「2億円は50億円の何%か」という問題を日本の大学生の2割前後が間違えると推測できるという。最も多い誤答は50を2で割って25%とするものだ。『「%」が分からない大学生』を書いた桜美林大学リベラルアーツ学群の芳沢光雄教授に詳しく聞いた。
高偏差値大学の学生も理解していない
20年前の共著『分数ができない大学生』を思い出す人もいるのか、ネットには「また、若者を貶(おとし)めている」なんて書かれています。読まずに書いて、と腹が立つけど、それだけ日本には数学嫌いが多いという証拠です。状況を放置してきた数学教育関係者の一人として、批判は甘んじて受けます。
解き方を忘れたなら、思い出せばいい。「わからない」は、そもそも理解できるように教えられていないのです。割合の問題を解くには「くもわ」で、という感じです。
『くもわ』は「比べる量」「もとになる量」「割合」の最初の文字を取って、その関係を表した図。
「く÷も=わ」「も×わ=く」だけを覚えると、記憶が曖昧(あいまい)になったときに、3つの関係がわからず、2は50の25%となる。速さ、時間、距離の「はじき」も同じ。
松井証券の松井道夫社長が言うように、時代は量での評価ではなく、単位当たりでの評価になっている。そうなると「%」の概念はとくに重要だし、「%」は世界共通の単語。にもかかわらず、高偏差値大学の学生でも理解していない、と多くの先生が言ってきます。
どうしてこんなことに
1979年に共通1次試験が始まりマークシートが導入されました。団塊ジュニアの受験も控え、やむをえないとは思った。が、あまりにもマークシートに適応するやり方が先鋭化した。つまり「答えさえ合っていればプロセスはどうでもいい」。解き方の暗記が主流となった結果どうなったか。
例えば、与えられた関数のxとyの点をグラフにプロットできない。素朴にグラフを書いたことがないからです。また、教員になった教え子が200人くらいいますが、プロセスが間違っているのに「答えが合っているんだから丸にしろ」と抗議する生徒が増えている、と何人もが言っています。
文系理系問題
文系理系は以前からありますが、戦後は国の復興を目指し、文理問わず高レベルの数学教育がなされました。高度経済成長を達成するとそれが緩んできた。理系教員の中には、数学は理系進学者が学べばいい、数学嫌いは相手にしなくていいと考えている人もいる。
それでも国立文系はセンター試験があるので数学を勉強するが、私立文系は数学不要って話になってしまった。
グローバル化した今日、議論のポイントは客観的な数字です。数字で考え、分析するときに、文系理系はありません。『源氏物語』の研究にも数学的手法が用いられていますし、心理学では実験データによって推論の有意性が評価されるため、統計数学の知識が必要です。
数学の面白さは「わかった」にある
数学教育で痛めつけられた人たちに、「わかる」「理解する」がどういうことかを伝えないといけない。公式や裏技を暗記して答えを当てる勉強が面白いわけがない。数学の面白さは、定理の証明や応用、それらが「わかった!」。去年、基礎的な授業で「%」の根本を丁寧に教えたら、女子学生が突然跳び上がりました。それまであやふやだったのが「わかった」んです。数学の面白さはこれです。
「ヘウレーカ」…具体的な方法は
桜美林大学で私が所属するリベラルアーツ学群の入学生約1000人に対し、応用を交えて根本からわかってもらう初年度授業をやりたい、と上層部に提案しました。教職や専門課程の数学も教えていますが、痛い目に遭った学生は近寄らないので、まず全員に教えたい。
興味を持ってもらうには、無味乾燥な教科書ではなく、「隅田川の花火大会で花火が見えてから音がするまで10秒かかったとすると、どれくらい離れている?」のように身近な例を使うのが効果的。幼稚園、小中高で出前授業を数百回やっているので素材は十分です。
初期の教育も重要
いちばん大切なのは小学校。小学校は担任が主要教科を1人で教えますが、算数が得意な先生ばかりではない。3つの角度が異なる二等辺三角形がある、と教える先生もいるんです。だから、授業で「算数なんて大人になってから役に立たない。足し算と掛け算がわかればいい」とか平気で言っちゃう。家庭も同じ。家庭教師をしていたとき、親が子どもの前で「うちは代々理数系が苦手で」なんて言う。そんな負の暗示をかけないでほしい。
