2万人2000人近い死者を出した東日本大震災は、私たちが記憶している災害の中でも別格だった。建物という建物が壊れ、社会のインフラがことごとくなぎ倒され、街そのものが消え去ったのである。
合理的で予測可能だったはずの社会が一瞬にして崩壊してしまったのだ。それだけに、時間や空間がねじ曲がったような想像を絶する出来事が起こっても不思議ではなかった。そのひとつが霊的ともいえる不思議な体験である。
震災の年の初盆あたりから、被災地にまるで「あの世」と「この世」の結界が破れたかのように「幽霊」があらわれた。たとえば、こんな幽霊譚である。
「ずぶ濡れの女性が立っていました」
「若い女性が病院まで行って欲しいと言うので乗せたんだが、着いたところには土台しか残っておらず、お客さん! と振り返ったら誰も乗っていなかったんだ」とタクシーの運転手。
「橋を渡ろうとしたら同級生に似た女性が欄干に寄り添うように立っていた。名前を呼ぼうとしたが、お母さんと一緒に津波で流されたことを思い出して動けなくなった」という高校生。
某建設業者は「信号が赤から青に変わったんだけど、前の横断歩道を大勢の人が渡るので車を止めたまま待っていたら、後から『何してるんだ! 』と怒鳴られた。再び前を見ると誰も歩いていなかった」。
また、ある女性はこんな恐怖体験を語ってくれた。
「夕食を終えた頃でした。ピンポンと鳴ったのでドアを開けると、ずぶ濡れの女性が立っていて『着替えを貸してください! 』と言うのです。
かわいそうにと思って、着替えを渡してドアを閉めたのですが、しばらくするとまたピンポンと鳴ります。ドアを開けると、今度は大勢の人が手を差し出して口々に『着替えを! 』と叫んでいたのです」
30人近い人の霊に憑かれた女性も
震災から数ヵ月ほど経った頃だったが、被災地を見に行って帰ると、突然人格が変わったかのように凶暴になった男性がいた。地元でオガミサマと呼ばれる霊媒師に見てもらったら、霊に憑依されていたという。
お祓いはできても成仏させることは出来ないと言われ、お寺を探して除霊をしてもらったら、津波で亡くなった男性の霊が憑いていたことがわかったという憑依体験もある。
それだけではない。30人近い津波で亡くなった人の霊に憑かれた女性もいたのだ。
霊に憑依されたと聞いても、当時は関心がなかったので聞き流していたが、憑依された事例はその後も聞いた覚えがあるので、震災からしばらくは珍しくなかったのだろう。
しかし、社会のインフラが少しずつ回復していくと、「あの世」と「この世」の結界も修復されていくように、幽霊はあらわれなくなった。
震災から3年目に入ると、幽霊や憑依体験も聞かなくなった代わりに、大切な家族や恋人を津波で喪った人たちの間で霊的ともいえる不思議な体験を耳にするようになる。たとえば――。
亡くなった人との切ない再会
震災の翌月、マグニチュード7以上の余震があって一気に停電になった、真っ暗で逃げ惑っていると、津波で亡くなった夫の持っていた携帯が、海水に浸かって故障していたはずなのにまぶしいほど点滅し、逃げる足元を照らしてくれた。
津波で流されたはずの祖母が、あの日、出かけた時の服装のままで縁側に座りながら、「私は大丈夫だからね」と言って消えていった。
津波で逝った妻と娘に逢いたい想いが募ったとき、まるで励まされるように夢にあらわれては語りかけてくれた。「今は何もしてあげられないよ」「でも、信頼してる」と。
3歳で津波に浚われた息子のことを悲しんでいたら、あの子が大事にしていたおもちゃの車が突然音を立てて動き出した。
この世に遺していった家族をいとおしむように、亡くなった大切なあの人が、あの子が、その存在を伝えるかのようにあらわれるのだ。ほとんどの人が震災前から霊など信じていなかった人たちだ。
津波で家族全員を失った人は体験談を語りたがらない
どうしても本人の承諾が得られずに書けなかった体験もある。
たとえば、石巻市にいた40代の女性だ。夫と娘と息子、それに同居していた母親の4人を津波でいっぺんに喪った。
