和歌山の過疎集落でひきこもり生活を送る“山奥ニート”をご存じだろうか。
最寄り駅から車で約120分の山奥で集団生活を営む、15人のニートたちがいる。
生活費や収入源は?
「なるべく働かずに生きていく」ことを実践する彼らの居住地は廃校となった元小学校で、家賃はタダ。
生活費は月に1万8000円あればまかなえる。
主な収入源は、紀州梅の収穫や草取りなど、集落のお爺さんお婆さんの手伝いをしたりして得たおこづかいだ。
“山奥ニート”の暮らしの中に、「一生懸命働いてお金を稼ぐ」という価値観はない。
あったとしてもごくごく希薄で、「苦手な人間関係がないこと」「自分のための仕事だと思えること」などの条件が必須である。
この生活を見て、「働かざるもの食うべからず!」と眉間にギュッとしわを寄せるか、「自分もそうしたい!」と前のめりになるかは人それぞれだろう。
「人にはそれぞれ、自分に合った履き物がある」
“山奥ニート”の生き方に触れると、自分が思い込んでいる「〇〇すべき」という固定観念や思考の枠組みが浮き彫りになる。
たとえば、今現在の日本社会で「当たり前」と言われている働き方が合わない人がいたとしよう。
それでも無理して我慢してまわりに合わせて働き続けてしまうのは、「食べていくにはそれしか選択肢がない」という思い込みがあるからだ。
でも本当は、「“山奥ニート”みたいな選択肢がある」。
このことを頭の片隅に入れておくだけで、少し気がラクにならないだろうか。
“山奥ニート”の石井あらた氏の言葉を引用しよう。
『人にはそれぞれ、自分に合った履き物がある。
なのに、今は既製品の靴に、無理に足を押し込んで履いている。
だから、歩いているうちにすぐ足が痛くなる。それじゃダメだ。
靴に足を合わせるんじゃなく、足に靴を合わせなきゃいけない。
昔わらじを自分に編んだように、自分に合わせた履き物を作る。
そうすれば、足は傷つかず、どこまでも歩いていける。
自分専用のわらじをじっくり作る、そのための時間と場所が必要だ。』
(『「山奥ニート」やってます。』石井あらた著/光文社刊)
価格:1,650円
(2020/5/11 23:18時点)
この「自分専用のわらじをじっくり作る、そのための時間と場所」のひとつの例が“山奥ニート”の暮らしだ(探せばほかにもいろいろあるに違いない)。
「どうせモラトリアムにすぎない」というツッコミが聞こえてくるようだが、モラトリアムで何が悪い? 社会復帰できなくなる? 合わない環境で体やメンタルを壊したら、社会復帰も何もあったもんじゃない。
「将来が不安じゃないのか」という疑問に関して、前述の石井氏は「(将来への)一番いい備えは、怪我や病気をしたときのために貯金することじゃなくて、自分ができることを増やしていくことなんじゃないだろうか」と述べている。
必然的にスキルが身につく
実際、山奥の暮らしでは必然的に「できること」が増えていく。
鹿を解体してみんなで食べたり、ペーパードライバーがマニュアルの軽トラで山道を運転できるようになったり、自分のつくったご飯をみんながうまいうまいと食べてくれて自信をつけたり、“いじり”や“マウンティング”とは無縁の生活でコミュニケーションを楽しめるようになったり。
いわゆる仕事のスキルではないが、合わない労働環境ですり減らした自己肯定感や自尊心を回復させるには十分だ。
それに、山奥で得たスキルがいつなんどき役に立つかなんて誰にもわからない。
だって、これからの社会がどうなるかなんて誰にもわからないのだ。
特に今は、コロナ禍のあとに訪れる社会を不安と恐怖とともに待機している状態。
そんなときにできることは、これまでの「当たり前」を「当たり前」と思い込まずに、枠組みを超えた視点や選択肢を増やしていくことだろう。
『「山奥ニート」やってます。』で描かれる“山奥ニート”の暮らしぶりを眺めることは、きっとその一端になるに違いない。
参照元 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200511-00010000-honsuki-life
みなさんの声
それに「人と接触するのが嫌・苦手」でも限界集落に住む事で近所の人から頼まれれば手伝いをしているという事。そして今まで出来なかった事が必要に応じて出来るようになる。せざるを得ない事はやるしかなくなる、仕事とか関係なしに。
良い事ではないか。それは「生活であって仕事ではない」。
現代社会、「これは仕事なんだから」「仕事なんだからしっかりしないと」という意識が強い人間が多い、そしてその意識で潰されそうになる人間が居るのも事実だと思う。
私も山奥リモートワーカーを目指してる。
でも地域によって、新参者を受け入れない閉鎖的な所だったりするんだよね。
馴染みのない土地に入るなら、近所の人とうまくやれるコミュ力も必要だったりするから難しい。
ただ自然はやっぱりいい。盆地でも田舎なら、田園風景が広がって気持ちいいんだよね。
今の時期は、静岡の掛川が茶畑が広がって気持ちいいかもね。
コロナがなければ行きたかったな。
ご本人がその生活に満足して暮らしているならいいんじゃないでしょうか。タイトルに「なるべく働かず」とあるけど、読んだらしっかり仕事してるなーと思いましたよ。
頑張って働いて良いものが欲しいとか、美味しい物を食べたいと言う欲がない。頑張って手に入れるより、何もしない楽さがいいらしい。
人にも干渉されず、一人で楽らしい。
ただ、近所の年寄に頼まれて、車はあるから買い物にいくとか、限界集落なため、村の総代やらと、何かを話すとかは有るらしい。村の消防団にも関わりもある。
農協の頼まれ事もこなす。
しかし、無理には働かない。
家は実家だし、家賃もいらず、水道は山水だし。田や畑は沢山あり、山菜も豊富だし。
僕も歳とったら、帰る選択も、無くもないなぁ。
でもほんとにこういった形がフィットして生きていける人は多くないのでは?
