「もぐもぐタイムって知っていますか」。広島県内の小学校に子どもを通わせる40代の女性から、編集局にこんな問い掛けがメールであった。カーリングで話題になったおやつの時間のことではない。この学校では「給食中におしゃべりしてはいけない時間帯」をいうらしい。「給食は会話しながら楽しんでほしいのに」と女性は言う。黙って食べるのはどうしてなのだろう。
黙って食べる『もぐもぐタイム』学校の言い分
まずはこの学校を訪ねた。ちょうど昼時。子どもたちが元気いっぱいランチルームに集まってきた。もぐもぐタイムは「いただきます」から約10分間で、クラシック音楽が流れる。教室は静まり、みんなひたすら食べている。音楽がやんだ途端、またにぎやかになった。「ごちそうさま」までの残り10分はおしゃべりを楽しんでいいそうだ。
「食育は大切。きちんと味わい、嫌いな食材も成長に必要な量だけは頑張って食べてほしい。マナーも学ばせたい」と、校長は説明する。「だから落ち着いて食べる時間が要るんです」
他の学校はどうなのか。広島市立の全142小学校にアンケートした。回答した106校のうち、給食中に私語をしない時間を「設けている」「一部の学年、学級で設けている」としたのは、71・7%の76校。浸透ぶりに正直、驚いた。
低学年を中心に5~10分間とする学校が目立つ。呼び名は他に「かみかみタイム」「ぱくぱくタイム」など。狙いを問うと、残さず食べきり、栄養を十分とらせる▽食べ物を大事にする気持ちを育む▽食事マナーを定着させる▽そしゃくの推進―など、盛りだくさんの答えが返ってきた。
給食の目的が「栄養改善」から「食育の推進」へ
確かに、文部科学省の「食に関する指導の手引」を見ると、これらを身に付けさせるよう求めている。1954年施行の学校給食法では「栄養改善」だった給食の主目的が、2008年の大幅改正で「食育の推進」に転換したことが背景にある。
ただ、給食指導はそう一筋縄ではいかないらしい。教員に個別に尋ねてみると、こんな本音も。「口から食べ物を飛ばしながら食べる」「おしゃべりに夢中になると一切はしが動かない」「立ち歩いて人にちょっかいを出す」…。悪戦苦闘する姿が見えてきた。
しかも、給食に充てる時間として市教委が示す目安は50分。準備と片付け時間を含むから、食べる時間はせいぜい20~25分だ。おしゃべりを楽しむ時間を担保しながら、集中して食べる時間も設ける―。もぐもぐタイムは、こうした課題に立ち向かうための工夫と言えそうだ。
振り返れば昭和の教室では、掃除の時間になっても泣きながら給食を食べさせられていた子どもがいた。心の傷になりそうな光景に比べれば、時間内に集中して食べる実践の方が子どもも受け入れやすいだろう。
「給食が楽しくなくなった」
ただ、もぐもぐタイムも押しつけになっていないか、現場も見直す必要がありそうだ。実際にこの取材中、市内の40代男性から「娘は『給食が楽しくなくなった』と不満ばかり言う」との声が寄せられた。もぐもぐタイムは前の学年でもあったが苦ではなかった。それが今の担任は食べる間中、ただただ私語を厳しく禁じて息苦しいと。子どもが強制と感じ、負担になれば逆効果。これも教員の腕次第といえるだろう。
家庭も、学校に任せきりではいられない。文科省の手引には前置きがあった。「食に関する問題は言うまでもなく家庭が中心となって担うもの」。共働きなどで忙しい家庭を支えるという立ち位置だ。学校が培う食育のノウハウを家庭も共有できたら―。もぐもぐタイムを1分でも短くできるかもしれない。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191106-00010000-chugoku-soci
ネットの声
これって、学校教育ではなく家庭教育だと思っています。
家で食事中に小さい子供はついやってしまうけど、ビシッと叱っています(した)。
小学生になる頃には、ちゃんとできる様になりました。
もちろん友達同士と家族との食事では違うでしょうけど。
用事があって給食時間に学校へ行った時があり、チラッと見た感じだと、ちゃんとしている子はちゃんとしている。
家で教えないとならない事を学校がやってくれている状態なのでは?
