言ってしまうかもしれない。
しかし、松本医師は、こうした対応が「最もまずい関わり方」だと警鐘を鳴らす。「苦しむ人に対して、自分の倫理観や道徳観をもって説得したり論破したりすることは有害だ」と強調する。
「死にたい」という感情を頭ごなしに否定されると、その時は死を思いとどまるかもしれないが、次に死の感情が芽生えたときは「この人はどうせ分かってくれない」と思って相談しなくなる懸念があるという。
かつて、毎日のように「死にたい」と考えていた時期があった長野県の男性(54)のエピソードを紹介したい。この男性は、仕事のストレスで眠れない日々が続き、体調を崩して失業した。
転職活動がうまくいかず、23社連続で不採用になったことも。「僕は何のために生きているのだろう」。生活のために働く必要があるものの仕事は見つからず、「死にたい」と思う日々が続いた。
そんな男性を苦しめたのは、世間でよく言われる「神様は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉だった。「乗り越えられずに自殺したら、人間として失格なのか?」と、さらに追い込まれたという。
男性を救ったのは、苦しい時に母親から「大丈夫!」と言ってもらったことだった。「大丈夫」と繰り返し言われることで安心できたという。「死にたい人に対して腫れ物に触るような扱いをするのではなく、声を掛けたり気に掛けたりしてほしい。いろいろ言われるのもつらいけど、放っておかれるのはもっとつらいですから」と男性は話す。
松本医師は「苦しむ当事者に必要なのは正論や説得ではない。『死にたい』という感情を否定せず、その背景にあるものを具体的に聞いて共有することだ」と強調する。
当事者の声に耳を澄ませる
まずは当時者の気持ちに寄り添い、なぜ「死にたい」と思うほどつらいのか、原因にじっくり耳を傾ける。「それだけ苦しい思いをしていたら、私なら死にたいと思うかもしれない」「気持ちを話してくれてありがとう」などと共感したり感謝の気持ちを伝えたりすることで、相手は心を開こうと思えるという。
「支援者も一人で抱え込もうとせず、カウンセラーや周囲の人などに当事者をつないでほしい。支えてくれる人が複数いることは、当事者の安心感にもつながる」。松本医師は、こう呼び掛けている。
参照元:https://mainichi.jp/articles/20220829/osg/00m/040/006000d
「死」を考えるということ【みなさんの声】
一回死にたいと思ってしまうともう家族としてはどうする事もできなかったですね。
悩みを取り除いてあげられればいいんだろうけれど
本人はもう取り憑かれたように思い悩んでいるから家族の声が届かない。聞こえないって言えばいいのかな。
一番かわいい孫の私の声でさえ泣いて生きてと頼んでも心ここにあらずだった。
残された家族の事も辛いんだよね。
だから心の悩みが深くなる前に誰にでもいいから話して相談してほしいと思う。
まだ死にたくはないんだ。
もう一度やり直したい生き直したいんだけど、今の…今までの自分を知っている人がいる世界ではなく、誰も知らない世界で一からやり直したいんだよ。
それが死にたいの前段階って言われて、ハッとした。
気付けて良かった。
しかし、希薄だから話しやすいというジレンマ。
死にたいと思う。
それを踏みとどませるのは、家族・友人かもしれないが、最終的にはやっぱり自分の意志なんだろうな?
