引きこもりが終わった日は、いったい本人に何が起き、家族はどんな反応をするものなのでしょうか。
ドラマのような感動的な場面を想像しがちです。
不登校新聞編集長の石井志昂さんによると、その日というよりは出てくるまでに本人の中で大きな変化が起きているそうです。
石井さんが、印象的に残るある方のエピソードを紹介します。「裸のピアニスト」瀧本裕喜さん(40歳)
「ひきこもり」と世間では一口に言いますが、ひきこもる理由は千差万別ですし、いろんなキャラクターのひきこもり当事者がいます。
東京大学の大学院へ通っている最中にひきこもりを始めた人、突如として市議選に立候補した人、自分自身を「ひきこもり名人」と呼ぶ人……、これらの人たちを私は敬意をこめて「ひきこもりスーパースターズ」と呼び、心にとどめています。
なかでも印象に残っているのは、「裸のピアニスト」と私が勝手に呼んでいる瀧本裕喜さん(40歳)。瀧本さんの「ひきこもりが終わった日」のエピソードは示唆に富んだものですから、今回、ご紹介したいと思います。
その日、瀧本さんはひきこもりを終えるべく、意を決して自室から出ました。18歳からひきこもり続けて7年、久しぶりに晴れやかな気持ちでリビングに出たわけです。
そんな気持ちのよい時間もつかの間で終わり。鏡で自分の姿を見た瀧本さんはびっくりしました。
「髪は伸び放題で、ところどころ白髪がある。そして何より太っている。まるで別人でした」(瀧本)。
ひきこもっているあいだ、瀧本さん意図的に鏡を見ることを避けていました。現実を直視たくないという思いがあるからです。また「ひきこもっている自分が生きていても申し訳ない」という思いも強く、身体の変化にまで気が回らなかったそうでうす。
ようするに鏡を避けた生活を送り、悩みで頭がいっぱいだったため、太ったことに気づかなかったのです。これは瀧本さんに限った話ではありません。当事者からは、それなりに聞く話でもあります。
そんな当事者の話を瀧本さんが知るはずもありません。
体重が62㎏から100㎏超「なんだか玉手箱を開けた浦島太郎みたいだな」
10代のころはレディースの服でも入った自分が、鏡の前では今や別人。7年前の体重は62キロでしたが、おそるおそる体重計に乗ると「error」の表示が出ました。瀧本家の体重計は100キロを超えるとエラー表示になるそうですが、そもそも事態がのみ込めていない瀧本さんは完全に狼狽。汗も噴き出てきたため、ひとまずはお風呂場へ行きました。
汗を流すと少しは落ち着いたそうです。「なんだか玉手箱を開けた浦島太郎みたいだな」と思いつつ、裸にタオルを巻いて居間へ。居間では得意だったピアノを弾き始めました。ただし、ブランクもあり思うように指が動きません。「昔はもっと弾けたのに」などと思っているところへ母親が買い物から帰ってきました。
この日まで、7年間、親とはほとんど顔を合わせていません。ひきこもっている罪悪感から同じ屋根の下にいながらも避けるように暮らしていたからです。ひさしぶりにまともに顔を合わせた瞬間、 母親はこう言ったそうです。
「どうして裸なの?」
「どうして裸なの?」
ドラマならば、母親が泣き崩れても不思議ではない場面です。感動的な親子の再会の場面です。また、親として直接会えたらば伝えたいことがあったはずです。「心配してたよ」とか、「よく部屋から出てきたね」とか。でも実際に口をついて出た言葉は「どうして裸なの?」。
大事な局面に出くわしたときに、人は思わず目の前の状況の確認をしてしまうものなんですね。ドラマやテレビではひきこもりが終わった瞬間を感動的に描きがちですが、現実はこんなものです。むしろ、この日の前後が大事なんです。
たとえばこのあと、瀧本さんは母親と話し合って目標を立てます。それは「ひとまず痩せること」。瀧本さんは母親と真夜中の散歩をするのが日課になり、1年間で30キロ以上のダイエットに成功したそうです。ちなみに成功する秘訣は「ダイエットの過程そのものを楽しむこと」。
この「ひきこもりからのダイエット」、とてもよい選択だったと思います。ひきこもりが終わった日に進学や就職など、一足飛びに目標を上げると無理がたたります。地に足の着いた選択は次のステップにつながりやすい「成功体験」になりました。その後、瀧本さんは現在、ライターとして、ひきこもり経験を語る講師としても活躍されています。
