旭川女子高生殺人事件、江別男子大学生集団暴行死事件…北海道では去年、未成年や若者による凶悪事件が相次いだ。少年による刑法犯数が戦後ピークを迎えた1980年代。「史上最悪の少年犯罪」といわれるのが1989年に起きた東京都足立区綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件だ。
事件の加害者のひとりである準主犯格のBが、3年前に孤独死していたことが今回新たに判明した。2000年から加害者や親、関係者に行ってきた独自取材や裁判・捜査資料から、知られざる加害者の「その後」をリポートし、矯正教育や社会での処遇について考える。(HBC報道部 山﨑裕侍 ※3回シリーズの1回目 肩書や年齢は取材当時)
■準主犯格Bの義兄が告白
「Bは死にました」
2024年夏、久しぶりに電話で話したその人物は、会話の最後に思いもよらぬ事実を告げた。私は衝撃のあまり、絶句した。Bは私と同い年の50代。早すぎる死だった。Bは日本中を震撼させたある事件の犯人のひとりだった。
「足立区綾瀬の女子高生コンクリート詰め殺人事件」
1989年3月、東京都江東区若洲の空き地で、コンクリート詰めにされた女性の遺体が発見された。被害者は埼玉県三郷市に住む17歳の女子高校生だった。
事件に関わったのは主犯格A(18)、準主犯格B(17)、自宅が監禁場所となったC(16)、監視役のD(17)など、当時16歳から18歳の少年たち7人。
通りがかりの見ず知らずの女子高生をAが強姦目的で連れ去り、41日間にわたって足立区綾瀬のCの自宅の一室に監禁した。連日に及ぶ強姦、顔面や体を殴りつける、ライターで皮膚をあぶる、食事を与えない。非道の限りを尽くしたあげく、A・B・C・Dの4人は女子高生を殺害。遺体をドラム缶に入れて捨てたのだった。
私は被害者やBと同い年だ。事件発生当時、「なぜ彼らはこんなに凶悪な事件を起こしたのか?」と疑問を抱いた。11年後の2000年、図らずも取材者という立場で事件に関わることになった。当時、刑事処分を可能とする年齢を16歳から14歳へ引下げる少年法改正案が議論されていた。いわゆる厳罰化である。厳罰化によって「少年の健全な育成」を目的に更生に重きをおく少年法の理念は果たせるのだろうか。
そもそも罪を犯した少年たちは、どんな更生の道を歩んでいるのか。
メディアは事件の「その後の少年たち」を伝えられているのか。
いくつもの疑問がわき上がり、その問いに自分なりに答えを見つけようと取材したのが女子高生コンクリート詰め殺人事件だった。
2000年から2005年にかけて加害者や親など多くの関係者に会い、話を聞いた。冒頭に電話で話した人物は準主犯格Bの義兄だ。
2004年、Bが出所後に再犯(詳報は次回)したときに取材で知り合った。義兄の告白を受け、私は再び関係者を訪ね歩いた。
■懲役5年~10年のB
「私が知っていることはなんでも話します」
約20年ぶりに東京で再会した義兄。物静かでひとつひとつ言葉を選びながら話す様子は、以前と変わらない。義兄は、改めてBと最初に会ったときのことから話し始めた。
記者「第一印象はどうだったか?」
義兄「こんな言い方したら変ですけど、薄気味悪い。嫌な印象しかなかったですね」
1999年8月4日、Bは28歳のとき満期で出所。その2日後、義兄はBと初めて会った。
記者「最初に会ったとき、Bの態度や表情は?」
義兄「俺様という感じで、自分が一番だぞという態度でしたね」
Bは1971年5月11日生まれ。幼いころに父親が愛人をつくり家を出ていった。母親は2人の幼子を養うため働きに出ねばならず、Bは「家族そろって食卓を囲んだ記憶はない」と供述している。小学校では野球、中学校では陸上に打ち込み、大きな問題行動は起こしていない。だがスキーで足首を骨折し、得意のスポーツができなくなってから人生は暗転する。学校の成績は下がり始め、私立高校に進学したものの、身長180センチという目立つ体格からいじめにあい、不登校となって、最後は中退。前後して母親に暴力を振るうようになった。その頃出会ったCの自宅に出入りするようになり、Cの不良仲間だったAと知り合う。「道具のように使われる」として当初はAを避けていたが、Bが暴走族との間に起きたトラブルをAに相談してから、Aと行動を共にするようになり、Bの非行性が増す。