自分は約15年前そうだった。
今、振り返ると何をつまらない事で悩んでたんだとつくづく思う。
人に何かに秀でてるわけでもないから自分の人生に興味が無くなってます。
なのでここ数年、「何のために生きてるんだろう?」「生きるとは何だろう?」と疑問に思ってます。
死にたいって言ってるうちは「誰かに認めてもらいたい」など承認欲求や自己肯定感が関わってる人多い気がする
それ以上に辛かった時は消えたいと思いました。
だけどなんとか立ち直って生きている感じ。
先日祖母が亡くなって遺品整理をしました。
祖母が遺したものを片付けながら、いつか人は100%死ぬんだな。こうやって生きた足跡を残していくんだな。と思ったら、少しだけがんばろうって思ったこの夏。
一日一日を「今」(どうせ過去にも未来に生きられない)だけに注ぎ耐え忍んでいれば、やがて転機も訪れいい時もやってくる
ただ、病気で激痛になると楽になりたいと思ってしまうかもしれないからそこだけが怖い。
どの方法も怖くて痛そうで
家の中でしてしまうと事故物件になって売れずに困るだろうとか
外だとその場所が事故現場になって迷惑だろうかとか
死ぬ前に片付けておかなくちゃとか考えてるからまだ自分は大丈夫
と思って毎日泣きながら眠る
そんなこと気にしなくなったら
やってしまうのだろうな
自分にも共感してくれる人がいたらなぁと思った。
義母は励ましてくれていると解ってはいたけど過去の無神経な発言もあり、ますます落ち込んだ。
見た目怖そうな人ほど、心の病気を抱えてた。
電話で相談聞いて、実際に来てもらうと見た目と真逆に驚かされたこと、何度もあった。
暴言、罵声、汚い言葉吐いてるひとほど心の病を抱えてるからね‥
気をつけて言葉をかけると心の闇を話してくれる。。
よく、前日まで元気だったのに…なんて人が自殺してしまう事が多いけど、本当に死にたい人は周りに言わないと思う。勿論、死にたい死にたい言って自殺してしまう人も居るんだろけど。
よくよく考えれば、小学生の頃から。
眉間に一発で決めてくれよ!とか。
常々、考えていたなと思う。
梅川の事件くらいからかな、人は何の為に生きてるのか。
ちょっと違う世界に行ってくる的な気軽な
そんな感じだったら良いのに
無理に電車を止めて迷惑掛けたり、家屋を使えなくしたり、落下事故に巻き込んだりしなくてもいい様になったらいいな
もう生きてるのが面倒くさいと思った。
既婚者だけど旦那に話し掛けるのもまともな返事が無くて。
今は生きてるけど子供をこの世に出してしまった事を…同じ苦しみを感じてしまう日が来ない事を願う。
多分鬱気質でも死ぬという発想がない人は幾ら追い詰められても死にたがらないだろうし、
そういう発想がある人は自殺を試みたりするんだろう。
そうじゃないのよね、
死にたいわけじゃないけれど、生きていたくない。
そういう言葉に出来ない感情なんだよなあ。。
繋がらなくて、一方的に切断されて、余計絶望感を味わったの。
自殺って突発的なんだから、切断されるシステムはやめてほしい。
牛馬も重い荷物を背負って山路を歩き馬借のムチに耐えかねて峠の崖下へ身体を投げる。
動物でも自殺する。
故に人間が辛いとき死にたいと思うのは自然だ。生き物は遅かれ早かれいつかは死ぬ。
生まれた時に既に執行猶予付きの死刑判決を受けている。どうせ死刑なのだから死ぬまで思い切り生きてみたらどうだ。
人生のスケジュールのひとつ。このくらいの歳になったら結婚したいな、子供が欲しいな、と考えるのと同じように、このくらいの歳になったら終わりたいな、という考え方もあっても不思議じゃない。
子どもがいるから、食べさせるために生きてるだけな気もする
人生がときどき寿命までの消化試合見たく思えたりする
明日世界が終わるってわかったら、どこかほっとしてしまうかもしれない
「親に相談しなさい」と言われたことがあり、それ以降絶対に電話しないことにしました。
親にさえ言えないから苦しくて、そこに電話したのに…。
精神的に死に手を伸ばす人は極限なわけで、相談しないのではないかな…仮に相談しても変われるのだろうか…。
だから寄り添うべきだと思う
ただただ聞いてくれるだけでも全然違う。
何もすぐに解決策を求めてる訳じゃないから。
きちんと住む場所がありお金を稼いで贅沢せず生きられる環境があれば良いと思う。
今更大金稼ごうって思わないから適度に働いて年金貰って地味に生きていきたい。
見た目こそイカツイが、こちらの先生は本当に素晴らしいと思う。指摘や助言が非常に的を得ている。
学生生活がキツいってのはわかる。
小学生のころいじめられていたけど、死んだら好きなテレビやアニメが見れないと思うと残念だから、死にたいって思ったことないです。やはり家庭環境が良かったからかしら。
今だと、死ぬのが怖くて好きなことしておこうって思ってます。
多分死にたいっていう人は真面目な人なんだろな。
辛さから逃れたくても逃れられない。
逃れたいから死んでしまいたい。
自分は最後の一歩手前だった。
寄り添い続けてくれた母の言葉だからこそ良かったのだろう。
自分ではどうしようもない
胸が押しつぶされそうって言葉が、本当につぶれそうになると初めて知った
私も長いこと心の病気患っています。希死観念はいつも持っています。しかし、「親より先に死ぬな」と兄弟に脅迫され今も生きています。つらいです。
過呼吸で苦しかったり、ここ数年常に呼吸が浅いけど
って言葉はほんとにすごいパワーです
大丈夫絶対大丈夫やからねって言うてもらえるだけですごく救われた気持ちになります
嘘だと思われるかもしれないけど音楽に命を救われてきました。
みんな、悩んでるんだろうなぁ。
何でそんな、悩ましい世界なんだろうなぁ。
正論で論破とかまさに無意味というか害でしょうね。
辛かったら逃げていいんだよ〜良い加減でいいんだよ〜
人生もっと気楽に行こうや!