ひきこもりを始めたきっかけ
また、瀧本さんが部屋から出てくる「前」にも大事なポイントがありました。瀧本さんがなぜひきこもりを始めたのかからポイントを説明したいと思います。
瀧本さんがひきこもり始めたのは祖母との同居がきっかけでした。同居は東京の予備校に通うために始めたものです。しかし、その祖母は「生きていてもしかたがない」「人生なんてつまらない」というグチを日常的に言い続ける人でした。
こうした環境ですごすことは心理的に虐待を受けている状態と近いです。グチを聞かされ続けた人は、知らないうちに生きる気力を失っていきます。瀧本さんもネガティブな感情にさらされて疲弊し、感情のコントロールも効かなくなり、ついにはグチを言い続ける祖母に殺意を抱くようになりました。
「このままでは祖母を殺しかねない。無意識にそう思ったのがひきこもるきっかけだったと思います」(瀧本さん)
自分のひきこもりを肯定することでひきこもりが終わる
こうして始まったひきこもり生活ですが、多くの時間は、ひきこもったことへの罪悪感や焦燥感と闘う日々でした。ひきこもり生活が終わったのは、祖母との暮らしが自分の心に決定的なダメージを与えたと理解したこと。自分と相手を守るために始めたひきこもりであり、その選択を自分で肯定できたこと。これが瀧本さんのひきこもりが終わった理由になりました。
自分のひきこもりを肯定することでひきこもりが終わる。矛盾していると思うかもしれませんが、ひきこもりを肯定するとは「自分を受けいれる」と同義です。自分を受けいれることで考え方が自由になり、ひきこもり状態からも抜けることができます。瀧本さんがひきこもりから抜けたポイントは、自分を受けいれたことであり、それは部屋を出る/出ないという眼に見える変化よりもよっぽど大きな変化なんです。
参照元 AERA
泣き出して心配アピールして罪悪感を持たせるよりも、普通の時間に一言で招き入れてくれた
自分の事よりも子供のことを心配してる
大事にしろよ
自分は、乙武さんの著書で、出産後初めて乙武さんを見たお母さんの言葉が「まあ、かわいい」だったことを思い出しました
世のリーマン達。
せめて途中で挫折した人も戻れる社会になるといいですね。
そしてそんな皆勤賞な人たちはちゃんと正社員で企業の責務として安定して定年の最後まで雇うべき。
引き篭もれる環境にいるんですから
良いなぁ
不審者が家に侵入したと通報してしまったらまたひきこもりになったかも。
おかあさん(*^ー゚)bグッジョブ!!
究極的に悩むと視野が狭まることもある。
難しい。
家から出なくても外の世界とつながれるのは、みんなコロナで十分わかったわけで。
ほぼ引きこもり状態でも仕事はできてる人もいたりはします。そこを目指すのがいいんじゃないかと思います。
過酷な環境下にあっても、動けているならまだ良いのです。意思と関係なく動けなくなるのがこわいところなのです。何もかもに価値を感じなくなる感覚はなってみないと分からない。学校行ったり、働けるんなら言われなくてもやってるんですよね。
家に余裕のある人が生きてて引きこもりをしているだけで、頼れる相手がいない人は亡くなってるんじゃないでしょうか。当たり前の事ができなくて、苦しんで、でも意思だけじゃどうにもならなくてもがいてる人を責めるような事は出来ません。
隠されていたものがひとつ存在を認められる時代になったのだなぁ・・
投稿や声の出演での参加形番組。
ラジオはうってつけです。
いい企画だと思います。
まぁ、引きこもりがネットで誰かを攻撃しているならまた別だがな。
突然思い立ってジョギングを始めたら、これがもう素晴らしく頭の中が整理できるようになりました。
ジョギングというか股関節を動かすことが良いのではないかな、と経験から思います。
どうもスッキリしない人は、騙されたと思ってやってみてほしいです。走るだけなんで、お金かからないんで。
某24時間ジムでは、会員の子供が高校生(高校生の年齢)であれば利用無料
引きこもりの子が復帰できる場を提供するためとか
トレーニング前はやる気がなくても、終わったときはいつも健やかな気分!
