「話すにはあまりにつらくて、子や孫には言えなかった」。
千葉県鴨川市の高齢者施設で暮らす吉田寿太郎さん(103)は太平洋戦争当時、村役場の職員として、召集令状「赤紙」を配達していた過去について証言した。
太平洋戦争開始から79年たつ。悲しみの記憶は今も残り続けている。「私の行動を皆が気にしていて、嫌がっていた」忌み嫌われた赤紙配達員
「本当にもう思い出したくないんだよ」。赤紙を配る仕事に関して質問が及ぶと、それまで笑顔で会話していた吉田さんが、額にしわを寄せて両目をぐっと閉じ、苦しそうな表情になった。質問を続けるのが心底申し訳なくなるほど、記者の心をひりひりさせる顔だった。
吉田さんは1917年(大正6年)、千葉県の吉尾村(現鴨川市)の農家に生まれた。中学を卒業後、陸軍に入隊し、騎兵隊に所属。満州の孫呉に出征した。「馬とは親子みたいな関係で、自分の馬を毎日大事に世話していた。『クークー』と鳴いて懐いてくれるのがかわいかった」。
村長から「やれ」
除隊後、20代半ばで役場に就職した。徴兵検査の結果や召集令状を取り扱う兵事係は住民に疎ましがられていた。吉田さんは、数人しかいない役場職員の中で最も若かったため、「村長から『やれ』と言われた。いや応なしだった」。
召集令状は旧日本陸軍が発行する命令書で、徴兵検査で現役兵とならなかった人や除隊後に予備役になった人など、平時は民間で生活する「在郷軍人」を、戦局に応じて呼び出す際に使われた。淡い赤色の紙に印字されていたことから「赤紙」と呼ばれていた。集合する日時や場所、部隊名などが記されており、郵送ではなく役場の兵事係が各家庭に直接届ける決まりだった。
「上から役場に赤紙が着くと、兵事係の私は、徒歩や自転車で住民に届けて回った。私が来ると、近所中で『やってきた』とうわさになった。私の行動を皆が気にしていて、嫌がっていた。配りたくなかったけど、しょうがなかったな」。出征者の戦死を遺族に知らせる戦死公報も配達した。
「小さい村だったから、配る相手は知っている人ばかり。それでも、国家の仕事だったからやるしかなかった。(受け取る)本人や親兄弟は私個人のことを好きとか嫌いとかは関係なく、私を見るのがつらかったと思う」。手渡す時、泣いたこともあった。
刑の執行人
28歳で終戦。「日本の勝ち負けは国家にとっては重要だったが、自分にとっては戦争がやっと終わったことが一番だった」。ただ、無事の帰還をいくら祈っても戻ってこなかった兵隊もおり、戦死公報の配達はしばらく続いた。
戦後は役場を早期退職し、地元で剣道の指導者や農家として暮らした。吉田さんの息子は「役場を離れたのは家業を継ぐためだったが、赤紙を配った過去を背負わされ、逃れたいという気持ちもあったようだ」と語る。戦争のことを父から聞いたことはほとんどなかったという。「テレビドラマを見ると感情移入して泣いてしまうような優しい性格だったから、話しがたい経験だったに違いない」
剣道6段の腕前で99歳まで腕立て伏せを欠かさなかった吉田さん。2018年、100歳を超え、地元団体による聞き取り調査で、初めて自らの戦争体験を振り返った。「刑の執行人みたいだった」「高齢夫婦の一人息子のところへ赤紙を持って行くのがつらかった」といった言葉が、20年6月刊行の証言集に収録された。
「忘れたい」
最近は記憶が少しずつ衰え、寝ている時間も多くなってきているが、自室から食堂まで自力で歩けるほど健康だ。9月には、敬老の日を祝う施設のイベントで、入所者最高齢として表彰された。
「若い時に、戦争の始まりから終わりまでの全部を見て、いろんな思いをした。戦争の話を聴こうという気持ちはありがたいが、経験した者にとっては忘れたい記憶。当時のことを思い出すのはこれで最後にしたい」
参照元 47NEWS
かわいそうに。あなたのせいではないんです。どうかお健やかにお過ごし下さい。
旅客運賃割引証
召集令状の表面から見て左側は「応召員旅客運賃割引証」ないしは「後払証」として切り離せるようになっていた。これは、召集令状を提示することによって目的地までの交通費が割引になる制度が当時の鉄道省に存在したためである(入営者旅客運賃割引)。割引率は内地国鉄(現・JRグループ)の1等車及び3等車が5割、2等車が4割、鮮鉄(現・KORAILおよび北朝鮮国鉄)、台鉄(現・台湾鉄路)、樺太庁鉄道(現・ロシア鉄道)、満鉄(現・中国国鉄)は一律5割引きとされた
後払証となっていた場合は、本人負担はなく、乗車指定駅で切り離して目的地までの切符が交付された
ちなみに運賃は本人が支払った分についても到着後配属部隊にて支給することになっており、不足するのであれば事前に市町村役所に届け出れば全額前金で支給することになっていた
そうです。
払った人もいたようだ
完全にその交通費は無料だと思ってた!