参照元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190623-00286802-toyo-soci&p=1
ネットの声
過激かもしれんけど、一定の基準以下の大学はなくすべき
そっか、そもそも理屈を理解してなければ、その場で考える事が出来ないんだね。
いくら大学進学率が上がったとはいえ、同世代の上位50%~60%くらいの人だから、%の計算自体は、高校進学の時点ではできていたはず。
もしかしたら典型的な問題は解けていたが、数学的な意味をきちんと理解していないで「解けていた」人が多いのかもしれない。
入試や定期テストで、いかに速く解答するかが重要視され、試験時間が短すぎる弊害というのがあるように思う。
数学は、すばやく問題を解く能力よりも、じっくりと考えて論理的に解答を導き出す能力を磨くことが大切なはずなのに、入試に対応するために、思考の過程を省いて便利な公式だけ覚え、簡潔に解答を導き出すトレーニングばかり必要になる。
結果的に理解しないで解ける人が多くなるのではなかろうか。
数学に限っては中学、高校はレベル別クラスに
した方が良いかもしれない。
センター試験のマークシート方式は採点や
教育(事務作業の低減化)のコストカットも
有効で賛成。偏差値も賛成。
あと、最近は小学生の英語、道徳や
教科の高度化が問題だと思う。
問題の本質は多様性を認めようとしない
社会、特に企業採用に問題があると思う。
大卒しかほとんど採用しなくなっている。
大卒以外は差別される。
だから、皆大学に行く。
企業も企業内教育を昔の様にすべきだし、
中卒、高卒も昔の様に積極的に採用すべきだと
思う。
学校ってあんまり根拠教えてくれなかった記憶。
理系科目は基本的に根拠があるからそれもしっかり教えないと応用もきかないと思う。
それと同時に現代の学生は学ぶことが以前より増えているのだと思う。以前の大学は「専門的研究機関」だったのが現在は「就職支援機関」のような側面が強く出てしまっている。つまり大学には広く浅く、の知識が求められるようになった。それが可能になったのはインターネットの登場に他ならないと思う。大学だけでなく社会全体のレベルが下がっている。それは専門化よりマルチプレイヤーを求める社会になってしまったことも要因なのではないかと思う。まあさすがにパーセント計算ができないレベルの友人がいたら引いてしまうが、
文系でも高偏差値かつ(センター以外の)数学必須の例えば東大や京大の文系レベル(私の経験では私立の理系以上に数学出来る子がほとんどだった)や旧帝大レベルなども同様でしょう。
それ以外は理解できてない人は相当数いると思います。
私立文系には当然相当数理解できてないのはいるだろうし、理系でも内部進学者は名の通った私立大学でも本当にびっくりするほど出来ないのは多く、%や割り算の意味の理解があやしい。とある有名私立の内部進学の条件が高3なのに高1程度の内容の本当に簡単な試験で3割取れれば良いという衝撃的な内容だったが今も忘れられません。
「理系の大学生で%が理解できない」とは信じがたいことですが実際にはこういう事情で本当のことです。
もう平均学力の低いFランク大学なんて迷惑でしかないのではと思ってしまう。狭く尖った特殊な内容を教えるのであれば専門学校を充実させるべきだと思うから大学を統廃合してスリム化した方が良いと思う。
数学が得意な人は授業中にその日の数学の内容を理解している。しかし、苦手な人は家に持って帰って、何時間も文字式や数式とにらめっこするはめになる。得意な人はその間に他の勉強を進める→結果として、理系得意の人にどんどん差をつけられてしまう→勉強の効率が悪いので、理系苦手な人は効率の良い文系で勝負するしかなくなる。
これですよ、理系苦手は、留年防止するために無難な方へと進んでしまう。
時間が限られているので、仕方がないかもしれないが、色んなタイプの生徒に数学を教える体制が欲しいところです。