「楽しく食事をさせてほしい」という保護者の子供はキチンとした食事の仕方が出来ているのだろうか。
学校は集団生活を学ぶ場だとも言われるが、それだって、核となる1世帯単位内の躾が土台となるのは自明のはず。
たった1人2人の自分の子も躾られない親に、1度に数十人も「他人」の子をみる教師に言えることは限られる。学校に期待することと、家庭でするべきことは区別が必要。
10分〜15分のところもありますから。
いずれにせよこの短時間に食べさせなきゃいけないから低学年ではモグモグタイムも必要かも。
ある程度食べたらおしゃべりしながら楽しく過ごさせるようにすれば問題ないかと思うが。
担任の腕次第。
まさにそうだと思う。
特に給食の時間はキチンと食べさせながらも楽しい時間にするのは腕次第と言えそうですね。
腕のある先生ばかりに受け持ってもらえてうちの子は幸せです。
夢中になってなかなか食が進まない子、テンションがヒートアップしてお行儀悪くなる子とかいるんじゃないかな〜と思います。
大勢の子供を一気に面倒見て食事のマナーまで教えてくれる先生には感謝です。
私も小学生の頃は、時々ですが、昼休みになっても残って食べてる方でした。どうしても苦手なメニューがあって、先生に「半分だけでも食べようね。」と言われて嫌々食べてましたが、残って食べた人は、配膳室まで自分で食器を持って行く決まりで、持っていくと、給食のおばちゃん達は「頑張って食べたね!」と言ってくれるのですが、せっかく作ってくれたのに、残して申し訳ない気持ちになり、苦手なメニューを克服する努力をするようになりました。
無言で食べるのは味気ないと思いますが、特に低学年だと、食べるのも遅いしお喋りに夢中になる子もいると思います。学校だけでなく、家庭での教育も必要だと思います。
談笑しながらの楽しい食事ができる子供がほとんどでしょう。
でも中には、食べ物をまき散らし、不快な話題を口にし、時間内に食事を終えられない子供がいるのが問題なのでしょう。
時々、特にハンディキャップがある訳ではない子供が給食を喉に詰まらせて…なんてニュースを聞きますが、先生達も本当に大変だと思います。
なんでもダメ、何でも楽しくなければダメ、楽しい事は大切ですが場所によっては、また時によっては「モグモグタイム」的なものがあってもよいような気がします。
普通に食べる、一言で言っても その普通が個人によって異なるのは確か。
いろんな事を体験させ「こういう考え、こういうやり方をする事もあるのか。」と体験させるのは賛成です。
嫌なら私的な場所ではやらなければよいだけの話。
しかし息子の通う小学校や保育所は食事の時はテレビを消して食卓を囲んで家族との会話を大切にしてくださいね。って言われてます。
今日の出来事を聞いたりして子どもたちの学校や保育所での様子を聞いてますが、学校の給食も友達の事を知るには会話も必要な気もします。確かに休み時間があるけど、休み時間はいつも遊ぶ友達としか関わらないので給食など普段遊ばない人とのことを知るきっかけにもなる気がします。でも会話するならある程度のマナーと躾はしっかり親がすべきではありますが、無言の給食って軍隊とかじゃないのでそこまで学校が強要しなくてもいいと思います。給食の時間を守るルールの中で楽しい給食の時間が本当の食育なんじゃないかな?
