日本では「お金は汚いもの」と感じる人が多く、公の場でお金の話をすることは恥ずべき行為とみなされる風潮がある。しかし、誰しも子供の頃はあらゆる物事をフラットな目線で見て、素直に思ったことを口にしていたはずだ。
大人として、子供たちのお金に対する疑問にどう答えるべきだろう。例えば、「なんで私の家は貧乏なんですか?」と、あまりにもストレートな疑問を投げかけられたら?
この問いを「おかね名人」こと、ひふみシリーズの最高投資責任者、藤野英人氏が解決する。
藤野氏のYouTubeチャンネル「お金のまなびば!」内のリモート中継に集まったのは4人の小学生。スタジオでは藤野氏に加え、スピードワゴンの井戸田潤さんが進行役、小沢一敬さんが「おかね初段」として子供たちを迎える。
最初に繰り出された質問が、「なんで私の家は貧乏なんですか?」だった。質問者の菅原小楽(さら)ちゃんは家族でアパートに住む小学5年生。貧乏だと思う理由は、一人っ子にもかかわらず自分の部屋がなく、自家用車も所有していないからだという。
母親によると同級生の保護者に裕福な人が多く、「皆の話を聞いているとうらやましくなる」と小楽ちゃんは言う。
そもそも貧乏の基準とは何か。この問いに対し、同じく小学生の瑠生(るうい)くんからは「貧困には相対的貧困と絶対的貧困がある」と大人顔負けの鋭い回答が。
絶対的貧困とは、国や地域の生活レベルとは無関係に、必要最低限の生活水準を維持できない状態のこと。一方、相対的貧困はその国の文化水準・生活水準と比較して困窮した状態を指す。
まずは「おかね初段」の小沢さんが「笑っていられるだけで、気持ちのお金持ちなんだよ」と話すが、それでは小楽ちゃんは納得しない。そこで登場するのが「おかね名人」藤野氏。
藤野氏は、「毎日満足な食事をとれていて、それで貧乏と言えるのだろうか」と指摘。だが藤野氏自身、高校時代はお金持ちの同級生に囲まれていたことで、劣等感に苛まれたと振り返る。
しかし、食べ物には困らなかったし、いろいろなことに挑戦できた。「実は自分は恵まれていた」とあとから気づくことができたという。
ローンで買っている可能性もある
「貧乏かどうかは人と比べるのではなく、自分の心で決めること。表面的なモノでは判断できない」
車やブランド品をたくさん持っているからといって、必ずしもお金持ちと限らない。なぜならローンで買っている可能性もあるからだ。
また、藤野氏によると、リビングで勉強したほうが成績は上がるという理由で、お金持ちでもわざと子供部屋をつくらず、一緒に過ごす時間を増やす家庭も多いという。
さらに藤野氏は「もともと家が金持ちで、事業に大成功した人はとても少ない」と続ける。
子供のころは「もっとお金持ちだったら」「もっとイケメンだったら」と思ってしまうものだが、いろんな人の心の痛みを知っていて、どうすれば皆に喜んでもらえるのかを分かった人が成功者の共通項。何不自由ない生活はハングリー精神を奪い、将来成功するために不利に働く可能性もある。
この回答に、参加した子供たちは全員納得。質問者の小楽ちゃんは、「私は贅沢をしているのかも。将来は女優になるのが夢なので、普通の家庭で成功を目指したほうがいいのかなと思った」と語った。
物質的なゆたかさではなく、心のゆたかさが求められるようになった現代。かつてのように、収入だけでは貧富の差を語れなくなった。
モノがあるかないかよりも、やりたいことに挑戦できる環境かどうか。心の貧しさから抜け出せるかどうかは自分次第だ。
参照元:https://www.newsweekjapan.jp/fujino/2022/04/post-12.php
みなさんの声
ただ周りも似たようなものだったので、当時はそれを感じることはあまり無かったですね
それより親の年齢が友人達の親より一回り上だったので、価値観とか生活様式の違いを感じました
思春期には随分恥ずかしい思いもしました
ただ「貧乏だった」なんて言うと親に悪い感じがしてあまり口にはしませんでしたね
親は親なりに精一杯のことをしてくれていたと思うので
今の自分に出来るのは子供が恥ずかしい思いをしなくて済むように気を付けることです
ただこんなことは子供には伝わらないでしょうね
貧乏=不幸ではないし、裕福=幸せとも限らないと知っていた。
近所の友達に比較的裕福な子がいたが、日曜日以外は親と顔すら会わないと言っていた。
とは言え、コロナで絶対的貧困も確実に増えている現代日本。格差も広がっているのでしょう。
活用出来る公的制度をどれだけ知って、救済措置を得ることが出来るか。それが貧困から抜け出す一歩になります。貧困であっても、情報弱者にならないようにしていれば道は開けます。今はスマホ1つで情報収集出来る時代ですから、有難いとも言えますね。
これは正しくて絶対的貧困は困るが
相対的貧困に関しては上ばかり見ても下ばかり見ても意味がない。
今ある環境の中で受け入れ努力するしかない。