普段、なんとか”一般的な”社会生活で生きていけている人がちょっとした憧れ程度でこういったスタイルにするのは無理だろう。
あと心配なのは医療だな。
まさか実践する方々が居るとは。
偉いとは思わないが、凄いと思う。
どうか、お身体だけはご自愛下さい。
なんなら生活保護でも文句を言われる筋合いはない。
許されないのは常識から外れた者ではなく、法から逸脱した者だけだ。
問題は働いて金を稼ぐことにインセンティブが働かない社会の方にある。
暖簾に腕押し状態を20年も続けている我々中間層のお陰で社会が維持されているのだからもっと褒められて良いとは思うが、そこから零れ落ちた者の方がよほど賢い経済行動をしているということもまた事実だ。
自分に嘘ついて必死で働くより数倍楽しい人生だ
女子なのでどうしても遠くにいけない。もうすぐ実家は出るけどしがらみがある。男女差は絶対あるなあ。人間嫌いでも男の方が自由な気がする。
親や社会に依存しすぎるわけじゃなく各自がストレスなく身の丈にあった生活を過ごしていた
ただ集落の住人もみな高齢だったからいずれはここでの生活を継続するのは難しいと思うけどどう対処するのかな?
不登校の子ふがオンライン授業ではいの一番に課題を提出しているとかクラス内の人間関係が苦手な子は無理して登校する必要ないんだな。
合う場所で学ぶことができる。
人間合う場所合わない場所がある。
山奥でまったり生活ってのも一つの生き方
体が動かなくなれば一万円も手に入らない。その時は、生活保護?
主夫なメル友は30年働いた会社を50歳前に辞めてからは一生働かないそうです。
子供がいない人です。奥さんも無職です。
家賃収入と貯金で生きて行けるそうです。
山奥なら自給自足的や在宅ワークでも生きて行けそうです。
これからの新しい生活様式は、尚更、そういう生活で良いでしょう。
独り身だったらやってみたいとも思うし。あとは彼らが生活保護の申請などすること無く、完全な自給自足のもとコミュニティが成立するのならば何も文句は無いし羨ましい。
もちろん、病気等で動けなくなってしまった方には大いにセーフティーネットを活用して頂きたい。
山奥で1万2万で家借りれるとか知らなかった。それを調べる、ググるのも一つの才能ですよね。
それを行動に移せるのもスキル。普通は怖くてできない。
そうやって当たり前に見えるけど、実はスキルってのが沢山あるように思えます。
しかし簡単に書いてるけど、かなりのリーダーシップがある人が取りまとめてるんじゃないかな?
住民税、健康保険料、介護保険料、年金などは??
共同生活で車を一台持つにしても、車の保険やガソリン代、メンテナンス料もありますよね。
難しそう…。
ただ心配だらけなことも。
急病はどうするのか。
社会との接触がほとんどないのでその意味でも進歩はストップしたままの生活でしょうか。
ツーリングで山奥の集落をよく通ります。
最初は「なぜこんな不便なとこに?落人部落か?」などと話したものですが。
戦乱や疫病だけでなく、騒がしい都市を離れてマイペースな暮らしを求めて 山奥の新天地を切り拓いたグループがあったのだろうと考えるようになりました。
国民の三大義務とか言われてる、教育、勤労、納税やっていれば、誰かにとやかく言われる筋合いないわな。
とりあえず本買ってみようかな。
しかし最寄りの駅から車で120分てどこだろう。
山奥は虫が多いから夏は大変だ。
あと、年取った時に介護サービスとかほぼ無いだろうし、移動も大変。
病院も無ければ看てくれる人も居ない。
年中15人とほぼ働かずに暮らすぐらいなら懸命に働いて一人暮らししたいと思ってしまう。
少し行けば、安いスーパーと、何故か映画館まである。無人の駅も。
そういうとこに、私は住みたい。
いじりやマウンティングは、人間が複数いれば、必ず起きる。
それもひっくるめてどうにか出来るなら、良いんじゃないかね。
でも、自分に置き換えると、ヒルに血を吸われた時のショックが自分でも驚くほどで、街の生活になじみ過ぎてしまったようで、出来るかどうか自信はありません。
直接、本人たちが、税金を払えるほど稼いではないけど
ここの農家が納めている、巡り巡って含まれているでしょ。
万一ケガや病気した後、貯金だけでは減る一方で安心できない。
全ての国民が同じように暮らし税金を納めなければ社会インフラや公共の福祉は成り立たない。
圧倒的多数の国民が税金を納めた社会の上で、自分達の暮らしが成り立っていることに気付いているのだろうか?