ひとり遺された彼女は悲しみのあまり、体は痩せこけ、頬が落ち込み、まるで生きた亡霊のようだった。それがある日、仮設住宅に置いた簡易仏壇に手を合わせると、現実か夢か分からない世界に迷い込んだ。
ふっと気がつくと隣に夫が座っていた。夫の手が彼女の肩に触れる。彼女はその手を引き寄せて頬を重ねた。そのときの温かい感触はリアルに伝わってきて、まるで夫が「この世」に蘇ったかのようだったという。
亡くなった子供たちが彼女の背中に負ぶさるように体をくっつけると、実体のある重みが伝わってきた。このままずっと続いて欲しいと願ったが、いつの間にか3人は消えていた。あれは彼女の夢だったのか、それとも「この世」にあらわれた霊だったのかはわからない。お盆が来るたびに夫と子どもたちがあらわれたという。
これは、ある人物から間接的に聞いたもので正確かどうかはわからない。本人から話を聞くことができなかった。断られたのである。
理由は不明だが、同じように家族全員を喪った方にはすべて断られた。ある方から「喋ってしまうと自分を支えきれない」と言われたことがある。きっと、そうなのだろう。
参照元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80810
東日本大震災の被災者の苦しみは、経験した者にしか分からないと思う。
心の苦しみは時が解決出来るとも思わない。
霊でも構わないから再会を望むのは、当然だ。
被災された方の行政手続きからお買い物のお手伝いまでいろんなことをさせていただきましたが、子供と夫を津波で亡くされた女性と一緒に買い出しに行った時にその女性が海の方を見て、「あそこに私の子供がいるんですけど、きっとまた幻を見てますよね」と言われたことがありました。近くに行ってみましょうか というと、「ありがとう、でも現実を見ないといけないと思います」って言われて、なんともやりきれない思いと、強く生きようとしているんだから同情するのではなく支えにならないといけないなと思ったことを思いだします。霊はきっと、その人の強い思いや記憶が作り出すものなんだと思う。
否定も肯定もする必要は無い事です。
建物の上に大型船舶が乗ってたし、鹿折唐桑駅の駅舎はボロボロだった。
そこで、『気仙沼groundzero』を作っていた地元の人の手伝いを飛び込みでやった。
その人は三陸町を案内してくれた。
曰く、『ある海岸に面した神社の境内に逃げ込んだ人たちは皆助かった。目の前の津波が割れるように神社を避けた』という話を聞きました。
もともと、魚類から動物に変化して二足歩行になった。
手に水かきの跡や尾てい骨に尻尾の跡があるように、今も遺伝子として入っているのだから。
六感があっても珍しくない。
このような体験を病気と言う世の中であり、治療対象になってる日本だが、日本はメンタル治療の面でも後進国だと言う事を知った方が良い。
他人が非科学的とか言うべきではない。気をつけなければならないのは、この心理を利用して金儲けを企む詐欺師たちに対してだ。
スピリチュアルとか、パワーストーンとか、完全なる悪徳商売。信じるものは足元を掬われる、だけ。
騙されないように気をつけて欲しい。
私も説明のつかない物を見た事があります。
目の悪い祖母を連れてとある神社に車で向かっている途中休憩でドライブインに寄りました。そこに廃車と思われるマイクロバスを見たのですが、そこの中に人が居て手招きをするのです。
慌てて、ドライブインの主と車を捜索すると、彼の立っていたところに戒名を書いた紙が落ちて居ました。
理由があるからそういうものが出たり見たりするのかなというはなしでした。
私としては何かの理由があるから、現代でもそういう感覚を持った人たちが一定数生まれてくるのかな、とその知人をみていて思います。
或いは何かの理由があるから、現代でもそういう類の出来事を取り扱う職業の人達が居なくならないのかな、とも思います。
父親が危篤との病院からの電話でした。
混乱する母親をなだめ、他の姉弟を起こし、支度をしてすぐに病院へ向かえたのは、あの時誰かが私を起こしてベッドを出るように仕向けてくれたおかげだと思い出すたび本当に思います。