ということじゃないかな。
引きこもっている人に「まず運動」と言っても,部屋からさえ出られない人が多いわけで。ハードルが高そう。
なので散歩はとても良いと思います。
イングレスとかドラクエでもいい
問題は、運動したいというやる気スイッチがどこにあるかですね
結局は、本人の価値観に合う範囲で少しでも健康的なことをやらせないといけない。ポケモンGOやドラクエウォークはそっちで結構救いになってる模様
運動神経がもたらすものは動きだけではなく、ほかの神経との関連も深いのでは…?
でも子ども時代の体育は劣等感があって大嫌いでした。あのフエに従いやらされてる感満載な感じ。子ども時代の心の健康のためにも、もう少し何とかならないかなぁ~。音楽を流すとかさ。
ですから、足を動かす→股関節を動かす→骨盤を動かされる→仙腸関節が動かされる=頭の中が動かされる状態になるのです。そして発想の転換が起こり、袋小路状態の考えだったのに違う道が表れます(発想の転換が出来るようになる)。その為には、しっかりとした”ウォーキング”が必要になりますが、歩くと頭がスッキリするというのは、そういう事なのです!
今、引き籠っていてもがいている人が居ましたら、ちょっとだけでもチャレンジして下さい!1度でもその爽快感を味わえば、『人生変わります!』
何と言っても私がそうだったのですから。
頭でいろいろ考えるから(良いことならいくらでも考えていいけど、大概悪いことぐるぐる考えるから)
そのループから抜け出せなくなるんじゃない?
だからこの方、きちんと冷静に分析していて凄いなって思います。
散歩も一人でしていたら頭使っちゃってよくなかったかも知れない。(景色とか純粋に楽しんでいられればいいけれど)
お母様と一緒だったのが功を奏したのかな。
集中してやる(しないと出来ない)スポーツとかいいと思う。頭が考えるのやめるから。
他人事ではありません
そうすると、深いところまで気分が沈まなくて済むと語る彼は、恐ろしいほどのマッチョになってしまいました。。
ポケモンの巣に行きたくて20キロ位歩く日も出来た。
散歩するために身だしなみを整えるのも脳を活性化するしね。
ただし筋肉マッチョなスポーツマンでも鬱病になるし、精神疾患のあるオリンピック選手はゴロゴロいるので運動すれば何でもいいわけではない。
バイクや車のドライブなども一人なら外引きこもりみたいなものだよ。
ソロツーなども一日誰とも喋ることなく帰ってくる時も。
散歩すれば良い!
鬱気味なら太陽あたると気分もよくなります。
高校卒業とともに家を出ることで物理的に距離を取ることが出来ましたが、この方にとっては部屋にこもることが祖母と距離を取る方法だったんですね。
自己肯定、すごく難しいですが、この方は出来たようで良かったです。
元来、気が強くて否定的な物の見方をする人だったんだと後になって気付いたけど、相当影響されていたと思います。
時折、こんな環境で育ったらそりゃ自己肯定感、安心感も半端ないよな、と他人を羨ましく感じることもあります。
でも、大人だから少しずつでも前を向かないとと思ってます。
私も大学進学を機に実家を出たところ、顔まで変わりました。それも祖母には整形したのかと言われましたが。幼い頃から将来は美人にはならないということも祖母から言われ続けてましたが、今では自分が子守りをしたから美人になったと意味不明なことを言っています。
長らく考えないようにしていましたが自分の妊娠と出産でフラッシュバックしてしまい、苦しい毎日でした。こんな私が子どもに愛情を注ぐことは間違っているのではないか、自分を肯定できずにいました。
それでもこんなに乗り越えていらっしゃる方がいるとわかって、少し勇気をもらいました。
なんであんな性格になるんですかね・・・嫌になる。
子供だからって聞いてくれるだろう、みたいなのは辛いよ。子供ながらに身内を助けたい、って思うし、無い知恵を絞ったり、同じように心を痛めたりするのよ。
けど、息をするように愚痴るだけ、って人もいるのよ。解決しようとは思っていない、というか、たとえ愚痴の根元の問題が解決しても、あらたに愚痴るネタを探してきては愚痴る、無意識で問題を引き寄せたり飛び込んだりしてでも…って事もね。結局愚痴れる状況に依存してる状態、っていう人もいる。