この頃、Aを中心とする不良仲間は、自動車などの窃盗や、見ず知らずの女性を連れ去って強姦することを繰り返していた。Bも何度か加わった。そして1988年11月25日夜、AとCが自転車で帰宅途中の女子高生を襲い、Cの自宅に監禁し、凄惨な事件が始まった。
裁判では4人の少年が実刑判決を受ける。Aは懲役20年と最も重かった。Bは懲役5~10年、Cは懲役5~9年、Dは懲役5~7年のいずれも不定期刑だった(確定判決)。Bは、最終意見陳述で涙ながらにこう述べた。
「被害者の女性がどれだけ熱かったか、どれだけ痛かったか。一生謝っても謝りきれない。僕の一生をかけても償っていきたい」
1999年に出所したBは、弁護団のひとりから紹介されたコンピューター関連の派遣の仕事に就く。2000年12月、中国籍の女性と結婚し、千葉に引っ越す。女性は7歳年下で、歌舞伎町の店で働いていたとき、客として出入りしたBと知り合ったという。だが数年で離婚し、母親が住む埼玉県の実家に戻ると、再びBの人生は大きく狂い始める。仕事先でトラブルになり、退職。未払いの給料を取り戻すため、母親の知り合いを通じて暴力団幹部と付き合うようになる。
当時のBの様子を義兄は次のように証言する。
「会社をやめてからはフラフラするようになって、仕事はしませんでした。母親に金を無心するようになりました」
Bは、高級セダンの国産車を約200万円で購入する。
「出所したあとは、人生一からだからローンもたくさん組めるし、自分のやりたいことはすべてできたようです。高級車をローンで買うなど、やりすぎじゃないかなっていう生活を始めました。自分が一番だぞという態度でした」
2024年秋、私は東京都内の公営住宅で暮らすBの父親を訪ねた。突然の訪問にもかかわらず、居間に招き入れて1時間半も当時のことを話してくれた。父親は家を出てから別の女性と結婚し、新たに2人の子どもをもうけた。Bは出所後、中古の高級セダンに乗って、すでに新たな家庭を築いていた父親の元にも何度か顔を出したという。
父親「車に乗って何度かここにも来た」
記者「なんの用事で来たのか?」
父親「とくに用事はなかったようだ。しかし、妻が言うには子どもに手をあげていたという。俺は見ていないが」
Bは出所後、自分を捨てた父親に何を期待して会いに行ったのだろうか。
東京地裁から心理鑑定を依頼された福島章氏はBを次のように分析した。
Bを心理鑑定した精神科医・福島章氏
「少年時から人の顔色を見る、表裏のある子供だったが、暴力で他の子供を従え、自己中心的に自己の存在を主張する傾向もあった。しかし、父親に愛情を求めたり母親に甘えたり受容を求めたりする欲求が強いにもかかわらず、それが満たされなかったために心の深い層で傷ついており、それらの愛情欲求や自尊感情を自ら断念し、衝動性をもっぱら抑圧・分裂・疎隔化のメカニズムを採用して神経症的性格構造を形成したと思われる。かなり屈折した精神状態にあるといってよい」『精神状態鑑定書』(1990年2月9日付)より
■最期はトイレで頭を…
出所後、一緒に暮らしていた母親は、Bに対して腫れ物に触るように接していた。母親によると、Bが離婚したあと「結婚して子どもでも作って、普通の生活をしたら?」と問いかけると、「事件の子どもって言われるから無理でしょう」と返してきたという。父親も「刑務所の話は絶対にしなかった」という。事件について親子が向き合うことはなかった。
2004年5月、Bは再び罪を犯す。知人に対する逮捕監禁致傷の罪で起訴されたBは、翌年3月東京地裁で懲役4年の実刑判決を受ける。
2009年、府中刑務所を満期で出所したのち、埼玉県のアパートでひとり暮らしを始める。そこは生活保護受給者や元受刑者など、部屋が借りにくい人たちを受け入れているアパートだったという。Bは仕事もせず、生活保護を頼った。ひとり部屋に引きこもる日々。
Bの最期は寂しいものだった。
「母親がいつものように弁当を持っていくと、トイレのなかで倒れた状態で発見されたのです。救急車を呼んだが、息をしていませんでした」
Bの最期の様子を知る人物は少ない。長年母子を支援していた女性は、「あまり報道しないで」と言いながらも、涙を浮かべながらBの様子を語ってくれた。