敵が多かったな。
でもおれはケンカが強かったから、ぶん殴ってやって解決させてた
ケンカ弱かったらどうなってのか、おれの人生・・
いまはおっさんになったけど、友達少ないよな
めちゃ勘違いされるんだよな、性格悪いって言われるのよ
ただ極度の人見知りなだけなんだって
クラスの一軍っぽいやつとは今でも喋れないんだよな
そんで最終的には、一軍のやつらとケンカになって、ぶん殴るっていう
最悪のルーティーンを30年くらいやってきたわ・・(現在46歳)
とか何とか
般教で取った心理学の授業で教わった
「なにかお困りですか」と話しかけても外界の人間を完全拒否した心理状態のひともいるから、悩み事を真っ先に聞こうなんてするな。それは本人が話したくなったら話すだろう。
ホームレスの人と並んでサンドイッチを食っていたら通りかかった人が我々を、親の仇を見るような凄まじい憎悪の目で睨んでいったよ。世の中の人間とはそういうものだ。
「死にたいって言うやつはどうせ死なないただの構ってちゃん」
というのも、一概には言えないってのも知ってほしい
本人が死んでしまったから確かめようがないが、言わなきゃやってらんないくらい追い詰められてたに違いない
人間どうせみな最後は死にます。
悩み苦しみも宇宙規模で考えれば些細なことです。
弊害は俯瞰的に見すぎて社会性が無くなることですが自殺するよりはマシでしょう。
「乗り越えられる人にしか。。。」
じゃぁ、何もかも捨てて死んでいいんですか?
乗り越えられていない時に言わないで。
休憩しないのではない、できないのです。
口癖みたいに死にたい!って言葉にする人はまだ存在を認めてもらいたいとかの承認欲求に思えてしまう。
これは刺さる言葉ですね。
まさにそんな感じでしょうね。
「他人は変えられない自分が変われ」
「他人軸で生きるな自分軸で生きろ」
この2つにも違和感を感じる。
お金があっても幸せな家族だけは買えないが
せめてお腹くらいは満たされてから死にたいな。
と思って食べ物食べて、救われて、今もまだ生きてるな。
そういう感情が波のように常にあるから、人と付き合いながらも、いつかいなくなるかも、ごめんなさい、と思ってしまう。
口にせずとも、皆さんそんな感じでしょうか。おかしいでしょうか。感傷的なだけ、甘ったれのヒロイン願望でしょうか。
歯医者での治療は痛みを伴う。何故治療しに行くのか?放置したらもっと痛いからだよ。治療した方がマシだから。自殺も一緒だろう。自殺に成功すれば1回だけの凄い苦痛で済む。生きていて継続的に与えられる苦痛の総和がそれよりもっと多いと見込まれるから、マシな方を選ぶ。治療の時だけ我慢すれば良い/死ぬ時だけ我慢すれば良い。
思い留まってそのうち結婚して子供が生まれてから、実行してしまった友人がいた。
自分もそういう気持ちを抱えているから辛い。
早く楽になりたいが、残していく家族が気の毒。結婚してくれたのに。親にもさせてもらった。
つまり、死にたい場合はタイミングを逃したら、まわりは喜ぶけど、本人は苦しいのがその後も続くということです。
人生の持つ色彩みたいなものでは。
わたしのはいつもどんより暗い色。
辛い思いをしている人間が毎日のように電車に飛び込んだり、ヤケになって凶行に走ったりしているニュースもあるんだから、とっとと安楽死を法制化するなどして辛い気持ちを悪い方向に向けなくてすむ方法を用意してほしい。
人生の負け組に頼れる人間なんていやしないんだから。
だから、今そばにいる人に「大好き」「愛している」「いつもそばにいてくれてありがとう。安心できる。」「世界中が敵になっても、自分だけは何があっても味方だ。」などと、どうか言葉にして伝えてください。
失いたくない人にほど、何度も言い続けてほしいと思います。