最後は生活保護でっていうのなら納得出来ない。
でも、それが選んだ道なら後悔はないのかな。
現代の社会システムには合わないかもしれないけれど…
人それぞれだと思う。
これ、国民健康保険払ってないだろ・・
これでいずれ生活保護に頼らなきゃいいけど。
アーリーリタイアだったら理想かもね。
食べ物あっても病院遠いとか怖い
最低限と思えば…世は不必要な物が多すぎる。
羨ましい。凡人では無理だな。
大袈裟ですが、未曾有の世界的大災害が来て、人類滅亡の危機が来たら、お金なんて何の役にも立たない。
(ジャガイモの90%が家庭菜園産)
野菜だけなら畑でいくらでも出来るもんな(畑所有)
守るべきものがあれば、それは無理
日本人の場合、結局は社畜が多いんだろうから、
1度の人生だし。
ただ、加齢や病気で動けなくなったらどうするのかね。
それが心配だからみんな我慢してお金を稼ぎ保険に入るわけで。
そこを放棄している以上、生活保護や健康保険制度も利用しないでいただきたい。
ポツンと一軒家的で楽しそうとも思えるが、まだ若い人が、この先何十年も、罪を犯した人と変わらないような、最低限の生活だけして生きてけるのだろうか?精神的に楽だという気もするが、情報を遮断しないと、どこかで精神の異常をきたさないか心配。
こういう生活は必ず、「子供がいなければ」の前提がつく。
なかなか良いですよね!
ただし、後日、生活保護申請しないなら。
東京のど真ん中での生活も、閉鎖的な村社会が常識な環境での生活も両方経験したし、短期間だがニートも経験したけど、
結局のところ、「貯金は大事」に尽きます。
運営費は、もちろん加害者に出させるわけだ。
『なるべく働かずに生きていく』と言うのなら、単なる現実逃避で、行きつく先は、限界集落のさらに奥の山で、自殺するしかない。
だがもっとポジティブに、こう考えられないだろうか?
都会から山奥へ逃げて来たのではなく、山奥での自分の生活をクリエイトするために、山奥へ来たのだ、と?
出来れば最初から、すべて手探りでやりたいところだが、農業など、生活に密着した、学校では教えない教育の出来る人を募りたい。
ボランティアでも地元の『農家のおじさん』でもいいと思う。
もっと言えばニートって言葉は止めたほうがいいのではないでしょうか。
ちょっと聞いただけでも十分社会性を持ってる感じ。
でもそれなりに甘くもないんじゃないのかな。
別に不思議なことでもなく普通のこと
地方は中高年には夜間バイトくらいしか仕事がないので
ただし車がないと生活できない
ところでこの記事の人たちはニートとは思わないよ。少なくとも親に依存しておらず自活してるし、地域の役に立ってるようだし。
週に2回安否確認やお手伝い等をやってもらう。
これだと一番安くて、田舎の安心が確保できる。
会社は意地汚い強制の飲み会やマウティングするカスばかりで疲れてます。
自分もその様な生活が夢ですね。
でも根本的な事なんですけど.この人達はニートでは無いんじゃ無いですかね?
親元で親の金で生きていて全く働かない人をニートと呼ぶのでは無いのでは??
過疎で人手がないからお年寄りの世話をしたり
山林の伐採を教わったり、農業を教わったり
いろんなスキルも身につくと思うよ。
こういう生活全然OK!
若かったら俺もやる。やりたいね。
海外の南の国なんかはその日の魚取って慎ましやかに暮らしている人も
それを考えると物欲やらしがらみやら無い世界もあってよい。
人の居る所にあると妬まれたり
ちょっかいだされるし
ひっそりとなのも良い
せせこましい都会はいわば、コンクリートの牢獄。。。
管理人の率直な感想
いいな~。
僕もありです。
この風景。
ノスタルジーを感じます。
建物もいい!
「歳を取ったらこういう生活を」と考えるのですが、年齢を重ねたらちょっときついかもしれませんね。
でも、こういったところに住んでるお爺さんやお婆さんは健康的で元気ですよね。
そうだ!トトロの世界か!
何かを連想させるな~と思っていたらトトロですね。
こんな生活を送りたい。
都会の汚いゴキブリとの同居生活はもう沢山だ。
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