「事故だったんです。感情を抑える薬を飲んでいて、ふらついてトイレの中で倒れたんです。そうしたら便器とタンクの間に頭がはさまって外れなくなって、嘔吐して死んだんです。最期はかわいそうな死に方でした。本来は明るくて、物静かで、優しい子です」
Bが死亡したのは2022年7月16日。51歳だった。
義兄はインタビュー中、Bに対して哀れみや同情の言葉を一切発しなかった。そして、Bが犯した罪は許されるものでないとして、次のように突き放した。
「人にはそれぞれ生きざまがありますが、あれだけのことをしたわけですから、Bを許せる人はいないと思うんです。51年間生きていたということ自体、私には許せない」
2024年、義兄は離婚した。
参照元https://www.hbc.co.jp/news/ad1b7aaede342dbe5aafb805ab7fa20c.html
神作譲の最期、他の加害者の現在、母親の異常性【みなさんの声】
そんなはずはないし、可哀そうでも何でもない。
義兄の言う通り51歳まで生きたことが許せない。
もう大人でしょ?
償いしたの?
謝った?
なんなのこいつら?
加害者守るために少年法があるのですか?
他のA、C、Dはどうなってるのだろうか。
統計を見ると明らからしいけど、再犯率は非常に高く半分くらいだと聞いた。
賠償金も払わないケースが大半らしいし、こういう奴らに更生を期待したらダメ。
少年法の廃止か、10歳以下とか年齢をグッと下げて欲しい。
B(小倉(神作)譲):記事のとおり。
C(湊伸治):5年くらい前に殺人未遂で逮捕・起訴されるも、執行猶予つきの有罪。
D(渡邊恭史):出所後消息不明。
母親曰く、ずっと引きこもりで毎朝被害者に謝罪をするのを日課に過ごしていたが、脳がスポンジのようになる病気になりお金がないから治療もできず、病気の進行を見守るしかなかったとか
あまりにも辛い状況では脳が死のうとして萎縮すると言う事を知りました。
(被害者の女の子の解剖で、生前での変異が確認されてます)
今回の事を知っても、やっと1人目?としか思えません。
母親の知り合いから暴力団に結びついてるし。
こんな母子を支援する人もいるのか、とそこに驚いた。
義兄さんは離婚か、それもきっと大変だっただろう。
ここが凄く気になるんだけど・・・
生きていてほしくない。
あれだけの恐ろしい事を未成年でやっておいて、のうのうと生きているあとの3人は?
私の息子が人を殺めるような事をしたなら、結婚して子どもでも作って、普通の生活をしたら?なんて口が裂けても言えない…。生かされてる分福祉やら人の力になって一生罪を償いなさいって言う。
いまもひっそり存在している。
「両親が共産党と報道されているが、そうではない。一切関係がない」
と機関紙の赤旗を通じて発表。
更にその後、女子高生がさも同情に値しない人物であるかのように報じ続けた。
共産党が守るのは女子供ではない。共産党だけだ。
夢に満ち溢れていただろう女子高生を長期にわたって監禁、強姦、暴行の末殺害、コンクリ詰めにして遺棄
そんなことをしでかしておいて短期で出所、生活保護でのうのうと生きてきた
早すぎる死でも何でもない
少年法で護られる未成年とそうでない未成年がいるはずだ
法改正が必要だ
遺族、関係者からすれば哀れでも足りない位でしょう。
そして今も尚、加害者達の今の姿を時折耳にする度に遺族は重く苦しい気持になる。
加害者は生きている限り社会から見られ続け躓き続ける。
当然の報いだがさらなる悲劇を起こさぬ事を祈るばかりです。
義兄がまだ救い
真っ当な人生ならば悲劇だが、
此奴には相応しい最期だと思う。
嫌悪しかなく、やったことから言えばその後の人生が与えられているのが生ぬるすぎる。
生い立ちに苦労しても真面目にしっかりやってる人はやってる。
妥当な最期と思うし、義兄の言う通り、むしろ長生きし過ぎた。
出所後は仕事も紹介してもらえたんだ…。
息子に生きがいをつくるためとはいえ、子供作ったら。と提案する母親も感覚が…。
こんな悪質な犯罪者のことよりも被害者の救済が何より一番ではないか。
加害者がどんな悲惨な最後だろうが、非業の死を遂げた被害者が一番かわいそうだよ。
加害者がどうとか正直興味ない。
残りの連中は普通に暮らしてるんでしょ?