当時神戸に住んでいた人が聞かせてくれましたが、阪神大震災の後は、家の中を誰かが横切るのをよく目にするようになったそうです。
記録や手記として残っていないだけで、当時きっと他にも体験された方はあったと思います。
遺族の切ない心情が伝わってきます。
いつも一度寝たら朝まで目が覚めないけど、その日は明け方四時頃目を覚ましました
特に何かあったとか夢を見たとかは全くなくパッと突然目を覚ました感じ
二度寝をする気分でもなくゴロゴロしていたら携帯が鳴り、祖母がさっき危篤になったと病院から連絡があったという実家からの電話でした
祖母からの虫の知らせだったのかなぁと思っています
母子家庭で、とても寂しく頼れる人が居なくなった喪失感は半端なく。地元から離れて暮らしていたので兄も私も看取れず、母の姉妹たちも火葬場の空きが翌日早朝しかなかったため、年配者ばかりですぐに動けず、納骨で皆行くからとのことで、葬儀は近くにすんでた親戚しか来ませんでした。それが心残りで申し訳なく落ち込んでいたら、
私も不思議な夢を見た事が過去にあります。末っ子の私を可愛がってくれた祖母。その当時、実家を出て一人暮らしをしていました。祖母が亡くなる1週間位こんな夢を見ました。
赤い河か道路かは分かりませんが、光る何かがひっきりなしに流れて行く前で、祖母が立っていました。「どこに行くの?」と聞くと不安げに「うちに帰るんだ」と言いました。そしてふと祖母の全身を見たら真っ白い着物を着ていました。胸騒ぎし翌日に実家に帰りましたが、その時はまだ元気でした。安心して一人暮らしのアパ―トに帰りました。まさかその数日後に祖母が亡くなるとは思いもしませんでした。
あの夢に出てきた赤い河は三途の河だったのかどうかは分かりません。死に目に会えなかった私に前持って夢の中で別れを言いに来てくれたのかな。と今でも思います。
というところなんでしょうけど、抗う事ができない大災害によって一瞬で全てを失ってしまった人間にしてみれば幻であろうが見間違いであろうが、心の支えになる物を求めてしまう事は、当然でしょうし、それを否定したりすることはできないです。
読んでて泣けてきてしまった。
海から近い町を通りました
人はほぼ居らず静まり返りパトカーだけが見回りしてた
そんな中、不思議な体験をしました
昼間家族4人車で移動していましたが交差点に差し掛かった時
車内なのですが感覚からいうと頭上2mくらいの所でチーンと透き通ったおりんの音がしました
聞こえるはずがない
町にはひともいないし周りにもそんな近さで
おりんが鳴る状況じゃない
家族はだまったままでいる
私だけが聞こえた?と不安になり聞いてみたら主人も子供たちも聞こえた…と。
それ以上は話さなかったけど
私が聞こえたおりんの音から感じ取れたのは
幸せを願う穏やかさや、ありがとう大丈夫だからね…というような温かく包み込む感じを受けました
怖いはまったくなく、あなた達は現世を幸せに生きてねとメッセージだったと思う
そこから立ち直る術があるとしたら
無になった訳じゃない、どこかで繋がってるという命の無意識の集合意識体の存在を信じることにあるのかな。
悲しみのあまり幻をみたのではなく、第6感が発動して普段なら見えないエネルギー体とかを可視するようになれたんじゃないかなって考えられるのでは。
死んだら全ておしまいという考えはあまりに救いがなくて…
霊っていうと眉をしかめる風潮だけど、
この記事みたいに治癒力によって集合意識にアクセスできるようになるみたいな表現だとスッと入ってくる。
この著者の方の書いた本を見て救われた人もいっばいいたはず。
この記事とても心に響きました。
ありがとうございました。
旅立たれた方や遺族の方が少しでも穏やかになれていますように…。
ですが、大切な方を突然失った方が霊の存在を信じたくなる気持ちは理解できます。
介護をしついこの間逝かれました
介護疲れをし本人も辛いだろう
62歳で永眠しましたが。
どちらの死がいいのか?