高学年になり同じことをしていたら担任の先生に面談で「給食の時間友達と話をしないし、食べ終わったら本を読んでて周りが気を遣って困る」と指摘されました。
本人に聞いたら「だって給食は静かに食べるんでしょ?」との事。
おしゃべりがOK・NGどちらがいいとは言えませんが、先生や学年?によってルールが異なるのは子供が混乱するのでやめてほしいです。
確かに低学年だと時間内にたべ終わるのは大変だから、このルールがあっていいと思いますね。娘は一生懸命食べていても遅いので、周りが食べるのが早い子供ばかりだと、つられて話て自分だけ残ってしまうし(つられなければいいんですけど)。
食事は温かいものは温かいうちに食べた方が美味しいし、冷え切ってしまったら作ってくれた人に失礼だと思う。
会話はあくまで食事を楽しむ手段で目的では無い。完全否定はしないが、目的である食事に集中する時間は大切だろう。
ひとしきり食べたあと(10分後)喋れば良い。
給食に限らず授業や休み時間のルールなども含めてこれに尽きているところが今の学校の問題の根底にあると感じています。
先生方こそこの状況を一番良く知っていて、それぞれの先生がそれぞれの立場で日々奮闘して下さっていると考えています。
先生が子供と関わる時間を増やす為に、例えば事務作業などの負担を減らしてあげて欲しいです。
健康上問題があると思う。
フランスは食の時間をとても大切にしていて、学校でも生徒が交代でカフェで給食(レストランのような食事)を取るらしい。
教室ではなく…
日本は校舎も味気なく殺風景…
もう少し子供達の心が明るくなるような工夫があってもいいように思う。
最近は何かを強く禁止することに批判が上がりがちだけど、これは校則には珍しくまともなほうじゃないだろうか?
学校での数年間、会話のないつまらない給食を過ごしたから人格形成に問題が出るとも思えない。
子供の意見はあくまで参考とすべきであって、確たるデメリットと取るべきではない。
私が子供の頃は自分のタイミングで食いたくてしょうがなかったが、そんな無茶にも近頃は耳を傾けてくれるというのだろうか?
時代背景は違いますが、その当時の教育の在り方と現在の在り方は大いに違うんですね。
しかし、私には我々の時代の在り方のほうがより合理的でしかも教師の児童生徒に対する接し方も愛情に満ちていたように思えます。
勿論体罰はありましたが、加減はされたものでしたね。
教育制度が機能しなくなって、これじゃいかんと修正しているところでしょうが、進化せずに退化する部分があるとすれば、しきたりを変えてきたところに難点があったと気付き、以前の教育制度の見直しを考えてみたらどうでしょうかね。
もぐもぐタイムは賛成です。共働きが増え、躾ができていない子供が増える中で、強制でもやらせるべきだと思います。食べない子供達のために、しっかり食べる子供たちが犠牲になるのは、避けるべきでしょう。
実際の給食は、時間内のその短時間で食べきることで終わってしまってる。子供が学校入るようになって、給食が始まったんだけど、しばらくしたら早食いになってしまっててびっくりした。早く食べきらないと焦るそうで、よく噛んで味わう余裕はないみたい…
学校は近くの学校に通うしかないわけだし、現実的に情報も少ない!親のほうは働いて子どもを養わなければならないから、通勤可能な範囲で住まいも決めるしかないわけだから、引っ越しをするのも現実的ではない…学校を吟味して選ぶことが難しい…。
それだから?神戸のよう同僚イジメをする変な教師に当たってしまう場合とかある。ネットを利用した、家で勉強するようなホームスクールも始めて欲しいよね。毎日学校行く制度なくてもいいやん。
例えば「しっかり噛んで食べる」。
もう40近いですが、強く意識して食べないと早食いのクセですぐに飲み込んでしまいます。
きっとはじめは、最初10分間はおしゃべりをせずに噛む事に集中しましょうだったのが、おしゃべり禁止!が独り歩きした結果かなと思います。
改めてしっかり噛んで食べるのはいいですよ。
それを意識して食べれた日は少ない量で満腹になり、胃の調子も良いです。
なんで給食におしゃべりがセットで楽しくなきゃだめなの?おしゃべりが楽しいのはわかるがとりあえず休み時間にな。メリハリが大切です
少なくとも現代社会ではスマホとの戦いだと思います。スマホを触らず食べることに集中する習慣は必要ではないでしょうか。
それと社会人になってから食事中の会話は大事だと言われるのですが、それは大人になっていく過程で身に付きます。
学校に何でも押し付けすぎです。ヤバい子どももヤバい親もいる時代。価値観が多様化しているわけですから、モグモグタイムのような基準を設けることは必要です。
喋らずに放送を聞いて楽しみながら食事をしてそのあとは友達と歓談しながら食べると考えれば苦ではないと思うんだけど。
おしゃべりするイコール楽しく食事とは限らないのでは?