金取ってたんだ!?しかも7割も!
ビックリ!!
そりゃ負けるはずだ。
当時は、国のために戦う=誇り
現代は、国のために戦う=は?いくらくれんの?
戦争なんてどの国も絶対してはならないとも思いました。
この方々がいるから自分たちが戦争の無い時代に生きられる。
常に感謝をしないといけない…。
結果論と、勝戦国に都合の良い歴史からだけでは、たらればは語れないなぁ…
せめて中国から撤兵してれば。多くの人の命が失われたのは
本当に悲しい。
大東亜戦争、いわゆる太平洋戦争に至った経緯も必ずあるのです。
開戦に至った経緯を検証してみると、原因はいろいろあるのですが、明治期の政府は江戸時代の不平等条約改正に力を入れています。
大英帝国や露帝国、清国などを取り巻く世界情勢の中、日本は日清、日露と戦争を繰り返すことで不平等条約改正に成功するが、戦費は外国資本や重税によって賄ったが、戦争の結果は、国民にとっては承伏できるものではなく、
結果的に日比谷焼き討ち事件やら、国民の代表として発言力を強めた軍部の台頭を許してしまったことが太平洋戦争に繋がってしまった。
もちろん原因はこれだけではない。
日本臣民も生活が楽になることを信じて政府や軍部をむしろ支持する側だから大変だ。
これが戦後になるとこれが180度変わって俺たちは政府や軍部に騙されていたって言い出す国民は正直怖いよ。
当時は戦争でさえ命令されたらやらなければならなかったから、辛いね。
自分の意見など通らない、通すなんて事は出来ない時代、戦争のない今の日本は平和ボケしてるけど、こんな時代が実際にあったことはやはりきちんと記録に残しておくべきでしょう。貴重なお話です、隠してはいけない事実は残しましょう。
そしてその辛い思い出に輪をかけて罪の意識を植え付けたのが敗戦。敗戦によって全てのことが誇りから罪の意識に変わってしまったと思います。
私の親の年代は戦争を体験しております。戦時中の苦労も当時は本当に「お国のため」と思ったそうですが、敗戦によって全てのことが無駄に終わったと言う罪の意識と強迫観に襲われたそうです。あんな事しなければ良かった、皆そう思ったそうです。
対する米国は色々な犠牲もあったけど、お祭り騒ぎだったようですね。皆が喜び苦労が報われたと。
勝者の喜びと敗者の罪悪感。これも戦争でしょうね。
やはり、その人も村役場の中でいちばん若かったとか。
嫌な仕事を若者に押し付けるのですね。
そして、その人も嫌ではあったが、国のためと命令でもあり、一生懸命に仕事をしたそうです。
名簿から選ぶだけでなく、日常から徴兵検査合格者の仕事ぶり、生活習慣や家族の中に犯罪者・不穏分子はいないかまでも観察し、事細かに記録していたとか。
そして、その記録は入隊する際に連隊へ送ったそうです。
連隊区から「こんな技能を持った者を何人か寄越せ」「酒癖悪い者は外せ」という指示がくると、把握していたなかから、適合する人を選抜したのだとか。選ぶのは辛かったと回想されていました。
戦争というと、どうしても戦場のことや空襲、物質の窮乏とかのことがよく語られますが、この方の経験したような、戦時下の行政などももっと語り残されて欲しいです。
無事に帰ってきてもまた赤紙が来る
そしてまた戦死するまで体の大きい人は真っ先に満州の陸軍へ
これは第二次世界大戦になる前でも何度も同じ人に送られてきました
誰が選んでいたのでしょうね
祖父は日中戦争から太平洋戦争終結まで、軍人として半ば奇跡的に生き延びました。
祖父と会った時にお酒が入ると、亡くなった戦友の話をよく聞かせてくれました。
そんな祖父は、戦時中になかなか立派な勲章を受けていました。
しかしその勲章を貰った「理由」は、戦後最後まで誰にも明かしませんでした。祖母にすら。
そして、私の母方の祖母は原爆の被爆者です。