犯罪者のやったもん勝ちは令和でも変わらないけど
あんな悲惨な事件を起こした割に軽い懲役刑。
刑期を終えたからといって、しでかした罪は消えない。
死した後にこそ地獄の業火に落ちていることを祈っている。
なんにも思わないむしろ苦しみが足りないと思わずに居られない。
刑務所に入れっぱなしは税金がかかるから
監視下の元強制労働させてほしい。
人を殺した人がまず出所後幸せになる事が許せない!
被疑少年と同じ人種(人以下の何かの生物)なのではないかと思う。
たいていの凶悪犯罪者は、あなたのようなタチの悪い類いの人に言わせれば、みんなそうです。そして被害者は、もっと優しい子だったでしょう。
のうのうと生きてる犯人もいるんだよね?胸くそ悪いな。
どこまでも理不尽だねぇ……
弄ばれた命。
もし、呪いが本当にあるなら、加害者全員呪われてもおかしくない。
昔で云う、末代までの祟りがあっても仕方ない事件だと思います。
88年は、名古屋のアベック殺人事件とこの事件。東京の事件は発覚して逮捕されたのは89年だけど、一生忘れることのない残酷な事件でした。
3年前に死んだのが『早い』と言ってるんだから当然だけど
個人的には遅い、と言うのが感想
こんな事をする人間は少年などでは無い
そもそも人間かも疑わしい
死刑に賛否はあれど一つ絶対的な利点がある
確実に再犯が防止される
この4人が生きてきた、そしてまだ3人生きている事が周囲の幸せをどれだけ削っているのか
トイレで倒れて亡くなるのは普通にある孤独死です。被害者ぶるな。
母親も被害者のこと全然考えてないのには震撼
やっぱり親子なのですね
犯した罪はどこまでもついてくる。
たとえある時期、忘れたかのように振る舞っても、名前を変えても、引っ越しをしても。
影のように一生つきまとって離れない、呪いのようなものだと思う。
他人の命を無情にも奪ったんだから。
遺族の前でも言えるのかなって思う。
結局は、事実から目を背けてたんじゃないのかな。
少しだけだが、心がスッとした。
きっと本人も色々なことを考えながら、死んでいったことだろうから。
被害者の事を思ったらそれすら贅沢過ぎる
税金の無駄でしかない。
義兄も言うように51まで税金で養う意味があったのか。
逮捕した翌日、手足縛って遺族に引き渡すでいいと思うよ。死亡診断書前倒しで作成してさ。
なんにせよ凶悪犯は全員、収監せずにその場で死刑執行でいい。
加害者達全員、楽な最期にはならないのではないかと思う。
少年犯罪とは言えない残虐性で、刑期を終えても罪を償ったと言い難い。
生活保護すら無駄と思える。
どっちやねん。笑
まあ、因果応報やな。
それだけ長生きできただけ神様に感謝やな。
去年、北海道で起きた若者の凶悪事件を許せないと思うのと同じくらい現在でも許せない。
スポーツが出来なくなって道を踏み外した?
ふざけんな、こちとら元々運動音痴で何やってもダメだし、成績の方も特にすごくいいわけでもないけど、道も踏み外さず真面目にコツコツやってるわ!!
自分の弱さ・未熟さを社会や他者のせいにすんな。
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