でも、会話のない食卓なんて寂しいし、禁止するのはやりすぎ。
日本社会はなんでも「禁止」はっきり言って、異常です。
海外暮らしをして戻ってきて気づいたのが、例えば公園に行くと木にもベンチにも池の柵にもどこかしこにもまるで病気のように禁止を書いた張り紙だらけだったこと。
日常にそれしか見ずに暮らしてきた人には気づかないことかもしれないけど日本は本当に「禁止」が多すぎる。
書かなくてもマナーとして身に着けているべきことまで、全部張り紙。
学校も家庭も、禁止しなければいけないことはあるだろうけど、それはしっかり家庭でしつけをやって欲しい。
なんでも度が肝心。
やりすぎも、やらなすぎも、ダメ。
何でも楽しくすることもないんじゃないかな。
こういう教育が浸透して、タピオカドリンクの画像だけ撮って捨てる人が減ればと思います。
今の子供たちは食べてる最中そんな賑やかなくらいおしゃべりするのかな?自分らの頃は、ちゃちゃっと給食は食べちゃって、食べ終わった人から即昼休みだから、のんびりおしゃべるなんかせず、校庭に出て良い場所を確保してボール遊びとかしたもんだけどね。まあ最近はスマホあったりするし、あまり昼休みに校庭で遊んだりしないのかな?
食事の時におとなしくするのは、基本的には家庭の躾だよね。幼ければ幼いほど、子供は親の姿を見て真似るから。家庭環境や親の交友関係にもよるんじゃないだろうか。深夜に連れ出されてる子供は落ち着きがない場合が多い気がするな~身近なところだけの話だけど。
うちの子の小学校は給食時間がすごく短いらしく5分の時もあるらしいです。それでも無駄に黙想の時間ってのはしっかり取られているようで、そっちの方が問題だと思う。
中には喧嘩したり、ふざけたり、上手く話せない子もいるわけだから、食事を味わうだけの時間があっても良いと思う。
他の話で、お金を払って食べているんだから、いただきますと言わない学校もある中で、ちゃんといただきますが言えているから良いんじゃないのかな。
そういう場のエチケットやマナーを教えるのが教育だと思う。
例えば、口に物が入ったまま喋ってはいけない、音を立てて食べてはいけない、一度に食べられるだけを口に入れる、口の前で噛み切ってはいけないとか、本当は家庭で親が教えることなんだけど。
こんなことしているから年頃になっても女の子を食事に誘って面白い話ができない子になってしまう。
きちんと食べた後に、楽しくお喋りできる時間があるならいいじゃん。終わりまで全く喋れないわけじゃないんだから。
社会人なって色々直ればいいけど、それでも何人かは両肘をついて食べたり、喋ると箸が動かない人いますね。身内だけならいいけど、客との食事の時には本当に困ります。
こんな事で同席者を選別しなくちゃいけないのは本当に情けない。
静かに食べながら楽しい食事は可能だと思った。
実際は国も統計を発表していないが片親がとにかく多い。
片親が多いとなると家庭での躾など皆無に等しい。そのため昔は不良学生が増えたが、今や片親の子供のストレスはイジメ、自殺になっているのが現実
この給食の躾からの子供に対するストレスにもなるだろう、楽しく躾を教えるならいいが。
昔はお喋りしながら、テレビ見ながらの【ながら】お食事はお行儀悪いと躾されたものです。
今は食事マナーを躾される事も少なくなりましたね。
それが故に外出の際に気になることが結構あります。
頭ごなしに黙れ黙れ、と怒られてばかりだと何か違う気はしますが。家でのしつけがなってないと、というコメントみました。0歳児から保育園でずっと過ごす共働き世代の子供たちは、やはり、親よりも保育園や学校がしつけの場になるのはこれから仕方がないことなのではとも思います。
家族といる時間が朝の1時間、夜の2時間しかないとかね。
自分は給食というと食べる時間がすごく短かった記憶しかないです。
食べるのが遅い子は居残りのように誰もいない教室で食べていたし、
遅れまいとよく噛まずに食べていた子もいましたね。
今思えば、メンタル的に身体的にあまり良くないですね…