もちろん答えは出ません。
たまに元気だった母の夢を見ます
買い物したり何処か行ったり
それだけでいいのですが
ふと涙は出ます。
したくもない介護を15年するのと
災害や事故で突然起こる事実…
まぁきっと自分が死んだら答え出るのかなー
生と死の狭間なんてないようなものなのかと。
私は心霊写真を何枚も撮りました。
世の中、化学では解明されな不思議な事は起きます。
強い思いや念は死んでも生き続けます。
生きている時間よりも死んでいる時間の方が長いので、人生を有意義に過ごしたいと思いました。
お姉ちゃんの死から3年すぎて、ようやくお墓に行く決心が出来た。
瀬戸内海の山の中腹にある広い墓地。
墓石の場所は行けば解ると思い場所を聞かず、1人で墓地の山に上がった。
墓地の階段を1/3過ぎた辺りで、やっぱりこんなに沢山あるお墓からお姉ちゃんのお墓を探せないと思った。
「お姉ちゃんどこー?」
自然と声が出た、すると斜め後ろから「○○ちゃん!ここよー」
間違いなくお姉ちゃんの声。
声がした方を向くと、その先に○○家のお墓が見えた。
お墓の前まで行くと
「○○ちゃん!ホントに来てくれたんじゃね!」
「お姉ちゃんごめん、思い立って来たからお花とかないんよ。」
「ええよ」
心で会話した、姿はみえないけど、穏やかな笑顔ははっきりと感じた。
広大な墓地の中からお姉ちゃんがお墓の場所を自ら教えてくれた。
私とお姉ちゃんの大切な想い出が、増えた。
東日本大震災の時は、震災報道かACが繰り返し流れていましたよね。凄まじい映像にテレビに釘付けになっていると、レポーターの声にかぶせて聞こえた「たすけて」という女性の声。映像から声が聞こえるのではなく、電波で聞こえる感じで大きくはっきりと届いたのでびっくりしました。あんなにはっきり聞こえたのは後にも先にもこの時だけです。
学問で分かっている事なんて、宇宙に行ったら砂粒にもならないし、色んな可能性、気持ちも否定したくない。
実際見守ってくれているかどうかなんて関係なくてそう思う事で強くなれたり前向きになれて少しずつ心の整理ができるようになると思うんです。
ただ一度だけ姿を表してくれた事があります。失ってから2ヶ月後の事でした。多分落ち込む私を見かねたんでしょうね。向こうは黙っているだけだったけど私は大好きな事と今まで有難うって伝える事ができました。
こんな不思議な事って実際にあるんだなぁって今でも家族にも言わず胸にしまってあります。
津波が来なかったら…
今も楽しい日々が続いたであろう大切な命。
絶望感の中、愛する家族や仲間を思い無念だった事でしょう。
彷徨って会いたくて、誰かの前に現れても不思議ではないと思います。
主人は震災当時は屋上に逃げて助かったが、津波が遠くから迫ってくる光景、車があちこちで炎上、近くのコンビナートの火災、助けてと言う逃げ遅れた人達の声などを聞きながら一晩過ごしました。
夜勤職で海の目と鼻の先の会社が津波で浸水し、1ヶ月後に同じ場所で再建したが周りは街灯もなく真っ暗で主人の勤めている会社だけ明かりが付いている状態
配送会社なので夜中もトラックの運転手さんの出入りなどは割りとあるけれど、事務員の主人が仕事をしていると入り口が自動なので開くと
「もうトラック来る時間?」と思って席をたつと誰もいない
人で関知して開く自動ドアが何度も開いたと
何も見えないし何も居ないけど何だか怖かったと
あれから10年、早いようなまだのような
私の友人も津波で亡くしています。
『大きな悲しみを抱えたとき、人は誰もがそんな体験をするのではないか。不思議な体験は、いわば人間に内在している自己治癒力ではないか』とか批評されたくないんだわ。証明のしようもない話なのは分かってるし、そのままを信じてくれる人以外には聞かせたくない。
ただ、縁もゆかりもないのに、そういった人達をみたり、タクシーに乗せたとかまで一括りに、脳の作用ですと言われても、個人的には釈然としないんですが。
現代の確認できるものしか信用しないっていうのはどうなんですかね。
震災が起きた夏の夜に海外沿いの道路でタクシーが女性の客を拾ったそうですが、その女性は厚い防寒具を着ていて「〇〇までお願いします」とだけ告げ乗り込んだそうです。
ですが向かう途中で運転手はその場所は津波の被害に遭って住居は無いと気づき、場所の確認をしようとミラー越しに女性を見ると髪が濡れているように感じ、運転手はハッとして尋ねるのを止めてその場所まで行ったそうです。やがて到着し、振り返ると予想通り女性は消えていて…
「あぁ(流されて)帰りたかったんだね…」
怖さも無駄足の怒りも無く、ただただそう思ったそうです。