失ってからでは言いたくても言えないんです。「あの日に戻りたい」と、悲し過ぎる毎日になってしまうんです。
但し、そんな当たり前の観念をいとも簡単に破壊してしまうのが「精神異常」状態である。機械にも稀に信号エラーが存在するように、人間の脳にも一定数のエラーが生じるもの。なお、人間に生じるエラーにはトリガーがあり、例えばそれが過労であり、イジメである。最近では自己肯定感の欠如などもこれになり得る。
つまり、自殺により亡くなる方の大半は制御不能となり、自分を殺しているわけだ。他人を殺す動機とは全く異なる動機をもって殺人を起こしていることになる。
たくさん人がいる世界で死にたいと思わせない世の中にするのは不可能やから、せめて生きる権利と死ぬ権利両方をみんなに与えた方がいい。自殺で誰かに迷惑かけるなら安楽死したほうがいいじゃん。生きたい人の為に臓器移植もできるし。
ここから飛び降りたら楽かな?誰か殺してくれないかな?
ってよく思います。
幼少期親から虐待され兄弟と格差つけられ人として見てもらえず、愛してももらえませんでした。
なので、もちろん頼るところもない。
今30代ですが、もう充分かな?と。
ただ今死なないのは我が子がいるから。
いなければ私はもうとっくにこの世にはいない。
子供の為に生きてる。
この子をちゃんと社会に出してあげるまでは頑張って生きないと。
今現在、つらくて苦しいから、ただその苦しみから逃れたくて死を願うという事だと思う。
私は今、死にたいなんて少しも思ってないけど、もし群発頭痛になったり、愛する人を悲惨な形で失うなど、耐え難い苦痛を受けたら自殺しないなどとは言えない。
思春期で自分だけが取り残されていると感じる時、両親や周りが自分の気持ちを理解してくれず、味方が居ない時、自分なんかこの世にいてはいけない、価値のない人間だと思ってしまう時、これ以上苦しい思いをしたくない時。
いろんなパターンが有ります。
もしも、ほんの少しだけでも、まだこの世に未練があるなら、決断はいつでも出来ると少し優位に考えても良いかもしれません。急がなくてもね。いつでも、この世とお別れできるのです。
優しく共感してなんていられない。
行き着くところまで行って、もう、離れました。
精神疾患の人は素人が本気で支えてはダメ。
支援するならプロに紹介するとか、そういう支援ならいいと思う。
自分の人生も一度きり。
しっかり離れて自分を守ってください。
母の言葉で救われる
こんな幸せなことって他にないと思う。
毎晩包丁の先を1センチの所まで突き付けられ「死ねよ」と母に言われた私
そのまま殺してくれたらどんなに楽だったか
その時死ねたらどんなに幸せだったか
涙も出なくなった今はそう思う。
他にいくらでも生きる方法があるのに、残りの人生全て突っ込んで死を選ぶんだからある意味ではスゴい事よね。
誰だってホントは死にたい訳じゃないけど、もうそれしかないくらいの集中力は文字通り死力を尽くしてるんだと思う。
その物凄いエネルギーを別のベクトルに向けてあげられれば最高なんだけどな。
私も苦しくなった時「消えたい」ってよく思ってました。その後に「死にたい」に変わったけど
上記の文にその答えがあり、自分のせいじゃないんだなって思った。
「自分が悪いからだ」とか「自分が選んだ道だから」とか思うけど
やはり幼少期に受けた影響は大きい。
怒りに任せて子供に「あんたなんか産まなきゃよかった」なんて言わないでください。その後謝ったとしてもその謝罪はなんの意味もありません。
言ってしまった言葉は取り消せない。
一生その子を苦しめます。
親は忘れても子供は忘れません。
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