2人とも生前、口を揃えたように言っていたのが、「戦争の話なんて別に知らなくていい。二度と起こらなければそれでいいんだ。」ということでした。
その瞬間に何度も立ち会わなければならなかった、ましてやそれを告げる役割を…。どんなにか辛いお役目だった事でしょう。
開戦時既に若くはなかった祖父は、召集が終戦間近になったそうで、未来ある若者達が先だってゆかねばならない無慈悲さ、特に息子を送り出す親の絶望、それを表に出さず見送らなければならない姿は見るに耐えない程残酷だったと話していました。
まだまだ戦争について話したくないから知られていない事実はあるのでしょう。
それを背負い生き抜いてきたのは大変だったでしょう。
この方が今、幸せであって欲しい。
戦争なんていらなかった。いい事なんてひとつもない。これからもあってはならない。
戦時中の話は兵隊にとられていた方の話にスポットが当たりがちですが、こういう方の話も後世に伝えていかなければいけないですね。
今の日本は偉そうに指示しかしないお上ではなく、まさしく貴方のような真っ直ぐな日本人のもと作られてきたことはよく分かってます。本当にありがとうございました。
聞ける時にしっかり聞き、語り継がなければなりませんね。
私の祖父は父方も母方もその話はしたがらず、結婚して旦那の祖父は話して来て…。ちょっとビックリでした。戦争の語り部の方とかもいらっしゃいますしね。
戦争の話をしたがる人と、したがらない人、この違いはなんだろう…
色々、大変な事が起きてる今だけど…
幸せな時代を生きてる、生かされてる。
コロナに負けたくない。
来年はいい年になりますように。
召集令状は国家(代表するのが天皇陛下)が臣民に行う行為だから「召し集める」
国会は天皇陛下御臨席で国家が臣民である国会議員に行う行為だから「召し集める」
地方議会は議長(地方議会の代表者)がメンバーを「招き集める」
株主総会は会社(代表するのが社長)がオーナーである株主を「招き集める」
現代の日本人の寿命に近いくらいの時間を経ても、戦争経験者が言葉をすらすら話せる状態で元気に生きている。
凄いことだ。
最後は痴呆が入ってましたが、病院のベッドで手を握ると、ぎゅーとびっくりするくらい強く握られたのを思い出しました。
済ませた。たった赤い紙一枚だけで。拒否することは出来ない。拒否すれば犯罪。家族もどうなることか。行くしかない!行って散るしかない!みんなそうだったはず。家族を守る為。
辛い、辛い仕事。思い出させてごめんなさい。すいません。すいません。
はっきり言って、昔の方を評価するに値しない。もちろん、自分自身も。
だから、話変わってしまうが日本人で鬼滅の刃にハマる大人がいる。それは、戦時前のアメリカが介入する前の教えを、どこか受け継いでいるからではないかな、、。
ここでは場違いかもしれないけれど、日本人って、凄く素晴らしい人間性を形成していたんじゃないかな?って思ってる、、、、、。
出征の場面では、万歳万歳だろうけどそれ以外での実態はこうなんだろうね。
あと、当人は忘れたがっているということ。
自分のせいではないと頭では分かっていても、どうしようもなく辛く、もはや一生抱えていくしかないんでしょう。
そしてそれが却ってこの人が抱えているものの過酷さが伝わってきます。
もうご本人は思い出さなくて良いように、そしてこの話を読んだ私たちが語り継げるように…。
ありがとうございます。
穏やかにお過ごしください。
年末のダラダラ長く、くだらないバラエティをやめて戦争体験を伝える番組を放送して欲しい。
今だと郵便廃棄する配達員なんかクビになるだけで済むみたいだけど…
赤紙受け取る側、配達員が悪魔に見えただろうなぁー
(洗脳されてて、ありがたく受け取っていたと聞くが本当かなぁー)
しかしとんでもない仕事…長生き出来て良い様なそんな記憶抱えて…良くPTSDにならなかったもんだ…今の教育と戦時中の教育の違いか?