もう一つは、家族全て津波で失って「絶望の日々だけど夢の中で家族に会えるのが唯一の楽しみ」と語った年輩の男性のお話です。とてもリアルな夢なのだそうです。
悲しく切ないお話でした。
死別の悲しみはなんとも言いがたい苦しみだなと思います。
人によって感じ方もそれぞれ。
生前の関係が良くても悪くても、関わりがあれば色んな感情が渦巻く。
辛い、苦しい、悲しい、寂しい、怒り、恨み、憤り、後悔、罪悪感、自責の念、不安、恐怖…色んな感情が渦巻いて、相反する感情の波に呑まれ息ができなくなるような。
落ち着いたと思ったら急にスイッチが入って涙が出たり。
少しずつそれぞれの感情が落ち着き、共存できるようになってくる、というか共存せざるを得ないのですが。
霊の存在やあの世との繋がりについては分かりません。
でも遺された者が生きるには希望が必要。
本人が感じたこと、信じることを大切にすれば良い。真か偽かはどちらでもいい。
阪神大震災の前日の夜、ベッドに入ろうと自室へ入った瞬間なんでか全くわからないのだが、「大地震が起きたら怖いなー」
と、ポツリと呟いた。独り言で。
で、翌日朝の凄まじい揺れで目が覚めてから、もう色々大変だったので、こう呟いたことはしばらく忘れていた。
大地震という知識も大して持ち合わせていなかった12才の私。
私もやけに感触がリアルな夢も見た。
ただ、津波で被災した実家に、震災後のGWから寝泊まりしてるのですが、四方3軒隣で犠牲者が30人近く出たような場所なのに、不思議なことは何一つ体験してない。
夜中に、誰か来てもいいよ、って窓を開けて外を見ても、何にもない。
これも少し寂しい。
これははるか昔の人類も、そういう不思議な現象を感じたり遭遇したりして魂などがあると考えたからなのかなと思った
嘘であって欲しい、信じたくないと思いながらも話をしてしまうと亡くなってしまった事を自分の中で完全に認める事になってしまう。
もしかしたらと思う気持ちを自ら断ち切る事になるから気持ち的に耐えられないかも知れない。
でも医療機関に勤めていると、不思議に感じる事はあります。
出向で短期間勤めたクリニックに朝出勤し、通用口から入るとお線香の香りがします。そのクリニックは霊安室がないので患者様が亡くなってもお線香をあげる事はありません。線香自体ないのです。
でも、入っていきなりその香りですから、「あ、昨日厳しかった患者さんが亡くなったかな…」と感じ、スタッフにたずねると確かに夜中に亡くなっていて裏口退院されましたよと…。
その患者様を気にかけていたから出勤の際に何かを感じ、脳内で線香の香りとなって自身に自覚させたのか?
よくわかりませんが、不思議な事はおこるものです。
いずれにしても自分の大切な人が亡くなったのは辛い事ですし出来ることならもう一度会いたいですよね。まして予期せず突然の事であれば尚更だと思います。
当時のネットでは、体験談ありました。強烈なのは、がれきの中、友人同士で励ましあいながらいたら、突然、相手が大声で助けを求めるので本人は諦めており余りに煩いので口を塞ごうとすると相手が息をしていないことに気づく。え、じゃあどこからこの声が聴こえるのか?救出されるまで本人は相手に大丈夫、大丈夫とさすって居た。
救出された時に、あの時に声がしなかったら助からなかったということや
その後、その相手が、整理券貰ったから呼ばれるまでこの世に留まっていることなど夢の中で知らされたことなど。
そして不思議な事に、その後の世界は全てが色味を増していて、鮮やかに、匂いや音まで全てが変わっていました。何かが冴え渡るような不思議な感覚でした。
長くなってしまいましたが、この記事にあるような「灰色だった風景が色彩を帯びはじめ、深い悲しみから立ち直っていく。」瞬間って、誰にでも必ずあるものだと思っています。だから今悲しみのどん底にいる人も、きっといつか前向きになれる瞬間が訪れると思います。だから諦めないで、がんばろう。あの世でもこの世でも、貴方を想う人が必ずいます。
かなあと思うんですけどね
無いんです、そういう体験
体験できた人が羨ましい
深い深い悲しみと絶望感の日々に、脳の機能の一部分がフル活動してつながることができたのではないでしょうか?どうにか接触したい双方の思いが在りし日の残像やデータとして、本人に語り掛けているのかもしれません。そうして耐えられない痛みを癒していると思うのです。
震災2年後のお盆。
2歳の娘が知らな子を家に招きました。
私には見えませんでした。
名前は何だったか覚えてませんが‥
2時間くらい、ずっと誰かと話してました。
私は娘に付き合って一緒にその子と遊びました。
もう、お家に帰るんだって!