具材もよく覚えていて、3歳の子が!と驚きました。「給食で何を食べたの?」「えーっと、赤いスープ!」「何が入っていた?」「マカロニと、トマトと、にんじんさんと…」「ああ、ミネストローネね!」。
小学校に入っておしゃべり解禁になると、メニューは覚えていても「何が入っていたか」が答えられなくなりました。「今日の給食おいしかったから家でも作って!」「何?」「〇〇!」「何が入っているの?」「えーっと、・・・。」のような感じ。
先生の手間を減らすためのおしゃべり禁止だったのかもしれませんが、食育の面でもマナーの面でも、メリットしかなかったと思います。
小学生男子を育てていて思いますが、気が散ることがとても多いんです。興味の対象が多い。だからおしゃべりという要素をひとつ減らすだけでも、食べることに集中できる。
食べることに恵まれているからこその問題なんでしょうね。
最近は、ショッピングモールのフードコートとかで食事をしている家族を見ると、親を含めた全員がスマホいじりながら食事、子供がゲームしながらや、途中で遊んでても注意しないなどをよく見かける。
親が学校に文句言う前に、学校がそういう対策をしないでいいようなしつけが大事だと思う。
食事に集中する時間があるのは良いことだ。
食事中にテレビを見ること(食事に集中しない)ことと成績に相関があるとかないとか言うし。
子供達はその時間をそれなりに楽しんでたし、先生の腕がいいんでしょうね。
ちゃんと家で躾ている人からしたら不要な取り組みかもしれない。でもそうではない家庭の子供もいるから、こういう事をしないと落ち着いた食事が成り立たないんだろうな。
あくまで学校は補完みたいなもので
基礎部分は家庭の教育だと思う。
集団行動など周りとの付き合い方を学べる場でもあるが
やはり根幹の部分は家庭環境で培われるものだし
人格形成まで学校側に求めるのは違うやね。
教わる側だけでなく教える側にも十分な教育が必要だと感じる。
自分の子供はとか、うちのクラスはとか、狭い範囲で言うのは自由だけど、そうもいかない事は理解してやらないと言いがかりクレーマーと変わらない。
理屈で省いて良いことなんて、世の中にいくらでもある。
でも、出来ない人からするとそれを省かれたら置いていかれたとなるわけで。
うちの子は食べるのが遅いタイプなのでもぐもぐタイムのおかげで食べ終われています、両方あっていい案だなと思っています。
このやり方が決まるまでは厳しい先生はずっと私語禁止でピリピリとしたムードで食べなければならず、ちょっと苦しそうでした。(音楽などの放送も切られてナシ)
私語OKの先生のクラスは食べ終わらない子がたくさんいました。
先生方も、色々考えての案だと思います、批判ばかりでは可哀想。
また、これは親の躾の問題であると思う。
まだちょっと判断しづらいなあ
ただ先日、新聞で多動とかのある子どもで、その子にはどうしても食べることのできないものも「好き嫌い」と思われて強要されるケースの問題について読んだ
そこにも書かれていたが、じっくりとりくむことが必要なのでは?
だから一様に。というのは問題ありそうかも
食べるのが遅いのではなく、偏食だったので。
学校で一番憂鬱な時間でした。
今の子供たちは、残しても良いようなので、うらやましいな、と見てます。
中学からは給食がないから「どんな昼食を」「誰と食べる」の格差や友だちづきあいに悩むそう。
友だちが菓子パンやカロリーメイト1つでもの足りなさそうにして食べ終わるのを待っているので申し訳なくて弁当を駆け込み食べするそう。
方や、デコ弁して自慢しあわないと入れて貰えない賑やかなグループにも入れず···
咀嚼音を出さない、ご飯は左、汁物は右、学校で教えることじゃなく家庭で教えるべきだと思うけど、そう教わらなかった親世代が増えてきてるのかと。
時間も15分~20分と低学年の子としては、短くすぐに食べなければならいので、喋らず給食を摂る必要がある。
高学年になれば、時間余るだろうし、食事を楽しんで欲しい
1つ疑問に思ったのは、大声をあげたり食事中に歩き回るなどは別として、
大人になって他人と食事しているときに全員が黙々と食べることってあります?