愚痴くらい聞いてあげて、心が軽くなるのなら…誰も話を聞いてあげられなかったんじゃないか…みたいな状況の人もいるけど、そんな人もいるんだな。だし、あぁ、そうしたいんだなぁ、と割り切るか、距離置くしかないのよね。相手の問題だから。
私は30過ぎても独身で実家にいました。商売ではなく霊感のある方に見てもらったところ、あなたは母親からの呪縛がすごいから、このままいけば結婚できないだろう。一人暮らしを始めなさい。って言われて目から鱗でした。
めちゃくちゃ腰が重い性格なんですが、それから半年以内に引っ越し。
長年同居していたのでホームシック的な事があるかもと思っていたのに、全くそれがなく、金銭的な諸々の不安よりも精神的に解放されて、世界が広がるようで自分でもびっくりしました。その後、晩婚となりましたが結婚して穏やかに暮らせています。
振り返れば毒親だったのですがそれを自覚できてなかったんですね。何をするにも否定的な母親の性格に毒されてたことに気付きました。自己肯定感の低い人は親が原因であることが多い。親から離れると違う景色が見られると思います。
心では、あゝはなりたくないと思っていてもそうなると中々治らないですからね…
我が家も昼ドラなんて可愛いモンって思うぐらいドス黒い家庭に育ちました。
5歳の頃、早く自立して家を出たいと決意したのを覚えています。
私が結婚した時、親戚も沢山呼んだ中、元凶の祖母だけ呼ばずに披露宴を終わらせました。
もう亡くなって10年以上経ちますが、今でも後悔は微塵もありません。
多分、舅の父親も仕事嫌い。
私の実家はみんな仕事の愚痴や人の文句を言う人はいない。
だから、みんなお金に余裕があっても仕事好きで働いてる。
旦那が夕飯時子供の前で平気で毎日毎日1時間位、仕事の文句を愚痴るので、子供にはこうなってほしくないから、キレたら言わなくなった。
義理の祖父母はここに出てくるような感じ。
年に数日泊まりがけで行ってましたが、帰って来てもその暗さを暫く引きずりました。
息子にあたる舅は自己肯定がすごく低く、水商売ではない女を繰り返し引っ掛ける事で充たしていたようです。
2年ほど経った頃に小型犬を飼い始めたら、祖母も犬に気を取られ、みんな犬を構うので、い家は平和になりました。
昔の女性は家のために尽くすのが人生と押し付けられて生きてきて、自分の人生を生きられなかった後悔が溜まり、高齢になって体力も美貌も知能も失われてしまったことで絶望するのだと思います。
誰かを犠牲にすることで成り立っている集団はやがてこのような形で崩壊してしまうのでしょう。
死んでしまえ
死ねばいいのに
殺してやりたい
と日常的に言い続け外では凄く良い顔をしていて私にもこんなに良い人は居ないと思わない?等と私に問い続けられた日々を送っていたら体重が10キロくらい減り鬱っぽくなっていたことを思い出した。
今では離れることができそんな事も忘れて太れたので痛い思い出です。
あの芸能人は整形だのバカじゃないのだのキャミソールが流行ったら売春婦の格好だの
子供はそれを見て育つ…
誰かを馬鹿にするシーンを教育に使ってはいけないし
そう言ってる時の親や親族の顔ほんといやしくて苦手だった
多分自分も似るんだろうな
この方は殺意を覚え、「このままじゃ自分がどうにかなってしまう!」と危機感を覚えて自ら身を引いたわけですね。賢い方なんだろうな。
それにしてもお母さんの「なんで裸なの?」の件は声に出して笑っちゃいました。
裸でピアノ‥‥想像すると間抜けですが、それくらい衝動的にピアノが弾きたくなっちゃったんでしょうね。
こんな社会ですが、小さな光を見出しつつ元気に頑張って頂きたいと思います。
あなたは良い見本になっていけると思います。
笑顔が素敵ですよ!
省庁務めかなんかの息子が人を殺しかねない、と親が自らの手で殺めた事件もあったでしょ。
あれなんかゲームの世界や家の人には威張り散らして暴れてた訳ですから。
引きこもり黙認していたら親が死ぬまで解決しないので。
この記事のひきこもりの人=優しい人 であっただけ。
真面目だから苦しんで引きこもる人と、
我儘で上手くいかないから引きこもる人、
自分の衝動を抑えるために引きこもる人、
色々面倒だから引きこもる人
色々種類がある。ひきこもりってのは非常に幅が広い。
自分も疲れてると、家でもう長生きしたくないなあとか、努力してもムダだなあとか言ってしまうことがある
他の家族も傷つけてるんだから、これからは気を付けよう
しかし、真夜中の散歩で30キロも減らせるものなのか!!