って娘が話したので、娘と玄関まで送りました。
娘は、またねー。って手を振ってました。
夜になって、旦那に話したら、お盆だからなって。
1度だけど、不思議な日でした。
やはり人は自分がどういう事で死んだのか、知りたいと思います。分からないから、突然真っ暗になって狭い世界に入ったら誰でもパニックになると思います。
亡くなられた方の「無念」を少しでも払えるように、いつまでも彷徨わないように、今を生きてる僕らはいつまでも亡くなられた方に対して手を合わせなければいけないと思います。それが親族ならなおさら、亡くなられた方へ残された我々は「あなたの分までしっかり生きる。安心してください。」と、祈りつづけるべきだと思います。
任務中沢山の人が幽霊を見たそうです
ちょっとおかしくなる人もいたとか
釧路に着いてから知ったのだが、それは前日に消息を絶った海洋調査船「へりおす」の救命ボートだった。フェリーから救命ボートを目撃した乗客は自分一人だった。
それ以来、大海原に漂う無人の救命ボートの光景が頭から離れず、毎日のように思い出していた。「へりおす」は焼津から処女航海の途中だった。あの緑色の海の底に沈みどんなに無念だったろうか。
相馬市の鵜の尾岬に「へりおす」の慰霊碑がある事を知り、去年ようやく訪れる機会を得た。
慰霊碑には新しい花が添えられ、地元の人に大事にされているようだった。
慰霊碑に刻まれた乗組員の名前を見ていると、やっと彼らに会えたような気がした。どうか安らかに。
合掌。
①本物の人間の霊魂
②人々が信じたり想った事が形になったもの
③残留思念
東日本大震災の被災地では、そのどれもが有るのではないかと、個人的に思います。
ただ私としては、亡くなった方が一人も漏れなく、安らかに成仏していて欲しいと願っています。
寒さ、苦しみ、悲しみ、悔しさ、痛み、怒り、辛い感情全てが取り払われて、素敵な場所で平和に過ごしていらっしゃるといいなぁと思います。
私自身霊感はありませんが、数年に一度、亡くなった祖母が夢に出てきてやり取りをする不思議な感覚があるので、見えないだけで、必ず今も魂は存在していると信じています。
それを霊現象と思うか、何らかの科学的根拠があっての事なのかは本人次第化と。
自分は何回か説明の出来ない不思議な体験はしました。
生きた人間(の仕業)だったらかなり怖いので、幽霊だったら安心だと思う事にしています。
今回みたいに亡くなった人からのメッセージ的な出来事も信じるか信じないかは人それぞれだがその人にとって励みや少しでも元気になれるのであればそれでいいと思う。後は本人が頑張る事もだけど皆が協力しあえれば何とかなると思う。
ちなみに俺の義母は霊媒師的な仕事してるから今まで見たことがなかった俺もお盆等限定的な時に何かを見てしまう事があるけど勘違いかなとか疑う。
東北大震災の被災者の方々の多くの霊体験談を読み、それまでは心霊現象をオカルト的に捉えていましたが、霊の存在が被災した方々の癒しになっていることに気付きました。
自分に置き換えてみたらよくわかります。自分の大切な家族、人間だけではなく可愛がっていた犬や猫も含め、亡くなってから会いに来てくれたらうれしいですよね。
大きな御殿で真ん中に扉があるんだけど
西洋でも東洋でも扉、なんだよな。
天国の扉、地獄の門、みたいに。
じゃあこんだけ古今東西同じようなもんで表してるのなら
やっぱり死後の世界はあるんじゃないのかな。
ってのを人の葬式の間考えてたことある。
その日泊まったホテル(三人部屋)で、夜中にトイレに行きたくて目が覚めました。
トイレで水が流れている音がしたので同じ部屋の人がトイレに行ったのだと思い、しばらく待っていたのですが、水音がとまりません。そのうちに音の種類が違うことに気づきました。いわゆるトイレの水音ではなく、もっと多くの水の音なのです。ゴーッとかという地響きのような。急に恐ろしくなってトイレを我慢しながら布団を頭までかぶって朝まで我慢しました。その後震災当日の映像を見たら、あの時の音が津波の音とそっくりであることに気づきました。あの日、津波に流された方々についての話も聞いたので、そのことをこれからも忘れないでね。とその方々に言われたように思います。今後起きるかもしれない地震で、少しでも多くの命を守ることができるようにしたいと思っています。