たとえばフレンチなど高級料理店であってもお互い話しながら食べるし、
高級な寿司店などでも、一緒に行った人はもちろん板さんとも話しますよね?
子どものころに食事は無言でするものだと教育されると、なんだか間違ったマナーが身についてしまうような。
短いような…
本当に10分でいいのかと思う。
以前何か行事があった時、給食時間に押してしまい、5分しかなくて、かきこんで食べたと聞いた。先生に怒られた時はほとんど食べれず終了したこともあったらしい。
食育はよく噛み、食材の味を味わって、食べ物に感謝して食べることだけど、おしゃべりしてもいいと思う。
お葬式みたく無言で食べるのって、集中はできるかもだけど、楽しい時間じゃない。
美味しいと感じたら、これ美味しいよね!とか、これなんだろう?とか言い合って楽しく食べたいと思う。
昔は放送委員が面白い曲を流してくれたり、流行の曲を流してくれたり、給食時間が楽しかったけどね。
今はお葬式みたいなんだ…
親ってそういうとこ見れないものね。
授業参観の一環として見せてくれればいいのに。
食事の指導は各家庭で行うもの
給食は1日学校で生活するために摂るもの
そもそもなぜそこに指導が必要なのか
この指導をきっかけに会食恐怖症を発症してしまう児童が毎年どれほどいるのか。
10の子供を正すより、1の子供を会食恐怖症にさせないことの方が大事だと思います。
給食指導が大人になって役に立っているとは到底思えません。そもそも食事中歩き回る大人なんて見たことありません。
日本の教育現場の悪しき古しき慣習が残っていることを表しています。
上の者の考えが古い→新人教師も従わざるを得ない→それが通常になる 悪循環です。
これから少しずつ変えていきましょう。
教師ではなく生徒を規則に則って取り締まる役割の仕事を作り
各教室に配置。教室は全て監視カメラで撮影。
そうするのがいじめをなくすのにはいいけどね。
子供が大人がこうあるべきと思っているようにいくか!
指導が極端になるのは仕方ない。
しかし、学校内で自分の子供が躾通りにやっているか分からないし、先生達が信念を持ってやってくれているのであれば是非やって欲しい。
食事中のお行儀は家庭で身につけるべきなのでは?近頃の親はどこまで他人任せなんでしょうね。
あと、やはり給食の時間が短すぎて、30回噛むなんてしてたら間に合わない子は普通にいます。もうすこし給食時間を長く取ってもらえないんでしょうかね。
飲食店で歩き廻る子供を注意もしない親が多いからね
同時に、子供の保護者にも十分な説明と、各家庭での指導を促すなどがあるといいかもしれない。
いずれにしろ、会話のない食事は味気ないもの。
速やかに食事を済ませるとか、行儀良く食べるということがわきまえられたうえで、食事の時間を楽しめるようにできたらいいと思いました。
授業中は原則私語禁止なのでしょうから、給食の時間くらいリラックスさせてあげても、いいように思うのですが。
食事のマナーとしても、立ち歩く等は違反としても、私語中心の会食は認めてもいいと思いますけどね。
食育だのなんだのお題目はともかく、50分ですべてを終わらす、というのは意外と大変。そっちの理由のほうが大きそうですね。
たいへんだと思いますが、頑張ってほしいものです。
話してはいけないから、机をくっつけてグループにしないのだそうで。
中学生は残したくないけど15分しかなくて食べきれないから、みんな残していると嘆いていた。
食育とは何か、もう一度考えて頂きたい。
家庭内で、離乳食・幼児食がスタートした小さい頃から、食事中のマナーを教えておくべき時期に、「まだちっちゃいから、立ち歩きながら食べちゃうのは仕方ないよねぇ~。」とか、親がマナーの躾をおサボりした結果じゃない?