間違っていけないのは、どうしても誰かを責めたいなら、若者を批判するのではなく、現在のリーダーを責めるべき。
んで、読解力が不十分だと論理的思考も身に付かず、「どこが理解できないのかすら判らない」という事態も生じやすくなる。初等教育段階において司書教諭の配置を増やすなど、発達段階に応じた読書のステップアップを促すとともに、勤労世代の学び直しを兼ねて「市民学級」等による読書促進など、多方面からのアプローチが必要と思う。
頭のいい人が最適だと思うやり方だからかな。
小さい頃はとにかく基礎を叩き込むと、いつしか自然と「!」が生まれて、それこそ勉強の醍醐味だと思うんだけど…。
少なくとも有意な差ではないし、読解についてはむしろ昔より若干ではあるがよくなってる
仮に割合の計算ができない学生(中高大生)がいたとしても基礎となる学力を持ってれば10分説明すればその場で理解できるだろう
1時間説明しても理解できない学生が増えてる、なんて事態になってないので特段問題視すべきでもないと思う
教育や自己啓発の分野は刺激的な見出しと実情が離れてることが多い
まさにタイトル負けの本があふれてる
%や分数の考え方が身についていれば計算を間違えたとしても、このパーセンテージやけに多い、計算間違えたな…と感覚的にわかるのですが、わからない人は割合の感覚自体あまりないようで誤答に気づけなかったりします。
%を仕事で使うことがあるので、わからない人にはかなり丁寧に説明してるつもりなんですが、考え方はなかなか理解をしてもらえなかったりします。
そういう自分も数学は大嫌いでしたが。
高校になると難しい公式を使って答えを導き出す問題なんか公式どおりに数字を当てはめたつもりでも答えが全く違う…つまり考え方が理解できてないので手っ取り早く数を当てはめて答えを出そうとしても間違えてしまうわけですが
%が理解できていない人も、それと同じ感じなのかもですね。考え方を理解していないので、計算を間違えてしまうんでしょうね。
何でそうなのか?分からなくても進んでいく授業に問題もあるかもしれない。そう思うと、小中学生でも一定の点数がとれなければ、留年させる制度や進学組、就職組に別れる就学システムにするかなど、本当に必要な時期まできてるのではないだろうか。
計算結果が出ればいいのではない。
なぜそうなるのかが、わからないといけない。
それが今後重要
ときに、どちらが分母か分からない子供は増えています。
センター試験で高得点を取るような生徒は塾で学んでします。
小中学校ではアクティブラーニングが盛んで半分以上の授業で
話し合いが行われていて、こういうことの定着が下がっています。
また、学習進度を重視するために、できない生徒でも進級して、
少子化と高校無償化の成果で高校に進学します。
それは今も昔も全く変わらない。
一度嫌いになると算数の「比例と反比例」や数学の「関数」ももっと嫌いとなってしまいます。
結局は上手く交わし行ければ大学受験では数学なんか要らないしということになり、そのまま大人になるわけです。数学好きからすると、もったいないとは思うけれどね。
しかし、算数で「割合」が嫌いになっても、理科が好きであれば、「割合」が分かってくる可能性は十分に期待は出来るので、そのてんは工夫しだいかな。
もっとびっくりするのが小学校入試。算数の基礎っぽい問題があるんだけれど、その場限りの解法をただ暗記させるだけ、、、私が問題作るんだったら、問題のパターンと解法だけ覚えてる子が壊滅するような問題出してやるのになあといつも思う。
例え公式を使ったほうが煩雑になってもだ
たまに聞くと理解するが、暫くすると公式ありきの解き方をしている
そんなことを繰り返すうちにどうしようもない状況になっている
塾講師をアルバイトでやってましたが、
食塩水の方程式の問題まさに%の問題ですが、
泣きながら逃げ出す生徒がいました。
何が彼をそうさせたかは分かりませんが、
しっかりと分からない事を理解させる事は重要だと思います。
後親のエゴで私学中学受験させられるのも何か可哀想でした。
もし本当だとしたら、さらに深刻さが増す。
簡単にスマホとかで答えを出しているからこうなっちゃうのかな?