そして気圧や気候などで周りとシンクロする場合もあるらしい。
否定するのは簡単だけど、それを糧にする人がいるなら肯定はしないけど自由に感じていいと思う。
人は目に見えるものばかり信じるが…例えば昆虫や鳥には紫外線が見えるので見ている世界の色や模様が違う。
(人間でも紫外線が見える人が稀にいるらしい)
まだまだ今の人間にはわかっていないことがあってもおかしくないと思う。
不思議な話だけどとても興味がある。
美味しく海鮮丼かなんかを食べて帰ろうとしたら、1300ccもあるバイクの鍵が折れました…乗り物の鍵が折れる、という経験は初めてでした。レッカーしてもらって急遽ツーリングは中止。
きっと亡くなった人達にやっかまれたのかな、と。
友人はそんなことないよ、って言ってくれたけど。
更にいえば、この体験者と、会う機会を設けていたら、もっと良い生きた記事にもなりますよ。
メタボ親父が運動もしないのに10kg体重が減るぐらい泣いたけど、心霊体験どころか夢にも出てこない・・・
夢でもいいから会いたいな
気がつけば行った事の無いあの世と呼ばれる所
自分自身ならどうなのか?を考えてしまいます
私は数年前にとても大切な人を亡くしました
毎日が悲しくて…。ある日眠っていると
あの世から来てくれて話しました 私を置いて
あの世へ行った事、を私は伝え、あの人は、俺は
お前が可愛いかったと言ってくれて もう帰ると言い残し消えた 夢なのかも知れないけど
嬉しかったのを思い出しました
それっきり出て来てはくれませんが…笑
震災で家族を亡くした方が、今を生きれるように、少しでも心が軽くなるならば幻覚だとしても出てきてくれたら嬉しいでは無いでしょうか?
向こうの世界で苦しみもなく楽しく過ごしていると分かれば尚更では?
うちの祖母の妹は阪神・淡路大震災で火災に巻き込まれて亡くなりました。
だから尚更そう思うのだろうと思ってはいます。
向こうの世界では痛みも苦しみも消えて居て欲しいと。
しかし、その時がいつやって来るのかなど誰にも分からない。
多くの場合、歳をとり身体が老化したときにそれを受け入れる準備が整うのだろうが、震災で亡くなった方は突如それが訪れてしまったこととなる。
まだやり残したことや愛する人の記憶もないがしろにしつつ、この世から旅立つ。
霊に会ったという人はこうした無念なメッセージを受け取りつつも、全力で生き抜くことが必要だと思う。
私自身、幽体離脱経験があり霊魂の存在自体は認めております。
肉体は無くなっても魂はあり大切な人とは繋がっていると思います。
いずれ時が来れば、また会えます。
今はまだ、遺された方々はお辛いでしょうが亡くなられた方が安らかに御眠りになられる様、少しでも前向きにお過ごし下さい。
11日でまる10年、東北の復興を祈り、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。もし、時を戻す時計があればいいのに。
自分が亡くなった事がわからず、彷徨う霊がいても不思議ではない。
本当に痛ましいと思う。
戦時中どれだけの命が無慈悲に失われた事か!!
肉体は朽ちても魂は存在すると思う。
これをきっかけにしてカルトとかインチキ拝み屋の類いがつけこむような事を許してはいけないと思う。
あー姿は見えないけどあちらの世界で生きてると。
気持ちが穏やかになりました。
もちろん苦しい日もありましたが、つらくなったら「あの世とこの世は地続き」とつぶやきます。
生きている内に知っておく事が重要らしい。
どうか、成仏されますように・・・
僕はここにいるよとメッセージをくれたのをよく覚えています
そこに付け入る詐欺師まがいの奴らは地獄に落とそう。
閖上大橋に多くの犠牲者が集まっていたという話を聞いた事があるが、嘘とも冗談とも聞こえなかった
脳が認識することは必ずしもマッチしないからね
コメント