ちゃんと小さい内から教えていた家庭は、「もぐもぐタイム」を疑問には思わないんじゃないかな。
だって、食事中は食べ物を口に含みながらしゃべるのは、常識的に無しでしょ。
お喋りに夢中になってたら、食べ終わるのが遅くなるのも当たり前だし。
私の母も子供の頃食事中は私語厳禁で、話すと親か祖父母に注意されたと言っていた
食べ物に感謝するためらしいね
食事中喋るのも楽しいかもしれないけど黙って食べるのも躾としていいと思う
クラス全員でそのクラスに配られた給食を残さないよう協力しなさいというわけなわからないルールもあります。
こんなことやってる会社ありますか?
社会に出てから役に立たないことをやらせないでほしい。
子どもとの会話は家での食事時間にすればいい。子どもたちは親に聞いてほしい事がたくさんあると思う。テレビを消して向き合いたい。
どうやらシツケであれ行儀であれ、自由とわがままをはき違えている風潮のようです。
初めて小学校の給食試食会でその光景を見た時は、私たちの時代との違いに驚きました。
でも慣れたら別にどうってことないですね。
子供たちもこれが普通だから何も思ってないみたいです。
掃除中も無言清掃で、私語が見つかれば校長室行きだそうです。
そういえば幼稚園も小学校ほどではないけど、昼食中のお喋りは控えめにと指導されていたし、通園バスは私語禁止でした。
社会全体に余裕がないんでしょうね。
誰のせいでもなく、何が良い悪いでもなく。
仕方のない流れなんだろうなと思います。
そもそも、時間通りに正しい食べ方ができていたら、そのようなルールはできないはず。
お喋りしながら食事をしていると楽しいが廻りを気にしないのはマナー違反だと思う。
子供の頃からマナー、エチケットを教えた方が良い。
様々な意見はあると思いますが、この記事を読んで、改めて、キチンと出来る子であって欲しいと思いました。
その時がきたらできるようになるんだろうか…。
結局、掃除の時間も終わって、そのまま5時間目に突入。泣きながら食べているのに、さらに先生に叱られて大泣き。可哀想だった・・・
それ以来、そいつの嫌いなモノが出てくると、食べれる奴がもらってた。みんな仲間、助け合いだったけど、今の時代だとこの助け合いもダメなのかなぁ。
ところで最近のこどもは「箸とらば、天地御代の御恵み、父母や祖先の恩を忘るな」(バリエーションあり)を誰も知らなくて先日驚きました。一体学校は何を教えているのかと。
コミユニケーションや「おいしいね」が言えない給食指導の一環でどうなんだろう?
給食の理念に楽しく食べるというのがあります。
給食が楽しみでなくなるというのは悲しい事ですね。
その時間をつくるのが先生の役割だと思う
「そもそも何を目指すのか」と「手段」の乖離感を感じるのだが・・・。「ちゃんと教える事ができない教師が強制時間を設ける事で指導・教育した気になっているだけ」では?
(口を開けて物を飛ばしながらしゃべる奴は親も同じだった。)
食事中にテレビを見る家庭の児童はそうでない児童より成績が低く、肥満児の割合が高く、将来の年収も約3割低いという調査結果がある。
因果関係はわからないが。
ちなみに家庭でもやってます(羽伸ばしてるせいか、親の言うこと半分ですが)。10分程度なら良いと思いますよ。
ただ、学校の準備段階である保育園の年長でも取り入れてたけど…それは早くないか?と思った(笑)
子どもたちは「小学校のお兄さんと一緒!」と楽しんでやってたみたいだけど。
園の給食って、先生に話しかけられる貴重な時間だとも思うけどね(学校は別)。保育園も時間でいろいろ区切ってやらないとまとまらないとは思うけどね〜。
騒ぎすぎて食べない子供の親を学校に呼び出したら、それこそ大騒ぎされて大変なのでは?