ソロバンを経験したり筆算を普段からしていれば、ここまで酷くはならない。
企業側が大学生という肩書きありきで採用するから
市場ニーズに応えて大学が増えただけ
生涯学習ルートが単線で周回型とか反復型に
なっていないゆえに発生した現象
学生さんに対して、授業をするたびにレポートは「ありがとうございました」、「勉強になりました」、学籍番号・名前だけ、など…そういった質の低下は卒論にも影響を与えている。
数値化できない、調査できない、もちろん資料を集めれないなどなど。
そして、指導をしてかろうじて卒論も書けたものの行き先が決まらない。「じゃあとりあえず進学しよう」と修士課程に来られる方がいるのも確かである。
となれば、明確な研究目的がないまま、2年間過ぎてしまい。したがって、それぞれの大学の研究成果の質が低下せざるを得ない。
こんなことになれば、プロジェクトなども組織する事は困難である。
高卒程度の学力どころか中卒程度の学力もない人達が入学・卒業出来る大学が存在する事が問題でしょう。
私立ならそんな大学が有ってもいいと思う部分も有りますが、その場合は国からの経済的な補助等は一切しない制度にして欲しいと思います。
バカどもに学歴を与えるために税金を投入する必要は無いでしょう。
学力云々以前に、日常生活の中で、周りの事象への関心や、自分で考える力がどんどんなくなってきている気がします。
過保護な親が増えて、子供が自分でいろんな経験をするか機会が減ってきている。
もしわからなくても、その都度スマホで調べればなんとかなっちゃうから、蓄積もされない。
また昔はFランク大学なんて話題にならなかった。%が理解できなくても、大学進学率が上がり、少子化で大学全入状態になっただけのことではないのか。
プリウスの事故件数と事故率(%)の記事を見ていてそう思う。
プリウスの(トヨタの)提灯記事でプリウスは売れているから事故が多いだけ。っと擁護している記者がいる。そして情けないのは、それで納得している人がいること。
事故率は販売台数を同じ尺度で何件事故があったとする尺度。
要は販売台数が多いから事故も多いんじゃないかというのに誤魔化されないようにしたのが、事故率。
簡単な例では、プリウスが1000台売れました事故は10台事故りました。
他の車が100台売れました事故は1台です。
となったとき、事故率を知らない人は、プリウスのほうが多く売れているから事故も多いって答えて納得するのでしょう。
しかし事故率で見れば同じなのです。
ところがプリウスだけがと室しているってことはプリウス事態に何か問題があるってことが事故率からわかるのです。
そして共通してるのが、物事を理解することよりも、最終的な結果としての点数ばかり気にする人が多く、理解する勉強よりもテストで得点するための勉強を好む傾向にある。
基礎も何も無いくせに、効率効率と騒ぐため、欠陥住宅で満足してるような理解になる。
それこそ、団塊ジュニア世代の大学受験とか私立文系でも、国語と英語が必須で、それ以外の選択科目が得意でなければ合格が困難だったからね。
だって数学力の半分は「反復練習による条件反射」だもの
確かに機械的に文字や数字の羅列を憶えたりはしないけど
思考の引き出しから膨大なパターンが自在に出てくるまで反復練習は不可欠
ボクシングとか将棋とか基本は一緒だよ
高校以降の数学を「使いこなす」程度ならそれで余裕
「創造」するとなるとまた話は別だが
苦手意識があると上達速度が非常に遅く記憶力も鈍い
だから勉強時間が長いわりに出来が悪い
逆に得意な者は短時間ですぐ上達できる それだけのこと
特に地方からの進学者は3教科以外を捨てた極端な受験生が多いせいもあろう。
大都会の有名私学のそういったタイプは地方の国立大や地方の名門私学ではあまりお目にかからないタイプ。
それで生活していけるのなら別にそれでもいいけど、でもいくらなんでも割合くらいは義務教育終了しているのだから知っていて欲しいなぁ。
アメリカと戦争したことを知らない大学生も結構いる気がする。
普段使いするための知識には興味を持つし、分かりやすいし、忘れないから。
小学校や中学校の教育の質が低下したということではないでしょうか?
大学うんぬんではなく、義務教育の劣化の問題であり、
生徒の学力に関係なく、卒業できるのも考え直した方が良い気もします。
そもそも、大学が多すぎです。
大学は国立大学と一部の私立くらいでいい。
そのレベルに達しないものは大学の講義を受けてもなにも身についていない。高校卒業して就職するほうが合理的効率的。
とにかく大学、特に私学を減らしましょう。
そのためには私学助成金をほぼ全額カットでいい。
それでやっていけない大学は廃校としよう。
今の小学生の算数の問題をみていると、長ったらしい文章問題が多い。
初めは機械的に解くような問題を増やした方が、基礎の部分は身につくように思える。
文脈を追って解くのが得意な子もいれば、機械的に解く方が得意な子もいる。
分数やパーセンテージが分からないと、国の政策も判断出来ない国民が出来上がる。
だから子供の扶養控除を廃止する代わりに子供手当て支給します、とか○○対策の為に消費税増税します、みたいな朝三暮四的な政策がまかり通るようになる。
花子さんはリンゴを8こ持っていました。一郎さんは10こもっていました。二人が同じ数になるように、一郎さんは花子さんにりんごをあげました。なんこあげたでしょうか・・・とか思い出した。
なんで、大学生が「算数」勉強するのに、隅田川の花火大会にしないと興味が持てないのか。そこからしてもうだいがくせいじゃないよ。桜美林って偏差値いくつなの?