ぜひ参考にしたい
これだけでも全然違うと思います。ずっと出ないとビックリするくらい体力落ちますよね。
冷徹かもしれませんが、兄である私は予め親が死んでも一切面倒は見ないと宣言してます。
これまで十数年に渡り更正の為に尽力してきましたが常に煮え湯を飲まされ続ける状態。もう一切弟とは関わらない。
親も親です。どちらも都合の良い時だけ長女である私に頼ってくるくせに、問題の本質をどれだけ説明しても理解しません。認めたくない、と言うのが正しいかもしれません。
私がどれほどの時間と労力と神経を削っても誰も何も進展せず、こちらが心労で倒れそうな時期がありました。
今は小康状態ですが、私も結婚して家庭のある身なので、金銭的援助だけは断っています。
ドライなことは解っています。でも、できることはやりました。
ただ、引きこもりが絡んだ事件が取り沙汰されることがありますが、他人事とは思えず暗い気持ちになります。
うちは父が自営で借金し、母が返済して離婚。今はその母が認知症にかかってる
ひきこもってられないんだよ。
けど頑張るのも疲れるから今43だけど60代で人生終わってもいいと思うほどしんどい。
両親からは気に入らないことがあると暴言・暴力。
人生終わりにしたいとか、引きこもりたいと思うこともあるけど、しなかった。できなかった。決して強かった訳じゃない。未だに自己肯定ができない。鬱になりがち。生きてていいのか?と自信がない。それでも、自分の存在価値を探して今も生きてる。生きてて良かった・役に立ってる・必要とされてる。それを探して外に出て行く。
家から出なくても外部と繋がって何かできるのなら、そんな生き方もいいんじゃない?多様化する中で、選択していけばいい。
口癖って、無意識に刷り込まれて、精神的に削られる。
この体験が聞けて良かった。おかげで祖母を遠ざけた判断が正しかったと確認できた。
暴力を何度か受けた時は、他所で問題をおこす前に一緒に死ぬしかない、とも考えた。
でも毎日平日だけど人目を気にせず、ドライブして野鳥の観察や浜辺をダッシュしたりした。料理を一緒にしたら、微妙な出汁の違いがわかるという特技を発見した。
長い長い半年だったが、私にはかけがえのない時間となった。
その後中学高校と真面目に勉強し、部活に打ち込み、友達ともたくさんの思い出を作り、大学の推薦をいただけた。
本人には辛く思い出したくない期間だろうから私から話すことはこれからもないが、本人には必要な充電期間だったように思う
数日寝込んだだけでも体力がかなり落ちるし、コロナの影響であまり外に出ない生活してたらますます不健康になったからひきこもりで医者にも行かずに何年も生きてられる人は体が丈夫な人だなあといつも感心する。
こうして考えてみたらひきこもる年月を修行のように活用できるようになれば良いのかもね。
それをせずに、自分の価値観を押し付けるから、揉め事になる。
それは結局、相手を認めていないと言う事。
そう言う事をしている人に対して、信頼を得る事などできない。
一緒に歩くことからしてくれた母親でよかったです。
そしたら、ダイエットを頑張る様子を見て家族と周りの人が誉めるし、引き締まっていく自分の外見や減っていく体重などが自信に繋がったらしい。
通信制高校に進学して、今は立派に社会人として頑張っている。
ちなみに、20年以上
心理的な虐待を受けていたのか……。自分にも染み込んでしまっていると思います
もうすぐ死ぬと数十年もいい続け、結局99歳で死にました。
まさに死ぬ死ぬ詐欺ですね
ある日、仕事に失敗し鬱になりかけた時、手に取った本に書いてあり私自身を救ってくれた言葉です。
苦しかったらやめればいい、無理をしてはならない。
無理をしないといけないのはレベルが低い証拠。
真剣に生きる人ほど無理はしない。
無理をしないというのは消極的な意味ではない。
願いはするが無理はしない。
努力しても天命に従う。
これが疲れないこつである。
本来の意味があってるかわかりませんがムリしないでありのまま生きる事が1番大事だと思っています。
ベースには家族が生活費を普段できて部屋を無償で使える環境もある。
甘えとかいうのは簡単だけど、一度そうなった後の社会復帰までのきっかけが無くなってしまう点が1番難しい所
賛否両論あるのは当たり前だけど、引きこもりにも立ち直る希望があるって事は認めてあげたい。