お金持ちの方がチャンスは多いと思うし優遇される事も多いのは事実かとは思う。
でも他人と比較した幸せってすぐに終わるし、自分で得たものじゃないと幸せは感じられないんだよねぇ。
今となっては貧乏だった方がハードルが低くて良いかと思ったりはする。
今思い直すと、貧乏がゆえに、、、
母親が服を縫い、菓子やケーキも手作りしてた。
もちろん安い材料で。ケーキにイチゴなんて当然乗ってない。外食の記憶もない。料理は全て母親の手作り。
こども時代は、既製品が羨ましかったけど、
大人になった今、なんと贅沢なんだと反省。
可能な限り手作りして節約する母親のこどもである自分、なんと恵まれてたのか。
大人になったらわかるけど、当時はわからなかったんですよね。
今は夫婦共稼ぎでも、家すら満足に買えない。
日本は間違いなく貧しくなっています。その現実から目を背けてはいけません。
そして、その原因を作ったのは小泉改革です。
では無いんだよね。
そりゃお金はたくさんあっても困らないものだけど、
生活に困らないお金があれば充分。
と言いつつ、学費系に汗かいてますが…苦笑。
困ったと思いつつも、日々3食食べて住む家があって、家族そろって暮らせる事に
充分幸せを感じる事ができます。
後ろ盾がある方がリスクを取れるし、貧乏でいいことなんて一つもない。
バブルがはじけて大学生になると逆転。父「遊びに行くなら小遣いやるぞ」
昔の交際相手がバツイチ子持ちで賃貸住まいで非正規で数日後の飯にも困っているのに母がうちは貧乏だからと笑いながら言ったらブチ切れられたのも懐かしい思い出
何せウチは共働きで、質素な生活をしているけど、お友達の家はタワーマンションに住んで、車あって、お母さんが専業主婦だから。いやいや子供達よ、世の中そんな恵まれたご家庭ばかりじゃないんだよ。ヨソはヨソ。ウチはウチです。
ご近所を見てか、クレヨンしんちゃん等の影響かはわからないけど。
エリア的に車を持っていなくても不便は感じないし、だったらその分を子どものお稽古事に回したほうがいいかなという選択なのだけど(まあその時点で「裕福」という範疇からは外れてるとは思いますが)。
いまだに言われますね「なんでウチには車がないの?」と笑
この”普通”が如何に恵まれているかに気付くのは自分が家庭を持ってから。だとおもう。
経済観念身につくし、それなりに工夫するようになる
ただ、1枚のタオルで家族全員の体を拭くのはやっぱおかしいぜ母ちゃん…
まぁ別荘や船を持ってて、毎日金額気にせず外食で、高級車何台も持ってる人とか、段違いの金持ちやけど、そんな人周りにいない位少数やし。
世帯年収で1500万位あったら金持ちかな?
逆に世帯年収400万以下位なら貧乏?
母「お父さんがアルバイトだからだよ」
我が子よ、父はその職しか出来んのだ(発達障害だから)
アルバイトで低収入だが、本人は天職だと思ってやっている
ある程度の収入が欲しければ正社員にならねばならんぞ
本当に貧乏な家はあるだろうし。
女優を目指していると言うけど、
芸能界入るのもお金がかかりますよ。
なぜ稼ぎが悪いのかは親に聞くしかないが。
B子ちゃんちは三階建ですごいねぇ
と、ポロっと言ったら
小4の娘に「ウチはウチ、B子ちゃんちはB子ちゃんち。」と言われた。
素晴らしい。パチパチ
これだけで十分だと思う。
そりゃ一定レベル以上に関しては、幸福は物質から精神に移るけれど
所詮人間も動物に過ぎないから、衣食足りて礼節を知るわけでね
いろんな選択肢や未来にまで制限かけられてる子供が納得するわけないさ
特に若い頃は、目に見える部分での格差にウンザリさせられるからね
親ガチャ云々は嫌いだけど、普通レベルの生活環境すら与えられない親が子供を産むのは無責任極まりないと思う、出産は許可制にしてもいいくらいだよ
うちは普通の家だったが、普通に常識のある人に育ったと思う。
ボンボンは常識知らずのお坊ちゃん、お嬢ちゃんが多くてかわいそうだね。
今まで見てきたボンボンは、親も甘い。鬼になって追い出す覚悟も勇気も無い親が親やってたし。
北朝鮮じゃなく日本で生まれて運が良かったと思え。
お金の有無が幸せには影響しないというのはその通りだと思う。食事も出来ないほどの絶対的貧乏でなければ。進路にはある程度影響するけれど、お金が掛からない進路も沢山あるのでそれで不幸になるか、というとちょっと違うと思う。
言われたくねえ(泣)
で、お金がないのは給料が低いから。あんたの時代はこの生活も難しいかも知れない、勉強して就職がんばんなさい。それで終わり。心は豊かだから成功するのではなくて、心が貧しいと得られるものも人脈も得られない、失いやすい、プラスではなくマイナス要因だと思う。心が豊かなだけで成功できるのは転生ラノベだけ。だから非道なことを言ったり勝手なことを言ったら、その都度そこで考えさせるね。
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