算数は小学校でつまずくとずっと後を引くし、生徒にも迷惑。
算数が苦手なのに教師になりたいなら科目別の担当がある中学校以上の教師になれよ。
にわかには信じられませんが、本当だとしたら怖いですね。
小学校レベルのことがわからないで、よく入試に受かったものだと思うし、入試に出ないとしても、この程度のことがわからないのでは、
大学の授業についていけるかどうか怪しいし、
第一社会に出てから困るでしょう。
大学の先生とか、マスコミは消費税が上がるこの時期に、わかりやすく教えるとか、解説記事をかいてほしいですね。
題目がセンセーショナルなので、単に本を売りたいとか、記事を読んでほしい、というだけで、こんなタイトルをつけているんじゃないですよね?
んで…どの時点から分からなくなったか聞いた時に分数だった;
分数は比率の計算だからパーセントが分からなくなって当たり前かw
余談…私が高3の時に数Ⅲの授業を受け持っていた佐久間先生に
「微分と積分て何を計算してるんですか?」と質問した時に、
授業以外の時間で丁寧に説明をしてくれ数学がより面白くなりましたb
理数系の大学にも現役で合格でき、とても感謝しています。
意味を理解できずに授業が進むから勉強がつまらなくなるのだろうw
んで…どの時点から分からなくなったか聞いた時に分数だった;
分数は比率の計算だからパーセントが分からなくなって当たり前かw
余談…私が高3の時に数Ⅲの授業を受け持っていた佐久間先生に
「微分と積分て何を計算してるんですか?」と質問した時に、
授業以外の時間で丁寧に説明をしてくれ数学がより面白くなりましたb
理数系の大学にも現役で合格でき、とても感謝しています。
意味を理解できずに授業が進むから勉強がつまらなくなるのだろうw
色んなものが便利になりすぎて、昔の人でさえ、記憶力、計算能力が落ちている。
論理的に考えられない、様々な情報の因果関係・相関関係などを整理出来ない、何かを仮定して議論出来ないetc。
昔は大学に行けなかった層が大学に行けるようになったというのは確かに問題だが、初等・中等教育に問題がある事は昔から変わらない。
大学の数減らしてもっと切磋琢磨させればいい。
テストの成績がどれだけ悪くても卒業できてしまう小中学校時代の卒業要件が緩すぎるんだと思う
必要学力に達していない生徒は問答無用で留年にすべきだろう
何でもすぐ検索して答えだけ分かる時代。ネットでも課題の答えを求めてる質問をよく見かける。一体誰のための勉強なんだか?
文系でも文章や言葉を理解できない人が多いのでは?
最低これは答えられないと社会に出て困りそうな問題は、学年が上がる度まぐれ当たりの選択ではなく解答必須にしないと、大学や企業で再教育なんておかしなことになると思う。
大学の質の問題もかなりあると思うけど、
穿った見方をすれば、消費税等の経済指標を読めないようにする安倍政権の悪巧みかもw
確率・統計・偏差・不確実性・エントロピーくらいは、文系でもある程度、概念だけでも良いから理解した方がいい。
社会生活で、確実に役に立つから。
大学の名前も大事だけど何が出来る人かがもっと大事だね。
そして大学がより良い会社に行くためのステップに過ぎなくなった。
大学本来の学問を修めるところになるべきだ。
働きたい人はビジネスの専門学校などに行くべきだ。
もう少し簡単な割り算で例えると、割る数と割られる数が理解できない、みたいな。
質が下がるのは当然だろ。教えるにしても限界がある。
どうせ寄付するのなら、消費税ゼロに相当する黒柳徹子さんの方にしましょう。
寄付控除などの恩恵はありませんが、本来寄付とはそういうものです。
何より理詰めで考えられないと問題解決のプロセスも組み立てられないし、困ることしかない。真面目に学んでね、学生さん。
小学校時代の学習がどれだけ理解出来ているかが重要だし、そこの部分は学校で慎重に教育していくべき。
分数の約分も筆算を使う子が多い。
複雑な分数を扱ったことがないんだろね。
自分が分からないことを分かる人。
分断ではなく協力できる世界であって欲しい。
大学生なんだからそれぐらいは···とも思うが。
殆どの大学生はわかるだろ。
ちゃんと調査すればわからないやつでも大学生になれる(いわゆるボーダーフリー)大学にそういった者が偏在するのは明らか。
よく考えたら25%は絶対に違うと分かるのに..。
→それは、知らなかった。
綺麗な文章や感銘を受ける文章は、数学的な要素が盛り
込まれている?