この人が立ち直れたという事実はとても良いことだと思うし、何より寄り添い続けてくれたお母さんは素敵だと思います。
言われてみれば母の愚痴と父のモラハラのサンドバッグ状態だった、あれが原因で消耗していたんだと理解できました。
ストレスで全身に猛烈な痒みが出て血だらけになる事もあって辛かったなぁ。
久しぶりに見た息子が裸でピアノ弾いてたら相当びっくりしたでしょうね。
母親が悲しそうにため息ついたのをみて、復学しました。留年して卒業したのは、母校20年のなかで2名だそうです。復帰は極めて難しいのがわかります。
自分を客観的にみられたことも素晴らしいし、真夜中の散歩に付き合った母親も素晴らしい。
このようにうまく解決するケースばかりではないと思うけど、それぞれが少しずつ引きこもりを脱する機会を見つけられると良いですね。
他の方がおっしゃってますが、お母さまは痩せることをご提案されたようでいて、精神的に前向きになれる、外に出て、運動する、が本来の目的だったのかもしれませんね。
こんな風に笑える日が来て本当によかったです。
私にも年頃の子供が3人いるからとても参考になります。
近くでネガティブな発言をしないように、だからと言って、ポジティブすぎる発言もしないように気をつけないといけないな、と気づかされました。
年間3万人前後の人が自ら命を絶つこんな世の中で、正気を保ってる人の方がおかしいのかも?とさえ思えてくる、、
オレもたまには自分の心のメンテナンスを心がけてみようと思う、、
カウンセラーになって、公園で青空カウンセリングやってて、そして怒られるも運命的な出会いが。
存じ上げてる方です。
人当たりがソフトで、一つ一つの言葉が表情を持っています。
ほっとしたお母さんに長年の疲れが出ないように祈ります。歩みがどんなにゆっくりでも前を向いてくれただけで幸せ。その前に、まず生きていてくれる幸せを見つめ直すのも力になります。
日々、かつかつで働いて、でも自分に何かあったら、親子共倒れになってしまうんだろうな、とか思うと、介護費用捻出の為にも自分は何が何でも働いていかなや、と思わない日は無いので、引き籠りの話を聞くと、どうしても、そういう生活はどうやって維持していけてるんだろうと思ってしまう。
自分語りになってしまうけど、
小さい頃からずっと、母からは離婚したいだとか死にたいだとか、同居する祖母や父の愚痴を聞かされてきて病んだ経験がある。
家には居場所が無いとずっと感じてた。
この記事の人が10代の時に感じたという「殺してしまいそう」って気持ち、凄いわかる。
引きこもると強制的に引きずり出され‥食べる気力と声を出す気力がゼロになった。
今は距離を取って防衛してるけど、周り(特に母方の祖母)が「親なんだから仲直りしろ」とうるさい。
母方の祖母に会うと、「心配」と言いながら自分の事しか考えてなくて、小言と愚痴と嫌味しか言われないからストレスで胃を壊す。
やっぱり、愚痴やマイナス思考は周りに凄い悪影響を与えるんだね。
家庭では愚痴っぽくならないように気を付けようと、改めて思えた。
この記事に出会えて良かった。
>ひきこもり生活が終わったのは、祖母との暮らしが自分の心に決定的なダメージを与えたと理解したこと。
この気付きの過程はとても大事です。
何故生きづらさを感じるのか、どうして鏡を見たり、写真に撮られたり、日の光を浴びる事がつらいのか。
このような原因を突き止めなければ、急に引きこもりを辞めたって、運動したって、気の持ち方は変わらないのです。
社会に出ても対人関係や劣等感で潰されてしまうでしょう。
気付けた事も素晴らしいし、外に出たときに併走してくれるお母さまが居てくれてよかったですね。
太っていたことに気付かないのではなく、太っていく自分に目を背けただけである。
だけど、引きこもりから脱出できたことは、本当に凄いことだと思う。
次は労働する意欲があるかという問題も出てくるから、本でも出せば、今引きこもりをしている人にも勇気を与えれるかもしれない。
俺だったら3日仕事を休んで家に居るだけで、凄い不安を感じるようになる。
誰かが何とかしてくれる・・・そんなことまずない。
時間をどう使うかが重要であり、娯楽にどっぷり浸かっていると、この先とんでもない人生になってしまう。生涯労働は回避できないだろう。
しかし、日々の小さなアクションを積み上げると、年々楽な人生を過ごせることは間違いない。
そこには想像を超える本人の苦しみがありした。