今考えるとゾッとする。。そもそも、クラスが決められること事態おかしいと思った。
一日中机の上かよ。
グループで向かい合って食べると楽しい反面、確かに衛生面は気になるね。(子供のときは気にしなかったけど)
かといって各自の席で黙って食べると味気ないけど食事に集中できるし早く片付いたのも確か。
まあ子供にとっては会話して食べた方が楽しいわな。大人になった今では嫌だけどw
衛生面もそんな言うほど問題にはならんでしょ。むしろ潔癖すぎる方が菌に弱い子になるんじゃないの?
外食先を見てみなさい
平気でウロウロする子供や靴のまま椅子に上がったりする子供
楽しくわいわいしたいのは昔から同じだけど躾がままならないからどこに行ってもウルサイしだらしない
机は前を向いていて、グループになることもなく、お喋り禁止。黙々と前を向いて食べないと怒られるらしい。
私はこれがいいとは思わないけど。
牛乳が飲めない子や嫌いなおかずが出た時に食べられなくてお昼休みが終わっても、4時間目になっても5時間目になっても机に給食が置いてある子がいた。
当たり前ですが熱唱なんかしません。ハミング程度です。
はしたないと言われます。
気分がいい時などはついつい、鼻歌を歌ったりしてしまうので注意していますが、少々息苦しく感じます。
食事の場では無いだろうけども、言葉は悪いが引っぱたいてでも「ダメなものはダメ」と教えしつけるのは親のつとめ
親がやらなくて誰がやってくれるというの?
親が一番そういうことを厳しくやれる立場
他人が同じようなことをやろうとしたら揉めるでしょ?
もうこの世にいないけども口うるさくしつこく躾けてくれた母親には感謝しかないです
家でお家の方から食べ方について注意をされた事が無いという子供が半数以上のクラスもあります。それはもうひどい食べ方の子が何人もいます。見ていて疲れるほどです。
なぜモグモグタイムが必要なのか。何故給食が楽しくないのか。考えればわかるのでは。
その時間をつくるのが先生の役割だと思う
自分が子供の頃は早く食べて片付けして遊びたかったけど
学校時代を振り返って、授業と同じで、黒板に向かって黙々と食べるのは異様に思うね。
逆に注意を受けている行儀の悪い子も見かけなかった。
早食い・大食いでやたらとおかわりしてる子はいたが。
私には食パン1枚は多くて、いつも半分は男子に食べてもらってた。
それに関して先生に何か言われたこともなかった。
もしかしたら、昭和の終わりくらいだったらまだどこの家も躾をちゃんとしてたのか、それとも先生が知らないうちにちゃんと躾けてくれていたのか?
でもそれでも残ったパンは飼育小屋に行くって言ってたな・・。
食事も勉強の一環だと位置付ければ、私語はいらない。
くらいの方向性は、あってしかるべきかと思ったりもする。
大人になり、客先や同僚と食事をするとき、話し合い情報交換を行うのはとても意義のあることだと私は思いますが
管理人の率直な感想
理屈抜きで、楽しく食べた方がいいと思います。
僕は中学も給食だったのですが、僕のクラスの給食時間は毎日大騒ぎでした。
腹減ってるんでね。
余ったハンバーグやエビフライは争奪戦です。
結局、じゃんけんが平等だと学習した僕らは毎日じゃんけんで余ったおかずを分配していました。
とにかくうるさかった!
親友が隣のクラスにいたのですが、そのクラスは僕らのクラスとは正反対で「終始もぐもぐタイム」。
物凄く静か。
終始もぐもぐタイムというのは先生が言い出したわけでも学校が決めたものでもなく、生徒間で何となく決められた謎の決まり事だったらしいのです。
「いいな~お前のクラス」とよく言われていました。
もぐもぐタイムは咀嚼音も聞こえるし飲み込む音も聞こえるし、男でも何だか恥ずかしいとのこと。
きっと女子はもっと気にしていたことでしょう。
大人になった今、僕らのクラスだった人間が食事中に無駄にうるさいかといったら、そんなことはありません。
隣のクラスだった連中が無駄に静かかといったら、そんなこともありません。
結局、意味はないのです。
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