赤紙ってあるね。
当時の時代は存じ上げませんが大変な時代を生きられたのですね…。
貴重な話をありがとうございました。
病気に気をつけて長生きして下さい。
小さい村なら有力者の子弟を除外するなんていうみえみえの行為は出来なかったかもしれないがある程度の忖度とかあるいは付け届けとかあったのかね
逆にあの家は稼ぎ手が男一人だから見合わせようとか
もちろん戦争末期の話の根こそぎ動員したときでなく日中事変に入ったころの話だけど隣組の付き合いや参加が悪いと反動を回すということで真っ先に動員対象になったとか聞いたことあるけど
偵察分隊を編成し、前線や占領地の偵察、巡回に送り出すことが任務のひとつだった。上から受けた指示の一つに、戦死者の出やすい場所や時間帯の編成からは、男子一人家庭の者は出来るだけ外すようにとのことがあったそうだ。。そのような兵が戦死すると、その後の家族の経済的な補助に、国の負担が増えるのでそれを防ぐためだと言われたそうだ。自分の判断で理不尽な事が起きる場合があり、辛かったと話していた。
事実かは判りませんが、担当役人の親族は逆に『優先』せざるを得なかったんだとか…。
それも辛いお話です。
だったら最初から取らなきゃあるいは後方に配属とか
でも最初に疑問したのは映画監督のクロサワですよ
あれだけ体格もいいのになぜ徴兵されなかった?
同世代の監督、俳優で徴兵されたものは多数いる
噂では親族に軍関係者がいたとか言われてるが・・・真実は不明
徴兵赤紙には何かウラがあると思う
ああいう連中は、本当に赤紙を配達した人の気持ちとか考えず、気楽に戦争反対とかいってやらかしてるんだろうなぁ
誠に失礼だけど、記憶が違っているのではないでしょうか?
赤紙で悲しがるのは本人母親程度で他は御国の為にという気持ちがあったはず。
周囲が全て否定的と言うのは戦後の紆余曲折で記憶違いが出たと察します。
日清戦争…日露戦争…第一次世界大戦…中国への介入戦争、そして最大の犠牲者の生んだ第二次世界大戦だ。
結局もとへ辿れば、平和的の政権移譲の潰した薩長が元凶だ。
幾ら弱小日本でも拡大路線の走り過ぎだった。
最大の敬意を!
台湾と半島が国力を削ってしまった。
維持できなくても、アメリカとの無駄な戦争で有意義な人材を失わなければな。
地主階層が解体されず地方の豪族の末裔の家が戦後も残っていれば、乱開発も防いで、食糧自給率も高いままだったのに。
全て破壊され、何も考えていない水飲みやクズみたいな左翼に占拠されて、未だに駆逐できない。
それが、今の日本。
大嫌いだ。
今の秋篠宮家、姉妹の有り様をあの世で見て、どう思っているだろう。
戦費がまともになかったから、占領地で徴発やら略奪をしまくることになった。勝手な通貨やら軍票を乱発して、東南アジア各地域は巨大インフレ起こして経済崩壊したしな。
それだけで大東亜共栄圏とか嘘だって分かるわな。
でも「日本軍が戦ってくれて感謝してる」、「東南アジアは日本軍のおかげで親日」みたいなヨタ本とか真に受けてるバ・カも多いからビックリだわ。本当に歴史教育って大事だわ。
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