本人の力だけで立ち直れるケースは本当に稀です。
信頼できる第三者に託すのがいいですが、まずその人を見つけるのも至難の技で本当に難しくて長い道のりです。
引きこもりしてる人はまず自己肯定感が低く、そうなったのは親のせいとか、学校のせいとか、責任をすり替えます。そうしないと自分が潰れてしまうからです。
まずは相手を理解する姿勢が大切みたいです。
色んなケースがあるでしょうが、例えば日本の場合はクリスチャン2世で、そういったことがよく起きていたりします。
キリスト教は人は生まれながら罪を負っていると教え、さらにその考えは日本ではかなりマイノリティのため、成長過程において無駄に悩みを抱えやすく、自己肯定感を育みにくくなりがちだからです。
クリスチャン2世で生きづらさを感じている人は、信仰と決別すると楽になれるかもしれません。
稲盛和夫氏の「生き方」という本などに運良く出会いでもしなければ、ネガティブな家族のもとで自分だけ前向きに成長するのは至難の技だと思います。
心に余裕のない人は、若い人の面倒を見る事はやめるべきです。
この方はご自身と向き合い未来へ踏み出されていて、本当にすごく頑張られたのだと思います。
もちろんご家族のサポートあってのことだと思いますが、それらの背景には“機能不全家族”が潜んでいることもある。
私自身も、精神的にギリギリの状態で生きていました。
自分の家庭を持ち幸せな今も、心の底にある苦しみはずっと消えません。
我が子にそんな心の闇を話すことは決してありません。してはならないと身をもって知っているからです。
外に助けを求めたりストレスを発散できるタイプなら、引きこもりという選択にならないのでしょうね。
長い年月をかけ家庭の中で自己肯定感が低い状態に育つのですから、脱出も難しいのだと思います。
この方は人の痛みに寄り添う心を持った方だと想像します。幸せになって欲しいです。
引きこもり当事者と家族はつい「引きこもったことの無い人と同じ生活に今すぐ!」となりがち。
痩せる為に走るのではなく、歩くのも良かったですね。
筋力も落ちていただろうし、100キロ以上まで太っていれば走るとヒザを痛めます。
そして御母堂が一緒に散歩に行くというのも続けられた秘訣でしょうね。
真夜中というのも、ご近所の方に奇異の目で見られたり、要らない口出しをされて心を折られる恐れが少なく良いですね。
仕事が激務で人間否定されるような仕打ちを受けたりしてた。でも仮想世界だと存在を認めてもらえたからね…。だけど一番心配してくれていたのは家族であり、当時の恋人でした。それに気づけなくて色々失ってしまったけど、それがあるから今色々あっても落ち着いて生きていけてます。
自分が何をしたいのか、自分がいると旦那の重荷になる、子供にも辛く当たってしまう、旦那とも昨日喧嘩してしまった。
実父と比べて私の旦那の悪口を言う実母、そんな実母を悪く言う旦那と私。
子供たちもなんだかクラスに馴染めなかったりとおかしくなってきた。
挙げ句のはてに勝手にしろ、俺がおかしいんだろ!仲の良くない実父母に子供の事変だと言われて認めるのか!?ご自由に仲良くやれば!?と言われてもう何が正しいのか悪いのかもわからなくなりました。
そんなつもりはなかった。馴染めない子供のために何とかしたくて私がどうすべきか心理士さんに相談しただけだったのに結果、旦那を怒らせ家庭崩壊を招いた。
離婚されたら子供は旦那にとられると思う。
何一つ、家庭を守ることもできない妻に存在理由などない。
消えたい。
誰一人、同じ心を持っている人はいないのに、「普通」が一般的って何なのだろうと考えてしまう。
法に触れなければ良いのか。三大義務を果たしていれば良いのか。なぜ、引きこもりは良くないと言われるのか。今一度、考えてみたいと思った。
祖母には悪気はなく、このネガティブ発言をいなせるくらいならいいけと、真正面で受けてしまったんだね。
うちの祖母もとにかくネガティブ発言繰り返すんですよ。
行けばグチグチ、電話でもグチグチ。
明るい話題なんか聞いたことない。だから一緒にいると「ここ、空間歪んでる?」と思うくらい短時間で時空の歪みに入った?感じになる(笑)
私は離れて暮らしてたから良かったんだよね。一緒に暮らしてたらおかしくなっちゃうわ。
瀧本さん、すごくしんどかったと思います。だけど前に進めてよかった。