↓
音楽も数学です。
少なくとも、理系では数学は必要。
文系の人も、経済学(銀行、経理等)、社会学は、必要不可欠です。
今一度、基礎教育を考えないと行けない時代になりました。
単に放課後に自主的に時間をかけて理解を追いつかせればよいだけでは。
結局は単なる言い訳。
自分は東大の数理科学系の出身なんだが、東大理系でも入学時に分数の意味をきちんと理解している者は少ない。例えば数学科で基礎から学んだり、物理学・経済学などの理論研究が発達した数理科学をきちんと学んだりしない限り、分数のエッセンス(=基準化)を教わることはあまりないからね。
Fランクの大学生だけで調査したらそうなるだろう。
数学なんて下らない学問を教えるのではなく、この事を教えるべきだと思いますよ(^-^;
大事なのは手段ではなく目的ですから!
手段をいくら極めても何も得られない。学校教育は、手段しか教えないからダメなんです。
全ては「何の為に?」という目的で決まる。社会を良くするために、自分に何が出来るのか?
それが無ければ意味がないのです(^-^;
大学生の正解率は他の人達より優遇されてるんですね。
それに%は小学生の話で、大学受験のマークシートは関係ねーよ。やっぱり、小学生から留年させるようにしないと、格差が広がるばっかりだわ。
生徒は昔から一定数いた。
寄付という裏口使って大学出ていた
どうにもならない人たちが少なかった時は
まだ良かったが、高等教育無償化で
どうにもならない人たちが、高校・大学を
行くようになると、こういう問題が
出てくる。
また、分数判らない子にプログラミングを
教えるのは、正気の沙汰とは思えない。
この国の未来は暗い。
Fランとか表現は悪いけど、その程度の学力+経験や未成熟さも比例している場合が多い、いかせる親も親
推薦だの内部進学が主流なのも無駄
別に今に始まったことじゃないんじゃない?
国会議員の皆さんの発言とか聞いてると、年配の方々も全然大したことないですよ。
工場で働いている労働者や研究所の職員の待遇は
一般的に高くないし、むしろ割りに合わないと認知されているように思われます。
よって、大部分の学生はこれらの職に就きたいとは思いません。つまり、わざわざ小難しい(と思われがちな)理系の勉強をしようとは思いません。しかも、未だにあらゆる会社で重要視されているのが場当たり的その場しのぎ的方法論を是とする体育会系営業職です。
つまり、それなりに会社員として稼ごうと思ったときに、数学は不要(なわけないんですけどね)です。
結果、数学を疎かにしても構わないという風潮が日本社会に蔓延している。と、多分に偏見を含みながらも私はそう考えていますが皆さんはどう思いますか?
数学ではないが、歴史の問題【関ヶ原の戦い】について中高年に背景を聞いてみたが、正確に答えられる人は少なかったぞ?
豊臣VS徳川と誤解している人が多いし、その上で石田三成が西軍の総大将とまでいう人の多い事。
%ができないと嘲笑っている連中は、この事を正確に理解していたかな?
2が50の4分の1かどうか?を感覚的に把握できない所に問題がある気がします。
と思う記事ですね
環境は今の方が整っているのに
なぜなんでしょうね
高偏差値大学なんて有り得ない。
このデータ自体の信憑性に疑問。
桜美林大学なら不思議でも何でもない話ですが…。
文系理系は関係ないでしょ。
これは結構危機感感じた方がいいと思うのですが。
微分積分、数列は出来なくても生きていけますが、小学校の算数は文系だってこれから先の人生、私生活でも仕事でも出来ないとまずいですよね。
営業の仕事で前期より売上3%増が目標ですと言われてわからないなんて、もうそれだけで「こいつはまずいぞ、バカか?」って周りから見られちゃいますよ。
前に若者が電車で20%オフって、結局幾らなの?って言ってましたが、あれは珍しいことじゃないんですね…
大学に行くなんて環境になかったオッサン世代の者ですが、高卒で仕事に就いていきなり%は当たり前の様に仕事で使っていた
%は中学高校の授業で充分だと理解している。
もうすぐ定年になるような年齢だけど更に統計やデータ分析、解析で日々使う。
もしや、ゆとりの影響なのだろうか?