お母様の「なんで裸なの?」という一言も瀧本さんにとっては、気が楽になったのかな?やたら感激されてもストレスになったかも。
私はバーテンダーの真似事の様なレベルでしたが、お酒を扱う場だと人の愚痴を聞く機会が増えます。
私が決めていたルールが三つあります。
一つ目は絶対に否定しない事
二つ目は適当に同調してあげる事
三つ目は相手に対して何の感情も抱かない事
この三つが出来ないと、とても疲れると思います。
会話のパターンも殆ど定型分に近いです。
『うんうん』
『へー』
『それは大変だったね〜』
自己肯定感の低い人が多いので自虐に入ると
『そんな事ないですよ、大変な事だと思いますよ』
など適度に上げてあげると喜ばれます。
愚痴を言う人は他人にとってどれだけ有害なのかに気付いていない。
そんな人達の愚痴相手なんて誰でもいいのです。
ネガティブなエネルギーを話す事で発散したいだけなのです。
ひきこもりの人もいろいろ悩んでいるし、抜け出したいと思っている人もいるのだなと。
人間が発するグチが相手の精神を蝕むことがあるということ。
私の母親がそうなのだなと、あぁやはりあそういう事なんだなと確信できてよかった。
本人に全く自覚ないんですが。
ひとつの区切りというかそういうのがつけた。
記事のお母さんと夜中のウォーキングいいですよね
数字て30キロの減量も大切だけど、2人でそこまでがんぱった時間が素敵だと思った。
何か話をたくそんしてのかな、それとも話さなくてもお互いの存在を感じながら歩いたのかなとか想像している。
じぶんも鏡を見てみよう
うつも、ひきこもりも、他人事ではなく、色々なことが重なったり、きっかけになって、誰にでも起こりうること。こういう話を、当たり前にする、目にする耳にする社会になることが、まずは大切なのだと思います。
本人も引きこもりの切っ掛けも理解しているが生きていく希望を失って前に進めないのだろう。
父親として色んな事を諭そうとしても煩がるので困ったものです。
こうした状況を側から見れば叱りつければ出てくるとか思うがしれませんが本当に根の深い精神疾患です。
耳の聞こえが悪いと「もう人生終わりだ」
膝が痛いと「もう死にたい」病院に行けと言っても、どこに行っても治るものじゃない、としか言わず。
こんな事言われてると、父の声がするだけで心臓がバクバクとなり、本当に早く死んでくれと思うようになりました。
言葉の力は凄いんだと思います。
それでも父は家族を養ってくれてるし、有り難い。でもネガティブで苦痛でもある。
私はポジティブで明るくなる言葉を言うよに心がけてます。
今では父のネガティブな言葉は「はいはい、そうだね早く死ねたらいいね」と受け流せるようになりました。
まだ腹が立つこともあるけどね。
物事は捉え方次第でどうでにもなるが、その考え方を変えるのは歳がいくほど難しくなってくる。
昔はどの家庭も余裕ないから、ひきこもりたくても出来ない背景があったかも!
人生の中でそんな自分を見つめ直す時間も今は必要かもしれない。
家族・身内など、近しい人からの邪魔 は、本当に精神やられるよね。
私は姑にやられた…
胃潰瘍になって別居できて。
25年以上経った今は…姑は私を頼ってます。
現実を受け入れて、自分はどうするか…考えられたら少し、抜け出し始めてるのかな。
この方、抜け出せてよかった。
身内に対して「このままでは殺してしまう」と思う気持ち
自分は、家族と離れて一人暮らしを始めました。
寂しさもありましたが、肩の荷が下りたような、スッキリとして気持ちになれました。
二度と当時の気持ちにならないように、他人から何と言われようと最低限の接点だけにしています。
だからこそ引きこもりを脱出できた
自分を肯定することが難しい自分にとってはすごいとしかいいようがない
自分も母親がそんなだからよく分かる。
私の場合、離れて暮らす、愚痴を言っても肯定しない事で精神的安定を保ってる。
本来、自立した人間であれば、愚痴があっても別の方法で発散させたり時には友人と話したり、カウンセラーに聞いてもらったり…間違っても子や孫には言ったりしない。
自立出来ない人間が保護者の中にいるとほんと人生ハードモードと思う。
普通、7年引きこもれば引きずり出してでも外に出そうと思うものだろうけど。
親に感謝して、これから先目標持って少しずつ頑張って欲しい。
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