っていうのなら解答が出せるんだと思う。
算数の理解の話だけでなく
国語力の問題なんじゃないだろうか
百分率と割合は、元の量の100%、10割とするって処をキチンと理解出来てさえいれば、何とかなるんだが。
「%を理解できない」という表現自体がおかしいと思います。
「割合を理解できない」と書くべきで、
このような記事が氾濫していることも
学力低下の一因だと思います。
やはり、こんなのがわからない学生を大学生にしてはいけないと思う。
それに、『大学生』という括りの調査ではなく、『18〜22歳の日本人』というような括りで調査するべきでは?
この調査結果の記事こそ、パーセンテージ(統計的な調査の意味)を理解出来てないように思う。
働きなくない、まだまだゆっくり遊びたいレベルの子の為に税金を使うのは反対だ
「〇〇について述べよ」と出題すると、
2~3行しか書けない大学生も少なくないのだから。
さらに言えば、敬語を使えない大学生も・・。
教育制度を作っているのは誰?
自分達の責任は棚にあげて立場の弱いものをやり玉にあげないでください。
「今」の世の中は「昔」から作られるんですよ。
「1/2+1/3=?」と言う問題に、「2/5」と答える学生が3割いたと言う結果を見て、日本大丈夫かなと思った事があった。
赤門前で現役東大生にした質問がこの結果だったから。
ゆとり世代も幅があり、様々なものがあるようですが、円周率は、3.14…を3として…という時期もあったようなですし、公立(国主体?)だと、余計に目立つような気がします。
教育の質を下げるような、国からの命令(?)はいらないです!
何のために、勉強が必要なのか、今の国会議員を見れば分かるような気もします。
中2も我が子も割合がわからないと言っている…。やばい…。
それがわからなくても大学まで行けちゃうんだ。中学生高校生と使わないんだね…
論理的なつながりのある文章が書けなくて、ひどい場合は「てにをは」がめちゃくちゃ。
管理人の率直な感想
「大学ってどこだったんですか?」
この質問やめませんか?
普通に聞いてくるでしょう?
大学名言うのが恥ずかしいんですよ!
みんながみんな良い大学に行ってると思うなよ!
と言いたい。
まあ、それは僕が悪いのですが。
みんな何となく高校に進学するじゃないですか。
それから頑張って良い大学に行くのか、僕のように勉強を疎かにして超バカ大学に行くのか。
それとも早くに就職するのか。
僕が大学に進学しようと思った動機は「遊びたかったから」です。
実にふざけた動機です。
国立に落ちて、どうしようもない大学に進学。
それでも遊べるのは遊べる。
ところがどっこい。
祖母が入学金を払うと言い出しましてね。
祖母は小さい頃に戦争を経験していて、兄弟も多く、貧しくてろくに学校に行けず働いていました。
そんな祖母は「大学に行く」ことが「頭がいい」ことだと思っていたのです。
我が孫が大学に行ってくれるということで、貯めていたお金を入学金に充ててくれました。
「いや、ばあちゃん。俺バカなんだよ?バカのバカによるバカのための学校に行くんだよ?」なんて言えますか。
もっと勉強しておけばよかった。
胸を張って「頑張るよ!」と言いたかった。
だからせめて、留年しないように卒業しました。
何の話でしたっけ。
そうだ、%すら分からない大学生の学力低下問題ですね。
これはですね、いくら僕が通っていた大学でもみんな理解できていましたよ。
というか、今この文章を見ている方々もちゃんと理解できてると思うんです。
百分率という概念すらないのかな?
それで考えれば間違えようがないんですけど。
%って習うのは小学生でしたっけ。
小学生か。
「小学生からやり直してこい」というフレーズがありますが、別にやり直すほどのことじゃない。
日本語が理解できて、物事を少しだけ柔軟に考えることができればアホでも分かる。
理系とか文系とかセンター試験がどうとか関係ない。
解くことが「できない」のではなくて「最初から放棄してる」のではないでしょうか。
それ以外にないと思います。
「安易に大学に入れる時代が問題」だというならばそうでしょうし。
実際に出身大学を聞かれて恥ずかしい思いをするのは自分ですからね。
そう!僕のように!!
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